男子バドミントン部の練習前には、普段より一人多く体育館へ向かっていた。大喜がラケットバッグを壁際へ置き、コートの支柱を運ぼうとしたところで、入口から監督が入ってくる。その後ろには、髪を一つにまとめた菖蒲が立っていた。制服の袖をまくり、手には入部届らしい紙と、新しいノートを抱えている。
前日の朝練へ向かう途中、千夏から菖蒲が男子バドミントン部のマネージャーに興味を持っているとは聞いていた。それでも、本当に週明けから姿を見せるとは思っていなかった。菖蒲は集まり始めた部員を見渡すと、大喜の前で足を止めた。
「来たよ」
「まじ、本当に入るんだ」
「思い立った時にやらないと、後で面倒になるから」
「監督にはちゃんと話した?」
「そりゃもちろん。入部届も出したし、お母さんにもOKもらってるよ」
必要な手続きを済ませてきたことが意外だったのか、大喜が菖蒲の手元へ目を向ける。監督は部員を集合させ、菖蒲を自分の隣へ立たせた。
「今日から、守屋がマネージャーとして入る。マネージャーだからといって、選手の身の回りの世話をするだけではない。練習や大会を滞りなく進めるための仕事も任せることになる。守屋も、分からないことを勝手に済ませず、必ず確認するように」
「はい。よろしくお願いします」
菖蒲は普段より整えた声で頭を下げた。部員たちも挨拶を返し、監督から指示を受けて準備へ散っていく。ところが菖蒲は、すぐには動かなかった。コートへ向かう部員を一人ずつ確かめるように眺めた後、壁際でシャトルの筒を運んでいた大喜へ近づく。
「大喜、ちょっと聞いていい?」
「うん、準備しながらでもいい?」
「この前いた人、今日休み?」
「この前って?」
「文化祭の準備で残ってた時に、ここでバドミントンしてた人。背が高くて、髪がマッシュっぽかった」
大喜は手にしていたシャトルの筒を棚へ置いた。
「それだけだと分からないな。俺、その日は強化合宿で学校にいなかったし」
「そうだった」
「他校との練習試合だったみたいだから、栄明の部員じゃない可能性もあるよ」
近くで得点板を運んでいた匡が、二人の会話に気づいて足を止めた。
「その人、練習着は白っぽかった?」
「そこまで覚えてない。髪と顔しか見てなかったから」
匡が困ったように大喜を見ると、コートの奥から西田も会話へ加わった。
「背が高くてマッシュなら、佐知川の遊佐じゃないか? あの日来てた中では、たぶん一番それっぽい」
「佐知川?」
「相手校。栄明の選手じゃないよ」
「えっ」
菖蒲はもう一度、体育館の中を見渡した。今度は念入りに確認したものの、探している顔が現れるわけではない。
「じゃあ、ここに入ってもいないってこと?」
「遊佐のことならいないね。あいつは佐知川だから」
「入部した初日に目的の八割なくなったんだけど」
「二割はあるんだ」
「一応、マネージャーも面白そうだと思ったから」
監督の視線がこちらへ向き、菖蒲はすぐにノートを抱え直した。
監督は大喜へ、最初の流れだけ説明するよう指示した。大喜は菖蒲を用具庫へ連れていき、練習前に使用する物の場所を順番に見せた。シャトル、得点板、救急箱、雑巾、モップ。練習後に片づける場所も同時に説明するが、菖蒲のノートには書くことが増え続けている。
「待って。最初からこんなに覚えるの?」
「今日は全部やるわけじゃないよ。場所を知らないと、頼まれた時に困るから」
「選手にタオルと飲み物を渡すくらいだと思ってた」
「飲み物は基本的に自分で持ってくるし、タオルも自分で取るよ」
大喜は壁際に置かれた三つの籠を示した。まだ筒に入っている新品のシャトル、基礎打ちやゲーム練習で使用した後も比較的状態の良いもの、羽根が傷んでノックなどへ回すものに分かれている。
「練習で使ったシャトルは、終わった後に状態を見て分ける。大会前のゲーム練習で使える物と、ノックで使う物を混ぜないようにするんだ」
「羽根が少し欠けてるかどうか、全部見るの?」
「全部見るよ。飛び方が変わるから」
「大変なんだね」
「地味だけど必要なんだよ」
大喜が時計を見る。部員たちはすでに基礎打ちへ入る準備を始めており、針生がコートの中から大喜を呼んでいた。
「ごめん。針生先輩に呼ばれてるから、続きは匡に聞いて」
「了解、ありがと」
大喜がコートへ走っていくと、代わりに匡が用具庫の前へ来た。ラケットを持っているため、匡も長く付き合えるわけではない。
「監督から、最初の準備だけ説明するように言われた。俺も基礎打ちが始まるまでだから、分からなかったら途中でも聞いて」
「大喜より説明がわかりやすそう」
「それはよかった。覚えてもらわないと、明日も同じ説明をすることになるからね」
匡は菖蒲のノートを借り、練習記録へ書く日付、コートごとの組み合わせ、ゲーム形式に入った時の得点の残し方を簡単に記した。大会前には提出物や遠征の確認も増えるが、初日にすべて覚える必要はないと伝える。菖蒲は頷きながらも、ノートの文字とコートを何度も見比べていた。
「今日やるのは、練習に出すシャトルの確認と、ゲーム練習の記録。分からない組み合わせがあったら勝手に書かず、近くの部員に聞いて」
「笠原くんは?」
「俺もゲームに入るよ」
「ここの人たち、自分の練習を優先しすぎじゃない?」
「部活だからね。それに、守屋さんが仕事を覚えれば、俺たちも練習へ集中できるから」
言い方は淡々としていたが、突き放しているわけではなかった。匡は記録用紙の見方をもう一度確かめ、菖蒲が同じ欄を指せることを確認してからラケットを持ち直した。
「今日だけで全部覚えるのは難しいから、分からないところはその都度聞いて」
「ありがとう。笠原くん、思ってたより優しいね」
「覚える前に嫌になられても困るからね」
そこで監督の集合がかかり、匡は菖蒲から離れてコートへ向かった。選手たちが練習へ入り、体育館の中へ乾いた打球音が広がる。菖蒲は用具庫の前に立ったまま、最初の数分だけコートを眺めていた。
文化祭準備の途中で見た時は、体育館の外から大喜一人を追っていた。けれど、コートのすぐ近くに立つと、それだけでは済まなかった。いくつものシャトルが行き交い、ラケットの音とシューズが床を蹴る音が重なる。さっきまで大喜が打っていたと思えば、別のコートでは針生や西田が声を掛け合っている。同じようにラケットを振っているように見えても、立つ場所も、球を待つ姿勢も少しずつ違った。
何が違うのかと聞かれれば、今の菖蒲にはまだ説明できない。ただ、外から眺めていた時より、ずっと多くのことが同時に起きているのは分かった。
匡も、記録用紙の見方を説明していた時とは顔つきが違っていた。西田と打ち合い始めると、普段の落ち着いた声はなくなり、目の前のシャトルだけを追っている。最初は何度か続けて押し込まれていたが、そのたびに同じ返し方をしているわけではなかった。菖蒲には、何を変えたのかまでは分からない。それでも、さっきよりラリーが一球長く続いたことくらいは分かった。
そこでようやく、自分が見物に来たわけではないことを思い出した。菖蒲は記録用紙へ目を落とし、匡と西田の組み合わせを書き込んだ。初日の練習を終えた時にはノートが文字で埋まっていた一方で、シャトルの仕分けは半分も終わっていなかった。
大喜たちが片づけへ戻ってくると、菖蒲は机いっぱいに広がったシャトルを見て、露骨に顔をしかめた。
「これ、毎日やるの?」
「毎日使うからね」
大喜も隣へ座り、羽根の状態を確認し始めた。菖蒲は一瞬だけ大喜の手元を見た後、別のシャトルを手に取る。
「大喜、私がすぐ辞めると思ってる?」
「まだ初日だから、分からない」
「正直」
「でも、今日やりきったら、明日も来るんじゃない?」
「まあね。何もしないで辞めたら、お姉に絶対笑われる」
菖蒲は傷んだ羽根を指先で整え、ノック用の籠へ入れた。
週の半ばになる頃には、練習開始前に用具庫へ入ることにも慣れ始めていた。シャトルや得点板の場所を覚え、監督から頼まれた資料も指定された場所へ置ける。練習記録も、一度説明された範囲なら迷わなくなった。
その分、周囲へ話しかける余裕も出てきた。ゲーム練習用のシャトルを選びながら先輩たちの会話へ混ざっていると、コート番号を書いた紙を取りに来た匡が、机の上の二つの籠を見比べた。
「守屋さん、こっちは終わった?」
「だいたい。羽根が全部ついてるのはこっちでしょ」
「ついてるだけじゃ駄目だよ。これ、一本曲がってる」
「でも、打てないほどじゃなくない?」
「打てるけど、ゲームでは使わないかな。飛び方が変わるから」
「一、二本くらい混ざってても、すぐ替えればいいじゃん」
「そのたびに止めて入れ替えるより、最初に分けておいた方がいいよ。今日はゲーム練習だから、流れがあるし、試合の環境に近づけないと」
菖蒲は匡が持っているシャトルと、自分が分けた籠を見比べた。
「……全部、もう一回見る」
「手伝おうか?」
「いい。笠原くん、練習始まるんでしょ」
「間に合わなそうなら呼んで」
「間に合わせる。分かんないのだけ横によけとく」
「うん、頼んだ」
菖蒲は、さっきまで分けたシャトルを一度机へ戻した。匡はそれ以上口を出さず、ラケットを持ってコートへ入った。
しばらくして顔を上げると、匡は針生とゲームをしていた。最初は何度も前後へ動かされ、届いたと思った球も次で決められている。何を変えればいいのか、菖蒲にはまだ分からない。ただ、さっき届かなかった球へ次は追いつき、短く終わっていたラリーが少しずつ長くなっていくのは見えた。
入部する前の菖蒲にとって、匡は大喜や雛と一緒にいる男子という印象の方が強かった。けれど、コートへ入れば当然、匡にも自分の試合がある。点を取られれば悔しそうな顔をするし、そのままでは終わらせようとしない。
菖蒲は記録用紙へ目を戻した。
練習後半に入る頃には、シャトルの確認も終わっていた。判断できなかった物だけを別にしておき、休憩へ戻ってきた匡へ見せる。匡は一本ずつ確かめ、使う籠を分けていった。
「これで終わり」
「次は一回でできると思う」
「また違う仕事もあるから、徐々にだね」
「笠原くん、褒めるの下手だね」
「褒めてほしかったの?」
「ちょっとくらいは」
匡は一瞬考えた。
「……自分から全部やり直したのは良かったと思う」
「ちゃんと褒められるんじゃん」
監督から次のゲームへ入るよう呼ばれ、匡はボトルを置いてコートへ戻った。菖蒲もノートを閉じ、仕分けたシャトルを棚へ運ぶ。
ゲームが終わると、匡は針生へ頭を下げ、そのまま床に残ったシャトルを拾い始めた。自分のコートが終わると、隣に落ちていた物にも手を伸ばす。誰かに言われて動いている様子はなかった。
菖蒲がその姿を見ていると、体育館の入口から声がした。
「菖蒲ちゃん?」
新体操部の練習を終えた雛が、バッグを肩へ掛けて立っていた。前髪は汗で額へ張りつき、片手にはストレッチ用のゴムバンドを持っている。菖蒲は椅子から立ち上がった。
「ひなっち。男子バド部のマネージャーになった」
「その呼び方、もう決定なの?」
「呼びやすいから。嫌?」
「別にいいけど、入部の方が急だね。何で男子バド部?」
「格好いい人がいたから」
「分かりやすい」
「でも他校だった。今は普通に仕事覚えてるところ」
雛が机の上を見る。仕分けられたシャトルと記録用紙は、一応それぞれの場所へ収まっていた。
「続けてるんだ」
「失礼じゃない? 笠原くんに細かく教えられてるけど」
「匡は細かいんじゃなくて、気になるところをそのままにできないだけ」
「さすがひなっち。よく分かってるね」
そこへシャトルの籠を棚へ戻した匡が来た。
「雛が終わる時間、毎日違うから分かるようになっただけだよ」
「聞いてたの?」
「聞こえた」
少し遅れて、大喜も片づけを終えて近づいてきた。
「雛、今日はもう終わり?」
「終わり。新しい構成のところが長くて、足が限界」
「最近ずっと遅いよね」
「そっちは?」
「俺はいつもどおり。匡は針生先輩とゲームしてた」
「負けたけどね」
「でも前より続いてたよ」
雛が匡を見る。
「すごいじゃん」
「次はもう少し取りたいけどね」
菖蒲も先ほどのコートを思い出した。
「笠原くんも、普通に悔しそうにするんだね」
「守屋さんは俺を何だと思ってたの?」
「いつも落ち着いてる人」
「負けたら普通に悔しいよ」
「今日見て、ちょっと分かった」
「何が?」
「コートにいる時、普段と全然違うね」
匡は少しだけ首を傾げたが、否定はしなかった。
大喜が残っていたシャトルの筒を棚へ入れる。
「菖蒲、雛とは前から知り合いだったっけ」
「ちゃんと話すのはそんな無かったかも。でも、お姉とは知り合いなんでしょ?」
「うん。文化祭の演技も見に来てくれた」
「じゃあ話が早いね。お姉の昔の話、何か知ってる?」
「本人に聞けばいいでしょ」
「お姉は都合の悪いこと言わないから」
「菖蒲ちゃんも同じじゃない?」
雛に返され、菖蒲は否定せず笑った。
その日から、練習前後に菖蒲が三人の会話へ混ざることが少しずつ増えた。四人とも自分の部活動があるため、長く話せるわけではない。それでも体育館の入口で顔を合わせれば、そのまま一緒に話し始めることを、誰も不思議には思わなくなっていった。
数日後、男子バスケットボール部にも久しぶりの顔が戻った。
女子バスケットボール部の練習が終わり、千夏たちがコート脇でストレッチをしていると、反対側に松岡の姿があった。以前より肩回りが大きくなり、同じ練習着でも少し違って見える。
練習の区切りを待ち、千夏と渚が近くへ向かった。
「久しぶり。戻ってきたんだね」
「久しぶり。学校の手続きが多くて、部活に来るのが遅くなった」
「アメリカはどうだった?」
「最初はバスケより会話の方が大変だったよ。指示が聞き取れないまま練習が進むから」
松岡が笑うと、渚は体付きを見る。
「でも、身体はかなり変わったよね」
「向こうで当たり負けしてたら、ボールを持つこともできないからね」
「戻ってきたら、日本の方が楽に感じる?」
「練習は言ってること全部分かる分、誤魔化せないよね。言われてるのにできなかったら、聞こえなかったふりもできないし」
「最初から聞こえなかったふりは駄目でしょ」
渚に返され、松岡は肩をすくめた。会話が落ち着くと、男子バスケットボール部の監督から集合の声がかかった。松岡は二人へ手を上げ、コートへ戻ろうとする。その途中で一度立ち止まり、千夏と渚を交互に見た。
「そういえば、猪股は?」
「男子バド部で練習してるよ」
「いや、それは知ってる。前よりかなり強くなったんだろ」
「中学の全国大会で優勝して、高校でも県大会まで進んだよ。最近は世代別の強化合宿にも呼ばれてた」
「そこまで行ったのか」
松岡は感心したように男子バドミントン部のコートへ目を向けた。大喜は針生とサービスからの展開を確認しており、こちらには気づいていない。海外へ出ていた間に、二人の関係が変わっていても不思議ではないと思っていた。松岡は千夏が片づけへ戻ったのを確認してから、渚へ声を落とした。
「それで、あの二人はどうなった?」
「どうなったって?」
「さすがに、もう付き合ってるんじゃないのか?」
「付き合ってないはずだけど、いろいろ動くのかも。勘だけど」
「いや、まだ付き合ってなかったんだ。いつまでやってるんだ、あの公然いちゃいちゃ」
「本人たちに、いちゃついてる自覚がないからね」
近くでストレッチをしていた女子部員が、話を聞いて顔を上げた。
「朝も一緒に来るし、帰る時間もよく確認してるよね」
「たまに付き合うってなんだろうって不思議になる」
もう一人の部員まで加わると、渚は声を抑えるよう手で合図した。
「面白がって本人たちに言わないでよ。あの二人のことは、見てれば分かるから」
「見てても分からなかったから聞いてるんだけどな」
「なら、もう少し見てれば?」
渚はそれ以上答えず、ストレッチへ戻った。松岡も追及せず、もう一度男子バドミントン部のコートを見る。大喜は千夏がこちらにいたことにも気づかないまま、針生の返球へ踏み込んでいた。
松岡は二人へ手を上げ、コートへ戻った。
翌日、男子バドミントン部の練習が終わる頃には、菖蒲も一日の流れをかなり覚えていた。練習記録を監督の机へ置き、使ったシャトルを分け、救急箱と氷の残量を確認する。すべてを一人でこなせるわけではないが、迷った時に誰へ聞けばいいかは分かってきた。
匡が自分のストレッチを終えると、菖蒲の書いた記録へ目を通した。
「今日の組み合わせ、全部合ってる」
「当然。何日目だと思ってるの?」
「五日目」
「ちゃんと数えてたわ」
匡は記録を菖蒲へ返し、ラケットバッグへしまう物を確認する。菖蒲は用具庫の鍵を監督へ返しに行った。
その向こうでは、片づけを終えた大喜が、男子バスケットボール部のコートへ顔を向けていた。前日に部へ戻った松岡が、練習で使ったボール籠を壁際へ運んでいる。千夏や渚とはすでに再会していたが、大喜と顔を合わせるのは帰国後初めてだった。松岡はボール籠を置いて顔を上げると、大喜に気づいて手を上げた。
松岡は大喜の身体つきを確かめるように見たが、昔のように年下をからかう口調ではなかった。競技者として、どこが変わったのかを見ている。
「向こうで、競技は違っても使えそうなトレーニングをいくつかやったんだ。切り返す前の身体の置き方とか、接触がなくても役立つと思う」
「聞きたいです。バドミントンでも、動いてから止まれない時があるので」
「今度、時間がある時に話そう。実際にやった方が早い物もある」
二人が話しているところへ、女子バスケットボール部の片づけを終えた千夏が歩いてきた。渚は監督と翌週の練習について話しており、少し遅れている。
「二人が一緒なの久々だね」
「今会ったところ。ナツから、かなり強くなったとは聞いた」
「実際に見ると、もっと分かると思うよ」
「ちーちゃん、それだとちょっと緊張するんだけど」
「いつもどおり練習すればいいでしょ」
「それが一番難しい時もあるんだよ」
千夏は大喜のラケットバッグの横に、使用済みのタオルがはみ出していることへ気づいた。
「大喜くん、タオル落ちそう」
「本当だ。ありがとう」
「今日はどんな感じ?」
「少し時間かかるかも」
「分かった。今日は先に校門へ行ってるね」
「片づけ終わったらすぐ行くね」
千夏は松岡へ軽く手を上げ、渚を待つため女子バスケットボール部のコートへ戻っていった。松岡はその後ろ姿を見送り、次に大喜を見る。
「二人とも、なんかあった?」
「なんかですか?」
「中学の頃から、なんか近くなってない?」
「そうですか?」
大喜が本気で分かっていない顔をすると、松岡は短く息を吐いた。以前なら、その鈍さに苛立っていたかもしれない。今はもう、この距離のままいつまで進まずにいられるのか、興味が残る。
「まあ、トレーニングの話は本気だから。どこかで時間を見つけよう」
「お願いします。俺も今、切り返した後の体勢を課題にしてるので」
「分かった。じゃあ、その辺りから考えておく」
松岡は男子バスケットボール部のコートへ戻り、残っていたボールを籠へ入れ始めた。大喜も自分のコートへ引き返す。用具庫の前では、菖蒲が鍵を返し終え、匡と一緒に得点板の位置を直していた。
「そこ、昨日と向き違わない?」
「入口側から数字が見えるように置くんだよ」
「言われなくても今直そうとしてた」
「俺が言う前に直してたら、そういうことにしていいけど」
「来週は先に気づくから」
菖蒲は得点板の向きを変え、壁際へ寄せた。匡は倒れないことを確かめると、自分のラケットバッグを肩へ掛ける。隣のコートでは、松岡が最後のボールを籠へ放り入れていた。数日前までいなかった二人が、それぞれ違う場所で片づけを終えようとしている。大喜はシャトルの籠を棚へ戻し、体育館の時計を見た。校門では、千夏が待っている。
「大喜、これで全部?」
「うん。戸締まりしたら終わり」
「じゃあ私も帰る。お姉に、ちゃんと一週間続いたって言わないと」
「まだ一週間だからね」
「笠原くんと同じこと言わないで」
菖蒲はノートを鞄へ入れ、匡と並んで体育館を出ていった。廊下へ出たところで、新体操部の練習を終えた雛が向こうから歩いてくる。菖蒲は足を止めると、今度はためらわずに声を掛けた。
「ひなっち、今日も遅かったね」
「菖蒲ちゃんたちもまだいたんだ、みんなおつかれ」
「おつかれ、今日部室に虫が出て大変だった」
「残念ながら女子の部室でも普通に出てくるよ」
「え、ほんと?」
「俺らの部室、そこまで汚くないと思うけどな」
菖蒲が顔をしかめる。大喜と匡は呆れたようにしながらも、二人の後ろをついて歩いた。しばらくして、大喜は三人より先に分かれ、千夏の待つ校門へ向かう。背後では、雛が菖蒲の文化祭での様子を尋ね、菖蒲は都合の悪い話は教えないと答えていた。体育館の扉が閉じた後にも、三人の声は通路の先まで続いていた。