秋合宿を終え、いつもの学校生活へ戻ってから最初の休日。午前中の練習を終えた大喜と千夏は、それぞれ一度家へ戻って着替え、午後から駅前へ出ていた。千夏の目的は、ウィンターカップへ向けた消耗品の買い足しだった。テーピングやソックスは普段から使っているものでも、残りが中途半端な状態で大会へ入るのは落ち着かないらしい。数日前に千夏からスポーツショップへ行かないかと誘われ、大喜もガットや練習用のジャージを見たかったため、一緒に出かけることになった。
駅へ向かいながら、千夏はスマートフォンに入れていたメモを確認する。
「テープとソックスと……あとは大丈夫かな」
「サポーターは?」
「まだ大丈夫。今使ってるのも傷んでないし」
「じゃあ、買うものはそんな多くないね」
「うん。でも大会に入ってから足りないってなるのが嫌だから、一回見ておきたくて」
「たしかに」
大喜も自分のスマートフォンへ目を落とし、欲しいものを考える。ガットはまだ残っているが、そろそろ補充してもいい。ジャージも今使っているもので困ってはいなかったものの、練習の行き帰りに使えるものがもう一着あれば便利だった。
「大喜くんは、ジャージ見るんだっけ?」
「うん。いいのあったら」
「選ぶ基準、また動きやすさだけ?」
「それ以外に何かある?」
「色とか」
「変じゃなければ何でもいいかな」
「そう言うと思った」
千夏が笑う。昔から、服を選ぶことに大喜はあまり時間をかけない。競技用品ならなおさらで、必要な機能があって値段に納得できれば、それで決めてしまうことが多かった。目的のスポーツショップは、駅から商店街を抜けた先にあった。休日の午後だけあって学生や家族連れも多く、入口にはランニング用品、その奥には競技ごとのウェアやシューズが並んでいる。
店へ入ると、千夏は迷わずバスケットボール用品の売り場へ向かった。いつも使っているテープを棚から取り、幅と個数を確認してかごへ入れる。似た商品はいくつも並んでいるが、大会が近い時期にわざわざ別の商品を試すつもりはないらしい。
「それ、いつもの?」
「うん。今から変える理由ないし」
「新しいの試したくならない?」
「試すならもっと前。大会の直前にはやらないよ」
「まあ、そうか」
「大喜くんだって、大会前日に急にガット変えたりしないでしょ?」
「しないね」
「でしょ」
隣の棚では、千夏がソックスを手に取って厚みを確かめていた。大喜には並んでいる商品の違いがほとんど分からないが、千夏は表示を見比べながら今使っているものと同じ型を探し、二足をかごへ入れる。その様子を横から見ていると、大喜は大会が近いことを改めて感じた。
日程自体はもちろん知っている。千夏が毎日練習していることも、女子バスケットボール部がウィンターカップへ向けて動いていることも分かっている。それでも、必要なものを一つずつそろえていく姿を目の前で見ると、カレンダーの日付とは違う実感があった。
「大喜くん」
「何?」
「さっきから、かご見てない?」
「大会近いなって思って」
「今さら?」
「知ってるよ。でも、こういうの見ると」
「まだ少しあるよ」
「だって、もう準備してるし」
「大喜くんも同じでしょ」
また同じことを返され、大喜は笑った。買い忘れがないことを確認した千夏は、そのまま大喜と一緒にバドミントン用品の売り場へ移った。ガットを見た後、大喜はウェアの並ぶ一角で足を止める。長袖のジャージが何種類か並んでいた。体育館への行き帰りにも使えて、アップで着ても邪魔にならないものがいい。大喜は素材と値札を見比べ、無難な一着を手に取った。
「それ?」
「うん。これでいいかな」
「もう決めたの?」
「動きやすそうだし、値段もそんなに高くないし」
「まだ一着目だよ」
「一着目で条件合ってたらよくない?」
「よくないとは言わないけど……」
千夏は大喜の手にあるジャージを見てから、隣のラックへ移った。何着か確認した後、少し細身のものを取り出す。
「これも着てみたら?」
「さっきのでよくない?」
「比べてから決めればいいでしょ」
「こっちの方が高い」
「試着は無料だよ」
「そういう問題?」
「そういう問題」
押し切られる形で、大喜は二着を持って試着室へ向かった。最初に自分で選んだ方へ袖を通す。肩を回しても引っかからず、腕を上げても問題はない。これなら十分だと思いながらカーテンを開けると、千夏が数歩離れたところで待っていた。
「どう?」
「普通にいいと思う」
「でしょ」
「でも、本当に普通」
「競技用のジャージに何を求めてるの?」
「次も着てみて」
「これでいいと思うんだけど」
「二着持って入った意味なくなるよ」
大喜は諦めてカーテンを閉めた。今度は千夏が持ってきた方へ着替える。最初のものより身体に沿う形だが、肩回りに窮屈さはない。腕を振ってみても動きづらさはなく、思っていたより悪くなかった。再びカーテンを開けると、千夏は大喜の全身を見てから、今度はすぐに答えた。
「こっちの方が似合う」
「そう?」
「うん。大喜くん、こっちの方がいいよ」
「でも最初のも動きやすかったよ」
「これは?」
「これも動きやすい」
「じゃあ候補には入るでしょ」
「でも値段は最初の方が安い」
「そこ推すね」
「お金って大事だから」
千夏が笑い、大喜も鏡へ向き直った。ちょうど近くを通った店員が二人のやり取りに気づき、サイズを確認してくれる。肩回りには余裕があり、中にシャツを着ても問題ないらしい。最後に店員からも今着ている方が身体に合って見えると言われ、千夏が横から得意そうに大喜を見る。
「ほら」
「ちーちゃんが店員さんに言わせたみたいになってるけど」
「何も言ってないよ」
「分かってるけど」
店員が離れた後、大喜はもう一度鏡を見る。最初の一着でも目的は十分に果たせるし、値段も安い。それなら普段の自分なら迷わずそちらを選ぶはずだった。けれど、今着ている方へ目を戻すと、千夏の言った「似合う」が頭に残っていた。
「……こっちにしようかな」
「本当に?」
「何でちーちゃんが驚くの」
「最初の方買うと思ってたから」
「こっちも動きやすいし」
「うん」
「肩も引っかからないし」
「うん」
「生地もこっちの方が――」
「じゃあ、それにする?」
「する」
千夏はそれ以上何も言わず、笑って頷いた。大喜が再び試着室へ入った後も、その笑みはしばらく残っていた。最初に自分で選んだものでも困らなかったはずなのに、最後は自分が勧めた方を買うらしい。そのことを大喜へ指摘すれば、きっとまた着心地や動きやすさの話を始めるだろうと思うと、それも少しおかしかった。大喜が着替えて戻ってくると、千夏は自分のかごを持ち上げた。
「もう買うものない?」
「私は終わり。大喜くんは?」
「俺もガットとこれだけ」
「じゃあ会計行こっか」
「うん」
二人はレジへ向かい、それぞれ会計を済ませた。外へ出ると、店へ入った時より人通りが増えていた。大喜の手にはガットと新品のジャージが入った袋、千夏の手にはテーピングやソックスの入った袋がある。大喜が千夏の袋まで持とうとしたが、千夏は先に自分の方へ引き寄せる。
「これは私が持つよ」
「軽いから一緒でいいのに」
「テープと靴下だよ。自分で持てる」
「家まで一緒なんだから、別にいいじゃん」
「家まで一緒なのと、荷物持ってもらうのは別」
「じゃあ重くなったら言って」
「これが重くなることある?」
「途中で何か増えるかもしれないし」
「まだ買うの?」
千夏が笑う。時計を見ると、帰るにはまだ早かった。昼食を食べてから来たものの、店内を歩いていたため、そろそろ休みたい時間でもある。千夏は商店街の先を見てから、大喜へ向いた。
「大喜くん、時間まだ大丈夫?」
「大丈夫だけど」
「じゃあ、行きたいカフェあるんだけど寄っていい?」
「カフェ?」
「この近く。アップルパイがおいしいの」
「ちーちゃんのおすすめ?」
「うん。前に来たことあって。また食べたいと思ってた」
「じゃあ行こう」
大喜がすぐに答えると、千夏は店の場所を思い出しながら先へ歩いた。スポーツショップから数分ほどの場所に、そのカフェはあった。大通りから一本入った道にあり、木製の扉と大きな窓が目印になっている。休日で店内は混んでいたが、ちょうど奥の二人席が空いていた。席へ着くと、千夏はメニューを開く前からアップルパイを頼むつもりだったらしい。
「大喜くんも食べる?」
「そんなにおすすめ?」
「おいしいよ。温かいアップルパイにアイス乗ってるの」
「それ聞いたら食べたくなるね」
「でしょ?」
「じゃあ俺もそれ」
「飲み物は?」
「どれがいいかな」
「紅茶がおすすめだから、紅茶にしよ」
注文を終えると、二人は買い物袋を足元へ置いた。最初はスポーツショップで買ったものの話をしていた。千夏が新しいジャージを次の練習から使えばいいと言うと、大喜はまず洗濯してからだと返す。洗濯表示くらい自分で確認するように言われ、大喜が母に聞けば早いと言うと、千夏は呆れたように笑った。
やがて運ばれてきたアップルパイは、焼きたてなのかまだ湯気が残っていた。冷たいアイスが上で溶け始め、千夏はフォークで端を切りながら大喜の反応を待つ。一口食べると、りんごの酸味と甘さのバランスが絶妙だった。
「どう?」
「おいしい」
「でしょ」
「ちーちゃんが自信満々だった理由分かった」
「そんなに自信満々だった?」
「すごく」
千夏が笑う。午前中は体育館で練習し、午後は大喜と買い物へ来て、今はお気に入りのアップルパイを食べている。半分ほど食べたところで、大喜がウィンターカップの話を出した。
「ちーちゃん、ウィンターカップに向けて今どんな感じ?」
「チーム?」
「うん。合宿の最後、前よりよくなってきたって言ってたじゃん」
「そうだね」
千夏はフォークを置き、最近の練習を思い返した。合宿では、守備の受け渡し一つでも選手によって見えているものが違った。渚は最初の声が遅いと考え、別の選手は戻る位置を気にしていた。以前なら、どちらを優先するか自分が先に決めようとしていたところを、まず一つ試し、合わなければ次を変えるようにした。学校へ戻ってからも、そのやり方は続いている。
「合宿で、守備の話がみんな違った時あったでしょ。私、その時は次に一個だけ試すこと決めたって話したじゃん」
「うん。帰りに聞いた」
「最近は、私がそこまで言わなくても誰かが『じゃあ次これでやろう』って言うようになってきた。私が違うと思ったら言うし、渚も普通に言うし」
「じゃあ合宿だけで終わってないんだ」
「うん。前より練習の中で直すのが早くなったと思う」
千夏の声には手応えがあった。自分一人が何かをできるようになった時とは違う。チーム全体の変化は曖昧で、数字にもすぐには表れないが、同じ場面で立ち止まる時間が減っているのは確かだった。大喜は頷きながら、残っていたアップルパイを一口食べる。
「いい感じなんだね」
「うん。今は結構いいと思う」
千夏はそう答えた後、少し間を置いた。
「だからかな。余計に大会始まるの、ちょっと怖い」
「怖い?」
「うん。一回負けたら終わりだから」
大喜は急いで返事をせず、千夏の続きを待った。
「分かってることなんだけどね。今までだってトーナメントはそうだったし。でも、今はみんなで合わせられることが前より増えてきてて、もうちょっとこのチームでやりたいって思うことも増えたから」
「うん」
「状態が悪くて不安なら、直さなきゃって思えるんだけど。今はちゃんと良くなってきてるからこそ、これが一試合で終わるかもしれないんだって考えると……嫌だなって」
「そっか」
「変かな。状態いいなら、もっと自信持てばいいのにね」
最後だけ軽く笑った千夏に、大喜はすぐ「大丈夫」とは返さなかった。勝てるかどうかを自分が決められるわけではない。相手も同じように練習して大会へ来る。千夏たちがどれだけ準備をしても、結果まで保証できないことは大喜にも分かっていた。ただ、大喜が知っている千夏は大会当日の姿だけではなかった。
「変じゃないと思う」
「そう?」
「ちーちゃん、この大会だけ見て急に頑張ってるわけじゃないじゃん」
「それはそうだけど」
「合宿でも、最初は自分の意見を言う前にみんなに聞いてみるって言ってたし、次の日には聞くだけじゃなくて、その中から何を試すか決めるって変えてたでしょ」
「うん」
「その前だって、副キャプテンになってからチームのこと考える時間増えてたし。ちーちゃん、自分のプレーだけ良ければいいってやってなかったでしょ」
千夏は大喜を見る。大喜は自分が見ていない練習まで知っているふりはしなかった。ただ、家へ帰ってきた時の千夏や、二人で話したことなら覚えている。うまくいった日の話ばかりではない。思ったように合わせられなかった日も、次の日にはまた同じ時間に家を出ていた。合宿でも、午前に試して合わなかったものを午後に変え、帰り道にはその続きを話していた。
「だから、俺が勝てるって言うのは違うと思うけど、ちーちゃんが今まで何もしてこなかったわけじゃないのは知ってるよ」
「……うん」
「今のチームが良くなってるのも、急にそうなったわけじゃないんでしょ?」
「そうだね」
「だったら、そこまでやってきたもの持って大会行くしかないんじゃない?」
千夏はしばらく返事をしなかった。その言葉を聞きながら、ふと中学生の頃を思い出す。大喜が大きな大会へ進むたび、千夏は結果だけを見ていたわけではなかった。朝の体育館で何本もシャトルを追っていたことも、負けた翌日にまた練習へ来たことも、その日のコートへ立つまでの時間をずっと近くで見てきた。だから、試合の日には勝ってほしかった。今は大喜の方から、自分へ同じようなことを言われている。
「ありがとう」
「何が?」
「ちゃんと見ててくれたんだなって」
「もちろん」
「どうして?」
千夏が聞くと、大喜の返事が一拍遅れた。
「どうしてって……一緒に住んでるし」
「うん」
「競技の話もするし」
「うん」
「ちーちゃんの大会、普通に気になるから」
最後だけ少し言い方が変わった。千夏は追及せず、フォークを持ち直した。
「そっか」
「何?」
「何でもない。アップルパイ冷めるよ」
「もう結構食べたけど」
「アイスは溶ける」
「それは急がないと」
二人はまた食べ始めた。千夏の不安がなくなったわけではない。大会が始まれば、一つの敗戦で終わる。その事実は変わらないし、話したからといって負ける怖さだけ消えるものでもなかった。けれど、勝敗が決まる前の時間を知っている人がいる。
それは千夏が思っていたより、心強かった。アップルパイを食べ終えたところで、今度は千夏が話を大喜へ返した。
「大喜くんは、合宿終わってどう?」
「俺?」
「うん。最後の方、匡くんにも針生君にもかなり競ってたでしょ」
「匡には一ゲーム取られたし、針生先輩にも負けたからね。最後も針生先輩に負けたまま」
「でも勝った時もあるんでしょ?」
「うん」
「だったら、結構手応えあった?」
「手応えはあったけど、まだって感じかな」
大喜は紅茶のカップを持ち上げてから、何を話すか考えるように少し止めた。技術の話を細かくすれば長くなる。相手をどう動かし、その間に何を見るのかを話しても、千夏なら聞いてくれるだろう。ただ、今言いたいことはそこではなかった。
「匡に一ゲーム取られた時、前ならすぐもう一回やりたかったと思う」
「うん。大喜くん、絶対もう一試合したがるよね」
「でも合宿で、匡に取られたところをその場でもう一回やって勝っても、それで匡が次も同じことしてくれるわけじゃないなって思って」
「針生君も変えてくるしね」
「そう。だったら、一回勝ち直して安心するより、次に何ができるようになりたいか決めた方がいいかなって」
千夏は大喜の話を聞きながら頷いた。
「だから午後に変えられたんだ」
「たぶん。午前の負けをなかったことにしようとしなかったから、何が嫌だったのか考えられたのかも」
「前だったら?」
「とりあえず勝つまでやってたから、勝って安心して終わってた」
「やりそう」
「ちーちゃん、否定してよ」
「だって昔から見てるし」
今度は大喜が黙った。千夏は特別なことを言ったつもりはなかったらしく、残った紅茶を飲んでいる。さっき自分が千夏へ言ったことを、そのまま返されたような気がした。
「でも、やりたい気持ちがなくなったわけじゃないよ」
「それは分かる」
「もう一本って思うし」
「そこまでなくなったら、大喜くんじゃない気もする」
「それ褒めてる?」
「半分くらい」
「針生先輩みたいな言い方する」
「嫌?」
「いや」
大喜は笑った。競技の話をしていても、最後にはこうして普段の会話へ戻る。千夏も大喜も、競技について話す時だけ別の人間になるわけではない。外へ出かけてアップルパイを食べている日にも、練習の話は普通に出る。その後にジャージの値段の話へ戻ることもできる。その近さは、大喜にとって昔から当たり前だった。
会計を済ませてカフェを出ると、入った時より気温が下がっていた。日も傾き、建物の影が通りへ長く伸びている。千夏は外へ出た瞬間に肩を一度上げたが、すぐ普通に歩き始めた。
「寒くなったね」
「ちーちゃん、その上着で平気?」
「今は平気。大喜くんもそんなに変わらないでしょ」
「俺は平気だよ」
「じゃあ私も」
「何その理屈」
「大喜くんが先に言ったんでしょ」
二人は笑いながら商店街へ戻った。駅へ向かう道は、夕方になっても人が多い。大喜の手にはスポーツショップの袋があり、その中には千夏が勧めた新品のジャージが入っている。しばらく歩いてから、千夏がその袋を見る。
「結局、それ買ったね」
「買ったよ」
「最初のより高かったのに」
「でも、こっちの方が動きやすかったし」
「うん」
「肩も合ってたし」
「うん」
「店員さんもこっちって言ってたし」
「また始まった」
「何が?」
「理由」
「理由は必要でしょ」
「別にいいよ。大喜くんが決めたんだから」
千夏はそう言って前を向いた。数歩歩いてから、大喜が横から見る。
「ちーちゃんが似合うって言ったのも、理由に入ってるよ」
「……そうなの?」
「せっかく聞いたのに、全然無視するのも変じゃん」
「そっか」
「でも、それだけじゃないからね」
「分かってるよ」
「本当に?」
「分かってるって」
千夏は笑っていた。大喜の言葉は、千夏が期待していたほど特別なものではなかったのかもしれない。それでも、自分の「似合う」という一言が理由の一つになったことを、大喜が最後まで否定しなかったのは嬉しかった。
大喜も、言ってから自分の買い物袋を見る。千夏に似合うと言われたから買った。それだけではないし、着心地や動きやすさも気に入っている。ただ、その一言も理由だったことまでわざわざ否定する方が、今はかえって変な気がした。
信号が赤になり、二人は横断歩道の前で足を止めた。隣に立つ大喜の右手が千夏の目に入り、秋合宿の夜、自分からその手へ触れたことを思い出す。あの時は、大喜が探しに来てくれたことが嬉しくて、謝るだけでは終わりたくなかった。考えてから選んだというより、触れたいと思った時には、もう指を重ねていた。
けれど、今はあの夜とは違う。人通りは多くても離れそうなほどではなく、信号が変わればただ並んで歩けばいい。千夏は大喜の手から信号へ目を戻し、青になったところで同じタイミングで歩き出した。手をつながなくても、今日の時間が足りないとは思わなかった。自分の買い物に大喜が付き合ってくれて、大喜のジャージを一緒に選び、お気に入りのアップルパイを食べながら大会のことまで話せた。その一つ一つが、今の千夏には十分に嬉しかった。
ウィンターカップが近いからといって、大喜とこうして過ごすことを後ろめたく思う必要もない。今日ここへ来たから練習を諦めたわけではなく、大喜といたいから大会への気持ちが弱くなったわけでもない。明日になればまた体育館へ行き、今のチームで勝つために必要な準備を続ける。その時間と、大喜を好きでいる自分は、どちらか一方を選ばなければならないものではなかった。
商店街を抜ける頃には、駅へ向かう案内が見えてきた。大喜はその表示を見てからスマートフォンで時間を確認する。まだ夕食には十分間に合うし、家へ帰れば千夏とはまた同じ家で過ごすことになる。それでも、駅へ着いて改札へ向かえば、今日二人で出かけた時間はそこで一区切りになる。
大喜はスマートフォンをしまわず、歩きながら地図を開いた。帰らなければならない理由はない。それなら、もう少しだけこのまま歩いていてもいい気がした。
「ちーちゃん」
「何?」
「まだ時間大丈夫?」
「大丈夫だよ。どうしたの?」
「もうちょっと歩かない?」
「いいけど、どこ行くの?」
スポーツショップへ向かう途中、近くに展望台があるという案内を見かけていた。家からわざわざ来るほどではないかもしれないが、今いる場所からならそれほど遠くない。
「この辺に展望台あるみたいなんだよね」
「展望台?」
「うん。さっき案内出てたから。時間あるなら寄ってみない?」
「大喜くん、行きたいの?」
「まあ……せっかくここまで来たし」
千夏は大喜の顔を見た。買い物は終わり、行きたかったカフェにも寄った。展望台は今日の予定にはなかったものだ。
「疲れてたら帰ってもいいけど」
「行く」
「早くない?」
「大喜くんが誘ったんでしょ」
「そうだけど」
「じゃあ行こうよ。私も見てみたい」
「うん」
大喜は地図で方向を確かめ、駅へ向かっていた道から外れた。千夏も迷わずその隣へ並び、それぞれスポーツショップの買い物袋を持ったまま、新しい道へ曲がっていく。買い物も、カフェも、もう終わっている。それでも二人は、まだ家へ帰らなかった。