涼宮ハ◯ヒの朝◯涼子のガワを被って、「先生」と崇められる母。
九十円のメンバーシップなのに、飛び交う万札。
ダジャレのようなチャンネル名にすら、コメント欄は鳥肌を立てる。
なぜこれがうけるのか、意味がわからない。
そう思っていたはずなのに――グリーン◯リーンの話をする母の声の温度が、自分がいつかの夜に語った温度と、同じ場所にあるのが見えた気がした。
ガチムチアニキVのルーツ。ここに降臨!
ある日、ふと、母親の配信を覗いてみた。
理由はとくにない。自分の配信がオフの日で、暇だったからだ。それと――まぁ、ちょっとだけ、気になっていたのもある。実の母が、いったいどんな顔で、あの朝◯のガワを被って喋っているのか。
結論から言う。
相変わらず、意味がわからない。
念のため断っておくが、話の中身がわからない、という意味ではない。中身は、わかる。むしろ、わかりすぎる。
わからないのは――なぜ、これでこんなに金が降るのか、だ。
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画面の中で、涼宮ハ◯ヒの朝◯涼子が、にこにこと喋っている。
チャンネル名は「朝◯思念統合体」・・・って情報◯合思念体、もじってんじゃねーよ
開幕三秒で、ツッコまずにいられなかった。ハ◯ヒに出てくる、あの宇宙人の親玉みたいなやつの正式名称。字だけ入れ替えて自分のチャンネル名にしている。
我が母ながら、ダジャレのセンスが完全におっさんのそれだ。
そして、なぜわたしがそれを一瞬で見抜けるのかというと――答えは簡単で、この母親が、わたしが物心つく前から、家の中で延々とハ◯ヒの話をしていたからである。逃げ場がないとはあのことだろう。
コメント欄。
先生、今日もよろしくお願いします!
◯倉先生だ! 待ってました
今日のテーマなんですか先生
先生の解説で人生が変わりました
先生?
先生?先生??先生???
うちの、あの母親が。
朝、寝癖のまま「ごはんー」とか言ってる、あの母親が、画面の向こうで一斉に「先生」と崇められている。
(こわ……いや、こわは言い過ぎか。でも、こわ……)
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語りが始まった。
今日はね、ブギー◯ップから入りましょうか。九十年代後半、この一冊が、その後のライトノベルの語り口そのものを書き換えてしまった――という話を、わたしはどうしてもしておきたいんです。
知ってる。
時系列をバラバラに刻んで、誰が主役かもわからないまま進む、あれだ。
なんで知ってるかって、この母親がリビングで最低十回は同じ話をしていたからだ。わたしにとっては、新刊の話題でも、青春の思い出でもない。ただの、家の生活音だった。もはや換気扇と同じである。
わかる。俺、これで世界の見え方が変わったんだよな
時系列シャッフルの衝撃、今でも覚えてます!
コメント欄が、なんかもう、泣いている。
おっさんが、画面の向こうで、二十年以上前の文庫本の話で、本気で目を潤ませている。わたしのガチムチ配信に来るおっさんとは、また種類の違うおっさんだ。あっちが「青春をもう一回くれた」系なら、こっちは「青春から一歩も出てない」系というか。
そして――飛んだ。
¥10,000 ラノベ大好き:先生、ブギー◯ップの話を待ってました。今日も最高の夜です
¥5,000 ラノベ戦争(司書希望):あの衝撃を思い出させてくれた礼です
は?思わず呟いてしまった。
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正直に言えば、頭が真っ白になった気がした。
いや、だって、メンバーシップ。九十円だ。月に九十円。自販機の缶ジュースより安い。
なのに、その九十円の人たちが、なぜか別腹で万札を投げてくる。
……安すぎて、逆に申し訳なくなってるってなに? 九十円しか取らない先生に、罪悪感で追い銭してんの? なにその、徳の高さで搾り取るシステム
頭の中で、つい、よくない計算が始まる。
九十円。たしか、メンシプ登録者十万で二万人とか言ってた。なにその登録率。九十円が二万人。それだけでもう、見たくない桁になる。そこに、このスパチャの雨。
うちの父親、ガチのオグリキ◯ップで競馬を語って、本業込みで月七十万だと自慢げだったが。わたしは、ガチムチアニキの皮を被って世界中の洋楽を語って、ようやく二十五万。これでも登録者二十万なんだけど??
このにこにこ笑ってる朝◯一体に、親子二人がかりで、まったく勝てていない。
一家の大黒柱が、よりにもよって涼宮ハ◯ヒのサブキャラだったという事実を、わたしは今、リアルタイムで突きつけられている。
この家、家計大丈夫なの……?いや、大丈夫すぎて逆にこわいわ……
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そういえば、と思い出す。
この人、たまに顔出し配信をやる。
VTuberのくせに。せっかく朝◯のガワがあるのに、月に一度くらい、気が向くと、素顔でカメラの前に座るのだ。
そして、ここが本当に意味がわからないのだが――その回が、いちばん伸びる。
うちの母親は、いわゆる童顔だ。三十をとっくに過ぎて、どう見ても二十代前半で通ってしまう、本人いわく「ロリ寄りのおばさん」。寝癖で「ごはんー」と言ってるときはただの寝起きの人なのに、配信用に少し整えると、画面の中で、妙にそれっぽくなる。
何が「それっぽい」のか。リスナーが、つけた呼び名がある。
三十になった朝◯だ……
ガワと中の顔が一致してる奇跡
朝◯涼子が大人になったらこうなる、という公式回答
「三十になった朝◯」。
つまり、こういうことだ。涼宮ハ◯ヒに出てくる、あの高校生の朝◯涼子が、もし大人になったら――その想像上の三十歳が、画面の向こうで、にこにこ笑って、実在している。だからアバターと素顔が、地続きに見える。ガワを脱いでも、まだ朝◯のまま。
中の人とキャラの顔が一致するVTuberなんてそういない、と、ファンは熱狂する。
いや、ちがう、落ち着けお前ら。
あれは、ただのうちのお母さんの顔だぞ。
毎朝、食卓の向かいで、寝癖をつけたまま卵焼きを焦がしている、あの顔。それが画面の中で「奇跡」と呼ばれ、「公式回答」と崇められ、スパチャを降らせている。
そして――これは、口が裂けても配信では言えないのだが。
わたしは、その顔に、わりと似ている。
つまり、あの「三十になった朝◯」を、十六まで巻き戻したもの。それが、たぶん、わたしだ。
ガチムチアニキというゴリゴリの筋肉のガワを被って、正体を隠している、その下の素顔は――言ってしまえば、「十六の朝◯」である。
もし、うっかり顔出しなんてした日には。母と、二万人のリスナー全員に、一秒で気づかれる。
……ガワがマッチョで。本当に、本当に、良かった…いや、良かったのか?
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配信は止まらない。
次は鉄コミュ◯ケイション。秋山瑞人の小説版。あの愛すべき少女と犬の――
読んでないけど、オチだけは言える。なんでかって、母親がラストを朗読しながらガチ泣きしてたからだ。
待ってました先生
あれをみて、うちの飼い犬もっと構ってやろうと思いました!先生!
あのラスト、何回聞いても息ができなくなる
先生!イリヤ!イリヤおねがいします!
困ったことに、ぜんぶ、わかる。
タイトルを言われた瞬間に、もうオチまで頭に浮かんでくる。チャットの誰よりも早く。読んでもいないのに。
これはもはや教養じゃない。汚染だ。十六年かけて、この家の空気から染み込んだ、二次被害の知識といってもバチは当たらないと思う。
なのに、コメント欄のおっさんたちは、その同じ知識に、毎回、初めて殴られたみたいな顔をして、金を払う。
全く意味がわからない。わたしには換気扇の音にしか聞こえないものに、この人たちはお金を払えるのか。
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ふと、コメントの一つが流れた。
先生、ずっと気になってたんですけど、なんで朝◯涼子なんですか? ハ◯ヒでも長◯でもなく
それ。
その質問だけは、わたしも昔から思っていた。なぜ朝◯なのだ。主役でもなく、人気どころでもなく、よりにもよって、なぜ。
母が、ふっ、と笑った。配信用の、やたら勿体ぶった笑い方だった。
いい質問です。朝◯涼子はね――あの世界では、情報統◯思念体という巨大な存在が、人間と接触するために作った“対人用インターフェース”、つまり端末なんですよ。彼女自身が喋っているようでいて、その背後には、もっと大きな何かがある。わたしがここでやっているのも、それと同じ。わたし個人が語っているんじゃない。九十年代から積み上がってきた、オタクの膨大な“思念”が、たまたまこのガワを通って、流れ出てきているだけ。だから――朝◯思念統合体。
コメント欄が、爆発した。
うわ天才
鳥肌立った
チャンネル名そういう意味だったのかよ……
¥20,000 S◯S団部員No.99:その理屈に二万円の価値があります
二万円が、飛んだ。理屈に。
そして、わたしはというと。
……いや。情報統合◯念体の字を、並べ替えただけやろがい!
みんなが鳥肌を立てている横で、わたしだけが無の表情をしていた。だって、種は完全に見えている。元ネタを知っていれば、誰でも気づく。ただの言葉遊びだ。
でも、誰もそこを言わない。
言わないどころか、二万円払う。
たぶん――この人たちは、種が見えていてもなお、その手つきの鮮やかさに金を払っている。わたしには種にしか見えないものを、向こうは手品として、心から楽しんでいる。
その差が、わたしにはどうしても埋められない。
なぜ、これがうけるのか。まったく、意味がわからない。
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そろそろ閉じよう。そう思って、マウスに手をかけた、そのときだった。
後半はね、少し毛色を変えて。ヤマグチノボルの話を、どうしてもしたいんです。ゼロの使い魔の人、というより、わたしにとっては、カ◯リアと、グリーン◯リーンの人。
手が、止まった。
その名前は、知っている。今度のは、家の空気から染みたやつじゃない。
少し前、自分の配信で、グリーン◯リーンのエンディングの話をした夜。おっさんたちと一緒に、もういない一人の作家さんのことを、みんなで思い出したあの夜。わたしが、自分の足で、自分の口で、語った名前だ。
母は、その人の話を、いつもの勿体ぶった調子ではなく、静かにしていた。デビュー作のこと。最後まで物語を書こうとしていたこと。
その横顔――いや、ガワは朝◯のままなのだが――その声の温度が、わたしがあの夜、配信でこの人のことを話したときの、自分の温度と、まったく同じだ。
中身は、ぜんぶ知っている話だ。新しい情報なんて、ひとつもない。
なのに、なぜか、その一瞬だけは。
この人が二十年抱えてきたものと、わたしが一年で見つけたつもりだったものが、同じ重さで、同じ場所に置かれているのが、見えた気がした。
なぜこれがうけるのか、やっぱりわからない。そのわたしが、その一瞬だけは、なんとなく、わかってしまった気がした。
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¥1,000 :ガチムチアニキの洋楽トーク
は?!気づいたら、スパチャの入力欄に、千円、打ち込んでいた。
無意識に。あの、朝◯思念統合体に。実の、母に。
しかも、よりにもよって、配信用のアカウントのまま。送信ボタンを押した瞬間、母のコメント欄のいちばん上に、「ガチムチアニキの洋楽トーク」の名前が、千円とともにデカデカと躍り出る。さっき「顔さえ出さなきゃ一生バレない」と胸を撫で下ろしたばかりなのに。今度は、名前のほうから、自分で正体を差し出すところだった。
「いや投げれるかーーーっ!! ていうか名前ぇーーーっ!!」
声に出してツッコみながら、わたしは全力で入力を消し、ノートパソコンを叩き閉じた。心臓がうるさい。あぶなかった。あと一歩で、地球上でいちばん払いたくない相手に、いちばんバレたくない名前で、課金するところだった。
ベッドに倒れ込む。天井を見上げる。
うちの母親は、ハ◯ヒの用語をもじったチャンネル名で、二十年分のオタクの思念を交信し、九十円のくせに万札を降らせ、親子二人がかりでも勝てない大黒柱をやっている。
わかってる。わたしが配信で得意げに語ってきた知識の、たぶん根っこの大半は、両親がリビングで垂れ流していた換気扇の音だ。
それを認めるのは、悔しい。
千円、打ち込みかけたことも、墓まで持っていく。
「……やっぱり、なんでうけるのか、意味がわからない」
そう呟いて、わたしは目を閉じた。
意味はわからないままだったけれど。
不思議と、悪い気分では、なかった。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回は閑話、「なぜこれがうけるのか、意味がわからない」でした。
これまでガチムチ側の視点だけで語ってきた両親のVTuber事情。
今回は母親側の配信を覗くことで、少し違う角度から描いてみました。
換気扇の音のように刷り込まれた知識と、同じ知識に毎回初めて殴られたように熱狂するリスナーたちとの温度差。
その差を笑いながら見ていたはずの彼女が、最後の一瞬だけ、母と同じ場所に立ってしまう。
そこを書きたくて、この閑話を作りました。
千円、打ち込みかけたことは、彼女と一緒に、わたしも墓まで持っていきます。