蜂ガイル〜蜂は再び恋をすることが出来るのだろうか〜 作:龍造寺
千葉県・放課後・総武高校・2ーF組。
今日一日、ずっと麦野静乃さんの動向を気にしていた。体育の後は昼休み。彼女はコンビニの袋を持って教室を出て行った。
私はお弁当を掴んで、そっと後を追った。麦野さんは校舎裏の、ほとんど誰も来ないような場所までやってきた。そこには古びた机と椅子が捨て置かれていて、彼女はそれを勝手に使っているらしかった。
ご丁寧に自分のスペースを作っているわねぇ。
私も少し離れた物陰に隠れて、昼ご飯を食べた。お弁当を食べながら、彼女を観察する。
麦野さんはスマホをひっきりなしにいじっていた。LINEでもしているのかしら?
誰と……?
昼休みが終わる直前、彼女は席に戻ってきた。残りの授業も普通に受けていたけれど、終業のチャイムが鳴ると、すぐに教室を出て屋上の方へ向かった。
今すぐ追いかけたい気持ちはあったけれど、奉仕部の活動がある。今日はこれ以上追うのは無理だったわねぇ。
千葉県・放課後・住宅街の一角。
今日の奉仕部は依頼も相談者もゼロだった。
由比ヶ浜さんのクッキー依頼と里見君の相談が今のところの実績だけ。
平塚先生が宣伝してくれているらしいから、そのうち来るのかもしれないけれど……。
それにしても、麦野さんのことが気になって仕方ない。放課後、屋上に行ったみたいだけど、もう帰った頃よね……。
結局、気になって昨日の公園まで来てしまった。もう夕方で、小学生が遊ぶ時間でもない。誰もいないはずだった。
そう思って帰ろうとした時、どこからか話し声が聞こえてきた。
「静乃ちゃん……10万でどうだい?」
静乃ちゃん!? 麦野静乃さん!?私は慌てて声のする方へ近づいた。公園の奥にある公衆トイレの方から聞こえてくる。
「10万じゃ安いのかい? なら15万でどうだ?」
「10万でいいわ。それでどこでするの?」
男の声は明らかに40代以上。小太りっぽい、脂ぎった感じの声だった。昨日の男性とは別人だわ。
私は公衆トイレの壁際に身を寄せ、息を殺して耳を澄ませた。やがて2人がトイレから出てきた。小太りの男性はスーツを着ていて、明らかに金がありそうな身なりをしている。麦野静乃さんはいつもの着崩した制服姿で、平然と立っていた。
「静乃ちゃん、それじゃあ家に行こっか?」
「分かったわ。慌てなくてもいいわよ。私は逃げも隠れもしないんだから」
「……わかってるよ、静乃ちゃん!」
麦野さんが男性の腕を軽く引いて歩き出した瞬間、私は思わず物陰から出てしまっていた。
「は? 食蜂理沙? なんであんたがこんなところにいるのよ?」
麦野静乃さんが鋭い目で私を睨みつけた。気の強いお嬢様らしい、威圧的な声。
「麦野さん、その男性は誰なんです?」
「そんなこと、あんたに答える義理はないでしょう?」
「10万でどうとか言ってましたよねぇ……それってパパ活ってやつじゃないんですかぁ?」
「あんた、盗み聞きしてたの? 趣味が悪いわね……。クラスでいつも1人でいるかと思ったら、こういう変態的な趣味があったとか……笑えるわ」
小太りの男性が私を舐めるように見て、麦野さんに聞いた。
「静乃ちゃん……この子は誰だ?」
「ただのクラスメイト。それ以上でもそれ以下でもないわ。まあ、聞かれてしまったし、しょうがないわね。そうよ、あんたの言う通りよ」
やっぱり……本当にパパ活をしてるの!?
「……あんたには一生わからないでしょうね。私の置かれた状況ってものが……」
「置かれた状況? それってどういう意味なのよぉ?」
「あんたには関係ないわ。ほら、こっちは10万で体を売ってるんだから、さっさと行きましょう」
麦野さんは男性の腕を引っ張り、そのまま歩き出そうとした。
私はただ立ち尽くすことしかできなかった。
足が震えて、声も出ない。彼女を止める術なんて、今の私にはない……。
止めるためには、彼女が置かれている『状況』を知らなければならない。
でも、それは奉仕部でどうこうできることじゃない。本人が依頼に来たわけでも、相談に来たわけでもないのだから。これは……私1人でやらなければならないことなのかもしれないわねぇ。
2人の背中が夕暮れの住宅街に消えていくのを見送りながら、私は強く唇を噛んだ。
(……麦野さん、一体何を抱えているの?)
千葉県・夜・食蜂家・理沙の部屋。
家に帰ってからも、ずっと麦野静乃さんのことが頭から離れなかった。夜ご飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、ずっと考えていた。
ベッドに転がって天井を見つめながら、ため息ばかりが出る。
……どうして、麦野静乃さんはパパ活なんてしなければならないの?
社長令嬢なんだから、お小遣いくらいは普通にもらえるはずよねぇ。服やアクセサリーも高級そうなものばかり着ているし、見た目だけなら本当に困っているようには見えないのに……。
『私の置かれている状況』
あの言葉が、ずっと頭の中でリピートされている。
お小遣いをもらえないから、自分の体を売って稼いでいる……?
それとも、ご両親からの虐待? ……いや、それは違うわねぇ。虐待を受けている子が、あんな堂々とした態度でパパ活なんてできるとは思えない。
私はスマホを取り出して、ベッドに寝転んだまま麦野ホールディングスの経営状況を調べてみた。業績は特に悪化している様子もないし、最近も新しい事業を展開している記事が出てくる。会社自体に問題があるわけではなさそう。
じゃあ、やっぱり家族関係……?
私は枕に顔を埋めた。私個人でできることなんて、限られている。でも、放っておけない気持ちがどんどん大きくなっていく。
「いっそのこと、麦野さんが奉仕部に相談に来てくれたらいいのに……」
そんなこと、絶対にありえないってわかっているけれど、心のどこかで願ってしまう。
雪ノ下さんなら、容赦なく本質を突いてくれるかもしれない。
比企谷君は嫌そうな顔をしながらも、意外と的確なことを言うし……私も、ただ見ているだけじゃなく、何かしてあげたい。
でも、今の私は何もできない。麦野さんの本当の事情を知らないまま、勝手に動くのも違う気がする。
かといって、知らないふりをして過ごすのも……嫌だった。
「はぁ……」
深いため息が零れた。部屋の電気を消して、布団の中に潜り込む。暗闇の中で、今日見た麦野さんの冷たい視線と、小太りの男性の脂ぎった笑顔が浮かんでは消えた。
(……どうしたらいいの? 麦野さん……)
私は目を閉じても、なかなか眠れなかった。
今日は昼間投稿です。