蜂ガイル〜蜂は再び恋をすることが出来るのだろうか〜 作:龍造寺
千葉県・昼休み・総武高校・テニス部グラウンド。
戸塚君のテニス特訓を始めてから、数日が過ぎた。
基礎練習を終えて、次はボールとラケットを使った実践練習に移行していた。私は軽くサーブを打ち、それを戸塚君が打ち返すという練習を繰り返している。比企谷君と材木座君はボール拾いを担当し、由比ヶ浜さんも同じ役割だ。
雪ノ下さんと麦野さんは少し離れたところで話しているけれど、どうやら親しいというよりは、何か深刻な内容を話しているように見える。気になるけれど、今は戸塚君との練習に集中しなければ。
余計なことを考えていたせいか、つい力が入ってしまい、カーブのかかったサーブを打ってしまった。
「戸塚君、これは打たなくていいからっ!」
私はとっさに声を上げたけれど、戸塚君はそれでも前に出た。
「食蜂さん、大丈夫。これくらいしないと強くなれないから」
彼は無理に返そうとして、足を変な風に捻り、そのまま転んでしまった。
「戸塚君! 大丈夫なのぉ!?」
私はすぐに反対側のコートへ駆け寄り、彼の様子を確認した。戸塚君はすりむいた足を撫でながら、私の方を見て微笑んだ。
「大丈夫だよ、食蜂さん。このくらい平気だから」
「まだ、続けるつもりなの?」
雪ノ下さんが静かにそう言った。
「……僕、テニスが上手くなりたいんだ。これじゃ、みんな付き合ってくれてるのに申し訳ないから」
「……そう。じゃあ、麦野さん、食蜂さん、由比ヶ浜さん。あとは頼むわね」
雪ノ下さんはそう言い残すと、くるっと踵を返して校舎の方へ歩いて行ってしまった。それを不安げな表情で見送った戸塚君が、ぽつりと漏らした。
「な、なんか怒らせるようなこと、言っちゃったかな……?」
「戸塚君、安心して。雪ノ下さんは口ではあんなこと言ってるけど、心の中では応援してると思うから……」
「食蜂、雪ノ下が心でそんなこと思っているかね……」
「比企谷、あなた……皮肉った方に受け取るのね。……雪ノ下はすぐに戸塚が根を上げると思ったけど、意外に根性を出して続いてるから驚いてるだけよ」
「むぎのんの言う通りだよー。ゆきのん、頼ってくる人を見捨てたりしないもん」
麦野さんの隣で由比ヶ浜さんもそう言った。
雪ノ下さん、色々とトゲのある言い方をするけれど、前みたいな感じではないような気がしてきていた。
「まあ……な。由比ヶ浜の料理に付き合うくらいだ。だったら、まだ見込みがありそうな戸塚のことを見捨てることはしないだろうな」
比企谷君も、なんでそんな言い方しかしないのかしら。もう少し素直に褒めればいいのに。由比ヶ浜さんもカチンときたみたいで、
「どういう意味だっ!?」
テニスボールを取って比企谷君の顔面に投げつけた。それが見事にヒットしたのだ。彼は痛がっているけれど、由比ヶ浜さん、意外にコントロールが上手いのかしら。
顔面をさすりながら比企谷君が言った。
「そのうち戻ってくるだろ。続けていいんじゃないか」
「比企谷君に言われなくても、私は続けるつもりだったからね」
私はそう言って、戸塚君のすりむいた足の治療を始めた。
練習を続けると言ったものの、この状況では今日の練習はもう難しいかもしれない。
そんなことを考えていたら、テニスグラウンドの外から声がした。
「あ、テニスしてんじゃん、テニス!」
聞き覚えのある声だと思ったら、私たちのクラスの三浦さんと葉山君たちのグループがこちらに向かって来ていた。
ちょっと……あなたたちが来たら、戸塚君の練習にならないじゃないのよ。
「あ……ユイや食蜂さんと麦野さんたちだったんだ」
取り巻きの女子の1人、海老名さんの小さな声が聞こえた。三浦さんは私たちを見た後、由比ヶ浜さんを見てから戸塚君に声をかけた。
「ね、戸塚ー。あーしらもここで遊んでいい?」
三浦さん、私たちは遊んでいるわけじゃないの。ちゃんとテニスの練習をしているんだから。
「三浦さん、僕は別に遊んでるわけじゃ……なくて、練習を……」
「え? 何? 聞こえないんだけど」
戸塚君はか細い声で言ったけれど、三浦さんには届いていない。彼女の迫力に戸塚君は怯んでしまう。それでも彼はなけなしの勇気を振り絞って、再び口を開いた。
「れ、練習だから……」
「ふーん、でもさ、部外者混じってるじゃん。てことは別に男子テニだけでコート使ってるってわけじゃないんでしょ?」
「そ、それは、そうだけど……」
「じゃ、別にあたしら使ってもよくない? ねぇ、どうなの?」
「……だけど……」
戸塚君が困ったように私たちの方を見た。
私は❝困っている人を助ける❞と決めた。
三浦さんに何か言おうとした時、先に麦野さんが口を開いた。
「あのさ、三浦。さっきから聞いてるけど、それが物を頼む時の礼儀なわけ?」
「は? 麦野、あんたも部外者でしょ?」
「私や食蜂や比企谷たちは、戸塚の練習に付き合ってるだけよ。戸塚がテニスが上手くなるようにって練習をしてるだけ」
「はぁ? なんであんたがそれを説明するのよ。意味わかんないし」
私も麦野さんの後に続いて言った。
「それにあなたたちが来たら練習にならないでしょ? そのぐらいわかって欲しいんだけどぉ?」
「食蜂、なんであんたに言われなきゃいけないわけ?」
「私たち奉仕部は、依頼に基づいて粛々とやっているだけよ。遊ぶつもりなら、他で遊んで頂戴」
三浦さんに少しキツめに言ってあげた。
すると葉山君が私たちの間に入ってきた。
「ほらっ、食蜂さんも麦野さんも……そう熱くならないで。ほらっ、みんなでやった方が楽しいしさ。そういうことでいいんじゃないの?」
「みんなって誰だよ。母ちゃんに『みんな持ってるよぉ!』って物ねだる時に言うみんなかよ。誰だよ! そいつら友達いないからそんな言い訳使えたことねえよ」
比企谷君、それはそれで悲しいと思うけどねぇ……。葉山君は分が悪いような顔で、
「あ、いや。そういうつもりで言ったわけじゃないんだ。なんかごめんな? その、悩んでいるなら俺でよければ相談に乗るからさ」
そういう甘い言葉で手玉に取るつもりなの? 私は上坂君で痛い目に遭ったから、容姿が整っている人の言葉は簡単に信用したくない。
私が呆れていると、比企谷君が葉山君に向かって言った。
「葉山……お前の優しさは嬉しい。お前の性格がいいのはよくわかった。そしてサッカー部のエースだ。その上お顔までよろしいじゃないですか。さぞ女性にオモテになれるんでしょうな!」
「い、いきなりなんだよ?」
葉山君も比企谷君の突然の持ち上げに明らかに動揺を見せた。
「そんな色々と持って優れているお前が、何も持っていない俺からさらにテニスコートまで奪う気なの? 人として恥ずかしいと思わないの?」
比企谷君は突然の持ち上げから突然の下げに入った。材木座君も一緒になって、モテない男子代表のように葉山君に何か言っている。
「ハァ……葉山の方を持つわけじゃないけど、2人の言ってることは嫉妬というより卑屈な鬱陶しさが増してる……」
「そうだね……私もそう思うわねぇ」
そんなやり取りが繰り広げられている時に、空気を読まずに三浦さんが入ってきた。
「ねーちょっと隼人ー。何ダラダラやってんの? あーし、テニスしたいんだけど」
「んーあ、じゃあこうしよう。部外者同士で勝負。勝った方が今後昼休みにテニスコートを使えるってことで。もちろん、戸塚の練習にも付き合う。強いやつと練習した方が戸塚のためになるし、みんな楽しめるし」
「テニス勝負? 何それ、超楽しそう」
三浦さんが炎の女王特有の、目を大きく見開いたような笑みを浮かべた。その瞬間、取り巻きの連中がどっと湧き立った。
でもテニス勝負なら、私たちにも勝算はあるわね。
「食蜂、うだうだ言うよりテニスで勝負をつけた方が後腐れもないわね」
「そうね。テニス勝負なら勝算はあるから」
麦野さんと2人で話していると、いつの間にかテニスコートの周りに人がひしめき合っていた。数えてみれば100人以上の観客が集まっている。葉山グループ以外にも、学校中の陽キャと思われる連中が集まってきているじゃないの。2年生が中心だけど、1年や3年生も混じっているみたい。
どれだけ人望があるのよ、葉山君……。
ギャラリーが『葉山コール』を始めた。本当に試合形式と変わらないぐらいのコールだわ。さすがサッカー部の次期部長でもあるのよね。堂々とした姿でテニスコートの中央に立っている。
それに比べてこっちの男子勢は……完全に飲まれた感じになっている。
「ね、ヒッキー……リサリサ、むぎのん、どうすんの?」
「どうするも何も」
「向こうがテニス勝負って言って来たんだから応じるしかないでしょうね」
「葉山がテニス勝負を持ちかけてきた以上、逃げるわけにいかないでしょ。一応雪ノ下に監督を頼まれている以上、放り出すわけにはいかないし」
「戸塚出られないだよな」
「戸塚君は部外者じゃないからね」
いつの間にか葉山君の隣に行っていた三浦さんが言った。
「ねぇ~早くしてくんない?」
彼女はラケットを確かめるように握っている。葉山君も少し驚いた表情で、
「あれ? 優美子やんの?」
「はぁ〜? 当たり前だし。あーしがテニスやりたいっつったんだけど」
「いや〜でも向こうは多分男子出てくるんじゃないか。ほら、あのー、ヒキタニくん、だっけ。彼。そしたら、ちょっと不利だろ」
ヒキタニ君って……そういえば大体の人がそう呼んでるわね。ヒキガヤなのに。
「ーあ、じゃあ、男女混合ダブルスにすればいいんじゃん? うそやだあーし頭いいんだけど。っつっても、ヒキタニ君と組んでくれる子いんの? とかマジウケる」
三浦さんがゲラゲラと甲高い下品な声で笑うと、ギャラリーにもどっと笑いが巻き起こった。
こういう人をバカにしたような言い方、私は腹が立ったわ。
お姉ちゃんから言われた❝自信を持て❞という言葉を胸に、私は堂々と口を開いた。
「比企谷君、私がペアを組むわ」
「リサリサ、本気なの?」
「本気よ。戸塚君との約束もあるからね」
「食蜂さん……」
戸塚君は潤んだ目で私を見てきた。今思うと、戸塚君は男ではなく女の子で生まれてきた方が良かったのでは……と思ってしまった。
「リサリサ、大丈夫なの? 優美子、中学の時、女子テニ部だよ? 県の選抜に選ばれてるし」
「由比ヶ浜、大丈夫。食蜂も中学までは女子テニス部だから。中3の時は全国でベスト8まで入るような実力だったわ」
「麦野さん、そんなこと言わなくていいから。その時に比べれば今の私は腕は落ちてるし」
今までビクビクしていた材木座君が、真剣な表情で言った。
「八幡、由比ヶ浜嬢……食蜂嬢は、〇〇の妖精と言われた〇〇女子テニス部のエースだった……妖精と呼ばれるようになったのも言われがあってだな……」
「材木座君、その先は言わなくていいからね。言ったらわかってるでしょうねぇ?」
私はジト目で材木座君を睨んだ。すると彼は比企谷君の後ろに隠れた。戸塚君が私に言った。
「〇〇の妖精……聞いたことがあるよ。それって食蜂さんのことだったんだね」
「恥ずかしいからあまり言われたくないんだけどね」
三浦さんが『女子テニ部のユニフォームを借りるから一緒に来たら』と言ってきた。
ジャージでやるよりテニスのユニフォームでやった方がやりやすいのは間違いない。
私は言葉に甘えて三浦さんについて行き、女子テニス部の更衣室で着替えることにした。
着替えてる時、一言も会話はなかったけれど。
こうして、私と比企谷君、葉山君と三浦さんのテニス勝負が行われることになったのだった。