蜂ガイル〜蜂は再び恋をすることが出来るのだろうか〜 作:龍造寺
千葉県・放課後・総武高校・職員室。
私と比企谷君は、平塚先生の机の前に立っていた。全くもって既視感のある光景ねぇ。
「君たちは何か? 調理実習にトラウマでもあるのか?」
「なんで鶴見先生は平塚先生にこんなことを……?」
「私は生活指導も担当しているんだよ。鶴見先生が私に丸投げしてきたってことだ」
職員室の隅を見ると、鶴見先生が観葉植物に水をやっていた。平塚先生はちらっとそちらを見てから、私たちに向き直った。
「まずはお前たちが調理実習をサボった理由を聞こう。簡潔に答えろ」
「サボった理由ですかぁ? グループ分けで余り者になるからですよぉ……」
「や、あれですよ。クラスの連中と一緒に調理実習とか、ちょっと意味がわからなかったんで……」
「はぁ〜……お前たちが言っていること、意味がわからないのだが……比企谷、食蜂、どこの班にも入れてもらえなかったのか?」
平塚先生は割と本気で心配したような目をしてきた。
「誰も入れてくれませんよぉ……」
「何言ってるんですか先生。これは調理実習でしょう? つまりより実践に近い方がやる意味がある。俺は母親が一人で料理してますよ。つまり料理は一人でするのが正しいんですよ。逆説的に、班でやる調理実習の方が間違ってる!」
昼休みに私に言っていたことを、また平塚先生の前で堂々と言っているわねぇ。ただ、平塚先生はこめかみをピクピクさせている。
「それとこれとは話が別だろう!」
「先生! 俺の母ちゃんが間違ってるんですか! 許さねえ! これ以上話しても無駄だ。帰らせてもらおうか!」
比企谷君は踵を返して職員室を出ようとしたけれど、すぐに平塚先生に捕まって元の位置に連れ戻された。
「比企谷、逆ギレで誤魔化そうとするな」
「比企谷君、それで帰れたら苦労しないわよぉ……」
「当然ながら、お前たちは調理実習のレポートも書いていないんだろ……」
「参加していないのだから書いてるわけないでしょ……」
平塚先生は心底呆れた様子で、タバコに火をつけた。
「家庭科の授業もちゃんとした学校教育の一環だぞ。それをお前たちは放棄して……ちなみに、君たちは料理はできるのか?」
「一応料理はできますけれどぉ」
「ええ、将来のことを考えればできて当然です」
「ふーむ。一人暮らしでもしたい年頃か?」
「まだそれは考えてないですねぇ……」
「いや、そういうわけじゃないです」
「ふうん? なるほどな」
平塚先生は比企谷君の言葉に反応して、目で続きを促した。
「料理は主夫の必須スキルですからね」
比企谷君……専業主夫希望なのぉ? そんなこと言う男子、初めて聞いたわねぇ。
平塚先生は大きな瞳を2、3回瞬かせた。
「君は専業主夫になりたいのか?」
「それも将来の選択肢の一つかなって」
「ドロドロと目を腐らせながら夢を語るな。せめてキラキラと輝かせろ……参考までに聞くが、君の将来設計はどうなっているんだ?」
「まあ、それなりの大学に進学しますよ」
「私も行きたい大学に行きますけどねぇ」
平塚先生は相槌を打ちながら先を促した。
「ふむ。その後、就職はどうするんだ?」
「美人で優秀な女性にプロポーズして結婚します。最終的には養ってもらう方法で」
「私は……人の役に立つ、誰かのためになる職業に就きたいと思っています。結婚については、いい人と出会えれば……という感じですかねぇ」
「ふむ……なるほど、食蜂はわかった。だが比企谷、お前は職業を言っていない。食蜂のように何か答えてみろ!」
「だから言ってるじゃないですか、専業主夫」
「それはヒモと言うんだっ! 恐ろしいくらいダメな生き方だ。奴らは結婚をちらつかせて気づいたらいつの間にか家に上がり込んできて、合鍵まで作って、そのうち自分の荷物を運び込み始め、別れたら私の家具まで持っていくようなとんでもないろくでなしになるんだぞっ!?」
平塚先生、過去にヒモ彼氏がいたってことよねぇ……。息を切らして肩で息をしている。
「先生、大丈夫です! 俺はそんな風にはなりません。ちゃんと家事をやって、ヒモを越えたヒモになりますっ!」
「どんなヒモ理論だっ!」
「平塚先生、ヒモと言えば聞こえは悪いけれど、専業主夫というのはそんなに悪い選択肢ではないと思うのですよ」
「確かに奥さんが働きに出て、夫が家事を仕切る……今の時代、それもありなのかもしれないけれどぉ……」
「だろ、食蜂」
「比企谷、いいから続けろ」
比企谷君はさらに熱を込めて語り始めた。男女共同参画社会、女性の社会進出、男性の雇用減少、効率化による仕事の減少……と、意外と生き生きと話している。平塚先生はこめかみを押さえながら聞いていたが、最後にため息をついた。
「はぁ〜君は相変わらず腐れっぷりだな。食蜂、お前、手料理を比企谷に食べさせれば考えも変わるかもしれんな」
「私が比企谷君に手料理を作るんですかぁ!?」
「例え話だ。とにかく比企谷、お前は奉仕部で勤労の尊さを学んでこい」
平塚先生は比企谷君の襟首を掴むようにして職員室から連れ出そうとした。
「もちろん食蜂も来るんだ。まさか逃げるつもりじゃないだろうな?」
キリッと睨まれて、私は小さく頷いた。こうして私たちは、再び奉仕部へと連行されることになったのだった。
平塚先生に部室の前まで連れてこられると、彼女は『後は任せた』と言い残して職員室に戻っていった。いつも通りの静かな特別棟……。
(……今日も何か面倒なことになりそうな予感しかしないわねぇ)
千葉県・放課後・総武高校・奉仕部。
奉仕部の部室に来た私たち。すでに雪ノ下さんはいつものように本を読んでいた。
私と比企谷君もそれぞれ自分のテリトリーに椅子を引いて座り、何かを始めたけれど……ここは奉仕部というより、文芸部か読書サークルみたいになってしまっているわねぇ。
なんと言っても、依頼者が来なければ何もすることがないのだから。当然、平塚先生の言う『勝負』も始まらない。
そう思った瞬間、弱々しいノックの音が響いた。雪ノ下さんが静かに声をかける。
「どうぞ」
「し、失礼しま〜す」
少し上ずった、緊張した声だった。どこかで聞いたことがあるような……。からりと扉が開き、彼女はまるで身を滑り込ませるように部室に入ってきた。
由比ヶ浜結衣——同じ2ーF組のクラスメイトだ。三浦グループの一員で、肩までのピンク髪に緩いウェーブをかけている。歩くたびに髪がふわふわ揺れて、スカートは標準より短め、ブラウスのボタンを3つほど開け、胸元にハートのネックレスを光らせている。
典型的な陽キャの陽キャよねぇ……。
あまり関わりたくないタイプかもしれないけれど。由比ヶ浜さんは落ち着きなく視線を動かしながら、こちらを見て目を丸くした。
「な、なんでヒッキーとリサリサがここにいるのよ!?」
ヒッキー……比企谷君のことね。そしてリサリサって、私のあだ名!? あだ名で呼ばれるほど親しくなった覚えはないんだけど……。
「いや、俺、ここの部員だけどな」
「私もそうなんだけどねぇ……由比ヶ浜さん」
比企谷君が驚いた顔で私の方を向いた。
「食蜂、お前、こいつのこと知ってるのか?」
「知ってるも何も、由比ヶ浜さん、私たちと同じクラスでしょう?」
「そ、そうなの? 知らなかった」
「比企谷君、あなた同じクラスなのに知らなかったのね……あなたどれだけ……」
「……やかましい」
私はため息をつき、由比ヶ浜さんに向き直った。
「……はぁ〜それで由比ヶ浜さん、ここに来たってことは何か依頼があるんじゃないかしらぁ?」
「あ、そうそう! あのさ、平塚先生から聞いたんだけど、ここって生徒のお願いを叶えてくれるんだよね?」
「少し違うかしら。あくまで奉仕部は手助けをするだけ。願いが叶うかどうかはあなた次第よ」
「どう違うの?」
由比ヶ浜さんが頭の上に?マークを浮かべたような顔をしたので、私は丁寧に説明した。
「あのねぇ、由比ヶ浜さん、魚を与えるか、魚の取り方を教えるかの違いだと思うわよぉ。ボランティアとは本来、方法論を与えるものであって、結果だけを与えるものじゃないって聞いたことがあるわ。つまり、自立を促すってことかしらぁ?」
「……まあ、食蜂さんが言った通りね」
雪ノ下さんが少し悔しそうな顔をした。私が言いたかったことを先に言われてしまったのかしら?
由比ヶ浜さんは『ほえー』と感心したような顔で私を見ている。
今まで頭が良いと思っていたけれど、案外そうでもないのかもしれないわねぇ。あのグループにいるから、なんとなく賢いイメージを持っていただけかも。
「必ずしもあなたのお願いが叶うわけではないけれど、できる限りの手助けはするわ」
「あの、あのあのね、クッキーを……」
由比ヶ浜さんが言いかけたところで、私と比企谷君をチラッと見た。
私はすぐに察した。同じクラスだから、私たちに聞かれたくない内容——つまり、クラスの男子の誰かにクッキーを渡したいのだろう。
「比企谷君、私たちはちょっと席を外すわよぉ」
「は? なんで?」
「はぁ〜、空気読みの天才じゃなかったのぉ?」
私は比企谷君の腕を掴んで、さっさと廊下へ連れ出した。彼はまだ意味が分かっていない顔をしていた。
この手の話には本当に疎いわねぇ。出る時に、雪ノ下さんから『ついでにジュースを買ってきて』と頼まれてしまった。
(……なんだか、最初の依頼が思ったより早く来てしまったわねぇ。由比ヶ浜さん、一体誰にクッキーを渡したいのかしら……?)