蜂ガイル〜蜂は再び恋をすることが出来るのだろうか〜 作:龍造寺
千葉県・放課後・総武高校・購買部に向かう途中。
特別棟の3階から1階までは往復しても10分とかからない。ゆっくり歩いていけば、あの二人の話も終わっている頃でしょうねぇ。最初の依頼が手作りクッキー……おそらくクラスの男子の誰かにプレゼントするつもりなんでしょうけど……まあ、比企谷君が対象ってことはさすがにないわよね。
ため息をつきながら、比企谷君がぼやいた。
「……ったく、なんでこんなことに巻き込まれてんだよ」
「比企谷君、少しは空気を読もうよぉ……」
「なんで俺たちだけ追い出されんだよ?」
「同じクラスの私たちに、由比ヶ浜さんは聞かれたくないことを話してるんだと思うわよぉ……」
「クッキーがどうの、とか言ってたな」
「それ以上、言わなくていいからねぇ」
恋愛事って色々と駆け引きがあるものよね……特に同じクラスの女子同士なら尚更。由比ヶ浜さん、安心して。私はあのクラスの男子に好意を寄せてるわけじゃないんだから。
購買部の近くにある怪しげな自販機で、私はレモンティーを、比企谷君はスポーツドリンクを買った。
雪ノ下さんには野菜ジュース、由比ヶ浜さんの分には『男のカフェオレ』を買うことになった。
……自腹なんだけど、奉仕部に部費ってあるのかしらねぇ。そもそも部として認められているのかも怪しいけど。
「それにしても運動部の連中は頑張るよな」
「大会に向けて頑張ってるんでしょ」
「サッカー部、野球部、ラグビー、バスケ……リア充の巣窟だろ」
「まあ、そう見えるよねぇ……」
ここから聞こえてくるのは、サッカー部の掛け声やテニスコートのラケット音。賑やかで、どこか遠い世界のように感じる。
「とにかく、そろそろ戻らないと雪ノ下が怒るかもしれねえ」
「それは言えてるかもねぇ」
私たちは再び奉仕部へと歩き出した。
千葉県・放課後・総武高校・奉仕部。
部室に戻ると、2人の姿はなく、机の上に置き手紙が残されていた。
『2人とも、家庭科室の方へ来てちょうだい』
「家庭科室って……一体何をする気だ?」
「おそらく……依頼のクッキー作りじゃないかしらぁ?」
「クッキー作りって……なんで今日は家庭科室に縁があるんだよ……」
「そうよねぇ……」
比企谷君は大きくため息をついた。
「……はぁ。体育、遠足と並んで三大トラウマ名産地のひとつだろ……そんなとこに好き好んで行くやつなんていねえだろ。お前だって経験あるんじゃねえのか? 仲良しグループで固まってるとこに
「わかるわよぉ……空気が一気に悪くなるって、何度も経験してるから……」
中学まではそんなことなかったのに、高校に入ってからはそれが日常になってしまった。今も続いているけれど。
結局、私は嫌がる比企谷君の腕を引っ張りながら家庭科室に向かった。
千葉県・放課後・総武高校・家庭科室。
家庭科室の扉を開けると、雪ノ下さんから『遅いわよ』と指摘されてしまった。急いで飲み物を渡してから話を切り出す。
「由比ヶ浜さんと話は進んだってことよねぇ?」
「食蜂さんが空気を読んで、そこの何とか君を連れ出してくれて本当に助かったわ」
「…………で、食蜂も言ってたけど、クッキー作りって認識でいいのか?」
「ええ、その認識で間違いないわ。由比ヶ浜さんは手作りのクッキーを食べてもらいたい人がいるそうよ。でも自信がないから手伝ってほしい、というのが彼女のお願い」
「なんで俺たちがそんなこと……それこそ友達に頼めよ」
「比企谷君、先ほども言ったでしょ! 女子には女子の駆け引きみたいなものがあるんだからぁ!」
由比ヶ浜さんは少し俯きながら
「……リサリサ……うん、あんまり知られたくないし、こういうことやってるのを知られたら馬鹿にされるだろうし……そういうマジっぽい雰囲気、友達とは合わないから……」
……由比ヶ浜さん、本当は三浦グループと歯が合わないんじゃないかしら? 無理して合わせてるように見えるのは気のせいかしらねぇ。
比企谷君が鼻で笑った瞬間、由比ヶ浜さんはスカートの裾をぎゅっと握りしめて肩を震わせた。
「あ、あはは……変だよねー。あたしみたいなのが手作りクッキーとか、何乙女になってんだよって感じだよね……ごめん、雪ノ下さん、リサリサ、やっぱいいや」
「由比ヶ浜さんがクッキーを作ってはいけないという権利なんて、どこにもないと思うんだけどぉ?」
「あなたがそうしたいなら私は構わないけど……ああ、この男のことは気にしなくていいわ。人権はないから強制的に手伝わせるし」
「雪ノ下さん、それはそれで問題発言だと思うんだけどねぇ」
「俺には日本国憲法が適用しないのかよっ!?」
結局、由比ヶ浜さんは『やる!』と決意を固め、クッキー作りが始まった。しかし——由比ヶ浜さんの料理スキルに全員が絶句した。
卵の殻が入り、小麦粉はダマだらけ、バターは固形のまま、砂糖と塩を間違え、バニラエッセンスをドバドバ入れ、牛乳は溢れんばかり……。
さらに隠し味と称してインスタントコーヒーを大量投入し、黒と白の山が混ざり合った地獄の物体Xが完成した。
「全然隠れてねえ……」
「え? あーじゃあ砂糖で調整するよ!」
「……理解できないわ。どうやったらあれだけミスを重ねられるのかしら……」
雪ノ下さんが小声で呟き、比企谷君は顔を手で覆った。私は表情が引きつっているのが自分でもわかった。味見の結果は惨敗。みんなで悪戦苦闘しながら物体Xを平らげた。
「なるべく噛まずに流し込んでしまった方がいいわ。舌に触れないよう気をつけて。劇薬みたいなものだから」
「雪ノ下さん、その言い方はちょっとひどいと思うんだけどねぇ……」
由比ヶ浜さん自身も涙目になりながら食べていた。その後、雪ノ下さんが本格的に指導を始め、なんとか「食べられるレベル」のクッキーが完成した。
由比ヶ浜さんは少しずつ笑顔を取り戻していった。比企谷君が自分の過去の話(女子にキモがられた話など)をしたり、男子は意外と手作りスイーツに弱いという話をしたりして、場が和んだ。
由比ヶ浜さんは満足そうな顔で部室を後にした。
「本当に良かったのかしら……」
「彼女がそれでいいと思うなら、それでいいんじゃないのかしらぁ?」
「私は自分を高められるなら限界まで挑戦するべきだと思うの。それが最終的に由比ヶ浜さんのためになるから」
「……まあ、正論だわな。努力は自分を裏切らない。夢は裏切ることはあるけどな」
「……そうねぇ。夢は時には牙を向くこともあるからねぇ」
そんな会話をしながら、私たちは少しずつ部室を片付けた。最初の依頼は、成功か失敗か、勝ち負けはよくわからないまま終わったけれど……由比ヶ浜さんのためになったのなら、それでよしとしようかしらぁ。
(……でも、雪ノ下さんの言葉は本当に強かったわね。由比ヶ浜さん、耐えられたのかしら……?)
千葉県・放課後・総武高校・奉仕部
それから数日後、由比ヶ浜さんが再び奉仕部を訪れてきた。相変わらずの陽キャ全開の明るさで。
「やっはろー!」
「……何か?」
「由比ヶ浜さん、また何かの依頼かしらぁ?」
「リサリサ、お願いとかじゃないよ……というか……あんまり歓迎されてない……? ひょっとして2人ともあたしのこと……嫌い?」
私と雪ノ下さんが少し邪険にしたように見えたのか、由比ヶ浜さんはひくりと肩を震わせた。
「別に嫌いじゃないわ。ちょっと苦手、かしら」
「私も嫌いじゃないわよぉ。その明るさに押されているだけだからぁ」
「それ、女子言葉で完全に『嫌い』って意味だからねっ!!」
「で、何か用かしら?」
「依頼がないなら奉仕部に来る意味ないと思うんだけどぉ?」
「用はあるよっ! あのね、あたし最近料理にハマってるじゃん?」
料理にハマってる? それは初耳ねぇ。教室ではそんな話、一切していなかったわ。由比ヶ浜さん、グループ内では秘密にしているのかしら?
前に『馬鹿にされる『って言っていたものね。
「で、こないだのお礼ってことで! クッキー作ってきたからどうかなーって!」
その言葉を聞いた瞬間、私の顔から血の気が引いていくのがわかった。こないだの物体Xを思い出したせいだ……
「あまり食欲が湧かないから結構よ。お気持ちだけいただいておくわ」
「あはは……私もまだお腹空いてないんだよねぇ……比企谷君、お1人で食べていいわよぉ」
「は? 食蜂! お前……ふざけるなよ!」
私たちの必死のやり取りも、鼻歌交じりの由比ヶ浜さんには届いていなかった。彼女はカバンからセロハンの包みを取り出す。可愛らしくラッピングされたそれは、やはりあの時と同じ黒々とした不吉な色合いをしていた。
「いやー、やってみると楽しいよね! 今度はお弁当作っちゃおうかなーとか思ってるんだー。でさ、ゆきのんやリサリサ、お昼一緒に食べようよ!」
「いえ、私は一人で食べるのが好きだから、そういうのはちょっと。それからゆきのんって呼び方は気持ち悪いからやめて」
「私も誰からも邪魔されず、1人で食べたいから遠慮しとくわねぇ」
「うっそ、寂しくないの? 2人ともどこで食べてるの?」
「部室だけど」
「私は
由比ヶ浜さんは私たちの話を聞いているのか聞いていないのか、ずっと自分のペースで話を続けていた。
「あ、それでさ、あたしも放課後とか暇だから部活手伝うね! いやーもう何? お礼? これもお礼だから、全然気にしなくていいから!」
「……話聞いてる?」
「聞いてないと思うわよぉ……雪ノ下さん」
私と雪ノ下さんは同時に深いため息をついた。
結局、由比ヶ浜さんの作ったクッキー(再びの物体X)は、雪ノ下さんの冷たい視線に耐えきれなくなった比企谷君が全て引き取ることになった。
彼は観念した顔で受け取り、食べた後はしばらく顔色が悪そうにしていたわねぇ。
由比ヶ浜さんは相変わらず明るく、奉仕部に通う理由を次々と増やしていった。
雪ノ下さんはため息を増やし、比企谷君は『なんで俺が……』とぼやき続け、私はその様子をただ見守るばかり。
……この関係が、良い方向に向かうのか、それとも面倒なことになるのか、まだよくわからないけれど。
(由比ヶ浜さん、本当にただお礼がしたいだけかしら……? それとも何か別の目的が……?)