爆裂魔法という、たった一つの呪文に全てを捧げてきた少女が、自分よりも遥かに大きな火力を、世間話のついでに見せられたとき、何を思うか。
これは、その答えが、本屋の片隅で静かに(そして不穏に)形を取り始める瞬間の記録である。
あの無人島(だった場所)での惨劇から、数日後のことである。
アクセルの街は、いつものようにどこか抜けた、それでいて騒がしい平穏を取り戻していた。
だが、カズマの心だけは、あのサイドテール少女――マイルの笑顔が脳裏に焼き付いて離れず、未だに軽いPTSDを引き起こしていた。
「……はぁ。あいつら、さっさと別の街に遠征行ってくれて本当に良かったわ。あんな国際条約違反の歩く大量破壊兵器、二度と関わりたくねえ」
宿賃と酒代に化けた、山分けの報酬をギルドで受け取った帰り道。カズマは重い足取りで、アクセルの街の外れにある、普段は冒険者など寄り付きもしない古びた本屋の前を通りかかった。
薄暗い店内の奥、魔導書コーナーの片隅に、見覚えのある黒いローブと、不釣り合いなほど大きな三角帽子が佇んでいるのが見えた。
「……めぐみん?」
カズマがおそるおそる声をかける。
島から戻って以来、めぐみんは「コスパ……効率……」「私の爆裂魔法はただの熱量の無駄遣い……」などとブツブツ呟くばかりで、毎日の日課である爆裂魔法の詠唱すらまともに行っていなかった。心配していなかったと言えば嘘になる。
声をかけられ、ゆっくりと振り返ったその少女の顔を見て、カズマは思わず一歩後退した。
「……カズマ。私は、理解しました」
それは、かつて数々の難敵を前にしても決して絶やさなかった、紅魔族としての誇りや輝きが完全に削ぎ落とされた――文字通り、『死んだ魚のような目』だった。
濁りきった瞳。しかしその奥底には、狂気とも執念ともつかない、暗い情熱の炎がユラユラと揺らめいている。
彼女の細い両腕には、羊皮紙で作られた魔法の書物ではなく、びっしりと数式とグラフ、そして元素周期表が印字された『極厚の理論書』が、重そうに抱えられていた。
カズマはその本の装丁を見て、本能的な寒気を覚えた。
それは、断じてこの世界の本じゃない。
絶対に、あの無責任な駄女神(アクア)あたりが適当に異世界へ送り込んだ、別のチート転生者しか書かなそうな、分厚くて狂気的な情報量が詰まった『厨二物理・化学本』そのものだった。
なぜそんな危険物がアクセルの古本屋に流れているんだ。
「おい、めぐみん、お前……何だその目は。それにその、嫌に分厚くて可愛げのない本は一体――」
「カズマ。私はずっと、間違っていたのかもしれません。ただ魔力を練り上げ、ただ範囲を広げて爆発させるだけでは、それは洗練された『最強』とは呼べないのです。あの日、マイルが見せた数々の現象……あれこそが、魔術の先にある真理。――いいですか、カズマ。爆裂魔法は、まだ進化の余地があります」
「嫌な予感しか、しねぇ……。おい、頼むからその本を棚に戻せ。紅魔族にそんな難しそうな本は似合わない。大人しくいつもの痛い詠唱を考えてろ」
カズマの額から、嫌な汗がどっと噴き出す。
だが、めぐみんはカズマの制止など耳に入らない様子で、指先でその不届きな厨二科学書をパラパラと狂おしくめくりながら、早口で、呪詛のように言葉を紡ぎ始めた。
「“物理と化学”……。この世界を構成する、冷徹にして絶対のルール。それを、私の爆裂魔法(エクスプロージョン)と組み合わせるのです」
「やめろ。頼むからやめてくれ。お前はただでさえ頭のおかしい大爆発狂なんだ。そこにチート転生者が残した余計な知恵と知識をトッピングするんじゃねえ」
「これまでは、魔力を均等に四方八方へと拡散させていました。ですが、それはあまりにもエネルギーの無駄が多い。物理と化学の視点を取り入れることで、より効率的な熱量伝達、衝撃波制御、指向性エネルギー化、デュテリウムとトリチウム――」
めぐみんの指が、あるページでピタリと止まる。
そこに描かれていたのは、球体の中心に向けて、緻密に計算された複数の超高出力魔力爆薬を配置し、すべての衝撃波を寸分の狂いもなく「内側の一点」へと集中・圧縮させ、その超高圧によって中心の重水素と三重水素を強制融和させる、悪魔の構造図だった。
その構造を見た瞬間、カズマの脳細胞が、少し前にマイルがやらかした、前世の地球における「最悪の質量起爆」の記憶と完全にリンクした。
「おま……これ、爆縮による超高圧で、プルトニウムの臨界すら使わずに中心のガスを直接、誘導核融合させる――」
「はい! これで最初の300MTに並ぶ、クリーンかつ極限の熱量を――」
「爆縮レンズ型の純粋水爆じゃねぇかぁぁぁぁあ!!!」
アクセルの街の本屋に、カズマの魂の絶叫が響き渡った。
「てめぇぇぇぇ! あのサイコパスサイドテールに影響されて、人類が理論上可能とされながらも制御しきれなかった究極の起爆機構を爆裂魔法で完全再現しようとしてんじゃねぇぇぇぇぇ!!! ファットマンの爆縮技術を純粋水爆に横流しすんな!! アークウィザードが自力で重水素と三重水素の超高温圧縮をシミュレートすんじゃねぇぇぇ!!」
「何を怒っているのですかカズマ! 私はただ、マイルに『私の爆裂魔法のほうが、燃費も威力もリーガルに素晴らしいですね!』と言い返したいだけです! さあ、さっそく明日から、この『熱核融合エクスプロージョン』の実験に付き合ってもらいますよ!」
「誰が付き合うかバカ野郎ォォォ! 失敗したらアクセル周辺の国がまとめて消滅するわ!! 誰か頼むから、この娘にいつもの中二病の魔導書を買い与えてやってくれぇぇぇ!!」
物理と化学という「合法(リーガル)」の力を知ってしまった紅魔族の天才は、別の転生者が遺した禁忌の書物を手に、人類が最も恐れた領域へと、満面の笑顔で足を踏み入れようとしていた。
カズマの胃の痛む日々は、形を変えて、これからも永遠に続くのである。
(本当に終わり)
このシーンは、本編を書き終えた後に「めぐみんならこうするよな」と、後から差し込んだ一篇です。
カズマにとってマイルは「関わりたくない化け物」で終わる話です。
でも、めぐみんにとっては違います。
彼女は爆裂魔法という、たった一つの手段に人生を捧げてきた人間です。
自分より圧倒的に大きい火力を、しかも世間話のついでに見せられたとき、心が折れて終わる人もいれば、折れた先でもう一段深く踏み込んでしまう人もいる。
めぐみんは、後者です。
「死んだ魚のような目」の奥に、まだ炎が残っている――そこを描きたくて、この場面を書きました。絶望と狂気は、紅魔族の中では、存外、地続きなのかもしれません。
次のエピローグで、めぐみんが十日間引きこもって何をしていたのか。
その答えは、もう本屋の段階で、半分ほど見えているかもしれません。