アクセルの街に、奇妙な静寂が訪れていた。
あの爆裂娘が、日課のお出かけ爆裂を、一度もやらかさなかったからである。
平和を噛みしめていたカズマは知らなかった。
その静寂が、嵐の前の――それも、史上最悪の嵐の前の――静けさだったことを。
紅魔族の天才が、十日間、屋敷に引きこもって何をしていたのか。
その答えは、誰も予想できない形で、荒野の空に姿を現す。
あの不届き極まる厨二科学書をめぐみんが本屋で抱えてから、十日後のことである。
この十日間、アクセルの街は不気味なほど静かだった。
なぜなら、あのめぐみんが毎日欠かさず行っていた日課の「お出かけ爆裂魔法」を、ただの一度もやらかしていなかったからである。毎日毎日、屋敷の自室に引きこもり、件の分厚い理論書と睨み合いながら、呪文のような数式を羊皮紙に書き殴る日々。
馬車馬のように働いてやらかしを連発する駄女神(アクア)の介護は相変わらずだったが、めぐみん発の天変地異がないというだけで、カズマの心には久方ぶりの平穏が訪れていた。
「……ふぅ。お出かけ爆裂がないだけで、こんなに心が休まるもんなんだな。あのバカ娘も、少しは勉強して効率的な魔力運用ってやつに目覚めてくれたのかね」
そこに、突然やかましい足元が響く。
「さぁカズマ!行きますよ。引きこもりの日々も今日で終わりです。わが偉大な爆裂魔法をその目に見せてあげましょう!」
おい、静かだったのはたった10日間かよ。
---
すっかり油断しきっていたカズマは、いつものようにめぐみんと一緒にアクセル近郊の荒野へと足を運んでいた。
10日もためたのだ。今日こそは小一時間溜め込んだ魔力をぶっ放すのだろうと、カズマは地べたに腰を下ろし、耳栓の準備を始める。
しかし、広大な荒野の中央に立っためぐみんが最初に唱えたのは、あの聞き馴染んだ世界の終わりを告げる詠唱(エクスプロージョン)ではなかった。
「――理を歪める原初の配列、物質の理を我が手に手繰り寄せん。『クリエイト・デュテリウム・トリチウム』!!」
「……は?」
カズマの口から間抜けた声が漏れる。今、こいつは何て言った? 物質召喚魔法?
「おいめぐみん、お前……! 爆裂魔法以外には一切のスキルポイントを振らない、他の魔法を覚えるつもりは毛頭ないって、いつもあれほど頑なに――」
言いかけて、凄まじい気迫のめぐみんに言葉を遮られた。
「カズマ。私は気づいてしまったのです。爆裂魔法は、爆裂魔法単体だけでは決して『至高の最適解』には至らなかったのだと! 物理と化学、そして物質を前提として初めて、爆裂は神の領域へと昇華するのです!」
死んだ魚のようだっためぐみんの目に、あのマイルに負けず劣らずの狂気的なギラギラとした輝きが戻っていた。
直後、めぐみんの頭上遥か上空、高度数千メートルの虚空に、何かが具現化した。
カズマが目を凝らすと、それは魔力によって編み上げられた強固な『隔離隔壁』に包まれた、二重構造の奇妙な透明の球体だった。
カズマの脳裏を、数日前の悪夢のような専門用語が駆け抜ける。どう考えても、あの容器の中に充填されているのは『デュテリウム(重水素)』と『トリチウム(三重水素)』の超高密度ガスだった。
その瞬間、カズマの背筋を未だかつてない規模の最悪の予感が駆け抜けた。全身の細胞が「ここにいたら死ぬ」と警報を鳴らし、嫌な汗が滝のように噴き出す。
「おい、待て、止めろぉ! おいめぐみん! お前まさか、その高度でそれをやる気か!? この距離じゃ爆風と熱線で俺たちもまとめて蒸発するぞ!!」
「大丈夫ですカズマ! 威力と熱伝達効率、大気の圧縮率から逆算して、私たちがギリギリ消滅しない安全圏はきっちり計算してあります!」
「計算の前提が狂ってたら俺たちは消し炭だろうがぁぁぁ!!」
だが、めぐみんはすでにカズマの声など耳に入っていない。彼女は再び杖を構え、ついに、あの最凶の呪文を唱え始めた。
しかし、その発動形態はいつもと完全に異なっていた。
「――紅き血潮の混淆、内なる爆轟を一点へ誘え!!」
めぐみんの魔力が全開放される。だが、その魔力は外側へ拡散しない。
上空の球体を、まるで全方位から隙間なく包み込むように、無数の幾何学的な魔法陣が形成されていく。それも、全ての魔法陣が、重水素の球体に対して『極めて至近距離で、寸分の狂いもない正確な球殻状』に配置されていく。
「ふははは!!!ただ並べただけではありません!高速で伝播する魔力衝撃波と、それをあえて遅延させる低速魔力回路を幾何学的に配置し、外側からの爆発を『内側の一点へ向かう完璧な同心円状の超高圧』へと屈折・収束させる、悪魔の位相幾何学です!」
それは、魔法によって完璧な3次元演算が行われ、超高速の魔力爆轟を一斉に内側へと向かわせるために構築された、質量を持たない魔力製の『爆縮レンズ』だ。
「おい……マジで止めろ……! ちょぉぉぉぉ! タンマ! タンマだめぐみん!!」
「いきますよ、カズマ! これが私の、世界のルールに則った、物理と魔術の融合です!!」
めぐみんは満面の、心底楽しそうな笑顔で、その新呪文の隠し名を絶唱した。
「『テラ・ウラム・エクスプロージョン』―――!!!!!」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!!!!!!」
カズマが叫び、地面へ五体投地した瞬間、世界から一切の「音」が消え、ただ圧倒的な『光』だけが世界を支配した。
爆裂すら、もはや生ぬるい。
熱核融合。人類の歴史が到達した最悪の物理破壊。
純粋水爆。ウランの臨界すら使わず、魔力爆縮の圧倒的な圧力のみで重水素と三重水素を強制融合させた、完全な「プライマリレス」の誕生。
上空に、人工の小型の太陽が現れた。
一瞬の静寂の後、遅れて世界を叩き潰すような激烈な衝撃波と、地表のすべてを削り取るような爆風が荒野を吹き抜けた。カズマは頭を抱え、ただひたすらに地面にしがみつく。大気が超高温で圧縮され、十数キロは離れているはずの肌がジリジリと灼けるように熱い。
やがて、エクスプロージョンをはるかに超えるようなキノコ雲が形作られ、凄まじい突風が収まっていく。
カズマが恐る恐る頭を上げると、そこには、全魔力を使い果たしていつも通り地べたに頽れながらも、両目をこれ以上ないほどキラキラと輝かせ、さもご満悦そうに「ふふん」と鼻を鳴らしている頭のおかしい爆裂娘の姿があった。
「どう……ですか、カズマ……! 完璧な流体制御による、リーガルで最高効率の、熱核融合爆裂魔法です……!」
カズマはガタガタと震える足で立ち上がり、かつてこのアクセルの街にやってきて、笑顔で世界を蹂躙していった、あの「歩く大量破壊兵器」のサイドテール少女の顔を思い浮かべた。
そして、その元凶に向けて、この日一番の、魂を引き裂くような絶叫を荒野に響かせた。
「なんつーもん教えてくれとんじゃぁぁぁぁぁあ!!!!!!!!!」
核の火を自力で手に入れてしまった紅魔族の少女を前に、カズマの涙は止まらなかった。世界が滅びるカウントダウンは、確実に、そしてより効率的に、一歩前へと進んでしまったのである。
(本当に、今度こそ終わり)
このエピローグで一番書きたかったのは、めぐみんの「死んだ魚のような目」に、もう一度、輝きが戻る瞬間でした。
絶望は、彼女を止めません。むしろ燃料になりました。
爆裂魔法以外には一切のスキルポイントを振らない――それがこれまでの彼女の誇りであり、アイデンティティでした。
それを自分で破って、物質召喚魔法という新しい呪文に手を伸ばす。
これは敗北からの転向ではなく、敗北を取り込んでさらに先へ行く、という選択です。
ちなみに10日間レッツ爆裂をしなかったのは、9日間、スキルポイントを爆裂以外に使うかどうかをひたすら悩んでいたからです。
つまりエクスプロージョン・インプロージョン(爆裂魔法を使ったD-T着火爆縮レンズ)
理論構築に一日で到達して、あとの9日間は、爆裂以外にポイントを振るかどうかを、ひたすら悩んでいたわけで。
……ただ、これは引き返すための9日ではありません。「破るなら、振り切る」と腹をくくるための9日です。
だからこそ、めぐみんが出した答えは、ちょっと改良した爆裂などではなく、爆裂魔法そのものを起爆機構に変えた、プライマリレスのD-T熱核融合。
9日分の覚悟が、そのまま出力になった一撃でした。
やるならやりきる。
中間を知らないめぐみんらしい、と言えば、本当に、らしいのですが…
あのロリっ娘、おそるべし紅魔族随一の頭脳。
カズマが「あのバカ娘も、少しは勉強して効率的な魔力運用に目覚めてくれたのかね」と油断する場面は、書いていて一番楽しいところでした。
カズマの願いは、半分だけ叶っています。
めぐみんは本当に効率的な魔力運用に目覚めました。
ただ、その効率の先にあったのが、人類が制御に苦労してきた最悪の物理現象だった、というだけで。
「威力と熱伝達効率、大気の圧縮率から逆算して、ギリギリ消滅しない安全圏は計算してあります」というセリフは、めぐみんなりの誠実さです。
めぐみんは無謀ではなく、むしろ非常に律儀に計算しています。
ただ、その計算の出発点がそもそも常人の感覚から外れているので、誠実であることが安全であることと、全く一致しません。どこかのピンクサイドテールと同じですね。
次のエピローグでは、この「誠実さ」がさらに先へ進みます。
彼女はまだ、自分を抑制していると思っているはずです。