少なくともカズマは、そう願っていた。
だが紅魔族の天才に、一晩の徹夜は「休息」ではなく「次の準備期間」でしかなかった。
朝一番、彼女がカズマを引きずって向かったのは、海。
「大気への影響を考えて、安全を期した」――その言葉の意味を、カズマはこの日、骨の髄まで理解することになる。
そして、翌日。
前日の『テラ・ウラム・エクスプロージョン』による人工太陽の具現化から、カズマの胃壁は完全にボロボロだった。しかし、朝一番に屋敷の扉を蹴破ってきためぐみんは、徹夜明けのギラギラとした瞳でカズマの胸ぐらを掴んだ。
「カズマ、カズマ! すぐに準備を! 今日はあそこへ行って、昨日の理論の完全な実証実験を行います!」
めぐみんが誇らしげに杖で指し示したのは、アクセルの街から遥か遠く離れた、広大な『海辺』だった。
人気のない不気味な砂浜に連行されたカズマの前に、めぐみんはマントをバサァッと翻し、いかにも紅魔族らしい厨二病全開のポーズを決めて見せた。
「私は考えたのです! これを昨日と同じように空中でやると、あまりに大気への影響が大きすぎます。いくらマイルへの対抗心があるとはいえ、私もこの世界を滅ぼす破壊神になるわけにはいかない……。我が深淵の理は、世界の調和を愛するのです!」
「……!!」
カズマの脳裏に、最悪という言葉すら生ぬるい、地球の暗黒歴史の記憶がマッハでフラッシュバックした。
海。水爆。威力上限なし。空中では影響が大きい。水中での爆発。
「おいやめろバカ!! 海なら大丈夫とか、水がクッションになって威力を抑え込んでくれるとか、そんなおめでたい勘違いをしてんじゃねぇだろうな!! 水中核実験の恐ろしさを舐めてんじゃねえぇぇぇ!!」
「何を慌てているのですか。今回は安全を期して、遥か沖合の、深海に直接エネルギーを流し込みます。行きますよ!!」
めぐみんが不敵に微笑み、再びあの『物質召喚魔法(クリエイト・デュテリウム・トリチウム)』の詠唱を始めた。だが、その魔力の練り上げ方、空間の歪み方は、明らかに昨日の比ではなかった。上空の魔力の奔流が、渦を巻いて深海の一点へと吸い込まれていく。生成量が昨日とは次元が違う。
カズマはガタガタと膝を震わせながら、引き攣った笑みを浮かべて問いかけた。
「……お前、一応、本当に一応聞いとくけどさ。ソレ……昨日の何倍の燃料(ガス)を錬成して沈めてるの……?」
「え? 効率よく大気圧以上の圧力をかけるために深海の底へしずめて、『10万倍』ほど充填しましたが?」
「この星を塵にする気かぁぁぁぁぁあ!!!!」
カズマの魂の絶叫が虚しく響く中、遥か彼方、水平線の先。自分たちには到底肉眼で見えない海底の闇の中で、寸分の狂いもない、あの悪魔の幾何学魔法陣群――『魔力爆縮レンズ』が、冷徹にその球体を包み込んでいく。
「フッ……カズマ。流石にこの私でも、この領域の深淵には、少しの恐怖を覚えています」
めぐみんの額から、一筋の汗が流れ落ちる。だが、その目は完全に一線を越えた求道者のそれだった。
「マイルが最初に見せた、あの無人島を蒸発させた光。覚えていますか? あなたがパニック状態で喚いていた『メガトン』とかいう単位はよくわかりませんでしたが……威力は理解しました。――今回の私の爆裂は、あれの3倍越えを狙います!」
「1ギガトンとか何考えてんだぁぁぁぁぁぁぁ!!!つかやっぱり昨日のも10キロトンはあったんじゃねーか正気かチクショウ!! 1ギガトンなんて世界が壊れるわ!! 本当に世界が物理的に壊れるからやめろぉぉぉぉお!!!」
カズマが砂浜に頭を生き埋めにする勢いで伏せた、その瞬間。
地平線の彼方の、海が、壊れた。
ドン、という、地球そのものが底抜けしたような重低音が響いた気がした。刹那、遥か彼方の水平線が、文字通り「垂直の壁」となって天高くへとせり上がった。
光など届かない深海で発生した1ギガトンの熱核融合は、数億トンという海水を一瞬で沸騰・蒸発させ、爆心地の海そのものを完全に消失させた。凄まじい爆轟が、天を衝くほどの巨大な白い水壁を作り上げる。
直後、大気を容赦なく破壊するような激烈な衝撃波が海を伝っていく気がした。
爆心地を中心に、海底そのものが数キロメートル四方にわたって粉砕され、マグマと共に天へと吹き上げられているのが、遠目からでも分かった。
海面は完全に狂い、信じられないほどの高さの超巨大津波が、文字通り世界を飲み込むような勢いで全方位へと広がり始めているのだろう。
「おい……これ津波で周り大丈夫なんだろうな……? なぁ、めぐみん……?」
「ふっ、雑な仕上げをすると思いましたか! はるか遠方の無人の大陸に集中させましたよ!フンす!」
声の方をむけば、全魔力を使い果たして砂浜にビターンと突っ伏したままの爆裂娘である。
しかし、その顔は砂まみれになりながらも、この世の誰よりも輝かしい、至高のドヤ顔だ。
「やりましたよ……マイル……! フッフッフ、これが、物理と化学を完全に支配した、私の……私の真の爆裂魔法です……!!」
地平線の彼方で世界の終わりみたいなキノコ雲と水柱が立ち上る中、カズマは両手で頭を抱え、絶望のどん底に突き落とされていた。
この世界に、あのピンク髪の歩く大量破壊兵器と同等、あるいはそれ以上の、最悪のシステムハッカーがもう一人誕生してしまった。
そして今頃、別の街で「あれ〜? なんか遠くの海の方で、私の水爆よりちょっと強い反応が感知されましたね。気のせいかな?」と、無垢な笑顔で首を傾げているであろうピンク髪の少女の顔が、鮮明に脳裏に浮かぶ。
その状況の元凶となったサイコパスピンク髪と、目の前で砂にまみれながら「勝った」という満足感に浸っている爆裂狂。
カズマは、天に向かって、全人類の怒りと悲しみを込めて、二度目の咆哮を爆音の響く海へと叩きつけた。
「どいつもこいつもリーガルを免罪符にするんじゃねぇぇぇぇぇ!!!」
物理法則を味方につけた少女たちの戦いは、世界をただの更地へと変えていく。カズマの胃に、本物のブラックホールが形成される日は、そう遠くなさそうであった。
(物理法則(リーガル)って凄いですよね! 〜爆裂娘の心が折れるまで・後日譚〜 ・完)
このエピローグの核は、「めぐみんの配慮が、配慮として機能していない」という一点です。
彼女は本当に、世界を滅ぼすつもりはありません。
空中でやるのは大気への影響が大きい。だから、海でやる。
これは紅魔族なりの、れっきとした環境への配慮です。
ただ、その配慮の結果として選んだ手段が「深海で1ギガトンの熱核融合を起こす」だったというだけで、配慮の方向性自体は、人類の感覚からは絶望的にズレています。
「10万倍」という数字をあっさり言わせたのは、この一篇で一番気に入っている部分です。
前日の威力にすでに絶望していたカズマが、その翌日にさらに10万倍という言葉を聞いたときの、感情の振り切れ方――もう怒りでも恐怖でもなく、ただの絶叫しかできなくなる、という反応を書きたかったので。
説明をできるだけ削って、数字だけを置きました。
「マイルへの対抗心」が、行動の起点として最後まで一貫しているのも、このエピローグの軸です。
めぐみんは物理法則そのものに目覚めたわけではなく、目覚めた先で見ている相手は、最初から最後までマイル一人です。
彼女にとって水爆も核融合も、競技の道具でしかありません。
だからこそ、津波の被害は「無人の大陸に集中させた」と、律儀に、しかも誇らしげに報告してきます。
誠実さと、誠実さが向いている方向の異常さが、最後まで一致しないキャラクターとして書きました。
カズマの最後の叫び、「どいつもこいつもリーガルを免罪符にするんじゃねぇ」は、この短編三部作(本屋・荒野・海)全体への、彼なりの締めの言葉になったと思います。