稚拙なところは見逃してください。
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カン、カン、カン、カン……。
遮断機が下り、東京の街を二つに切り裂くようにして、小田急線の急行電車が激しい音を立てて通り過ぎていく。激しい風が吹き抜け、無数の桜の花びらが視界をピンク色に染め上げた。
電車が通り過ぎ、遮断機がゆっくりと上がっていく。
その向こう側、吸い込まれるような光の中に、一人の女性が佇んでいた。
彼女もまた、こちらを見つめていた。
まるで、長い長い時間の旅を経て、ようやくお互いの存在を確認し合えたかのように、二人はしばらく見つめ合う。
「……あかり?」
遠い記憶の底から手繰り寄せたような、掠れた声が貴樹の口から漏れた。
女性の瞳が、驚きと、それ以上の深い懐かしさに大きく揺れる。
「……たかきくん?」
どちらからともなく、吸い寄せられるように歩み寄る。アスファルトを踏み締める一歩一歩が、積もり積もった十三年という歳月を埋めていくようだった。
「久しぶり……だね」
「そうだね。まさかこんなところで会うなんて」
「ほんとに」
あかりは小さく微笑んだ。その瞳には、かつて岩舟の駅の待合室で、ストーブの灯りに照らされていた少女の面影が、確かに残っている。
「たかきくん……おおきくなったね」
「あかりこそ……綺麗になったね」
「え……あ、ありがと」
不意の言葉に、あかりは少し照れたように視線を落とし、それからまた、お互いの顔を見つめ合った。言葉にできない想いが、春の柔らかな空気の中に溢れていく。
「ちょっと……歩かない?」
貴樹の提案に、あかりは優しく頷いた。
「う、うん」
舞い散る桜の中を、二人は並んで歩き出した。
しばらくは、無言のままだった。並んで歩く二人の影が、アスファルトの上に静かに伸びている。言葉にすれば、この奇跡のような時間がガラスのように割れてしまうのではないかと、お互いに恐れているようだった。
頭上から、ひらひらと光を浴びた花びらが落ちてくる。
「きれいだね」
貴樹が何気なく呟いた。
「うん。……まるで雪みたいじゃない?」
あかりのその言葉に、貴樹の胸がドクンと跳ねた。あの雪の夜、栃木の駅のホームで、二人で見上げたあの景色。
二人はお互いの顔を見合わせ、どちらからともなく、ふっと悪戯が見つかった子供のように笑い合った。
「……あの時の約束……覚えてる?」
あかりの少し改まった声に、貴樹は迷わずに答える。
「もちろん」
「……叶っちゃったね」
「そうだね。もう二度と会えないと……いや、会うことはないと思ってた」
「わたしも……」
それは、単なる諦めではなかった。
お互いの人生にこれ以上、過去の亡霊のような自分が立ち入るべきではないという、祈りに似た諦念だった。
手紙が届かなくなり、別の誰かと出会い、それぞれ違う街で必死に生きていくなかで、二人は大人になった。何度も何度も「もしも」を思い描いては、そのたびに現実の壁に突き当たり、自分の手でその想いに蓋をしてきたのだ。「これで良かったんだ」と、自分を納得させるために費やした十三年という歳月の重みが、二人の間に静かに横たわっている。
(もう二度と、交わることはない)
そうやってお互いのこれからの人生を遠くから尊重し、祝福することこそが、あの雪の夜に交わした純粋な想いに対する、自分なりの誠実さだと信じて疑わなかった。
しかし、世界はそれを許してはくれなかった。
張り巡らせていた理性の防波堤を、たった一言の「久しぶり」が、あまりにも簡単に融かしていく。
◇
その後、二人は近くの小さな喫茶店に入った。
窓際の席で、お互いに温かい飲み物を注文すると、堰を切ったように言葉が溢れ出した。あの岩舟での夜のこと、手紙が届かなくなった後のこと、それぞれの高校生活、そして今の仕事。
まるで一瞬であの頃の距離に戻ったかのように、話題は次から次へと湧き出て、止まることを知らなかった。
ただ、貴樹は気づいていた。
カップを持つあかりの左手の薬指に、小さな、しかし確かな光を放つ指輪があることに。
貴樹はそのことに触れなかった。あかりもまた、指輪について語ることはなかった。
夕暮れが近づく頃、二人は連絡先だけを交換し、駅の前で別れた。
それぞれの帰路。
貴樹は、電車の窓に映る自分の顔をぼんやりと眺めていた。
網膜に焼き付いているのは、別れ際の彼女の表情。
「あかり……幸せそうだったな」
ぽつりと呟く。
「……あれから、もう何年になるんだろうか」
彼女の指輪の意味を理解しながらも、貴樹の心には、不思議と澄んだ風が吹き抜けていた。
一方、自宅の洗面台の前で、あかりは鏡を見ていた。
「すれ違った人が気になったから待ってみたら、たかきくんだったなんて」
自分の行動に、自分自身で驚いている。
「全然変わってなかったな……」
ふふふ、と自然に笑みがこぼれる。
「いや……背も伸びてもう男の子じゃなくなってた」
少し大人びた彼の横顔を思い出し、胸の奥がくすぐったくなる。
リビングに戻ると、キッチンから声がした。
「あかり、機嫌がいいね?」
婚約者(夫)の彼が、不思議そうにこちらを見ている。
「あなた、……そう?」
「今日は特別にやにやしてるよ?」
「……な、なんでもないよもう!」
あかりは少し顔を染めて、そっぽを向いた。
(たかきくんに会ったことは……やっぱり、あの人には言わない方がいいよね……)
それは、後ろめたさというよりも、自分だけの宝箱にしまっておきたい大切な思い出のようだった。
だが、次の日。
会社に着いたあかりの心は、まだ昨日の余韻で弾んでいた。誰かにこの嬉しさを、この奇跡のような驚きを聞いてほしくてたまらなくなる。
昼休み、給湯室で職場の仲の良い同僚に、思い切って話を切り出した。
「実はね……昨日、何年……ううん、十何年も前に、小学校と中学校で一緒にいた、離れ離れになっちゃった男の子と偶然会ったの。それでね、昔約束した桜を、一緒に見ることができて~~」
一気に語り終え、あかりは少し息を整えた。
「……ふぅっ」
同僚の千夏は、持っていたマグカップを机に置き、目を輝かせた。
「それって運命だよ!」
「……運命?」
あかりはきょとんとして、その言葉を繰り返した。
「そう! そんなの偶然で済ませられるレベルじゃない! 運命だよ!」
「あはは、千夏はロマンチストだなぁ...」
千夏は、真面目な性格で今まで経験したことがなくドラマのような恋愛に憧れていると日々漏らしている。
「そうかなぁ?」
でも確かに、とあかりは思った。東京というこんなに広い街で、あの瞬間に、あの踏切で、お互いが振り返らなければ、絶対に交わることのなかった線。
「確かに……そうかも」
しかし、千夏はふと現実に戻ったような顔をして言った。
「でも、あなた結婚してるのよね」
「……うん」
「あーあ」
「あーあって何よ」
あかりが膨れると、千夏はからかうように笑った。
「冗談よ。でもそっか、相手も結婚してるかもね」
その言葉が、あかりの胸に冷たい楔のように突き刺さる。
「あ……そうよね……」
あかりの表情が一瞬で曇ったのを見逃さず、千夏はニヤリと笑った。
「ん? もしかして、気があるの?」
「え? いやいやいや、そんなことあるわけないじゃない! ……もう私は結婚しちゃったし、あの人との生活も幸せだしね」
「そうよね、分かってるって」
それからも雑談は続いたが、あかりの耳にはほとんど入ってこなかった。
(たかきくんのことを、自分はどう思っているんだろう……)
浮かれていた気持ちが、急に重くなったような気がした。
けれど、あかりの心の中に、消せない一つの強い想いが生まれていた。
せっかく会えたんだ。
もう二度と、あの頃のように、連絡がつかなくなって会わなくなるようなことだけは……嫌だ。