もしも踏切で会えていたら   作:niwatori5

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第三章

やがて季節は冬へと変わり、街はきらびやかなイルミネーションと、凍てつくような冷気に包まれた。

 

これ以上、東京にいたら自分の心が壊れてしまう。そう思ったあかりは、週末を利用して岩舟の実家へと帰省した。

かつて貴樹と歩いた駅のホーム、木造の待合室。積もらぬまでも、宙を舞う白い雪の粉を見て、あかりは涙が出そうになった。

 

実家のコタツに入り、母親が淹れてくれたお茶を飲む。

「あかり、なんだか元気がないね。東京での生活、疲れてるんじゃない?」

母親の優しい声に、あかりの張り詰めていた糸がふっと切れた。

 

「お母さん……『幸せ』って、なんだろう。今の生活に不満があるわけじゃないの。でもね、どうしても忘れられない、胸が引き裂かれそうになるくらい大切な思い出があって……それを思い出すと、今の幸せが、全部偽物みたいに思えちゃうの」

 

母親は驚いたようにあかりを見つめ、それから優しくその手を包み込んだ。

「あかり。誰かをそこまで想えるのは、人生でそう何度も無い、とても素敵なことよ。でもね、誰かの身代わりにされる幸せなんて無いの。あなたが本当に心から笑っていられないなら、それはきっと、あなたにとっても、今隣にいる旦那さんにとっても、本当の幸せじゃないのかもしれないわね」

 

岩舟の静かな夜、あかりは一晩中、涙を流した。

自分の心は、もう決まっている。あの踏切で振り返ったその瞬間から、本当は最初から、決まっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

東京に戻ったあかりは、その日の夜、意を決して夫と向き合った。

暖房の効いた静かなリビング。あかりは、自分の左手の薬指にある指輪をそっと右手で包み込みながら、まっすぐに夫の目を見つめた。

 

「あなた。ごめんなさい。私、どうしても心の中から消せない人がいるの。その人と、もう一度、新しく歩き直したい」

 

夫は長い間、あかりのその手元と、引き返せないほどに真っ直ぐな瞳を交互に見つめていた。

 

責められることも、怒鳴られることも覚悟していた。いっそ罵倒してくれたなら、どれほど楽だっただろう。けれど夫は、ただ、静かに、けれど寂しそうに首を縦に振った。

 

「……分かった。あかりがそこまで言うなら、引き止められないね」

 

その「怒ってくれない誠実さ」が、あかりの胸を容赦なく抉った。

私を大切にしてくれていた彼を、私は一方的に傷つけている。それなのに、彼は最後まで私の幸せを願うように静かに受け入れようとしている。その優しさと誠実さが、返ってあかりを激しい罪悪感の底へと追い詰めていく。涙が溢れて止まらなかった。

 

あかりの心が、もうここには無いことを、彼もまた薄々感づいていたのかもしれなかった。

 

 

数日後、あかりは水野理紗の元を訪れた。

理紗はあかりの顔を見た瞬間、すべてを察したように、ほんの少しだけ寂しそうに微笑んだ。

 

「水野さん。私、たかきくんのところへ行きます。もう、自分の気持ちに嘘はつけないから」

理紗は深く息を吸い、それから丁寧に、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「遠野くんのこと……よろしくお願いします。私じゃ難しかったけど……あかりさんなら、きっと、遠野くんのあの凍りついた心を、溶かしてあげられるから。あはは、ちょっとだけ、……悔しいですけどね」

 

理紗のその強がりと優しさに、あかりは何度も頭を下げた。

 

街の景色が、ゆっくりと冬の灰色から、淡い春の色彩へと移り変わろうとしていた。

お互いの退路を断った二人の感情は、もう、誰にも止められないところまで膨れ上がっていた。

 

 

 

 

 

 

桜の蕾が大きくなり、東京の街が再び淡いピンク色に染まり始めようとしていた。

 

あかりと会う前日、貴樹は水野理紗から一本のメールを受け取り、静かな夜のカフェで彼女と会っていた。そこで貴樹は、あかりが夫と離婚したこと、そしてその経緯を理紗の口から初めて知らされることになる。

 

「……あかりさんね、旦那さんに全部打ち明けたみたいです」

理紗は温かい紅茶のカップを見つめながら、静かに言った。

「旦那さん、すごく誠実な方だったみたいで……怒りもせず、あかりさんの気持ちを受け入れてくれたって。あかりさん、その優しさにボロボロになりながら泣いてた。そこまでして、あなたのところへ行こうとしてる」

 

理紗の言葉を聞きながら、貴樹は深く目を閉じた。

(あかりは、それほどのものを背負って、僕の前に立とうとしてくれているのか……)

あかりが抱えた深い罪悪感と、そこまでして自分を選ぼうとしてくれた覚悟の重さが、貴樹の胸にずっしりと響く。だからこそ、貴樹は思った。彼女をこれ以上、泥沼のような苦しみに巻き込んではいけない。自分の手で、この関係に綺麗に線を引かなければならない、と。

 

 

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