春の柔らかな陽射しが降り注ぐ、あの踏切の近くの桜の木の下。
二人は並んで立っていた。けれど、その空気はどこか張り詰めていた。
貴樹は、あかりの左手の薬指を見つめた。そこには、彼女が「誰かのもの」であることを示す、あのプラチナの指輪がまだ静かに光っていた。
貴樹は深く息を吸い、胸が張り裂けそうな想いを押し殺して、静かに告げた。
「もう会うのはよそう」
あかりは弾かれたように貴樹を見た。瞳に一瞬で涙が溜まっていく。
「え? なんでたかきくん? 私のこと嫌いになった?」
「そんなことあるわけない」
貴樹の嘘偽りのない言葉に、あかりはさらに声を詰まらせる。
「じゃあどうして?」
「……」
「ねえ!」
詰め寄るあかりから、貴樹は一瞬だけ視線を外した。それから、意を決したように彼女の真っ直ぐな瞳を捉える。
「……あかりには幸せでいて欲しいから」
「え?」
「あかりはもう、幸せを見つけたんだよね?」
貴樹の視線が、切なげにあかりの左手の薬指へと落とされる。あかりはそれに気づいて、自分の指輪を見て、それからもう一度、貴樹の顔を見上げた。
「これは……っ」
絞り出すようなあかりの声。
貴樹は切なく、けれど愛おしそうに目を細めた。
「これ以上一緒にいたら……想いが止まりそうにないんだ」
「……っ!」
あかりの顔が、一気に赤くなる。
言葉が続かない。春の風が、二人の間を静かに通り抜けていく。張り詰めた沈黙のなか、貴樹はゆっくりと背を向けた。
「じゃぁ……さよならあかり」
「そんなっ!……」
何も言えなかった。立ち去っていく貴樹の背中が、あかりの視界のなかで涙で滲んでいく。
いつも、自分は待つ側だった。十三年前のあの雪の夜も、手紙が途絶えたあとの日々も、ずっと彼を待っていた。
でも、もう絶対に、この手を離したくない。
あかりは走り出していた。
アスファルトを蹴り、貴樹の背中に向かって夢中で飛び込む。
背後から、彼の大きな体に強く抱きついた。
「たかきくん……っ!」
貴樹の胸に顔を埋め、あかりは子供のように声を上げて泣いた。二人の頭上には、あの頃と変わらない、大きな桜の木が静かに枝を広げている。
貴樹は驚きに目を見張ったあと、ゆっくりと振り返り、泣きじゃくるあかりの身体をそっと抱きしめ返した。
少しだけ落ち着いたあかりが、涙で濡れた顔を上げる。
至近距離で、二人はじっと見つめ合った。十三年分の空白が、完全に消え去った瞬間だった。どちらからともなく顔を近づけ、二人は静かに唇を重ねた。舞い散る桜の花びらが、二人を祝福するように包み込んでいく。
貴樹はあかりの涙を優しく拭い、あの雪の夜、ついに渡せなかった手紙のなかに閉じ込めていた、そしてこの十三年間、ずっと言えなかった言葉を、まっすぐに伝えた。
「あかり。……好きだよ。ずっと、ずっと好きだった」
あかりの目から、また新しい涙が溢れ出た。けれど今度は、悲しい涙ではなかった。
◇
それから、数年の月日が流れた。
東京の街は、今日も美しく、眩い光に溢れている。
新宿のビル群を遠くに望む並木道には、満開の桜が咲き誇り、見事な桜吹雪が舞っていた。
「パパ、ママー! 見て、桜、すごいきれい!」
小さな男の子が、短い足でトコトコと先を走りながら、振り返って嬉しそうに声を上げた。
「こら、危ないから走らないの」
あかりが優しい笑顔で、男の子をたしなめる。その左手の薬指には、新しく刻まれた、貴樹と同じシンプルな指輪が光っていた。
「いいじゃないか、あかり。今日は本当に天気がいいしね」
貴樹が隣で微笑みながら、あかりの手をそっと握りしめる。あかりもまた、その手に愛おしそうに力を込めた。
「うん。……まるで雪みたいだね」
「そうだね」
二人はお互いの顔を見て、ふふっと幸せそうに笑い合った。
走っていった子供の元へ、二人はしっかりと歩調を合わせ、並んで歩いていく。
舞い散る桜の光のなか、3人の影が、どこまでも続く未来へとまっすぐに伸びていた。