―――幻妖。
それは基本人には見えない存在であり、怒りや悲しみといった負の感情に反応する事が観測されている。
人知れず
何故なら幻妖は人に見えないことがほとんどであるが、時として人に取り憑き、肉体を乗っ取って悪事に及ぶことがあるからだ。
だが、1000年以上も昔から幻妖と陰陽師の戦いが続いてきた戦果として日本に幻妖はほとんど存在していない。
ただ一部、日本の
そして―――
「ハアッ…、ハアッ…」
この少年もまた、そんな幻妖の被害者である。
先に言っておくが、彼に親は居ない。
否、厳密には居たのだろうが彼が物心ついた時にはすでに両親ともに居らず彼は先ほどまで孤児院で育てられていた。
その孤児院を襲ったのが、現在彼が遭遇している幻妖である。
ぼろ布をマントのように羽織、孤児院で手に入れた箒が気に入ったのか、剣のように振り回している。
「っ…! くっ…!」
間一髪、ロッカーに隠れていた少年の姿が顕わになる。
少しボサっとした短い黒髪と黒い瞳、孤児院で力仕事を担当していたおかげで同年代の平均よりは少しだけ筋力がついた体で拳を握り、孤児院に居た職員、並びに自分同様そこで暮らしていた子供たちの仇と言わんばかりに幻妖に殴りかかる。
が、先に言った通り幻妖には基本陰陽師の力でしかダメージを与えられない。
彼がどれだけ強い力で殴ろうとも、一般人である彼が幻妖を倒すのは土台無理な話だ。
「……くっそが」
口汚く言う彼を嘲笑うように幻妖は箒で彼を殴りつけその体は勢いよく壁に叩きつけられる。
そんな事をせずとも幻妖としての力を振るえば目の前の男児の命を奪う事は容易いのだが、よほどそれがお気に入りらしい。
だが、それがこの幻妖の運の尽きであった。
ガラッという崩れた壁面の音に反応するとそこには先ほど殴り飛ばした男が立っている。
頭部からの流血は夥しく、放っておいても出血多量で死ぬのではないかという程だ。
そんな彼に近づき、幻妖裂けた口元で笑顔を浮かべている。
「てめえ、なに笑ってやがる」
だが、そんな幻妖でも感じ取れることがあった。
明らかに先ほどまでとはどこか違う……しかして大きく変わったわけではないと思い、幻妖は少年の殺し方を思いついた。
このお気に入りで何度も何度も叩き潰していこう。
また起き上がられないように今度は上に乗って何度も叩こう―――と。
それを実行するために幻妖は再び箒を振るう。
だが、今度の彼は吹き飛ばず、少しだけ体を横に動かすだけで留まった。
「まったくよぉ…俺にも何でか分からねえけど、そうやって心の底から見下した笑いされっと、逆上してカっとなりすぎんだよ。昔からな」
幻妖は気づいた。
彼の服装がただのシャツ1枚と短パンからフードが付いた半袖のジャケットとズボンに変化していることに。
幻妖は気づいた。
彼の全身から謎の白いオーラが噴き出していることに。
幻妖は気づいた。
自分の横顔が、今度こそこの男に殴られている事に。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
陰陽師の部隊が到着した時、その惨状に困惑した。
建物は崩壊、おそらくこの孤児院に居た者はもう事切れているのだろう。
―――ただ1人を除いて。
その1人はすでに崩壊を始めている幻妖を掴み、何度も何度も殴りつけていた。
だがその1人も限界が来たのか、幻妖が消えるのとほぼ同時にその場に倒れこんでしまった。
「……どうする?」
「どうすると言うても、見たまんまを説明するしかないんちゃいます?」
「信じてもらえるのか?」
口々にそう言いながら、彼はどこかへと連れていかれた。
そこから数日後、彼はようやく目を覚まし見慣れぬ天井を見つめた。
「……何処だ、ここ? 痛っ…頭が」
ここは何処で自分は何故ここに居て、どうしてあの時負ったはずの傷が綺麗さっぱり無くなっているのか。
疑問が次から次へと押し寄せてくる中で明確に覚えているのは、みんながあの化け物に殺された事と、その化け物を自分が倒したことの2つだけだ。
「あ! 良かった、起きたみたいだね~!」
不意に自分に訪れたあの不思議な感覚を思い出している時、後ろからした声に男は振り返る。
そこには自分と同い年か少し上ほどの女の子が立っており、手にはコップが握られている。
「大丈夫? 水飲める?」
「え、あ、ああ…ありがとう、ございます」
少年は受け取った水を勢いよく飲み干した。
「それで、俺はどうしてここに? というかここは?」
「う~ん…それを説明する前に、君は昨日のこと覚えてる?」
「……まあ、忘れられるなら忘れたいくらいですけど」
「そうなると困ったな~、レベル2を1人で祓えるくらいだし……でも」
「とりあえず話をしてからでも遅くないでしょう」
悩む少女の後ろから中年ほどの男が口を挟んだ。
次から次に人が来る状況に困惑する彼だが、男性は向き直って様々なことを話した。
「陰陽師…幻妖…」
「報告では君が倒した幻妖はレベル2、普段見る事は稀な固体であり、あのような場所に出現する事は極めて低いんです……つまりその」
「運が悪かったと」
どう伝えたものか迷う2人を見て彼自身の口からそれを出した。
「申し訳ない」
「いいですよ。どのみちそこに触れなきゃいけないでしょ」
「それでね、今君には2つ選択肢があって―――」
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「どうなってんだ?」
少女に連れられるまま建物を後にし、彼は孤児院の前に来ていた。
そして目の前の光景に、その言葉を口にせざるを得なかった。
何故ならそこには、自分のよく知る孤児院がいつもと変わらぬ状態で建っているからだ。
「陰陽師の活動はね、古くから続いてるおかげで術も高度になってるんだ。これもその一つで崩壊した建物とかも直せるし、記憶も不都合が起きないように処理できる……亡くなってさえいなければ、人も治せるんだ」
少女は悲しそうな顔をして言う。
今回行った記憶処理としては、この孤児院に強盗が入り、1人を除いて職員・孤児共々殺されてしまい、犯人もすでに捕らえられているという事になっている。
だが、ただ1人しか居なくなった孤児院で経営する事は出来ないため、近々ここの解体も決まっているようだ。
「私たちが君に用意できる選択肢はね。新しい孤児院に君を転院させることか……もう一つは、私たちと同じ陰陽師として働くこと」
「働く?」
「うん。実は陰陽師って慢性的な人員不足でね、私も通ってる学校に警備の派遣お願いしてるけど中々手が回ってこないんだよね~。それで、さっき聞いたら君がもし陰陽師になるなら研修後に根回ししてくれるっていう事なんだけど、どうかな? あ、でも危険の方が多いからオススメはしな…」
少年は孤児院に手を合わせていた。
そして、
「なります、陰陽師」
少年は彼女が言い切る前に返事をする。
「うぇ!? ホントに!? 言っとくけどホントに危険なんだよ?」
「……自分でも何でか分からないです。あんなに危ない目に遭って、死にかけまでしたってのに…でも、不謹慎なんですけど、ワクワクしてる自分がいる。どうかしちまったんですかね…」
「―――本当に良いんだね? 陰陽師になっても」
「はい」
少年が言い切ると、少女は笑顔で彼を叩いた。
「よし! それじゃあ今日から君は私の後輩なわけだ! 私、
「あ、そういえば自己紹介してませんでしたねすいません。仁です、
それは、春先を終えて5月に入ろうとする出来事の話であった。