草原にむき出しの岩がある。広瀬とツミネはちょうど座りよいので二人して腰かけている。
ツミネは母譲りで好奇心旺盛なのだろう。
広瀬につきっきりで、異世界の話をあれこれとねだってくる。
はじけるような笑顔、弾む口調。
杉野から聞いた名の由来。彼女の活発はおそらくその花そのものなのだろう。広瀬は思った。
さて、何から話せばよいのか。
広瀬はまずツミネにこの国の事を尋ねた。しかし返す刀で日本について質問攻めにあった。しかし父の杉野からあらかた教えられていると見え、たいがいのことはすでに知っていた。ではと、日本の昔話などをしてみたが、同じようなものはヒガツにもあるようで、それはツミネの興味をさほどひかなかった。
話すうちにツミネが知りたがったのは、女性らしくもない海軍の艦艇の話だった。
付随して広瀬は自分がなぜ海軍にいるのか、また、ロシアにいた時分の話もしたが、これも杉野がすでに娘に話していたらしく、ツミネはよく知っていた。
「父は私が幼いころから、ヒロセ様の話をしていましたので詳しいのです。」
広瀬は少々恥ずかしかった。
「ヒロセ様はロシアなる敵国でその国の女性アリアズナ様と恋に落ちられたとも伺っていますが、今アリアズナさんとはどういう関係なのでしょうか。」
ツミネは年相応の興味を問いただしてくる。
かかる異国の少女にロマンスについて正面から質されては流石に面はゆい。
杉野め、余計なことを。
広瀬は苦笑する。
少々気づくことがあった。
ツミネは話していると、ときどき険があるように思えた。
もっとも元からの気質で悪気はないのだろう。
そのうち場を離れていた杉野が戻ってきた。
「ツミネ。よい術場がみつかった。」
杉野は転移の法術で私を元の世界に戻せるという。
転移の法術は術の力を過大に消費するため、杉野とツミネの二人で行う必要があるのだとか。
「なるほど。その術を施せば、私はあの閉塞船に戻れるのだな。それも、穴に落ちた直後の時間に。」
「左様です、少佐。」
杉野は続けた。
「実は。」
広瀬は、まさか。と思った。
「私もご一緒しようかと。」
「杉野も転移の術をツミネ殿とともに為すのではないのか。」
「術者本人も転移の対象にできるのです。なにせ座標と術の力、指向先を操作すればよいのですから。」
非科学きわまりないのだが、この世界なりの理が通っているのだろう。
それが広瀬には少々癪に触っている。
自分の知らないことわりで世の中が回っている不安感は容易に不愉快に変換された。
広瀬は考えた。
杉野にはすでに30年にわたるこの世界での人生がある。奥方は亡くなられたとはいえ、その墓所はもちろんこの世界にある。そしてまだ実の娘がいる。
いや、それを言うなら日本にも杉野の妻子はいる。
難しい話だ。これは本人とツミネの覚悟の問題であり、容易に立ち入れる話ではない。
もちろん、帝国海軍の少佐という立場を考えるならば。
行方不明だった部下を見つけたのだから、連れ戻す義務はあろう。
しかし、ここまで特異な状況でその義務を杓子定規にあてはめるのもはばかられる。
ともあれ本人が帰ると言っているのだから、歓迎すべきであり、反対する理由はこれっぽっちもないはずだ。
だが・・・
広瀬は無垢な娘を見る。
無邪気な笑顔だ。
この世界の成人がいくつからかは知らない。
年齢以上に気丈なしっかり者と見受けられる。親がいなくとも大丈夫なのかもしれない。
そして親のない子も、世の中にはありふれている。
だが、避けられる親子の別離を手放しに歓迎できない。
30半ば。少壮の杉野ならばともかく、今の老杉野が海軍に戻ったとて何ができよう。
閉塞作戦から帰還したら謎の老衰を遂げていた。
誰が信じようか。
いや、老いても見れば本人とわかる。しかしその後はどうする。
「ヒロセ様。」
ツミネが手を握ってきた。広瀬の思案は止まった。
「何か考え事ですか。」
「いえ、たいしたことではありません。いよいよ日本に帰ることができるようなので、さて向こうでさっそく何をしようかと。」
杉野「転移の術は明日早朝に行います。」
広瀬「そうか、よろしく頼む。」
杉野「本当は少佐にひと月ほど滞在していただき、こちらの名所観光でもしていただきたかったのですが。」
杉野はあははと笑う。
確かにそれは魅力的だ。だがそれよりもだ。
杉野、お前は本当に良いのか。ツミネ殿は心底承服しているのか。父であるお前がいないこの世界を受け入れると。
愛する実父たっての願いをただ止められないだけの哀れな娘ではないのか。
ツミネ殿の気持ちはいったい。
広瀬の手に握力が加わった。つかんでいるツミネが手を握ったのだ。
ちらと見るとツミネの顔は少々こわばっていた。
決意じみたものを感じたが、広瀬は目をそらした。
明日、元の世界に戻ることができる。