広瀬は気配を感じて目が覚めた。
天候がよいため、杉野たちの簡易寝具を借りて岩陰に野宿している広瀬は、月明かりを背に誰かが立っているのを見た。
「杉野か。」
いや、目を凝らすとそれはツミネだとわかった。
昼間とは違う、恨みがましい目でこちらを見ているような気がする。
いや、気のせいではない。
「ついてきてください。」
「どうなされた。」と、尋ね終える前に、傍にナイフが飛んできてつき立った。
身構える。見れば不思議なことに、何本かのナイフが宙に浮いている。切っ先はすべて自分を向いているではないか。
「待たれよツミネ殿。ついていこう。しかしいったい。穏やかではないな。」
ツミネは無言で手招きし、広瀬をいざなう。
宙を浮き自分を狙うナイフとともに広瀬はツミネについていく。
ついた場所は小高い丘をこえた場所だった。近くに切り立った立岩、数本の灌木。
「ヒロセ様。そこに座ってください。」
広瀬はいわれるがままに指し示す場所に座った。
ナイフは相変わらず広瀬を狙っている。
虫の音やそよ風が作る木々のざわめきのほかは静寂。ただ静寂のみだ。
どこか故郷竹田に似ているなと。広瀬は周囲を見てそう思う。
だが、目の前にいるのは少年期の悪ガキどもではなく、老杉野の娘。
そしてここは得体のしれぬ異世界。
そうだ。老杉野とツミネと会い、ひととき打ち解けたからか、不安が払拭されていたが、冷静に考えるならば到底安心できる状況ではないのだ。
「ヒロセ様。これから転移の術を行います。動くと危ないです。方角と目が狂い、どこへ転移してしまうかわかりません。」
「またれよ、ツミネ殿。私は父上とともに元の世界に戻る手はずだったのでは。」
ツミネがキッと広瀬をにらむ。
「あなたが憎い。憎い。」
ツミネがねめつけてくる。
「父は小さいころから私に。」
広瀬が唾をのむ。
「あなたの事ばかり話してきた。いつもいつも。元の世界があるのだと。」
ツミネの声は震えている。
そうだ。到底安心できる状況ではないのだ。
宙に浮き、飛んでくるナイフ。額に手を当てれば異言語をたちまち使いこなす怪しい術。
そして元の世界と同じ、人間が持つうらみつらみ。
広瀬はだいたい理解した。
やはりツミネは。
直感していた。
父親と離れたくないのだ。
広瀬は二人と出会ってからの出来事を整理した。なるほど。
ツミネの言動は、明るく活発、好奇心に満ちた少女のものに見えた。
むろん、本来の性根なのだろうが、私を探る手管でもあったのだろう。
「ツミネ殿。了解した。私も杉野を置いていくのは断腸の思いではあるが、杉野はこの世界で生を全うすべきと思っていた。よろしく頼む。」
ツミネは集中しているのか無言だ。
「お父上に私から言ってもよかったのだが。」
ツミネは黙っている。
いや、私が杉野を説得するのは無理だったろう。少佐としての立場もある。
私には止める理由が少なく、そして杉野には元の世界に戻る理由がありすぎる。
私がいなくなっても、元の世界に戻る機会はまた訪れようが、戻るための心の勢いは削げてしまい、諦めるかもしれない。
ツミネの息が荒くなってくる。ツミネは左目を手で隠した。
ここで広瀬は気が付いた。
-この転移の術は二人でするものではなかったのか-
「ときにツミネ殿。集中しているところ悪いのだが。」
ツミネが右目で広瀬を一瞥した。
「この転移の術は一人で出来るものなのだろうか。」
杉野との会話を思い出した。
-五感を犠牲にして法術を高める方法がある-
「ツミネ殿やめるのだ!目を犠牲にして私を転移させるつもりだろう。そうだろう!やめるんだ、きっと必ず私が父上を説得して見せる。むざむざ目をつぶすことはない。ツミネ殿!」
しかしいまや手遅れなのだろう。ツミネの目を隠した手から血があふれ出てきていた。
そして広瀬の体の周囲が怪しく光りだす。
「まだ引き返せるのではないか。ツミネ殿!」
「黙れ!!」
ツミネが広瀬を一喝した。
「父は・・・わたさない!!」
ぜえぜえと肩で息をし、顔の左半分は血まみれ。
「あなたになにがわかる。なにが。なにが!」
「なにをしているんだ!」
杉野の声が夜の草原に響く。
ツミネが振り向く。
あ!
ツミネが短く叫ぶ。
広瀬の周囲の光が、どうしたことかぶれはじめた。
「いけない!」
ツミネが広瀬に両手を向け、なにやら短く念じると掛け声とともに広瀬の頭上に何かを飛ばした。
広瀬の周りにあった光がそれにひっぱられ、後方の立岩を照らす。
刹那
閃光がはしる。広瀬はおもわず目をつぶる。
閃光は一瞬でおさまり、広瀬が目を開けると立岩は根元を残し、消えていた。
残った立岩の根本は匙ですくわれた豆腐のような切り口だ。
わずかに煙が立っていた。
広瀬のまわりにはナイフが落ちている。
ツミネ!
杉野か駆け寄る。
ツミネは仰向けに倒れていた。左目からの流血で顔は真っ赤だ。
広瀬もよろよろと立ちあがりツミネに歩を進める。
倒れたツミネと目が合った。
うつろな右目はじっと広瀬を見据えていた。口がわずかに動いた。
ごめんなさい
広瀬にはツミネの唇がそう見えた。
夜が明ける。
ーツミネの回想ー
珍しく夜更かしして深酒をする父がいる。
なにかあるに違いない。
部屋を訪ね、よしなしごとを語らう。
「夏は夜」と古の文人が評したが、私も宮中の女房なら、いまこの夏の夜更け。この父との語らいどきを筆にてしるすだろう。
父は仕事がうまくいっていないと、みえすいたことを言う。
おおまじめに私をだましているつもりだが、あまりにもわかりやすい、
不器用だ。きっと元の世界でもこうだったのだろう。
母上との語らいも同じだった。
いとおしい。
この父がどこかへ行ってしまうなど到底考えられない。
母は私の力不足にて守り切れなかった。
父は私が守らねばならない。
「ツミネ。どうしてもというのだな。」
父はついにまことを語る
「広瀬少佐が来る。」
あの、子供のころから聞かされ続けた男。
父の元世界での上役。
ロシアなる外つ国とのいくさの最中、父はこの世界にやってきた。
それを追ってくるのか。
「父は。私は。広瀬少佐とともに元の世界に戻ろうと思うのだ。」
なるほど。胸が張り裂けるとはよく言ったものだ。
写本で読んだことがある。
思い人の武官との別離に耐え切れぬ姫の気持ちがそう表現されていた。
言葉を知らねば、私はこの耐えがたい気持ちを表せず、とたんに叫んでいただろう。
父はしかし、私を置いていけないという。
嘘だ。
父の気持ちは固まっている。誰が何と言おうと、父は元の世界に上役のヒロセと戻るつもりでいる。
私を無下にしているわけではない。そうではないのはわかる。
私を目の前に決心が揺らいでいるのだろうが、必ず父は戻る。
私が泣いてすがれば、そのときは戻らぬと誓うだろうが、それはいっときのこと。
ヒロセを一人で元の世界に戻し、父の気持ちを削ぐ。
そうすることが父をこの世界にとどめおく、たった一つの方法だ。
口では私を置いていけないという父。
口では元の世界に戻れと勧める私。
人の情けは美しく、そしてむごくあさましい。