杉野はツミネの頭を膝に乗せ、うなだれている。
もういくとき過ぎただろうか。
杉野もツミネも無言だった。
いたたまれない広瀬もまたそばに座り、空を仰いでいた。
吹き抜ける風が心地よいのが恨めしい。
三者のこころのうちを表すならば、凍みるような秋雨であるべきなのだ。
沈黙を破り杉野が口を開く。
「広瀬少佐。明日の朝。」
杉野がこちらを向く。
「明日の朝、少佐を元の世界に戻します。」
「まて杉野。ツミネ殿は深手を負っている。無理はさせられない。」
「この機を逃せば。」
杉野がツミネの頬をなぜる。
「少佐はこの世界の住人となってしまいます。私と朝廷に務めますか。」
杉野が再びツミネの顔を見やる。
広瀬は言葉に詰まる。
「ツミネ殿の負担は大丈夫なのか。」
我ながら罪な質問であるな、広瀬は思った。
ツミネがか細い声を出す。
「大丈夫です。目を失い、深手ですが。術自体はさほど労力を伴いません。今朝の醜い様は、あくまで一人で為そうとしたがため。」
ツミネが頭をこちらに向ける。
「父と二人でするのであれば。なにごともなく。」
「しかし、やはりそうはみえない。」
ツミネが嘆息する。
「そうですね。私は・・・そらごとがおおかった。
父が戻るのをよしと言ったこと。ヒロセ様を憎からず思っていたそぶり。
すべてがいつわり。」
「広瀬少佐。娘は。私がいたらぬばかりに。なんとお詫びもうしあげれば。」
「杉野、それはもういい。ツミネ殿の負担を察せられなかったこの広瀬が責でもある。」
広瀬はツミネに正対した。
「ツミネ殿。あらためてお願いしたい。ツミネ殿が父上を慕う気持ちは真なるものと確信する次第。それがために私や父上を欺いたことも理解する。だから。」
広瀬は頭を下げる。
「だからこそツミネ殿のそのほかの言葉はまこと真実である、と。そう思うのです。」
広瀬は頭を上げ、ツミネをまっすぐ見つめる。
「なれば、無理をさせ、まこと心苦しいが。私を元の世界に戻してくれないだろうか。」
ツミネは静かに微笑み返す。
「もとよりそのつもりです。体の負担も。さきほど申し上げたことに偽りはありません。ヒロセ様が気に病むほどのことはないのです。」
杉野「広瀬少佐。ついていけず残念ですが、私はこの世界で。この子とともに生きていきます。向こうの私の家族をよろしくお願いします。息子たちをお願いします。」
広瀬が杉野に応じようとするのをツミネが手で制した。
「おふたりとも。来客のようです。馬が4頭・・・」
高台にのぼる。
ツミネが言うように馬に乗った役人が向かってきていた。
杉野「あの馬具。カネミノ殿か。」
「杉野の知り合いか。」
「よく朝議で顔を合わせる兵衛府のものです。宮中の警備役ですな。」
「宮中の警備役が何の用だろう。そもそもなぜここを知っている。」
朝廷に勤める者が都を離れるときは兵衛府の役人に届け出ねばならない。
杉野はカネミノに娘と菊灯山に行くことを伝えていた。
そして法術の務めにあるものが菊灯山にいくとなればカブト峰しかない。
「ゆえに、カネミノ殿がここを知るのは不思議ではないのですが。来る理由に見当がつきません。」
「私の事は伏せていたのか。」
「まあ・・・そもそも私はこの世界を捨て、少佐と元の世界に戻るつもりでしたので。そんなことは到底言えません。」
「占星寮のオババとやらは。」
「あのオババが漏らしたのかもしれませんな。」
「いよお、スギノ殿!」
カネミノは馬からひょいと降りるや、杉野に快活な挨拶をする。
お供の3人もそれぞれ下馬した。
「カネミノ殿。いったいいかなるご用向きで?」
「ははは。ご用向きも何も。そこな御仁。見慣れぬ服を着ているそこの御仁だ。」
カネミノは馬具の鞭で広瀬を指す。
「異界の者がくる。占星寮のオババが言っておったのです。本当に来るのか、興味にまかせてやってきたらこの通りと言うわけです、カネミノ殿。」
「気持ちはわかりますぞ。スギノ殿も、もとはといえば異邦人。しかしまさか本当にやってくるとは驚きですな。それがしもやってきたばかりの異邦人と対するのは初めてですぞ。」
広瀬は二人の会話がわからないが、不穏なものは感じ取れた。
「スギノ殿の娘御。ツミネ殿と言ったかな。ともに来ておると伺ったが。」
「娘は先ほど不慮の事故で大けがを負い、そちらの日陰にて休ませております。」
「それはゆゆしきこと。御身大切にとお伝えくだされ。」
カネミノは広瀬を向く。怪訝な広瀬の顔つき。
「これはおろそかなことを。かしこまり申す。」
カネミノが額に手を当てる。
「私は兵衛府役人カネミノと申すもの。スギノ殿とは古くからの友にて。はらから同様。
以後お見知りおきくだされ。」
とたんに言葉がわかる。
広瀬はあらためてこの世界のデタラメさにあきれる。
「なんと紹介したものやら。私は広瀬武夫と申すもの。その、海軍の軍人として戦争をしていたところ、気が付いたらこの地にあり、杉野親子に助けられております。」
「さて、本題。」
カネミノが手を上げる。
お供の3人が背中から弩を取りだし、広瀬と杉野に向けた。
杉野「カネミノ殿。これはいかなる戯れごとで。」
カネミノ「スギノ殿。兵衛督(ひょうえのかみ)朝霧大将が、異邦人の話を聞き及びましてな。捕えてくるべしと。」
カネミノはにこりと笑う。
「スギノ殿。そなた、異界の知識にて今の地位を築いたのではござらんか。」
いたしかたなし。広瀬が拳銃を構えた。
「カネミノ殿。そのいしゆみを下げさせていただきたい。」
カネミノ「ヒロセ殿。それはピストル、ですな。鉛つぶてを飛ばす武器でありましょう。いや、実物をまのあたりにできるとは感極まるばかり。」
杉野が広瀬に耳うつ。
「大昔に我ら同様、流れ着いたどこかの国の軍人が持っていたのです。今も宮中に伝承されており、兵衛の者は皆、知識としては知っておるのです。」
「ヒロセ殿。それで私を撃ついとまに、それがしの共が二人をいしゆみにて射てしまいますぞ。無駄なこと。下げるべきはヒロセ殿のピストルでござろう。」
カネミノは豪胆に近寄ってくる。
不敵な笑み。
「ヒロセ殿。悪いようにはいたしませぬ。見ればなかなか高位の者の服を着ておられるようだ。ひとめ素朴に見える中に殿上人の意匠があしらわれておる。」
カネミノは広瀬の階級章などをまじまじ見て言った。
「ヒロセ殿の知識を、朝廷にてご活用いただけまいか。かのスギノはヒガツの海運、水運を随分と磨き栄えさせたものです。ヒロセ殿は武官とのこと。ぜひともお力添えいただければ。」
この男には脅しが通用しない。
また、構え続けることで供の者の不意の誤射があっては損である。
広瀬は拳銃をしまった。
「カネミノ殿。ヒガツでは人に頼みごとをするにあたってはまず、いしゆみで脅してからという習わしか。」
カネミノ「げに過ちでありましょうが、ヒロセ殿のその身なり。ピストルをお持ちと思いましてな。」
杉野「カネミノ殿、広瀬殿は元の世界に戻す手筈なのです。無理を言って残ってもらっても、協力は望めぬと思いますが。」
カネミノ「なに、いくさにて捕え連れてきた羅国の匠も最初はそうでも、今では朝廷にて骨惜しみすることなくはたらいておりますれば。」
しばし沈黙が流れた。
カネミノ「さて、いつまでもこのままというわけにはいきますまい。ヒロセ殿。行きましょう。再び申し上げまするが、悪いようにはいたしませぬ。
スギノ殿。娘御は深手を負っていると。ここで荒事はいかがなものかな。」
ここまでか。
広瀬は諦めた。杉野やツミネを犠牲にするわけにはいかない。
自分の知る知識を朝廷で活かせば、この世界ならば相応の地位、生活が望めるだろう。
そうやって暮らすうちに転移の機を練るよりほかあるまい。
そのとき、カネミノ達の動きが不自然に止まった。
まるで彫像のように。ぴたりと止まったのだ。
が・・・
う・・・
4人の呻く声だけが聞こえた。
杉野「カネミノ殿?」
「く・・・なにをした。」カネミノが声を絞り出す。
広瀬「これは法術では。まさか。」
広瀬があたりを見回した。そのまさかだった。
ツミネが身を起こし、こちらに向かってきていた。
「ツミ・・・ネ!無益なことを!」
カネミノが無理やり体を動かすが、ツミネが念じるや再び動けなくなる。
「このまま転移を行います。」
杉野「ツミネ!」
広瀬も杉野も感づいた。転移は一人では無理な法術。
つまり。
「カネミノ殿。宮中にお戻りいただきます。」
ツミネはよろよろ歩みながらカネミノに言い放った。
杉野「ツミネ、やめるのだ。今ならばまだ。広瀬少佐にも朝廷に務めていただこう。」
広瀬「そうだ、ツミネ殿。ことここにいたっては、これも定め。ツミネ殿、法術をといて詫びれば。いまならばなんとか!」
ツミネは右目を隠し、一気に念じる。それとともに手の隙間から鮮血がほとばしった。
「我らを追い返したところで、追捕はまた来よう。やめるのだ!」
・・・という声を残しカネミノ達は光とともに消え去った。
あっという間の出来事
呆然とする広瀬と杉野。
膝から崩れ落ちたツミネ。
主を失い、残された馬がいなないていた。