[刀剣乱夢] 燭台切光忠は主を甘やかしたい 作:himausa
第十四話 [つ] 繋がらないかもしれない
時の政府の歴史観測調査室。近侍の燭台切は部屋の外だ。中にいるのは自分と、時の政府の職員一人。
審神者証を示し、この部屋に通された。それが何を意味するのかわかる。
「調査結果が出ました」
「はい」
「審神者様の御家族は時間遡行によって生じた偽史上の存在の可能性がとても高い」
言われたことを飲み込むのに、時間がかかった。
「え?」
「審神者様はよい本丸運営をされておられますので、二つの道があります。このまま審神者として本丸運営を続けるか、やめるか」
「や、める?」
「その場合は、記憶を封じた後で、転生ということになります」
「そん、な、ことが」
事務的な言葉が、澱み、沈んでゆく。
「記録によれば、審神者様は御家族の存在を目的として着任されています」
「ひと月後、ご回答ください」
淡々と職員は言って、部屋を出て行った。入れ替わりに、燭台切が入ってくる。
「主くんっ」
呆然としている自分の前に膝をつく。
「何言われたの!?」
答えられなかった、震える手を取り、摩ってくれる燭台切はひどく心配そうだ。流れ込んでくる彼の神力が、落ち着かせようとしてくれているのがわかる。
可能性は、考えないでもなかった。
ずっと、ずっと、拾われただけ、たまたま審神者になれただけ、それだけ。
「……本丸に、帰ります」
「大丈夫? 立てる?」
「大丈夫です」
無理矢理に立ち上がると、燭台切にそっと腕を取られた。
「無理しなくていいから、僕に体を預けていいからね」
「ありがとう、ございます」
自分でも呑み込めていないのに、誰かに話すことなんてできなかった。
でも、本丸では待っているだろう。心配しているだろう。
「……どうしよう……」
「主くん?」
燭台切の心配そうな声音にはっとする。心配をかけてしまう。背筋を伸ばし、彼を見上げて、口元に笑みを作った。
「大丈夫、です」
「本当に?」
「はい」
どう、話したらいいのだろう。私が、偽史の人間かもしれない、なんて。
本丸へ戻る道中、ほとんど何も話さなかった。燭台切も無理に聞こうとはしない。
ただ離れないように隣を歩いてくれる。それだけがありがたかった。
転移の光が消えて、本丸の門が見えた瞬間。いつもの景色のはずなのに、急に遠く感じた。
ここは私の帰る場所だったはずだ。
そう思っていた。
本丸へ入ると、帰還を知った刀剣男士たちが集まってくる。
「主!」
皆が心配そうにこちらを見る。
優しい顔ばかりだ。
自分のために戦ってくれた人たち。自分を支えてくれた人たち。家族みたいだと思ってしまった人たち。
その瞬間、思った。
(ああ)
(もし、本当に偽史だったら)
(私は彼らを何のために戦わせていたのだろう)
ぎゅっと拳を握る。
違う。
皆を不安にさせたいわけじゃない。
だから、せめて泣かないように、震えを押さえて。
「その、歴史観測の結果が、出ました」
ざわり、と空気が揺れる。
「でも、今日は少し疲れたので」
「明日、お話しします」
嘘ではない。本当に疲れている。何も考えられないくらい。
「だから今日は」
声が少しだけ震えた。
「少しだけ、一人にしてください」
執務室に入って、いつもの仕事机に向き合って、ぼんやりとする。
まだ、いろいろと自分で呑み込めていないから。
通知のランプに気づく。ああ、時の政府から。今日の日課は終わらせてあるから、さっきのことかな、と。
私は、審神者、だから。
審神者、歴史を守るために、刀剣男士を顕現し、その力を奮う。
歴史を、守る。守ってきたつもりだった。だって、これ以上歴史が変わったら、もっと家族を取り戻せなくなるから。
その取り戻したかった歴史は、偽物だったかもしれない。その可能性が高い。
じゃあ、自分はいったい何者なのだろう。どうして、ここにいるのだろう。審神者になっているのだろう。
そんな風に思考がぐるぐると回る。
誰かに、相談した方がいいとは思う。でも、どう話せばいいのか。
私は、ニセモノの歴史の人間でした、なんて、言えるわけない。
前触れなく障子が開き、盆を持った山姥切国広が、私の前に置く。
お茶と、おにぎり。
「食べろ」
ふるふると首を振る。
「茶を飲め」
手を伸ばす。でも、その手前で、手が止まる。震えているのが自分でも分かった。
「……食べ終わるまで、ここで待つ」
そうして、彼はそこに座ったまま、じっと見つめてくる。
ニセモノ、じゃない。山姥切国広は、山姥切長義の美しさに魅せられた、堀川国広という刀工が打ちあげた最高傑作だ。
私とは、違う。
目を伏せる。今の私に、彼はまぶしすぎた。
山姥切国広を顕現した最初、彼は自分は写しだといった。本物には叶わない、だから、綺麗だとかは自分に言うなと。
最初の頃、私はささいなことで泣いていて、そういうとき、山姥切はこうしておにぎりとお茶をもってきて、ずっとそばにいてくれた。
「山姥切、さん」
「なんだ」
「なんだか、懐かしいです」
「そうだな」
「私、よく泣いてました」
「ああ」
「このおにぎりとお茶も、いつも用意してくれて」
「人間は食事をする必要がある」
「はい」
「食事をできるなら、生きることができる」
「はい」
「生きて、家族を取り戻すと言ったのは、おまえだ」
「……そうでしたね」
「まずは、食べろ」
おにぎりを手に取る。小さく一口をかじる。あの頃と同じ味。
「やっぱり、ちょっとしょっぱいです」
かすかに笑ったら、山姥切は内心で息を吐いた。
「あの頃よりしょっぱくはないはずだ」
「そうですか?」
「前は、泣きながら食べていた」
「……そうでしたね」
おにぎりとお茶が無くなったところで、山姥切は立ち上がった。
「布は必要か」
ふるふると首を振ると、そのまま山姥切は出て行った。
また一人になって、ふと政府の通知を思い出した。
通知の内容はやはり観測結果で、あの時よりももっと詳細だった。
それこそ、父母の出会いでさえも、時間遡行軍の行動の影響がある可能性が高い。
正史では、父母に接点はない。そうなると、家族は存在しなかったことになる。
途中まで見て、通知を閉じた。
ひと月、考える時間をくれたのは、まだ優しい方だろう。
選択できるのも、これまでの自分がやってきた結果なのだろう。
本当なら、すぐにでも本丸を解体して、私は正史通りにならなければいけない。
でも、思い出すのは自分の本丸の刀剣男士たち。
ずっと心配をかけ続けてきた。
それなのに、また、私は。
『審神者らしくない』
かつての言葉が突き刺さる。
審神者どころか、存在すらしなかったのなら、仕方ない。
「主くん」
障子が開く。大好きな人がそこで心配を隠して微笑んでいる。
「月が出るよ」
そういって、私の手を引いて、いつもの場所へと導いた。
手を引かれて縁側へ向かう。
いつもと同じ道。いつもと同じ月。いつもと同じ燭台切。
なのに、世界だけが変わってしまった気がした。
座布団の上に、腰を下ろす。燭台切が隣へ座る。
いつもなら月を見る。
今日は見られなかった。
ただ膝の上の手を見つめる。
その指先へ、そっと温かいものが触れた。
燭台切の手だった。
握るわけではない。指先が少し触れているだけ。
逃げようと思えば逃げられる距離。
でも、そこにいる。離れない。
それだけが伝わってくる。
「……燭台切さん」
「うん」
返事はいつも通りだった。
優しくて、少し低くて、安心する声。
「もし」
言葉が止まる。
続かない。
続けられない。
それでも、燭台切は急かさない。
「もし」
もう一度。
「もし、自分がいなかったことになったら」
ようやく出た言葉に、燭台切の指先がわずかに強く触れた。
それ以上言葉をつづけられなくて、口を閉じた。目から一筋涙が流れ落ちる。
「君はここにいるよ」
そっと燭台切が肩を抱き寄せる。
「ここにいる」
何も言えずにいると、その目を燭台切の手が覆い隠す。
「つ、きが、みえま、せん」
「うん、僕が隠してる」
「みえない、です」
「うん」
燭台切の手のひらが視界を覆う。
月は見えない。庭も見えない。何も見えない。
見えるのはただ暗闇だけ。
けれど、不思議と怖くなかった。そこに燭台切がいると分かるから。
肩を抱く腕の重みも、指先から伝わる温かさも、全部知っているものだから。
「泣いて、いいよ」
優しい声が降ってくる。
首を振って返す。
「だめ、です」
「どうして」
「だって」
声が掠れる。
「わたし」
続かない。喉が詰まる。
「まだ、なにも」
「うん」
「なにも、わからなくて」
「うん」
「それなのに」
涙が溢れる。
「つらいんです」
ようやく出た本音だった。
家族を失ったわけじゃない。まだ決まったわけでもない。本当に偽史かどうかだって分からない。
なのに苦しい、怖い、泣きたい。そんな自分が嫌だった。
「わたし」
震える声で続ける。
「どうしたらいいか」
分からない。
言おうとして。
その前に、ぐっと肩が抱き寄せられた。
「分からなくていい」
驚いて顔を上げようとして、まだ目は隠されたままだからできなくて。
「でも」
「分からなくていい」
もう一度、今度は少し強く。
「一人で答えを出さなくていい」
目を隠したまま、燭台切が囁く。
「君はひとりじゃない」
「山姥切くんや乱くん、薬研くんたちも、君の刀剣男士たちもいる」
「僕がいるのがわかる?」
こくりとうなづく。
「君が格好いいと言ってくれた、好きだと言ってくれた、燭台切光忠は君の隣にいるよ」
その声は穏やかだった。
いつもと同じ。
だから余計に涙が止まらない。
「……でも」
小さな声が漏れる。
「でも、もし」
言葉が震える。
「もし、私が」
そこから先が言えない。
でも、燭台切は急かさなかった。
ただ待ってくれた。自分の言葉で話すのを。
「私が、いてはいけない人だったら」
やっと零れた。
燭台切の腕がぴくりと動く。けれど離れない。むしろ更に抱き寄せられる。
「君はさ」
静かな声だった。
「本当に不思議だよね」
「……え」
「そういう時、いつも自分を後回しにする」
返事ができないのは、自覚がなかったから。
「君は今、自分がいてはいけない人かもしれないって悩んでる」
「……はい」
「でも僕が聞いてるのはそこじゃない」
燭台切の声が少しだけ低くなる。
「君はどうしたいの」
「家族を諦めたいの?」
首が横に振る。
「本丸を解散したいの?」
今度はもっと強く横に振る。
「僕たちと離れたいの?」
息を呑む音がした。
そして。
「……やです」
小さな声で、消えてしまいそうな声で。
それでも確かに。
「やです」
もう一度。
「やだ」
涙声になった。
「やです……」
燭台切が深く息を吐いた。
「うん」
優しい声音で頷いて、そっと前髪へ口づけてきた。
「じゃあ、まだ終わってないよ」
零れ落ちる涙を全部受け止めてくれる。
その優しさがこんな時なのに嬉しくて、辛い。
感情がごちゃごちゃで、止まらない。
目を塞がれたまま、続ける。
「わ、たしは」
「好き、と言ったことを後悔はしません」
「ただ、私みたいな人を作りたくない、です」
しょんぼりと肩が落ちる。
燭台切は少しの間をおいて、手を離して、涙で濡れた顔を見つめてくる。
それから、そっと頭に手を置いた。
「君らしいなあ」
「え」
「そういうところ」
優しく撫でられる。少し乱れた髪を整えるみたいに。
「普通はね」
燭台切が苦笑する。
「自分が消えるかもしれないって聞いたら、自分のことを心配するものなんだよ」
「……そう、ですか」
「そうだよ」
そこで、はっきりと告げる。
「でも君は違う」
「自分より先に、知らない誰かのことを考えてる」
目を伏せたのは、否定できないから。
「だって」
ぽつりと零す。
「私、苦しかったので」
燭台切の手が止まる。
「だから」
ぎゅっと拳を握る。
「誰にも、こんな思いは……」
燭台切は少しだけ目を閉じていた。
「君は優しいね」
「優しくないです」
それには即座に返す。
「優しかったら、皆さんを戦わせたり、しません」
声が小さくなる。
「それは違う」
今度は燭台切が即答した。
顔を上げる。
「違うよ」
真っ直ぐな声だった。
「君は僕たちに命令したことなんてない」
「お願いしただけだ」
息を呑む。
「力を貸してくださいって」
「一緒に戦ってくださいって」
「歴史を守りたいんですって」
燭台切は笑った。
「だから僕たちはここにいる」
「……でも」
「それに」
燭台切が少し身を乗り出す。
「君、勘違いしてる」
「え」
「僕は好きな人のためなら戦うよ」
「っ」
「むしろ喜んで」
「しょ、燭台切さん」
「うん?」
「今、その話じゃ」
「そうかな」
楽しそうに笑う。さっきまで泣いていたのに、頬が少しだけ熱くなる。
「君が自分を責め始めたから、話を戻しただけだけど」
「ずるいです」
「知ってる」
燭台切はそう言って微笑んだ。
燭台切がそっと頭をなでる。髪に触れる。髪を持ち上げて、口づける。
「しょ、くだい、きり、さん」
「ん?」
「い、いま、そんな場合じゃ」
「今は、そういう場合でしょ」
「え」
「だって、二人きりにしてくれてる」
「えっ」
「僕が、君を甘やかす時間」
ひょいと燭台切の膝に乗せられる。
「今は、僕のことだけ考えて」
「っ!?」
思わず肩を震わせる。
「だ、だって」
「だって?」
「私、ちゃんと考えないと」
「うん」
「ひと月しか」
「あるよ」
即答に目を瞬く。
「ひと月もある」
「でも」
「それに、君一人で考える必要なんてない」
燭台切は額をこつりと合わせてきた。互いの瞳が近くなる。
「君はね、すぐ一人で抱え込む」
「……」
「ずっと前から」
反論できない。家族を失った時も、審神者になった時も、ずっとそうだった。
誰も頼る人はいなかったから。独りだったから。
「でも、今回は違う」
「違いません」
「違うよ」
燭台切は微笑む。
「だって今は僕がいる」
その言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。
「君が泣いても、迷っても、立ち止まっても」
「僕は隣にいる」
当たり前のように言う。それがどれほど救いになるのか、この人はわかっているのだろうか。
「もし」
燭台切が続ける。
「もし本当に君の家族が偽史だったとしても」
「君が生きてきた時間まで偽物にはならない」
審神者が息を呑む。
「君がお父さんと月を見たことも」
「お母さんにカクテルを作ったことも」
「君が泣いて、笑って、ここまで来たことも」
「誰にも消せない」
優しい声だった。
優しいのに、逃げ場のない声だった。
「でも」
身体も声も震える。
「でも、私は」
「うん」
「いない方が」
「それは駄目」
初めて、燭台切が強い声を出した。目を見開く。
「それだけは聞けない」
「君がいない方がいいなんて、そんなことだけは」
「絶対に認めない」
抱き寄せる腕に力がこもる。痛くない程度に。でも逃げられないくらいに。
「僕はね」
燭台切は額を外して、肩に顔を埋めてきた。
「ようやく君を見つけたんだ」
ぽつりと零れた本音。
「だから勝手に消えようとしないで」
止まっていたのに、目から再び涙がこぼれる。
この人は、自分の傷よりも先に、自分の不安よりも先に、私を守ろうとする。優しい人だ。
「主くん」
「……はい」
「約束して」
「……約束」
「答えを出す前に」
燭台切はゆっくりと言う。
「僕に相談すること」
「山姥切くんにも、薬研くんにも、みんなにも」
「一人で決めないこと」
「……」
「できる?」
全部ひとりでしなければいけないと思っていた。
だって、これは自分の、個人的なことだから。
でも、頼ってほしいという。
ここは私の居場所だから、勝手に決めないでほしいと。
しばらく黙り込んだ。
考えて考えて、頷いた。燭台切の胸元を握る。
「……がんばります」
「うん」
「約束は?」
「……します」
その答えに、燭台切はやっと少しだけ安心したようだった。
燭台切の腕の中で、不安そうに夜空を見上げる主を見つめる。
その手はしっかりと燭台切の胸元を掴んでいる。
本当は全然安心していない。
この子は約束しても無茶をする。一人で抱える。自分を後回しにする。
知っている。だから。
(ひと月か)
燭台切は静かに目を細めた。
(なら、そのひと月で絶対に見つける)
(君がここにいていい理由を)
燭台切を見上げてくる彼女の頭を撫でる。不安が少しだけ和らぐのか、彼女はそっと目を閉じた。
夜空を見上げても、今夜は新月でそこには星の光しかない。
今度は自分が取り戻す番だ。
たとえ政府が見落としていても。
たとえ世界中を探すことになっても。
彼女が家族を取り戻したいと願ったように。
――僕には君が必要だから。