[刀剣乱夢] 燭台切光忠は主を甘やかしたい 作:himausa
数日後の報告で、長義が訊ねてきた。
「主に聞きたいことがある」
「なんでしょうか?」
何か伝えていないことがあっただろうかと身構えるのに対し、長義が一瞬、燭台切に視線を向けた。
それから、少し言いづらそうに咳払いをして続ける。
「審神者になって少し経った頃、時の政府から縁談の話があっただろう」
「え? ありませんけど」
声が素で裏返る。
その反応に、長義がほんのわずか眉を動かす。
「……国広」
「ある」
さらっと国広が言った。
「薬研たちと相談して、当時、主には知らせずに破棄した」
「な、なんでそんなこと!?」
思わず声を上げる。
しかし、国広は淡々としている。
「あんたにそんな余裕はなかっただろう」
「それは……」
二人の会話に長義が入り込む。
「縁談は、主を“審神者として安定させるための人材”としてのものだった可能性がある」
空気が少しだけ変わる。
長義は一度だけ視線を逸らす。
「時の政府は“優秀な個体”を安定させるために、環境を調整することがあるんだ」
国広が短く言う。
「今の主は、調整対象じゃない」
対して、長義が被せる。
「ああ。ただし、面倒な話だが、まだ“観測対象”ではある」
「観測、ですか」
「そういう連中がいる、ということだ」
三人が沈黙する中、燭台切が静かに一歩前に出る気配がする。
「……つまり、まだ終わってないってことだね」
長義は短く頷いた。
「そうだ」
そして少しだけ、目を細める。
「だから呼んだ。作戦会議をするためにな」
しばらく言葉を失っていた。
「……観測、対象」
小さく繰り返す。
上手く言葉が飲み込めない。
何を観測するのか。それは、個人の歴史。
「連中にとって、主は“扱いやすい個体”だ。感情じゃなく、結果で見る」
指がわずかに震える。隣で、燭台切がそっと肩に手を置いた。
「君は、ここにいるよ」
その一言で、少しだけ呼吸が戻る。
長義が一枚の紙を置いた。
「これが再調査の手掛かりになる可能性がある」
「手掛かり、ですか?」
覗き込むと、そこには古い出陣記録の写しのようなものが並んでいた。
だが、その一部にだけ、妙な空白がある。
「ここだ」
長義が指先で示す。
「この時期の記録だけ、出典が二重になっている。政府の公式ログと、本丸報告が一致していない」
「そんなこと……」
「普通は起きない」
きっぱりと言い切る。
国広が補足するように言う。
「薬研も違和感を持っていた。だが当時は優先度が低かった」
「今なら、意味が変わる」
長義の声が低くなる。
「もし“偽史”があったとしても、それが単純な上書きじゃない可能性がある」
息を止めたまま、紙を見つめる。
「じゃあ……私は……」
その言葉は途中で途切れた。
誰もすぐには答えない。
燭台切が、ゆっくりと言う。
「まだ、分からない」
「でも」
声がかすれる。
「でも、“ない可能性が高い”って」
長義が遮る。
「高い、だけだ」
その言い方は冷たいようでいて、妙に正確だった。
「確定じゃない」
沈黙が落ちる。
その間に、国広が静かに言う。
「ならば、調べるだけだ」
それだけだった。
単純で、揺らがない言葉。
少しだけ目を伏せる。
「……私は」
言いかけて、止まる。まだ言葉にならない。
そのとき、燭台切が少しだけ身を寄せた。
「まだ、決めなくていい」
「……でも」
「でも、じゃないよ」
やわらかく、けれど逃がさない声だった。
長義がそれを見て、鼻で笑う。
「まったく、囲い込みが上手いな」
「褒め言葉として受け取るよ」
「勝手にしろ」
だがその目は、否定していなかった。
国広が最後に言う。
「これからだ」
ゆっくりと息を吐いた。
まだ何も解決していないのに、少なくとも“ひとりではない場所”に戻ってきている。
それだけは、確かだった。
夜闇の中、三日月がグラスの中で揺れている。空ではなく、ただそれを見つめていた。
時々揺らすと、すぐに消えてしまう。そんな不安定な月。
「主くん」
隣を見ると、燭台切が困ったような顔で、頬に手を伸ばしてきた。
「聞いてほしい?」
問いかけられて、一度目を閉じる。
いつもいつも、こうして聞いてくれる燭台切に、助けられている。
「私、甘えてばかりですね」
「いいんだよ、それで」
「……いいんでしょうか……」
親指が頬をくすぐり、他の指で耳を撫でられる。
「僕はね、正直ほっとしてる」
「え?」
「だって、君とこうして一緒に月を見られなかったかもしれないし」
慈しむ金色が、奥底まで溶かそうとしてくる。
目を閉じて、その手に頬を摺り寄せる。
「そう、ですね」
「私も、それは……」
思い出す。今までのこと。
燭台切は、忘れかけていた家族の思い出を取り戻してくれる。
ずっと、そうだ。ウィスキーも、母の声も、特別なデザートも。
「私、母や父みたいになれたら、幸せだと思います」
「一緒に年を重ねて、お互いを思いやって」
「そんな人となら、きっと幸せなんでしょうね」
目を開いて、燭台切を見つめる。
もの言いたげな瞳に苦笑する。
「大丈夫です、燭台切さん」
燭台切の手に手を重ねる。
「今は今のことを」
「それが終わったら、一緒に考えていただけますか?」
一瞬息をのんだ燭台切が、空いた手を彷徨わせる。
「いいの?」
迷っている可愛い人。その胸にもたれる。
そうすると、腕が身体に回されて、抱きしめられる。
心地の良い腕の中、ほうと息を吐く。
「一人では決めない、でしょう?」
「一緒に決めたいです」
上から、安堵の息が降ってきた。
「……ありがとう……」
囁くような言葉に、私も小さく返した。
「私の方こそ、ありがとうございます」
別れるために、想いを告げたわけじゃない。
もうとっくにこの腕を手放せなくなっているのは、私の方なのだから。
数日後、長義からの定期報告中。突然、ディスプレイに入電が入った。
時の政府から特命調査やイベントの連絡は入っていない。
「…せ…んぱ…」
「…長義先輩、聞こえます、か…」
少しノイズ交じりなのは、本丸の結界に通信が阻害されるからだろう。
一言断り、両手を組んで、目を閉じ、心落ち着かせる。回線をつなぐのは、時の政府側と審神者側、両方での調節が必要だから。
ノイズが収まり、そこには見たことのない刀剣男士の姿が映っていた。演練では見かけるが、この本丸にはいない刀剣男士だ。
「ああ、聞こえているよ、水心子正秀」
穏やかな声音で長義が答えた。
「よかった! ほら、繋がったぞ、清麿!」
「流石水心子、と言いたいところだけど、さっさとした方がいいね」
「ああ」
向こう側にもう一人いるらしいが、姿は見えない。
「挨拶は省略させてもらう」
「先輩、頼まれていた件について、連絡を繋げさせていただきました」
その一瞬で、執務室の空気が少しだけ変わる。
息を呑んだまま、その映像を見つめる。
「……頼まれていた、件?」
長義がわずかに視線を動かした。
「そうだ。こっちの事情で少し手を借りた」
長義の説明を待たずに告げる水心子正秀の声は、真面目でやや固い。
「先輩、こちらの回線は長時間維持できません。簡潔にいきます」
その横から、別の声が割り込む。
「手短にね。長義、例の“記録の不一致”の件だろ」
「清麿、余計な口を挟むな」
「はいはい」
やりとりを、どこか現実感の薄いまま聞いていた。
彼らは時の政府所属の刀剣男士なのだろう。
――時の政府。
その単語が、急に重さを持って落ちてくる。
長義が応える。
「結論だけでいい。見える範囲で構わない」
「承知しました」
水心子が一度だけ目を閉じたのが見えた。
「政府記録照合システムへのアクセスを行いました。対象期間——審神者番号○○○の履歴」
「……それで?」
水心子の声がわずかに緊張する。
「結論から申し上げます」
一拍。
通信のノイズが、ほんの少しだけ強くなる。
「該当期間の一部ログに、“欠損”があります」
執務室の空気が止まった。
自分の指先がわずかに動きかけるのを抑える。
「欠損?」
長義が確認する。
「はい。記録が“消えている”のではなく、“存在していない状態にされている”可能性が高いです」
「……つまり?」
長義が低く問う。
水心子は言葉を選ぶように、続けた。
「最初から、その出来事が“なかったこと”として成立するように、履歴が組み直されています」
沈黙。
燭台切が、わずかに息を吸う音がした。
「それは……」
口をはさんではいけないと思いつつ、小さく声を漏れてしまった。
「私の家族のことも……?」
水心子は一瞬だけ言葉を止める。
そして、静かに答えた。
「その可能性を否定できません」
その言葉は、断定ではなかった。
だからこそ、逃げ場もなかった。
国広が小さく舌打ちしている。
「……やはり、そうか」
長義は目を細めたまま、通信を見ている。
「水心子」
「はい」
「その“欠損”は誰が作れる」
一瞬の間の後、水心子の声が、わずかに低くなる。
「現場権限では不可能です。上位システム、あるいは——」
言いかけて、そこで止まる。
「あるいは?」
長義が促す。
水心子は、はっきりと言った。
「時の政府“中枢”レベルの干渉が必要です」
その瞬間、執務室の空気が一段重くなった。
ゆっくりと視線を落とす。自分の足元が、少し遠く感じる。
それを止めるように、燭台切がすぐに肩に手を置いた。
「主くん」
その手と声で、ようやく自分を現実に繋ぎ止められる。
長義が通信越しに言う。
「ありがとう。十分だ」
「いえ、まだ続きがあります」
水心子の声が止まらない。
「欠損データの周辺に、“不自然な整合性修正履歴”が複数確認されています」
「どういうことだ」
国広が問う。
水心子は一拍置いて、言った。
「誰かが、“特定の歴史そのものを成立させるために調整している”可能性があります」
その言葉で、完全に静まり返った。
最後に、水心子は少しだけ声を落とす。
「長義先輩。この案件、想定よりも深いです」
長義は短く答えた。
「ああ、分かってる」
通信がノイズに飲まれていく。
最後に残ったのは、水心子の声だけだった。
「……引き続き…査を続行…ま……」
そして、途切れた。
執務室に、沈黙が戻る。
その中で、しばらく動けなかった。
燭台切が静かに言う。
「……まだ、“なくなった”とは言われてないね」
長義が低く答える。
「むしろ逆だ」
国広が短く続ける。
「“作られている”」
その言葉だけが、部屋の中に残った。
目の前で議論がなされているのを、私は少しぼんやりとみていた。
先にそれに気づいたのは燭台切だった。
「皆、少し休憩しよう」
「今はそれどころでは」
「ね、主くんも休んだ方がいい」
ゆっくりと燭台切を見ると、微笑みながらうなづくので。こくりと頷いた。
その小さな頷きを見て、場の空気がわずかに緩む。
長義が軽く肩をすくめた。
「……休憩、か。まあ、思考を整理する時間は必要だな」
「賛成だ」
国広も短く続ける。
議論は一度そこで区切られた。
休憩をはさんで、会議を再開したものの。
上の空になってしまうのは止められなかった。
休憩中に、情報過多でキャパオーバーになっていると、長義が言っていた。
その通りなのだろう。
目の前で話をする刀剣男士たちを見ているはずなのに。
思考の中では、家族の姿を思い出していた。
(お父さん、お母さん、私は…)
朝食を食べている時、のんびりしている父親の顔。
遅くなるわよ、と困ったように笑う母親の顔。
(……あれ? 顔が、わかる)
しばらく思い出せなったはずなのに。
(そうだ)
脳裏に、何かの映像が過ぎる。
(何か、残した)
(どこだっけ)
思い出せない。でも、どうしても確かめなければいけない気がした。
ふらり、と立ち上がり、部屋を出て行ったことに誰も気づかなかった。
自室に戻り、部屋の本棚を見る。ない。
枕の下。ない。
(どこに、何を、しまった?)
「主くん?」
燭台切の声にも気づかず、部屋の中を何かを探していた。なにを。
(そうだ、写真だ)
(一枚だけ、隠した)
見つからないように、絶対に取り上げられないように。
入口の畳を持ち上げる。
「僕が」
「え、燭台切さん?」
隣から畳に手をかけられ、初めて燭台切に気づいて目を丸くする。
「これをもちあげるんだね?」
「は、はい」
持ち上げられた畳の下、ない。
万が一にも見つからない場所。
いつも寝ている布団の下。
「こっち、かも」
「オーケー」
そうして持ち上げた畳の下から、一枚の古い印刷が出てきた。
写真館でとったと思われる、家族の写真。
「これだ…」
顔を上げると、部屋の外に皆が集まっていて、びくりと体を震わせる。
「あ、私…」
「それは?」
謝る前に、部屋の外で長義が問いただす。
「こ、これは」
写真を、自分の胸に押し付けるように、大切に抱きしめた。
「私の家族の、写真、です」
「なに?」
「審神者になる前に、一枚だけ隠しておきました。他は全部ないんですけど」
皆が息をのむのが分かった。
一拍を置いて、長義が固い声で言う。
「見せてくれるか」
長義の言葉に、ぎゅっと写真を抱きしめる。
一瞬だけ迷う。
けれど。
「……はい」
恐る恐る差し出した。
古い写真。父と母。そして幼い自分。
写真館で撮った一枚だ。
長義は受け取り、静かに眺める。
その隣から国広も覗き込んだ。
燭台切はそっと肩に手を置いて、言ってくれる。
「大丈夫」
小さく頷く。
その間も長義は無言だった。
珍しく。
妙に長い沈黙。
やがて。
「……これは」
ぽつりと呟く。
「え?」
顔を上げる。
長義は写真をもう一度見た。
そして。
「国広」
「なんだ」
「主は、兄弟がいなかったと聞いていたが」
部屋の空気が変わる。
燭台切の表情も引き締まった。
「そうだ」
国広が頷く。
長義は写真の一角を指さした。
「この子供」
「え?」
目を見開く。
そこには父と母の間で笑う自分。
その隣に、もう一人。小さな男の子が写っていた。
「……誰」
自分の声とは思えなかった。
「誰、ですか、この子」
写真の中で、父が肩を抱いている少年は、まるで最初からそこにいたかのように自然に笑っていた。
「私、一人っ子です」
誰も何も言えない。
写真だけが。
違う歴史を映していた。
皆で執務室に戻る。
中央に写真を置いて、皆で囲む。でも、しっかりと写真の端を自分の手で押さえる。
「急に、すいません」
「なんだか、急にこれのことを思い出して」
「すっかり忘れていました」
刀剣男士たちに視線を向けられたのは、山姥切国広。審神者の初期を知っている唯一の刀剣男士だ。
「俺も知らなかった」
私は写真を見つめる。見ていると、思い出して、目元が柔らかくなる気がした。
「本当は何も持ち出してはいけないと言われていたんです」
「だから、隠して、写真のことを忘れるように自分に暗示をかけました」
「これは中学の卒業記念に撮った写真、です」
写真の中の少女は何の憂いもなく、恥ずかしそうに、はにかんだ笑顔だ。実際、珍しいのだと思う。あの頃、周りに写真館でわざわざ記念写真を撮る人なんてほとんどいなかった。
写真を見ているだけで、思い出があふれる。あふれる、のに。
視線がそっともう一人に向かう。
「この子、誰だろう…」
長義が静かに言う。
「弟、かもしれないな」
それに対し、首を横に振った。
「違います」
皆が少し驚いたのがわかる。何しろ、さっきまで迷っていたから。
「私、一人っ子です」
写真を見つめる。
幼い男の子。知らない顔。
なのに。
その隣の父の顔は覚えている。
母のブローチも覚えている。
写真館の匂いも。
撮影前に髪を直されたことも。
帰りに寄ったファミレスも。
食べたケーキも。
全部、全部覚えている。
「この日のこと、覚えてます」
ぽつりと零れる。
「写真館の人が、お父さんにもっと笑ってくださいって言ったんです」
「お父さん、写真苦手だったから」
「それでお母さんが笑って」
「私も笑って」
懐かしさに目を細める。
「でも」
写真へ視線が落ちる。
「この子はいませんでした」
静まり返る部屋。
「いたなら覚えてます」
「だって家族ですから」
その言葉に、長義の目が細くなる。
「なるほど」
長義は写真から目を離さない。
「記憶の欠損ではないな」
「え?」
「少なくとも、この写真を撮った日の記憶ははっきりしているわけだ」
長義の声は冷静だった。
「写真館」
「ブローチ」
「ファミレス」
「ケーキ」
「父親の勤務形態」
「卒業式の翌日」
「矛盾は見当たらない」
瞬きをしていると、長義が続けた。
「だが、この子供だけ、不自然だ」
長義は写真の少年を指差した。
「この子供がいる歴史と、いない歴史が存在した」
「そして時の政府は、その差異を見落としている可能性がある」
部屋の空気が一変する。
絶望から、初めて希望へ向かう方向に。ほんの少しだけ。
「時の政府の観測は時に大雑把だ。歴史のメインストーリーを守ることが重要だからな」
長義は写真を指先で軽く叩く。
「それに、人間一人一人の歴史は記録として残されない」
「審神者、もしくはその素養のある人間は観測されているが、いちいち微細な歴史は残されない」
静かな声が続く。
「主、あなたの生きる歴史には、複数のストーリーがあるんだろう」
そう言って、長義はかすかに微笑んだ。
監査官としての顔ではない。この本丸の刀剣男士としての顔だった。
思わず写真を見下ろす。
父。母。自分。
その隣の知らない少年。
「複数、の……」
「可能性だ」
長義は即座に言い直す。
「まだ何も証明されていない」
「だが」
鋭い試験が真っ直ぐ見てくる。
「君の記憶は破綻していない」
「写真も存在している」
「政府の報告書とも矛盾が生じている」
「なら調べる価値はある」
その言葉に、写真を押える指に力を込めた。
調べる価値がある。
たったそれだけの言葉なのに、昨日までとは全く違って聞こえた。
昨日までは、何の希望も見つからなかった。
けれど。
「……まだ」
声が震える。
「まだ、終わってない……?」
「終わらせるには早いな」
長義は肩を竦めた。
「少なくとも俺は納得していない」
その隣で国広が静かに頷く。
「俺もだ」
「山姥切さん……」
そのまま続ける。
「主、あんたが納得していないだろう」
短い言葉だった。
けれど、思わず目を見開く。
国広はずっと知っている。
泣き虫だった頃も。家族を取り戻したいと願った日も。審神者になった日も。全部。
だからこそ言う。
「諦めるのは、全部調べてからでいい」
そこで燭台切がふっと笑う。
「そういうことだね」
いつの間にか肩に回されていた手が、そっと背中を撫でた。
「政府が終わりだと言ったから終わり、なんて」
少しだけ意地の悪い笑みを浮かべる。
「僕の主くんは言わないと思うな」
その瞬間、泣きそうになる。
写真の中には知らない弟がいる。
政府の報告書は矛盾している。
でも、諦めるな、と言ってくれる人がいる。
写真の上に一滴だけ涙が落ちた。
今度の涙は、昨日の絶望とは少し違うものだった。
部屋の中が静まり返る。
「……知りたいです」
静かな部屋で、声は小さいけれど、誰の耳にも届いた。
「私は」
一度目を閉じる。
「逃げたくない」
もう一度写真を見る。
「お父さんとお母さんのことも」
「この子のことも」
「私自身のことも」
そして顔を上げる。
「調べたいです」
その言葉に、燭台切が少しだけ笑った。
長義も小さく頷く。
国広は何も言わない。ただ、いつの間にか握り締めていた拳を静かにほどいていた。
――こうして。
終わったはずだった調査は、本当の意味で始まることになった。
本当はそのまま続けたいところだったが、薬研がストップをかけた。
「明日からにしねえか」
「もう日も暮れるし。大将も限界だろ」
いつものように、冗談みたいに笑いながら。
彼なりに、主の気持ちを慮って、軽くしようとしている。
「燭台切」
指名された燭台切は、主を抱き上げた。
「え」
「明日だって」
「でも」
主が言い募る間に、一人また一人と部屋を出て行ってしまう。
「でも……」
「落ち着いて」
燭台切は主の頭を、自分の胸に押し付ける。そのまま髪をそっと撫でる。
「急がなくていい」
「でも……」
「さっきも、急にいなくなるから驚いたよ」
わざと責めるように告げる。
「一言、言ってほしかったな」
「ご、ごめんなさい」
「うん」
胸の中、顔を上げた彼女の目に、燭台切が映る。
「あの」
「何も言わないで」
「……燭台切さん……」
「今夜は月もウィスキーも無しだよ」
迷う彼女と額を合わせる。
「薬研くんにも言われたからね」
「今日はもう寝ること」
不安そうな彼女に、軽くなるように言う。
「一人で寝れないなら、添い寝、する?」
びくりと身体を強張らせたのが分かった。
それから、徐々に顔が、耳が、身体が赤くなってゆく。
もちろん、冗談のつもりだった。
なのに。
「……はい」
「え?」
「え?」
赤い顔のまま、彼女が燭台切の胸元の布を握る。
「冗談、なんですか?」
不安そうな瞳のまま。
そんな顔で言われたら、もう冗談とは言えなかった。
執務室と主の自室の間の四畳半。
布団に入った主が、じっと燭台切を見つめる。
「……光忠、さん……」
ずるい。ここで、それはずるい。
同じ布団に入ると、彼女が胸元にぴとりと抱き着いてきた。
安堵の息が聞こえて。数秒もしないうちに、寝息に変わった。
安心してくれるのは嬉しい。
でも、これは。これは。
(言うんじゃなかった……)
さすがに、今夜は眠れなそうだ。