[刀剣乱夢] 燭台切光忠は主を甘やかしたい   作:himausa

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第十七話 [さ] 支えたいだけなのに

時の政府からの通信があった数日後、本丸に訪問者があった。

時の政府の使い、ということだったが、来たのは、時の政府所属の刀剣男士、水心子正秀と源清麿。どちらも、この本丸にはいない刀剣男士だ。

燭台切は、二振りの顔を見た瞬間に空気が違うことを察した。

時の政府の刀剣男士であること以上に、「持ち込んではいけないもの」を抱えている目だった。

「通信では言えない。だから直接来た」

水心子正秀の言葉は短い。

「それだけ重要な案件だ」

源清麿が、補足するように言う。

「正確には、通信に載せると“消される可能性がある情報”だね」

燭台切の背筋に、微かに冷たいものが走る。

主は、膝の上で手を握っている。

山姥切国広の視線が、わずかに鋭くなる。

長義は最初から構えていたように、淡々と問う。

「つまり、秘匿ではなく“抹消対象”か」

水心子は一瞬だけ目を伏せ、それから頷いた。

「その可能性が高い」

清麿が資料を一枚だけ取り出す。

「まず前提として。観測記録の一部に“欠落”がある」

「欠落?」

国広が反応する。

「うん。正確には“存在しているのに、内容だけがない”状態」

清麿の声は静かだった。

「普通はありえない。記録は残るように作られているからね」

長義が小さく舌打ちする。

「なら、人為か」

水心子が続ける。

「さらに、同時期の閲覧履歴が一部消失している」

「誰が閲覧したか、という記録ごとだ」

部屋の温度が、少し下がる。

燭台切はその言葉を聞きながら、主の指先が震えているのに気づいた。

清麿が、最後に一枚だけ紙を置いた。

「それからもう一つ」

「観測記録の改竄に関与した可能性がある人物の中に」

一拍。

「この本丸の“審神者教育担当”の名前がある」

その瞬間、主の手から力が抜けかけた。燭台切は、反射的にそれを支える。主の呼吸が浅くなっていた。

長義が紙を奪うように取り、目を走らせる。

「……ふざけているな」

低い声だった。水心子は否定しない。

「断定はできない」

「だが記録上は、接点がある」

清麿が、静かに付け加える。

「そしてその接点のログだけが、きれいに薄い」

主の目が、一瞬だけ遠くを見る。

口がかすかに動いて、でも音にはならなかった。気づいたのは燭台切だけだ。

長義が呼ぶ。

「国広」

「なんだ」

「おまえ、主を連れて少し離れろ」

「なに?」

「休憩してこい」

その声が硬いと、国広も気づいたらしい。

何かある。しかも、主にはまだ聞かせたくない何かが。

「主」

国広が呼ぶ。

「でも」

「行くぞ」

珍しく強い口調だった。

主が戸惑いながら立ち上がる。燭台切も続こうとした。

「燭台切」

長義が呼び止める。

「あなたは残ってくれ」

燭台切の表情が変わる。

近侍として聞いておけという意味だ。

「……わかった」

国広が主を連れて出て、障子が閉まる音が、やけに重かった。

 

 

 

主と国広の気配が廊下に消えるまで、誰も口を開かなかった。

先に沈黙を破ったのは長義だ。

「……主には早い」

「同意だね」

水心子は即答する。

清麿は資料を指で弾く。

「でも、もう隠せる段階でもないと思う」

長義が顔を上げる。

「何を言う」

清麿は一度だけ間を置いた。そして、言った。

「これ、たぶん“選ばれてる”よ」

空気が止まる。水心子が即座に制する。

「清麿、それは仮説の域を出ない」

「分かってるよ」

清麿は軽く肩をすくめる。

「でも、全部つながるんだ」

 

「選抜履歴の欠落」

「教育担当の関与」

「閲覧ログの消失」

 

視線が一つずつ資料をなぞる。

「偶然にしては、揃いすぎてる」

長義の声が低くなる。

「それを“必然”にするな」

清麿は少しだけ笑った。

「必然じゃなくてもいいよ」

「ただ、そう計画された可能性がある、ってだけで」

その言葉に、水心子が静かに言う。

「そこまでだ」

だが、清麿は止まらない。

「もしそうならさ」

一拍。

「最初から、主って“こうなるように選ばれた存在”ってことになる」

沈黙の後、長義が言いかけた。

その時だった。燭台切が初めて口を開く。

「……そこまでにしておこうか」

声は穏やかだった。だが、熱がなかった。

清麿がちらりと見る。

燭台切は視線を外さない。

「今の段階で確定する必要はない」

「でも、これ以上は“主に持ち帰る情報”じゃない」

長義が短く息を吐く。

「……同意する」

水心子も頷く。

「まだ材料が足りない」

清麿だけが、少しだけ目を細める。

「足りないまま進むの、嫌いじゃないけどね」

その言葉を最後に、場はようやく落ち着いた。

ただ一人、燭台切だけが気づいていた。

主のいないこの場は、もう安全ではない。

そして、たぶん。

そこまで考えて、ふと気づいた。

今、主は山姥切国広――初期刀と共にいる。

部屋を出る前、主はやけに素直に部屋を出て行った。

長義が燭台切に残れと言った時も。何も。

ふっと、障子を見る。

それを長義が見咎める。

「どうした」

燭台切は、小さく呟いていた。

「……嫌な予感がする」

即座に長義が言う。

「考えすぎだ」

でも、燭台切は首を振った。

「主くんは、きっと止まらない」

「そのために国広をつけた」

「彼は、主くんが選んだ初期刀だ」

長義が黙った。

「もし主くんが、行く、というなら」

彼は、一人で行かせないために付いていくのではないだろうか。

燭台切はぞっとした。

長義も表情が変わる。

そして、全員で部屋を飛び出した。

 

 

 

玄関手前、主と山姥切国広がいた。どう見ても、出かける出で立ちだ。

最初に息を吐いたのは長義だった。

「……国広、おまえ、何してる」

「こいつをひとりで行かせるわけにはいかないだろう」

時の政府に、というのは言わなくてもわかった。

「止めるんだよ、おまえが。初期刀なんだから」

「初期刀だからだ」

言いあう二人を横目に、燭台切は主の前に膝をつき、その両手を押さえて見上げる。

「だめだよ」

主は口をぎゅっと結んで答えない。

「まだ、調査段階だ」

燭台切から目をそらす。

「主くん」

「私のこと、なのに」

その口元が震えて、泣くのを堪えているのが分かった。

「皆さんにばかり」

「適材適所だ」

横からばっさりと長義が言いきる。

「政府の資料は部外者に公開はできないからな」

「だから、今回水心子が動いているんでしょ」

「まだ材料が足りていない。全部集まるまで待て」

水心子、清麿、長義と続けられたが、主は引かなかった。

「それはいつですか?」

「なに?」

「待てば、全部わかるんですか? 今までわからなかったのに? それでも、待てとおっしゃるんですか」

泣きそうなのにはっきりと言ってくる主に、長義が目を瞠った。その必死さを感じたためだろう。

「わかる」

だから、長義は断言する。

「期限まで、まだ時間はある。必ず、それまでに真相を主の前に出す。だから、今は待つんだ」

主の目が長義、政府の刀剣男士である水心子と清麿、国広、と移動し、燭台切を映す。

ぼたり、と大粒の涙がこぼれた。主は声を上げずに、ぼたぼたと泣く。それを燭台切が抱き上げる。

「うん、今はそれでいい」

「うぅ」

「落ち着こう、ね」

こくりと頷き、主は燭台切の胸に顔を埋めた。

 

 

 

時の政府からきている水心子と清麿は、今日ぐらいしか来られない。そちらは長義に任せることにして。

燭台切は主を腕に抱いたまま、庭へと降りた。

気を使っているのだろう。誰も二人に近寄ってこない。

燭台切の腕の中で、まだ彼女は声を上げずに泣き続けている。

今は、もう、泣いてしまった方がいいだろう。このところずっと辛いことが重なりすぎて、彼女は限界に近い。

それが、さっきの行動の一端なのだろう。

しばらくして、すんすんと鼻をすするだけになって。

「…ご、めん…」

「僕、怒ってるから」

優しく燭台切が言うと、びくりと身体を震わせる。本当は全然、怒っていないのだけど。

「気持ちはわかるけど、急ぎすぎちゃだめだよ。戦だって、偵察なしじゃ、失敗することがあるんだ」

「っ、しょ…」

「今回のは本陣、なんだから。ちゃんと、準備をしよう」

彼女はふるりとまた震え、燭台切の胸に手を添える。

「……こわかったんです」

燭台切は何も言わない。

「また」

小さな声。

「また、なくなるのかと思って」

手を握り、ぎゅっと服を掴む。

「全部」

そこで言葉が切れる。

燭台切は静かに背中を撫でた。

「うん」

「……今度こそ」

彼女が震える声で続ける。

「皆、いなくなるんじゃないかって」

燭台切は目を閉じた。

(ああ。そういうことか)

この子は、また失うことを恐れている。

だから焦った。飛び出そうとした。

「主くん」

「……はい」

「僕はここにいるよ」

彼女が顔を上げる。

「皆、勝手にはいなくならない」

そして、少しだけ笑って。

「少なくとも、君を置いてはいかないよ」

燭台切の言葉に、彼女はうるりとまた目を潤ませる。それをぎゅっと両眼を閉じてとどめて、小さく笑った。

風が吹いて、彼女の髪を揺らす。

「わ」

もう一度目を閉じた彼女の額に、燭台切がさっと口づける。

目を開けた後は、何事もなかったように見下ろして。

「みっ、しょ、燭台切、さんっ」

「うん?」

「い、いま」

「うん」

赤い顔でオロオロとしている。いつもの可愛い彼女だ。

「お、おろして」

「え、今、庭だよ? 君、靴はいてないし」

「お、おりますっ」

「だめ」

「あ」

もう一度、今度は前髪に口づける。

「っ、燭台切さんっ」

「主くん」

「……っ、な、んです、か」

少し呼吸が乱れているのを見て、燭台切はようやく、少しだけ笑った。

「落ち着いた?」

「……落ち着いて、ません」

「うん、知ってる」

知っててやってるなんてずるいとか、考えているのだろう。

視線が燭台切から外される。

「燭台切さんっ」

「うん」

「いじわるです」

「そうかもね」

否定しない。

ここで初めて、燭台切は少しだけ、声の温度を下げた。

「でも、さっきの君の方が、よっぽど危なかったよ」

彼女の動きが止まる。

それから、燭台切の神力の金が奥にわずかに混じった焦げ茶の瞳が、おそるおそる燭台切を見上げる。

「お願いだから、一人で決めないで」

彼女から自分は、よほど格好悪く見えるかもしれない。けれど、燭台切はそれでも構わないと思った。

この子は絶対に失えないから。

もしも、彼女が両親を取り戻して、燭台切を忘れてしまったとしても。

ざっとまた風が通り抜けた。その間も心揺れながら、燭台切は彼女と視線を外さなかった。

「燭台切、さん?」

彼女の手が、燭台切の頬に触れる。

「な、なんで、そんな。私、ここにいます、よ?」

燭台切の不安を感じ取って、彼女がおろおろと戸惑うように言う。

風がまた少しだけ、木々の葉を揺らし、音を鳴らした。

「さっきの君はね」

燭台切は静かに続けた。

「“今行かなきゃいけない”って顔をしてた」

「それはたぶん」

一瞬だけ、言葉を選ぶ。どうすれば、伝えられるか迷った。

「君の優しさじゃなくて、怖さの方だ」

彼女の唇がわずかに開く。

でも言葉にならない。

燭台切はそこでようやく、少しだけ力を抜いた。

「本当は怒ってるわけじゃないよ」

「ただ」

手で彼女の柔らかな髪に触れる。

撫でるというより、確かめるように。

「君を、失いたくないだけ」

彼女の目が揺れる。

「失うって……」

声が途切れる。

燭台切はすぐには答えなかった。

代わりに、少しだけ苦笑する。

「君を止めるつもりはない」

そこで一度、目を伏せ、間を置いて、視線を合わせる。

逃がさないほど強くはないけれど、逸らさせないくらいには真っ直ぐに。

「でも、それを“君ひとりでやる”のは、違うと思ってる」

彼女の喉が小さく鳴った。

「……私、ひとりじゃ」

「うん」

燭台切は即座に頷く。

「ひとりじゃないよ」

「だから、勝手に決めて、勝手に背負うのは」

「やめてほしい」

彼女の目にまた涙が浮かぶ。

今度はさっきみたいに堪えきれないものじゃなくて、少しだけ戸惑いの混じったものだった。

「でも……それだと」

言葉を探す。

「燭台切さん、困りませんか」

「困るね」

彼女が固まる。

燭台切は小さく笑う。

「すごく困る」

「でも、君が勝手にいなくなるよりずっといい」

その瞬間、彼女の目から一粒だけ涙が落ちた。

声は出ない。

ただ、息を吸う音だけがする。

燭台切は少しだけ力を抜いて、額を軽く彼女の髪に寄せた。

「僕を困らせるくらいでちょうどいいよ」

少し冗談めかした声。

それに、彼女はようやく小さく笑った。

燭台切はそれを見て、肩の力を抜く。

「じゃあ」

「戻ろうか」

その言葉に、彼女はこくりと頷いた。

足元を流れた風が、枯れ葉を散らして消えた。

 

 

 

執務室に戻る直前、廊下で彼女は燭台切の腕から降りて、軽く身なりを整える。燭台切もその髪を優しく梳く。

「大丈夫、でしょうか?」

「うん、格好いいよ」

それを丁度執務室から出てきた長義たちが見ていた。

「あれ、いつも?」

「ああ、そうだ」

清麿の問いに、国広が頷く。

「はわわ、ハレンチではないか!?」

指で見ないように隠しつつ、顔を赤らめて覗く水心子に、長義が呆れた声でいう。

「……そこまでじゃないだろう」

見られていたことに気づき、彼女がおろおろとする。

「え、あの?」

長義は一つ息を吐いてから、告げた。

「戻ってきてもらったところ悪いが、彼らはもう時の政府に戻る刻限が迫っている。なので、送ってくるよ」

彼らの後ろ姿を見送りながら、彼女がぽつりと言う。

「行ってしまいましたね」

「うん」

燭台切は彼女の肩を抱いて、執務室へと足を向けた。

 

 

 

執務室のいつもの位置に彼女が座ったところで、隣に座って引き寄せる。その頭が自分の膝に乗るように。

「燭台切、さん!?」

「いいから」

「良くないです。長義さんたちが戻って来るじゃないですか」

起きあがろうとする彼女を、燭台切は肩を軽く押さえて、留める。

「うん、それまで君は休憩」

「休憩って」

燭台切は小さな肩から腕へと、ゆっくりと撫でた。

「大丈夫だから」

「でも」

言い募る彼女を、燭台切はじっと見つめる。

「本当は今すぐ、布団で寝て欲しいぐらいなんだよ」

無理をしてほしくない。それを彼女もわかったのだろう。大人しくなる。

「……燭台切、さん?」

ゆっくりと彼女の肩を摩る。

「驚かせてごめんね」

「でも、今の君は自分で思っている以上にボロボロなんだ」

「少しで良いから、今は休んでほしい」

甘えてほしい、というところをやめて、休憩を促す。

そして、彼女の髪を根元からゆっくりと指で梳く。

「長義くんが戻るまで、でいいから」

彼女が困ったように、燭台切を見上げる。燭台切の神力の金を奥に潜ませた焦げ茶の瞳を、燭台切も見つめ返す。

彼女の物いいたげな視線に根を上げたのは、燭台切の方だった。

「だめ。休むんだよ」

困った様子で、彼女が呟く。

「その、膝枕じゃなくても、良くないですか?」

「起きてるより楽でしょ」

「楽、というか、落ち着かない、です」

彼女が手で自分の顔を隠す。

「燭台切さん、下から見ても格好良すぎて」

「あ、んまり、見ないで」

薄っすらと染まってゆく肌に、燭台切は動きを止めた。

指の間から除く目元が赤い。つられてしまいそうだ。

「本当に、自覚がないんだから」

顔を覗き込むように、頭を下げる。

「落ち着かないなら、慣れてもらうしかないかな」

囁くと、ますます赤くなる。

「……そんな顔で他の男士を見ちゃだめだよ」

今までなら可愛いだけで済んだのに。

「……僕だけにして」

不安が離れない。

この子の願いが叶ったら、そこに僕はいられるんだろうか。

 

 

 

「少し良いだろうか」

呆れ交じりの長義の問いかけに、焦って起きあがろうとする彼女を、燭台切は軽く手で押さえる。それだけで、彼女は身動きが取れない。

「そのままで構わない」

「え、でも」

「政府刀の水心子たちには、別方向からの働きかけを頼んだ」

座った長義の隣に国広も座って、主をじっと見た。

その視線が燭台切に向かい、頷く。燭台切も頷く。

初期刀としても、主をこのまま休ませることに賛成のようだ。

「それで、主」

「は、い」

「演練の隊員に俺をいれてくれ。連絡はそれが一番いいだろうということになった」

「それは、大丈夫、ですか?」

「問題ない」

「あの、少し練度、が」

長義の練度が不安だと言いかける主に、国広が言う。

「俺と兄弟も共に。二刀開眼でいけるだろう」

「ああ、堀川さん、でしたら。和泉守さん、を入れるとバランスが」

審神者の顔で考え出す様子に、国広は微かに笑った。

「まかせる」

国広の静かな声に、主は我にかえったようだった。

瞬きを繰り返す主の頭を、燭台切が大きな手で優しく撫でる。

「あ……でも、長義、さんは、その……余計な、詮索をされませんか?」

おずおずと視線を向ける主に、長義はふんと鼻を鳴らし、綺麗に整えられた前髪を指先で払った。

その仕草には、焦燥を隠すための彼なりの傲慢さが滲んでいる。

「他人が、俺の動向に口を挟むなどおこがましいな」

「君は黙って、俺を第一部隊にねじ込めばいい」

戸惑う主に、長義は苛立った様子だ。

「勘違いしないでくれ。君のためじゃない」

「俺としても、歴史の改竄を許すわけにはいかない」

「元監査官として、決して許せることじゃないからな」

淡々と、けれど絶対に引かない意志を込めて告げる長義。その言葉が、彼なりの最大の「優しさ」であり、戦術であることを、主自身はまだ気づいていない。

「……ありがとう、ございます」

小さく呟いた主の声は、まだ不安に震えていた。

そんな主の前、国広の白い布がふわりと揺れる。彼は主の顔を見つめ、毅然と告げた。

「偽史だろうが、本物だろうが、関係ない」

「俺たちがここで、あんたと過ごしてきた時間は本物だ」

「……だから、自分を偽物だというな」

国広自身が「写し」という己の在り方に傷つき、悩み、それでも乗り越えてきたからこそ紡げる言葉だった。その重みに、主が声を震わせる。

「国広、さん……」

「水心子たちも、あいつらなりの『新々刀の祖』としての誇りにかけて動いている」

「だから主、あんたはただ、俺たちの主としてここに居てくれればいい。……いいな?」

燭台切の胸の温もり、長義の冷徹なまでの理性の盾、そして国広の絶対に揺るがない信頼の言葉。

そこまであって、やっと彼女の震えが止まった。

 

 

 

山姥切の二振が去ってすぐ、執務室に乱と秋田、それに薬研といった粟田口の短刀が訪れた。

乱は膝枕されている彼女を優しく見つめる。

「話は聞いたよ、あるじさん! というわけで、今夜はボクたちと寝よう!」

「は?」

「あるじさん、一人だとまた考え込んじゃうでしょ?」

「僕たちと一緒に寝れば、怖いものなしですよ」

「と、虎くんたちも、ご一緒しますっ」

「酒で誤魔化さなくても、よく寝れるんだぜ。粟田口の部屋は、雑魚寝だしな」

普段は月見酒をしてから寝ているのはバレていたらしいことに、彼女が赤面する。

「し、知ってた、んです、か」

知ってるも何も、ずっと見守られていたということを知らなかったらしい。

燭台切は、突然の粟田口の襲撃に一瞬だけ目を細めた。

「……なるほど」

薬研の鋭い視線と、乱の悪戯っぽい笑み。その奥の警戒の色に、燭台切は小さく笑った。

「今夜は、彼らといるのがいいよ」

「……燭台切さん?」

「たまには、ね」

軽く片眼を閉じると、彼女が顔を赤くした。

燭台切自身、少し気持ちを整理する必要を感じてきたところだ。

起き上がった彼女の髪をひと撫でして、燭台切は離れた。

 

 

 

真夜中、廊下で佇んでいた燭台切の胸に、彼女は唐突に飛び込んできた。

呼吸は荒く、混乱と不安に揺れすぎている。

「あ、」

燭台切を映す金色を奥に秘めた焦げ茶色が、安堵の色に染まる。これ以上ないほどに頼りにされている。

でも、今は足りないと感じてしまう。

(彼女が、ずっとそばにいてくれるなら)

壁に彼女を優しく押し付け、額を合わせる。

「主くん、ゆっくり深呼吸して」

「燭台切、さん、」

「大丈夫だから」

最初は、ゆっくりと、神力を注いでゆく。

「わ、たし」

「今は僕のことだけ」

「私、は」

「他のことは考えないで」

安心すると言った神力を、止めることなく注ぎ続ける。今までなら止まれていた範囲を超えて。

「私は……」

絞り出すような彼女の声を遮り、燭台切は優しく返す。

「それは、今考えなくていいことだよ」

「君は今、僕の腕の中にいる。それだけで、十分じゃないか」

声に甘さと、拒絶を許さない響きを潜ませる。

「僕の腕のこの温もりだけは嘘じゃない」

「僕を、僕のことだけ、考えていればいい」

優しく、甘く、ひたすらに甘く囁く。

彼女の瞳が金色に濁ってゆくのを見つめながら。

もしも彼女が全部忘れてしまえば、失うことはなくなる。

だったら、と。

「……みつただ、さん……」

淡い声が、呼ぶ。

もっと呼んでほしいと思っていた呼び名で。

愛しさだけを込めた声で。

(……違う……)

呼んでほしいのは、この彼女じゃ、ない。

 

 

 

「光忠」

大倶利伽羅の低い声に、燭台切は動きを止めた。

「伽羅、なんで止めるんだよー。いいとこじゃん」

太鼓鐘が口を尖らせる。

「そうだぞ、伽羅坊」

意地悪く笑うのは鶴丸だ。

燭台切は仲間たちを見て、少し罰が悪そうに苦笑する。

「もうちょっと待ってくれてもよくないかい?」

大倶利伽羅の無言の視線に、燭台切は彼女から額を離した。

「あ」

名残惜しそうな声をあげた彼女は、自分の口を押さえる。

そのまま顔を赤くし、涙目になった。

濁りかけた金色の瞳が奥へと溶けて、いつもより少しだけ明るい焦げ茶色になっている。

「わ、たし、なん、」

「あー、光坊が、なーかしたー」

鶴丸が小さな揶揄いの声をあげる。

「ち、違うよっ」

焦り言い返しながらも、燭台切は彼女をしっかりと抱きしめ直した。仲間から彼女を隠すように。

鶴丸はそれを面白がるように目を細めて、ひらりと身を翻した。燭台切の側面に回り込み、彼女の様子を覗き込む。

「驚きは大事だが、加減を間違えると主が壊れちまうぞ。なあ?」

「……光忠、もう十分だ」

大倶利伽羅の低い声は、冷淡なようで、燭台切の「行き過ぎた執着」を諌める色をしていた。

彼女は燭台切の胸の中で、大きく息を吐いている。まだ状況を飲み込めていないのだろう。

「ごめんね、主くん」

「ちょっと……取り乱しちゃったかな」

燭台切が彼女の髪を最後にもう一度、優しく撫でる。その指先が頬をかすめると、夢から覚めたように、彼女の瞳がはっきりと開いた。

「……大倶利伽羅さん、太鼓鐘さん、鶴丸さん」

彼女が震える声で名前を呼ぶ。

「お、落ち着いたか!」

太鼓鐘が明るい声で笑う。

「粟田口の連中がさっきから廊下でひそひそ話してるぜ。主がみっちゃんのところに行っちゃったから、どうやって連れ戻すか、なんてな」

「それは……」

「今夜はあいつらのターンだ、光坊。主をそんなに独り占めしてたら、それこそ『格好悪い』光忠になっちまうぞ?」

鶴丸が、燭台切の腕から、スッと彼女を引き出した。

その動きはあまりに自然で。同時に、燭台切の独占的な空間を、完全に断ち切るものだった。

止めることはできた。でも、燭台切はそうせずに、目を細める。

「あの、鶴丸さん」

「ん?」

小さな彼女の声に、鶴丸が耳を傾ける。

「燭台切さんは、悪くないです。私が勝手に不安になったから、きてくださった、だけで」

「ふうん?」

「だから、あの」

悪いのは燭台切じゃなくて、自分だと言い出す彼女に、鶴丸は目を細める。

「嬢ちゃんや」

「はい……?」

「優しさは美徳だが、なんでも受け入れちゃダメだぜ」

「なんでもは、ない、ですよ?」

困ったように首をかしげる彼女に、燭台切のみならず、他も同じように感じたらしい。

「はは、無意識かい。怖い主だな」

「あの、鶴丸さん?」

「……なあ、光坊が好きかい?」

鶴丸の突然の問いに、彼女は頬を染めて、迷う素振りもなく頷いた。

それを優しく見つめ、鶴丸は頭を乱暴に撫でる。

「わ」

「だったら、今は粟田口部屋に戻りな。おやすみ、主」

彼女が粟田口に戻る背を見届けた後、燭台切はその場にしゃがみこんだ。

「ごめん、貞ちゃん、伽羅ちゃん、鶴さん。僕、ホントカッコ悪い……」

「古今東西、色恋は惚れた方が負けって決まってるからな。仕方ないさ」

軽く流してくれる鶴丸は、いつもどおりだ。

「負け、か」

燭台切は自嘲気味に笑い、自分の掌を見つめた。

彼女の震える背中を抱きしめた時、安堵してくれた時の、言いようもない幸福感。

あの瞬間、燭台切だけを縋ってくれることに歓喜してしまった。

「格好良く、スマートに……なんて言っていた僕が、あんな風に主くんを追い詰めるなんてね」

大倶利伽羅はそんな燭台切に背を向け、静かに夜空を見上げている。

「……落ち着け。主は戻った」

「ああ、そうだね。……伽羅ちゃんが止めてくれなかったら、僕はどこまで行っていたんだろう」

太鼓鐘は、燭台切の隣にしゃがみ込み、背中をポンと叩いた。

「みっちゃんは、真面目すぎんだよ。主のこと、大事なのはわかるけどさ」

「でもさ、みっちゃんが主を縛り付けるんじゃなくて、一緒に先へ進むのが伊達のやり方だろ?」

その言葉に、燭台切は大きく息を吐き出す。

粟田口の部屋からは、短刀たちの楽しげな話し声と、彼女がつられて笑う声が微かに聞こえてくる。

それは今の燭台切にとって、何よりも耳に痛く、そして何よりも安心できる光の音だった。

「……そうだね。次はもっと、格好よく愛せるように、やり直そうかな」

燭台切は立ち上がり、夜着の裾を払う。

その表情には、どこか吹っ切れたような穏やかな光が戻っている。

「さて、明日も朝から忙しいからね」

「主くんが一番に口にする朝食くらい、最高のものを用意しなきゃ」

伊達の三振が見守る中、彼は元の「格好いい燭台切光忠」の面を被り直す。

けれど、その瞳の奥には、先ほど彼女を抱きしめた時の熱が、まだ消えずに燃え続けていた。

ひと時、金に濁った焦げ茶の瞳が、脳裏に焼き付いていた。

 

 

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