[刀剣乱夢] 燭台切光忠は主を甘やかしたい   作:himausa

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第二話 [つ] 続けることは格好いい

最近の主は変わった。

何人かの刀剣男士にそう言われても、自分ではよく分からない。

朝、鏡を見る。髪を整える。しわを伸ばした服を着る。背筋を伸ばす。

それだけだ。

けれど演練へ向かう途中。

「おはようございます」

そう挨拶しただけで、相手の審神者が少し驚いた顔をした。

何か変だっただろうか。

隣を歩いていた燭台切が小さく笑う。

「今の、格好良かったよ」

その一言に少しだけ浮かれてしまう自分は、かなり単純ではないだろうか。

「そんなこと」

ないですと言いかけて、言葉を止める。

一日に一回、自分を貶す言葉を飲み込む。

それを見ていた燭台切が、大きな手で、そっと頭をなでてくれる。

「よくできました」

褒められ、口元が緩む。

出来ている、のだろうか。変われている、のだろうか。

少しでも、この人の格好良さに、近づけているのだろうか。

分からない。

でも燭台切は、格好良さは積み重ねだと言った。

だから今日も続ける。

明日もきっと続ける。

続けられると、そう思っていた。

 

 

 

執務室の部屋の隅、山姥切国広のボロボロの布を被って、世界を閉じる。

――だめだ。結局、何も変われていなかった。あれほど側にいてくれた燭台切に、格好いい姿なんて一つも見せられなかった。

「こんなやつが審神者?」

相手の声が脳裏を木霊する。

「あれだけの戦力を無駄にするなんて、どういう采配だよ」

言い訳は、したくない。

ボロボロと涙が止まらない。

本丸に戻って、燭台切を振り切って、ここに戻ってしまった。

もう本当に呆れられてしまっただろう。

全部無駄だったって。

「うぅっ」

「主くん」

障子の向こうから燭台切の固い声が聞こえた。

ああ、もう終わりだと思った。幻滅された。こんな審神者なんていらないって言われる。

「一つだけ聞いてもいいかな」

暗い思考を遮ったのは、意外な質問だった。呼吸を落ち着けて、なんとか小さい返事をする。

「……はい」

「今日、出掛ける前、鏡を見た?」

「……見ました」

「髪は整えた?」

「……はい」

「服は?」

「整えました」

「背筋は?」

「……伸ばしました」

ちゃんと、気を付けていた。格好良くなれるように。

「じゃあ」

低い声音が柔らかくなった。

「主くんはちゃんと続けられた」

その肯定に唇が震える。

「でも、また、駄目で」

「違う」

燭台切は即座に否定してきた。

「違うよ」

強く、はっきりと。

「傷付いたことと、頑張っていないことは別だ」

燭台切は頑張っていると、言ってくれる。

「誰かに何かを言われて落ち込む日もある」

「……」

「元気が出ない日もある」

「……」

「泣きたい日もある」

少し言葉が止まって。

「それでも続けることが大切なんだ」

障子がかたりと鳴る音が聞こえた。

「今日落ち込んだからって」

「……」

「主くんが積み上げたものはなくならない」

布の中で、顔を上げる。

「明日また鏡を見よう」

燭台切の声は穏やかだった。

「また髪を整えよう」

「……」

「また背筋を伸ばそう」

全部終わったわけじゃないと、そう言ってくれた。

また涙があふれ出す。

「一回落ち込んだからって、最初には戻らないよ」

その言葉は、今、一番欲しかった言葉だった。

なんで、この人はこんな風に格好良くいられるのだろう。

負けても勝っても、燭台切の格好良さは変わらない。

「なんで、続けられる、です?」

ずっと自分にはできなかった。

「だって、私は、ただ、拾われただけの審神者でしかなくて」

あの日、家族を失った日、時の政府に拾われて。

家族を取り戻せると言われて、審神者になった。

「ほん、ホントはっ」

こらえ切れずに、涙で声が崩れる。

「私が消えるべきだった」

家族といられないのなら、取り戻せないのなら、自分なんていらなかったのに。

「私なんかが、審神者になんて……」

「……」

「い、今更、何も……何も……」

それ以上言葉を続けられなくて、膝に顔を埋めて、涙を流す。

障子が開かれる音が聞こえたけど、どうしようもなかった。

泣いて泣いて、泣き続けて、このまま消えてしまいたかった。

「主くん」

すごく近くで声が聞こえて、布の下で更に体を縮こまらせる。

「も、も、無理……おとう、さん……おかあ、さん……」

会いたい。家族に会いたい。

もう自分にはできないと言いたいのに。

「主くん、聞いて」

落ち着いて、ゆっくりと、燭台切の静かな低い声が下りてくる。

「君は、自分が生き残ったことを許せないんだね」

そうだ。生き残るべきはきっと自分じゃなかった。父でも母でもよかった。

なのに、何もできない自分が残ってしまった。

「家族がいなくなって」

「……」

「自分だけ残ってしまった」

「……」

「だから自分が幸せになることも」

「……」

「自分を好きになることも」

区切られた言葉が、正確に射抜いてくる。

「許せない」

その通りだった。

生き残ってしまった自分一人で、幸せになんてなれない。自分を好きになれるはずがない。

そんなこと、許されない。

「でもね」

急に燭台切の声が優しくなった気がした。

「それと主くんが頑張ってきたことは別なんだ」

ぐっと、息をのむ。燭台切は、何を言っているのだろう。

「主くん」

燭台切は真っ直ぐに言う。

「この本丸がどうして今ここにあると思う?」

「……」

「誰が守ってきたと思う?」

何を言おうとしているんだろう、と息を顰める。

「主くんだよ」

それはやけにきっぱりとした言い方で。

「君が守ってきた」

言い切られた。

「違う……皆が……」

自分一人では何もできなかった。

「もちろん皆も頑張った」

燭台切はすぐに肯定してきた。

「僕も」

「……」

「薬研くんも」

「……」

「乱くんも」

「……」

「山姥切くんも」

そこで少し笑い声に変わった。

「たぶん今も部屋の外で聞いてる」

障子の向こうで何かがガタッと鳴った。たぶん、山姥切だ。間違いなくいた。

乱と薬研の気配はわからないけど、燭台切が言う通り、近くにいる気はする。

燭台切が苦笑する。

「でもね」

もう一度。

「僕たち刀剣男士だけじゃ、本丸は続かないんだ」

燭台切が言うことが事実なのはわかっている。

刀だけでは本丸は成り立たない。

主が必要だ。

決断が必要だ。

責任が必要だ。

そして何より。

毎日続ける人が必要だ。

「主くんがいたから」

燭台切は静かに続けた。

「僕たちはここにいる」

その言葉はすとんと、自分の中に降りてきた。わかっていたことなのに。

「君が出陣命令を出した」

「……」

「遠征を管理した」

「……」

「手入れもした」

「……」

「誰かが傷付けば心配した」

「……」

「誰かが折れそうになれば悩んだ」

そして。

「何年も続けた」

自分にはそれしかできなかったのに、燭台切は存在が必要だと肯定してくれる。

「拾われただけ?」

燭台切は、少し笑うように息を吐いた。

「そんな人に、何年も本丸は守れないよ」

また涙があふれてきた、嗚咽を堪えられない。

「君は頑張った」

燭台切の声が聞こえなくなるのに。

「君は続けた」

涙が止まらない。

「だから今ここにいる」

止められない。

「主くん」

布に触れた気配がして、体が震えた。

「主くんが自分を許せないなら」

また小さな優しい笑い声。

「今は僕たちが許す」

とても、優しい言葉に固まる。

「え……」

本当に困ったでも、優しい声音が続ける。

「……だって、悔しいじゃないか。僕たちはずっと君に助けられてきたのに」

自分に価値があるなんて、思ってなかった。

それを全部肯定してくれて、また頑張ろうって励ましてくれて。

この人はなんて格好いいのだろう。

大きな声を上げて泣きながら、思った。

この人のように格好良くなりたい。

こんな風に、誰かを格好良くできるぐらいに、強くありたい、と。

燭台切はただずっとそこにいてくれた。

布を引きはがすでなく、慰めるでもなく。

ただ全部頑張ってきたことを認めてくれただけだ。

でも、今の自分にはそれがなによりも嬉しかった。

 

 

 

泣き続ける主の声が、少しずつ小さくなっていく。

嗚咽が途切れ。呼吸がゆっくりになり。

そして。

かくん、と身体が傾いた。

「主くん!」

燭台切が慌てて支えた体は、思ったよりも軽かった。

抱き留めた拍子に、山姥切国広の布が少しずれ落ちる。

その下から見えたのは、泣き疲れて眠ってしまった少女の顔だった。

涙の跡が頬に残っている。

黒縁の眼鏡を壊さないように、そっと外すと、焦げ茶の睫毛も濡れているとわかった。

普段は眼鏡と前髪に隠れているせいだろう。

寝顔は、年相応の、いや、それより少し幼くさえ見えた。

燭台切は思わず言葉を失う。

この子はずっと、こんな顔で泣いてきたのだろうか。

「燭台切」

低い声が聞こえて、顔を上げる。

山姥切国広がすぐそばに立っていた。

「こっちだ」

そう言って隣の部屋の戸を開ける。

そのさらに向こうにある、一枚の木戸に手をかけたことに、燭台切は目を見開いた。

「開くのかい?」

その部屋は、本来なら刀剣男士には開けられない場所だとされる。

主の私室。最も私的な空間。

この本丸では、主の許可なく入ることはできない、と説明されている。

山姥切は短く答えた。

「俺は初期刀だからな」

布の下、彼が少しだけ目を伏せる。

「もっと前は」

その声音は静かだった。

「よく泣き疲れて寝落ちしていた」

燭台切の胸が締め付けられる。

「だから許可をもらっている」

山姥切は続けた。

「布団まで運ぶために」

何気ない言葉だった。

けれど、その何気なさがどれだけ長い時間の積み重ねなのか、分かってしまう。

燭台切は何も言えなかった。

ただ静かに頷き、布ごと、主を抱き上げ、山姥切のそばへ連れてゆく。

戸口から見えた部屋は、驚くほど簡素だった。

布団、机、本棚には審神者としての資料。

それだけ。

趣味の品も、飾りも、思い出の品さえ、ほとんどない。

まるで仮住まいだ。いつでもいなくなれるような、そんな部屋だった。

燭台切は胸の奥に重いものを感じる。

ここ数日で、少しずつ主の姿が見えてきたと思っていた。

だが、まだ全然足りないらしい。

「今は俺が運んでおく」

山姥切が言う。

「あんたは後で主から許可を取ってくれ」

「え、でも」

「きっとその方がいい」

燭台切は腕の中の主を見る。

眠っている。泣きつかれているが、安心しきったようにも見えた。子どもみたいに。

だから余計に分かる。今ここで自分が入るべきではないことも。

山姥切にそっと主を渡す。

彼は慣れた手つきで主を受け取った。

まるで壊れ物を扱うように、そっと。本当にそっと、布団へ横たえる。起こさないように。怖がらせないように。掛布団を整える。

そうした後で、山姥切は額にかかった髪を払った。ここまでの動作に一切の迷いがなかった。

「山姥切さん、これ」

燭台切の隣、同じように部屋に踏み入ることのできない乱が、濡れたタオルと氷を差し出した。

主の泣き腫らした目を心配したのだろう。

山姥切は受け取らなかった。

「起きてから冷やせ」

「でも」

「俺も一度出れば」

彼の視線は眠る主に向いたままだ。

「主が起きるまで、もう一度は入れない」

燭台切は眉を上げた。

「そういう仕組みなのかい?」

「ああ」

山姥切が短く頷く。

「間違いが起きないようにな」

主の部屋は特別だ。

誰でも自由に出入りできる場所ではない。

信頼されている山姥切ですら制限がある。

それだけ大切に守られている空間なのだろう。

「……山姥切」

薬研が低く呼ぶ。

何か聞きたいことがあるのだろう。

昔のことを。主のことを。きっとたくさん。

だが山姥切は首を振った。

「話は部屋の外でするぞ」

静かな声だった。

「今は寝かせてやれ」

誰も反論しなかった。

乱も、薬研も、燭台切も、ただ頷く。

そして主の部屋を離れようとして、燭台切はふと振り返った。

山姥切国広はまだそこにいた。

眠る主の傍らに立っている。

その姿はどこか遠く、昔を見ているようだった。長い時間、積み重ねてきた時間を。

主が知らないところで流してきた涙を、思い出しているようだった。

「……」

やがて山姥切は小さく息を吐く。

そして、眠る主を見下ろしたまま、ほんの少しだけ口元を緩めた。

それは誰も見たことがないほど穏やかな顔だった。

 

 

 

執務室に戻ると、山姥切が燭台切を見た。

「明日の演練予定を出せ」

「え?」

その目は先ほどまでの穏やかさの欠片も残っていない、静かな闘志に燃えていた。

「主には言葉より結果だ」

「結果で見せる」

乱が苦笑いで頷く。

「そうだね、あるじさんだもんね」

薬研も頷く。

「それはいいけど、ちっといいか、山姥切。最初に聞いたとは思うけど、もう一度確認したい」

「なんだ」

「なんで、大将はあれほど、なんつーか、自分を責めてるんだ」

少し考えていた山姥切が頷く。

「最初に顕現した日に、全員に伝えている通り、主は歴史修正の被害者だ」

「特に主は目の前で両親を時間遡行軍に殺されている」

「時の政府に保護された後、家族を取り戻せると言われ、審神者になった」

そこまでは全員が聞いている話だ。

「主は戦を知らない世代で、ごく普通の平和な家庭で育った」

「遊戯にも興味がなかったから、戦略も何も知らなかった」

「だから、家族を取り戻すためとはいえ、誰かを傷つけることが苦痛なんだ」

そこから苦々しく吐き捨てる。

「自分だけ残ったことを責める」

「自分だけ幸せになってはいけないと思う」

「自分だけ生きていてはいけないと思う」

布の下で固く拳が握られる。

「何年経っても変わらなかった」

山姥切の蒼目が燭台切を見据えた。

「でも、やっと主は変わってきた」

「あんたが肯定することで、今までを認められるようになるかもしれない」

「俺はこのチャンスを逃したくはない」

乱が頷く。

「うん、ボクもそう思う」

「燭台切が見てるなら、大将はもうちっとマシにやれる」

薬研と乱が顔を見合わせて笑いあう。

「なにしろ、憧れの格好いい刀だからな」

燭台切は三振のそれに、肩の力を入れた。

「ああ、そうだね」

 

 

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