[刀剣乱夢] 燭台切光忠は主を甘やかしたい 作:himausa
第二十二話 [せ] 背の高い格好いい人がいる
目覚ましの音に呼ばれるように、私は目を覚ました。布団から手を伸ばし、止める。
「姉ちゃん、おきろー」
「……起きてるー……」
部屋の外からかけられた声に、寝ぼけ声で返す。布団を出て、洗面所へ向かい、顔を洗う。
「おはよー、姉ちゃん」
「おはよ。お父さんとお母さんは?」
「今日デートだって」
「へぇ?」
「朝飯、どうする?」
「え、作ってくれんの?」
「ついで」
「やった。じゃあ、急いで用意する」
「で、何にするんだよ。パン?」
「おにぎりとお茶」
「へいへい。姉ちゃん、いつもそれな」
一瞬脳裏にお盆に乗った、おにぎりとお茶がよぎった。
「だって、味噌汁ないでしょ」
「ないけど、わざわざ握らなくてもいいじゃん」
「そーかもねー」
部屋へ戻り、ブラウスに紺チェックのプリーツスカート、それに灰色のカーディガンを羽織る。鏡で確認して、背筋を伸ばす。
「ん、よし、今日も格好いい」
鏡の中の自分に軽く笑って、私はリビングへ向かった。階段を降りる途中で、ふと足が止まる。
――誰かに「格好いい」と言われた気がした。
「……なんだろ」
小さく首を振って、その感覚を追い払う。寝ぼけているだけだ。たぶん。
「姉ちゃん、早くしろよー」
「はーい」
弟の声に背中を押されるようにして、階段を降りきる。
キッチンでは、弟が慣れた手つきでトーストを焼いていた。湯気の立つケトルの音がしている。
「ほんとにおにぎりにすんの?」
「うん」
「変わってるよなー、姉ちゃん」
「そう?」
「朝から手間じゃん」
「でも、落ち着くから」
そう答えた瞬間、また胸の奥が少しだけ揺れた。
落ち着く、という言葉にしては重すぎる何か。理由はわからないのに、確かにそう思っている。
「……変なの」
自分でそう言って笑う。
「姉ちゃん?」
「いや、なんでもない」
慌てて返事をして、私はキッチンに近づく。お茶の準備をするために、湯呑みを取り出す。
そのとき、指先が、少しだけ震えた。
――誰かに、呼ばれた気がした。
声は聞こえなかった。
「……誰?」
思わず呟く。
もちろん返事はない。
弟が怪訝そうにこちらを見る。
「は? なんか言った?」
「ううん、なんでもない」
湯呑みにお茶を注ぎながら、私は笑う。
たぶん疲れてる。たぶん寝不足。たぶん、普通の朝。
そう思うのに、胸の奥だけが、静かにざわついていた。
朝食の片づけを終えて、弟と二人でまったりしていると、玄関でチャイムの音がした。
「宅急便?」
「ボックスに入れとくだろ」
「……出てくる。はーい!」
インターフォン越しにカメラを見ると、中学生ぐらいで容姿の整った男の子と女の子がいる。
「こんにちは」
「隣に引っ越してきたので、ご挨拶にきました」
隣というと。
「え、あの洋館!?」
思わずドアを開けると、そこには画面越しよりもとても綺麗な黒髪の男の子と金髪の女の子。
「あ、」
「はじめまして、隣に越してきました」
差し出された箱を受け取る。
「隣って、ずーっと空き家だったし、お化け屋敷って言われてたんだけど」
「ぶはっ、大丈夫、なんもでなかったぜ」
男の子はずいぶんとハスキーボイスだ。声変わり済みなのだろう。
「……本当?」
「うん」
男の子が笑う。人懐っこいというより、距離の取り方が妙にうまい笑い方だった。
私は受け取った箱を見下ろす。手土産らしい。軽い。お菓子かな。
「……ほんとに、あの家に?」
思わずもう一度確認してしまう。
あの家。ずっと空き家だった洋館。子どもの頃から「近づくな」って言われてた場所。
「住めるんだね、あそこ」
「住めるよ?」と女の子。
「むしろ快適だ」と男の子。
「へぇ……」
思ったより普通の返事で、拍子抜けする。
そのときだった。
「姉ちゃーん、誰ー?」
家の中から弟の声。
「あ、お隣さんだって」
そう答えると、弟が玄関まで来て、二人を見て固まった。
「……え、めっちゃ綺麗な……中学生?」
「こんにちはー」と女の子が手を振る。
「ども」と男の子が軽く頭を下げる。
弟は一瞬で警戒を解いた顔をした。
「うわ、マジで引っ越し? ほんとにあの家?」
「ほんとほんと」
女の子はからからと笑う。
「よろしくねー」
軽い。軽すぎる。
でも不思議と、嫌な感じはしなかった。
「じゃあさ」
男の子がふと思い出したように言う。
「明日、もし暇だったらでいいからさ」
「うん?」
「家、見に来いよ」
「え」
私は一瞬固まる。弟が笑う。
「心霊スポットじゃなかったのかよ」
「そういう噂あるよねー」
女の子がケラケラ笑う。
私は少し迷ってから、小さく頷いた。
「……まぁ、ちょっとだけなら」
男の子が満足そうに笑う。その笑顔が、なぜか一瞬だけ“知っている顔”に見えた。
「じゃあ、またね」
二人は軽く手を振って、去っていく。
残された玄関に、静けさが戻る。
「なんかさ」
弟が言う。
「面白そうなの引っ越してきたのな」
「うん」
私も頷く。
でも、箱を持つ手だけが、少しだけ熱い。
――知らないはずなのに。どこかで、この“感じ”を知っている気がした。
中身はミニアップルパイの詰め合わせだった。
玄関で、「ただいま」という元気な声が聞こえて、あっという間にリビングのドアが開いた。
「あるじさんに会ってきたよー!」
テンション高めに乱が叫ぶ。
「すごく元気そうで、笑ってた!!」
「まあ、ボクたちのことは全然わかってなかったけど」
薬研が苦笑する。
「そうだな。分離は完璧だってことだ」
「ちょーっと寂しいけど、でも、笑ってくれるならいいや」
薬研は少し考えて、乱を見る。
「なあ、乱。おまえ、大将の目、気づいたか」
乱はにやりと笑って、燭台切を見た。
「そりゃあね」
「なんですか?」
五虎退が首を傾げる。
「大将の目、霊力がたまるんだ。今回の分離で、それは全部なくなってるが」
「燭台切さんの神力、残ってるね」
「え!?」
五虎退が燭台切を見るが、微笑んだままだ。
「あの時、長義に増やさないように言われてたよな?」
「増やしてはいないよ」
「……燭台切」
「本当に何もしていないよ」
頭が痛いと、薬研が顔に手をやる。
「ただ、一晩中一緒にいたからね。少しくらい定着していても不思議じゃないかな」
「ええっ」
驚いているのは五虎退だけだ。
「まあ、何もしてないとは思ってなかったけどさー」
「今更だけどな。長義になんていやぁいいんだよ」
「そのままいえばいいじゃん。神力残ってたって」
「そうなんだがな……」
一度深く息を吐いて、薬研はふっと肩の力を抜いた。
「どうでもいいか。大将が元気に笑ってたしな」
「だよねっ」
五虎退が心配そうに三振を見て、次にはホッとし様子で笑った。
「そ、そうですよね」
燭台切は隣の家の方向を見つめる。
すぐそばに彼女がいる。でも、まだ迎えには行けない。
(早く会いたいけど)
記憶のない彼女に会うのは、少しだけ怖い気がした。
「そうだ、たぶん明日ここに来るぞ」
「え?」
「遊びに来いって言っといた。弟の方が来そうだから、大将も来るだろ」
慌てて振り返る燭台切に、薬研がにやりと笑った。
「楽しみだな、燭台切?」
一度息を吐いて、余裕をもって笑い返す。
「それは、腕によりをかけて、おもてなしをしないとね」
目論見がはずれた薬研は、ふっと笑った。
「流石、大将の燭台切だ。この程度じゃ、動じねぇか」
動じたとも。とは言わず、燭台切はただ笑って返した。
現代拠点の洋館。その二階へ行く。
部屋にはまだ何もなく、がらんとしている。
外を見ると、半月に少し雲がかかっている。今夜は雲が多いようだ。月も直ぐに翳ってしまうだろう。
隣家のベランダに人影を見つけ、燭台切は息を止めた。
月にかかる雲が晴れて、彼女を淡く照らしだす。
あの二人で見た縁側の姿を思い出す。何度も隣で見た横顔。
月を懐かしく見つめる瞳は、全く同じで。心が掴まれる。
(ああ、あの子だ)
間違いない。
あの夜と同じ目だ。
こちらを見つめる薄茶の瞳。
(あ)
目が合っていた。奥に秘めた金色が僅かに繋がる感じがした。
「姉ちゃん?」
ベランダに人影が増えた。背の高い男。
彼女がびくりと震え、振り返る。あの頃と変わらぬ反応に、微笑む。
彼女が何かを彼に話しているけど、声までは聞こえてこない小声。身振り手振りで、こちらについて何か話しているようだ。
「ああ、隣に越してきた…」
こちらを見た男は燭台切を見て、ぴくりと僅かに身体を揺らす。僅かに警戒された気がする。
「うわ、まじ美形。昼のといい、顔面偏差値高いなー」
ふざけた声音を出しているけど、どこかうきうきと浮き足立つ声。これは、本丸の手合せ前の相手とよく似た反応。遠目に見ても、動きが剣士のそれだ。刀を扱う者の。
「こんばんはー」
「ちょ、何して…!?」
「挨拶」
「そうだけど、夜っ」
「すぐだって。隣に引っ越してきた人ですよね。よろしくー」
男は燭台切に、ひらひらと手を振って、室内に戻っていった。
残された彼女は唖然としている。
その目が困ったようにこちらを見て、ぺこりと頭を下げる。
「お、弟が、失礼しました」
記憶がないから余所余所しい彼女は、困ったように微笑む。
さっきの金色はもう見えない。
「そ、の、月、綺麗ですよね」
彼女が月に視線を向けて、そう言った。
たぶん。他意は無い。
無いはずだ。
そのはずだ。
だけど、顔が熱い。
彼女から、月が綺麗だと。
「あ」
彼女が慌てる。
「へ、変な意味じゃなくて」
「その、本当にただ、綺麗だなって」
わかってる。
わかってた。
「うん」
燭台切も、気持ちを落ち着かせるために、同じ月を見る。また僅かに雲が棚引いている。
「綺麗だ」
ほっとした気配がこんな距離でも伝わってくる。
「あなたも、お月見ですか?」
彼女の問いに顔を向け、微笑む。
「うん、僕も月を見るのが好きなんだ」
彼女が笑う。なんの翳りもなく。
「あ、お菓子、ありがとうございました」
彼女が手にしているのは、乱たちが持っていった挨拶の品。用意したのは燭台切だ。彼女の好きなリンゴの菓子。
「これ、すごく美味しいです」
「つまみにしてるの?」
「はい。お酒だけだと、ダメだって」
缶チューハイを掲げた彼女が、首をかしげる。
「あれ、だれに言われたんだっけ…?」
記憶は分離。まだ未完成の技術。
覚えている様子では無いが。
「そうだね、空腹ではだめだよ」
くすくすと彼女が小さく笑う。
「はい」
そうして、また二人でただ月を見る。半分雲に隠れてしまったけど。
この時間をまた得られる幸福に、燭台切もまた酔いしれた。