[刀剣乱夢] 燭台切光忠は主を甘やかしたい 作:himausa
翌朝、今日は大学で講義がある。午前中に少しだけ。
部屋の鏡で、姿勢と、髪型を少し整えて。
「よし」
頷いて、玄関をでる。他の家族はもう学校と仕事場だから、鍵をかける。
「おはよう」
隣から聞こえた声に、思わず肩が跳ねた。振り返ると、光忠がいる。朝の光の中で見ると格好良さが際立つ気がする。
少しだけ目を細めた。
「おはようございます」
「出かけるの?」
「はい。講義があって。大学の」
光忠の視線が上から下にすっと流れる。それから。
「うん、格好いいね」
どきり、とした。言われるとは思ってなかったのと、単純にこの人に言われたことが嬉しかったから。
「そ、そうですか?」
「うん」
「ああ、ありがとうございま、す」
あと、かなり照れる。
「光忠さんは、お休みですか?」
「……そんなところ」
眩しそうに目を細める。何の仕事をしてる人だろう。
「大学、楽しい?」
「あー……まあ、たぶん」
「たぶん?」
「今は講義は少しで、ほとんど論文書いてて」
「ふーん?」
「興味あるんですか?」
少し考えた光忠が頷く。
「え、あー、他の大学って、なかなか入りませんもんね」
ちょっとした出来心だった。
「行ってみますか?」
まさか、頷くとは思ってなかった。
助手席に、狭そうに座る光忠は、もう席をいっぱいに下げている。
「狭くてすいません」
「僕の方こそ、ごめんね」
「じゃあ、行くので」
アクセルを踏んで、いつもの通学路を慎重に運転する。
人を乗せて運転は、家族以外でしたことがない。
視線を感じる。けど、運転に集中しないと。
「運転できるなんて、すごいね」
信号待ちで言われる。
「まあ、もう四年ですし、卒業前にはとっておかないと就職が」
「やりたいことは決まってないんですけど……できれば家から通える仕事がいいかなって」
「家族と離れたくなくて」
こんなこと話すのは初めてだった。誰にも言ったことがないのに、光忠には簡単に言ってしまった。
不思議な人だな、と思う。
運転中、もう視線は気にならなかった。
講義を終えて教室を出ると、光忠は遠巻きにされていた。
その目が私を見つけ、輝く。駆け寄ってくる。なんだろう、この大型犬っぽい感じ。
ただし、視線は別。
とても目立ってる。とんでもなく、目立っている。
慌てて駐車場へ向かった。
歩いていても、光忠はいろんな人に話しかけられては、躱していて。
すごく、慣れていて。
(……格好いいけど、私……)
帰りの車中、何を話したか。あまり覚えていない。
私は心の中がすごくモヤモヤして。そんな自分が、すごく嫌だった。
夜、ベランダにいる彼女を見つけ、燭台切はホッとした。
昼間、少し様子がおかしかったから。
「こんばんは」
声をかけると、少しして、「こんばんは」と返される。
彼女はずっと雲がかかって、ぼやけた月を見ている。
燭台切を見ようとしない。
しばらく、そうして彼女が黙って、缶チューハイを傾けていた。
「……すいません」
数分して、彼女が呟く。その目が燭台切に向けられる。
「うん」
「なんか、光忠さんが、格好良すぎて」
「うん?」
ふっと彼女が寂し気に笑う。
「胸の中が、モヤモヤしてて」
「うまく、話せてなかったですよね」
それは。
それは。
もしかして。
「光忠さん、話しやすすぎて。ちょっと、勘違いしそう」
こっちは、期待をしてしまいそうなんだけど。
「どんな?」
できるだけ、優しく問いかける。
「……どんな?」
彼女が繰り返し、首を傾げる。自分でもわかっていないらしい。
彼女はもう一度缶を傾けて、飲んで。
その間に、月にかかる雲がひと時晴れた。
「わ、もうあと少しだ……」
小さなつぶやきが聞こえる。
また月に雲がかかる。
「一瞬でしたね」
「そうだね」
燭台切をみる彼女は、続きを話す気はなさそうだ。
今夜は月が出るのを待つ夜なのだろう。
ただ彼女はちびちびと缶を傾けている。
「……おつまみ、ないの?」
「あ」
燭台切が問いかけると、彼女は止まって。ばつが悪そうな顔で視線を向けてくる。
「……忘れてました……」
小さく彼女が笑う。
「でも、これほとんどジュースですよ」
こういう言い訳がスラスラと出てくるのは、前からのようだ。
思わず、笑いながら息を吐いていた。
「それでも、ちゃんと用意すること」
「はーい」
くすくすと彼女が笑う。やっと、普通に笑ってくれた、と燭台切は胸をなでおろす。
「あ、また」
彼女が月を見やる。風が吹いて、また雲間から月の光が差し込んだ。
視線を感じて彼女を見ると、燭台切を見ている。
「……綺麗」
彼女にも月の光が落ちていて。
「……うん」
君の方が綺麗だと。言いそうになった。
「……就職の話、なんですけど」
「弟はもう警察官になるんだって、決めてるんですよ。すごいですよね」
少し自慢げに話す彼女は、くすくすと笑って。ふっと息を吐いた。
「……私も、弟みたいに戦えたらいいのに……」
「え?」
「せめて、私が自分ぐらい守れれば、弟は他にも選べるんですけどね……」
少し陰のある顔は、後悔、だろうか。
迷惑をかけないように、と言っていた頃と重なる。やはり、こういうところも変わらないのだろう。
「今度、護身術でも習おうかな」
冗談みたいな呟きが聞こえる。
僅かに感じるのは、彼女の焦燥。たぶん、無意識。
「……僕が教えようか?」
申し出てみる。もしも、受けてくれるなら、少しでもその心を軽くできるなら。ただそれだけで、下心はない。
彼女は驚いた様子で、燭台切を見る。
その頬がほんの少し染まって見えた。
「光忠さん、そんなこともできるんですか?」
「……じゃあ、お願いしようかな」
一瞬。
絡んだ視線に、金色が絡まった気がした。
気づかれないように、息をのむ。声が、上ずらないように。格好良く、見えるように。
意識して、ゆったりと微笑む。
「うん、じゃあ、明日はどう?」
彼女は目を瞬き、細めて笑った。
「はい」
見えないように、つい下げた拳を握っていた。
それから、明日の時間を軽く話して。
「おやすみなさい、光忠さん」
「……おやすみ」
今夜は部屋に戻る前に、彼女の笑顔が見れた。
いい夢が見られそうだ。
翌日は朝から隣の家にお邪魔していた。
リビングにノートパソコンを広げて、眼鏡をかけて向き直る。
珈琲を持ってきた光忠が、少し驚いている。
「眼鏡、かけるんだ」
普段かけていないからだろう。
「ディスプレイがまぶしくて。これ、ブルーライトカットなんです」
書きかけのテキストを開く。
卒論を午前中やる予定だと言ったら、一人ならおいでと言われたのだ。
お昼も一緒に食べようって。ちゃんと食べないんじゃないか、と心配されてしまった。
まあ、可能性はないこともない。
画面に視線を向け、どこまで書いたかなと少し読み返す。
そうして、しばらく集中していた。
「……そろそろ休憩」
「え」
顔を上げると、光忠が苦笑していた。
「もう二時間もたってる」
「……あ。もうそんな時間ですか」
眼鏡をはずし、珈琲を飲む。
「すいません、集中するといつもこうで」
「集中すると周りが見えなくなるんだね。……それで、お昼を抜くことも?」
一瞬止まる。なんでわかったのだろう。
光忠を見て、誤魔化すように微笑んだ。
「これ食べて、休憩すること。あと、お昼ができたら、また声かけるから」
「……いただきます」
オヤツは手作りプリンだった。美味しかった。
食べ終えてから、また卒論を続けて。声を掛けられるまで、全然気づかなかった。
「乱くんや、薬研くんたちも来てたけどね」
「え」
「集中しすぎ」
「……会いたかったなぁ」
「また今度、ね。お昼食べて休憩したら、護身術やろうか」
今日の昼はふわとろオムライスだった。これもなんだか懐かしい味がした。
昼食後、食器を二人で片づけて。
「さて、午後はちゃんと身体を動かそうか」
笑いながら言われて、苦笑する。
実際、半日ほぼ動いていなかったから。「ちゃんと」と言われるのは仕方ない。
階段を上って、二階へ上がる。隣の家の二階は、何も置いていない部屋だった。
夜にいつも電気がついていないと思ったけど。
「ここ、使ってないんですか?」
「今はね」
始めようか、と向き合う。
「護身術は、相手から逃げる手段のひとつだよ」
「まずはよくあるパターンから」
光忠が握手のように、手を出す。
「手首掴んでみて」
言われるように掴んで直ぐ。くるりと腕を回されて。
「あれ?」
光忠が笑う。
「まずはやってみようか」
手首を掴まれる。
「親指の方へ抜くイメージ」
「はい」
くるり、と腕を返す。
外れない。
「……あれ?」
もう一度。
「んっ……」
びくともしない。
「んんんっ」
必死なのに全然動かない。
「……はぁっ」
困った。これ、初歩なのに。
「……光忠さん……」
弱りきって、光忠を見上げる。真剣に、困ってる。
「光忠さん?」
「これ、力はいらないんだよ」
「え?」
「ああ、そうだ。手を開いて。相手に向かって少し押して、手を上げる」
言われる通りにする。
「あ、外れました!」
できた、と見上げる。光忠も嬉しそうだ。
「うん、よし。もう一回」
数回繰り返すと、直ぐにできるようになった。
「これなら」
「外れたら、直ぐ逃げてね」
また手首を掴まれる。今度は迷わない。相手の親指の方へ押して、手を上げる。
するり、と手首が抜けた。
「できた」
「うん。その調子」
「はい!」
見上げて笑うと、光忠も笑ってくれた。
「この後に、私も木刀とかで戦えたらいいんですけど」
「それは」
「弟に止められてるんです。さっさと逃げてくれって」
視線を床に落とし、肩が落ちる。
「足手纏いだって」
「……私だって、守りたいのに……」
力がないのが、悔しい。
いつも守られてばかり。
守りたい人たちを、私が危険にさらしてしまう。
目を閉じて、感情をやり過ごす。
それから、顔を上げて、光忠に笑いかけた。
光忠は真剣な顔で、私を見ていた。
「光忠さん?」
「持ってみる?」
「え?」
少し待ってて、といって。光忠がいなくなる。
私は、ベランダから、外に出てみた。
昼の光が明るい。風が気持ちいい。目を閉じる。
(光忠さん)
瞼の裏に、姿が映る。
優しく笑って。困ったように笑って。でも、時々、寂しそうな人。
こうして二人でいると、なんでか懐かしくて、安心してしまう。
それなのに。掴んできた大きな手。練習で掴まれるたびに、胸がどきりと跳ねる。
(……近い)
それだけなのに、心臓だけが勝手に忙しい。
顔が熱くなっているの、バレてないか、冷や冷やする。
頭を振って、不純を振り払った。
光忠が持ってきた木刀を両手で持つ。
持ち方は、弟の試合を見てきたし、少しはわかる。
「悪くないね」
光忠がそばに立って、姿勢を直してくれる。
「うん、良くなった」
「……はい」
「振ってみる?」
木刀を持ち上げる。それだけで、よろける。
「わ」
背中に手を添えて、支えられる。大きな腕。距離が近い。
「ふふっ、大丈夫?」
「は、はいっ」
「重いよね」
「構えるだけなら、できたんですけどね」
ふふっと苦笑しつつ、光忠の顔が見られない。
「じゃあ、一緒にやってみようか」
「……え」
背後に回った光忠が、木刀を持つ手に手を添える。
包み込まれる体に、固まる。
「いくよ」
一人で持ち上げるのがすごく重かった木刀が、軽く上がる。腕が伸びる。踵が、あがりそう。
「視線は前。動かさないで」
耳元で、低音で囁く声。
ゆっくりとふりおろす木刀が、水平でピタリと止められる。
「こう。ね?」
プルプルと震えてしまう。
「も、だめです」
「え」
「お、重いですっ」
落としそうな木刀を光忠が受け取ってくれた。
私はその場にへたり込む。
「竹刀より重い!」
「ふふっ、竹刀?」
「やっぱり、私には無理ですね。逃げるだけにします」
誤魔化すように笑うと、頭を優しく撫でられた。
「うん、そうして」
気づかれていないはずだ。
鼓動が早くなってるとか、顔が赤くなってることとか。全部、距離が近いからだとか。
そんなこと、この人相手なら、誰でもあることだろう。
だから、こんな風に動揺するのは私だけ。
それでいい。
光忠には気づかれなくていい。
「光忠さーん」
月明かりで明るい向かいのベランダから、彼女が手を振っていた。
その隣には弟が、むすっとしている。
「ほら、自分でいいなよ」
「いやだ」
「もー」
姉弟で戯れている。
「こんばんは」
「こんばんは。あのですねー、弟が今度手合わせしたいっていうんです」
弟は顔を背けた。でも、否定はしていない。
「ふうん?」
「時間がある時にいいですか?」
「いいよ」
「ほら、いったじゃん」
弟は困った顔で姉の頭をぐしゃぐしゃに撫でた後、頭を下げて、部屋に戻っていった。
「何照れてんだか」
「仲良いいんだね」
「そう、なんですかね?」
だったらいいな、と言いながら、髪を整えつつ、缶チューハイを傾けている。
「ずるいって言うから」
「まったく。可愛いなぁ」
ニヤニヤと室内を眺める彼女の瞳には、愛しさが溢れている。
大切な家族なんだと、それだけでわかる。
「……いいなぁ」
小さく溢れてしまう言葉は、幸いにも彼女には届かなかった。
「あ、護身術! ちゃんとできました!」
「弟が驚いてました」
家族自慢をする彼女はニコニコとご機嫌だ。
「へえ?」
「これでいつ掴まれても安心です」
「いや、その前に避けようね」
彼女が驚いたように燭台切をみて、嬉しそうに破顔した。
「……はい」
抱きしめたくなるほど愛らしい顔だったから。
燭台切は内心を悟られないように、全力で顔を作った。
彼女は全然気づかずに、満月手前の月を見上げる。
「今夜は月も綺麗だし、雲も少ないし、いい夜です」
ぱり、と音が聞こえる。今夜のおつまみだろう。
「明日の満月が楽しみですね」
「……そうだね」
本当に嬉しそうに言う彼女は数日前に、赤い月が苦手だと言っていたのは忘れていそうだ。
「そうだ、お団子」
「団子?」
「お月様に用意しないと」
「へ、ぇ?」
その上、何か可愛いことを言い出した。
取り止めもなく呟きながら、缶を傾ける彼女は、いつになく上機嫌だった。
喋り続けているのが照れ隠しだなんて、燭台切は想像もしなかった。