[刀剣乱夢] 燭台切光忠は主を甘やかしたい   作:himausa

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第三話 [こ] ここからまた~月見酒の理由

今日の演練、玄関先で、自分は行くことを止められた。

「主は指示だけでいい」

山姥切国広が言う。

「結果は持って帰る」

短く、けれど有無を言わせない声だった。

「任せて!」

乱藤四郎が笑う。

「大将は本丸で待ってな」

薬研藤四郎も続く。

そして燭台切光忠は。

「いってくるよ」

ただそれだけを言った。

昨日の今日だ。まだ演練に行くことは怖い。

だけど、彼らは一言もそれを問わなかったし、責めなかった。

皆、自分のことを知っていた。だから何も言わなかった。

「……ごめんなさい」

甘えてしまっているという申し訳なさに俯いてしまうと、山姥切が眉をひそめた。

「違うだろ」

言われて、目標を思い出す。

一日一回、自分を貶さない。これもそうだ。

「そういう時は」

乱が太陽みたいに、にっと笑う。

「ありがとう!」

目を瞬き、それから、自分は小さく息を吸った。

「……ありがとう、ございます」

四振が満足そうに頷く。

そして第一部隊は出陣していった。

 

 

 

今日の本丸は静かだった。

落ち着かなくて、本を開いても文字が頭に入らない。書類を見ても内容が分からない。

時計ばかり見てしまう。

そわそわそわそわ。

落ち着かない自分の近くには、いつの間にか大倶利伽羅がいた。廊下の端に座っている。何も言わない。ただいる。

それから、鳴狐もいた。お供の狐も時々こちらを見上げ、鳴狐に口を押えられている。

五虎退もいる。虎たちが自分の足元で丸くなっていた。

彼らとは業務以外では、あまり話したことがない。どう声を掛ければいいのか分からない。

それでも、ただ自分の傍にいた。それだけだった。

それだけなのに、少しだけ寂しくなかった。

やがて、帰還の報せが届いて。

自分は立ち上がっていた。

考えるより先に、身体が動いていた。

急ぎ足で玄関へ向かう。

心臓がうるさいぐらいに鳴っていて。

ただ皆は無事だろうか。

怪我は。

演練は。

結果は、と不安が頭を埋め尽くす。

そして、見えた。

第一部隊だ。

誰も欠けていない。

誰も傷付いていない。

皆、晴れ晴れとした顔で歩いてくる。

その姿を見た瞬間、全身から力が抜け、廊下にへたり込みそうになる。

「お、おかえり、なさいっ」

精一杯の声だった。少し裏返ったけど、ちゃんと届いたのだろう。

先頭を歩く山姥切国広が立ち止まる。

「勝ったぞ」

それだけ言う。それだけ言って、さっさと自分の横を通り過ぎていく。

「え」

呆然としていると。

「圧勝だったよ、いえーい!」

乱が飛び込んできた。手を前に構えて、と身振りで示され、そうすると。

パチン。

勢いよくハイタッチされる。

「わっ」

「相手の顔すごかった!」

「乱」

「怒られた」

乱が笑い、薬研が呆れた顔をしている。彼も機嫌が良い。

すれ違いざま、ぽん、と自分の頭に手が乗った。

「よく待ってたな」

そのまま軽く撫でられる。子ども扱いみたいで少し恥ずかしい。でも嫌じゃない。

そして最後に、燭台切が自分に向かって、歩いてくる。

金色の瞳が細められる。その顔は穏やかで、どこか誇らしそうだった。

「ちゃんと」

燭台切は笑う。

「格好良く勝ってきたよ、主くん」

その言葉に、思わず目を見開いた。

格好良く。

その言葉を聞いた瞬間、不思議と胸が熱くなる。

勝った。

みんなが、自分の刀たちが。

格好良く。

胸を張って、誇れる形で、勝って帰ってきた。

それがどうしようもなく嬉しかった。

「……はい」

声が震える。でも今度は泣き声じゃない。

「お疲れ様でした」

そう言って笑った自分を見て、燭台切も満足そうに、本当に嬉しそうに笑ってくれた。

 

 

 

夕餉の席は、いつもより賑やかだった。

盃が行き交い、笑い声が重なる。

「いやー、薬研のあの一撃は痺れたね!」

「油断すんなよ、乱」

「してないってばー!」

演練の内容を乱と薬研が実演交じりに話していて、宴会場全体が勝利の余韻に浮かれた空気だった。

でも、しばらくして、ふと見渡すとそこに主はいなかった。

廊下に出て、主の小さな背中を見つける。

だが、すぐに廊下を曲がってしまった。あっちは執務室だ。

燭台切は静かに追いかけ、廊下の角を曲がる。

「燭台切」

声をかけてきたのは薬研だった。その隣で乱が、少し困ったように笑っている。

「後は頼む」

薬研は短く言う。

「あるじさん、ボクたちの前では飲まないからさ」

それ以上は言わない。けれど、十分だった。

燭台切は頷く。

「分かった」

足早に廊下を進む。

執務室の前で、主を見つけ、声をかける。

「主くん」

びくり、と驚いた顔で主が振り返った。

「あ」

目が合う。眼鏡の奥の瞳が、気まずげに揺れている。

「もう寝る、って感じじゃなさそうだね」

主は少し迷ってから、小さく言った。

「あの……少しだけ、ご一緒しますか?」

燭台切は目を瞬いた。思いもよらないお誘いに、つい柔らかく笑う。

「いいの?」

主が頷き、執務室を抜けた先の部屋から縁側へ出る。

主の私室の隣に縁側があったとは知らなかった。

その縁側は静かで、半分に欠けた月が良く見える。

縁側には座布団が一つ。隣に、洋酒の瓶とグラスが載った盆が置かれていた。

「え」

燭台切は固まる。主も固まる。

「あ」

主の顔は完全に、しまった、という顔だった。

数秒の沈黙。

「主くん」

燭台切はゆっくりと振り返る。

「飲めるの?」

宴会場では主はいつもお茶か水ばかりで、お酒を飲んでいるのは見たことがなかった。

「えと」

主の視線が泳ぐ。

「年齢的には、大丈夫、です、よ?」

「それに」

続ける主の目線が、愛おし気に酒瓶を見下ろす。

「これは……お父さんの、好きなお酒で……」

囁くほどに、小さな声で教えてくれる。

燭台切はその一言で、少しだけ表情を変えた。

家族の記憶と一緒にあるものなのだと分かったから。

「ほとんど、お水、ですよ?」

言い訳するように、続けられ、思わず問い返す。

「本当に?」

「え、えと……」

もう完全に怪しい。

燭台切は小さく息を吐く。

「僕もいただいていいかな」

「えっ」

主が慌て始める。

「え、ええっと……」

そうして、主が止める間もなく。

燭台切は慣れた手つきで英語のラベルが貼られた酒瓶を取り、グラスに注いだ。

揺れる琥珀色で、芳醇な香りが立つ。

それだけで分かる。これはかなり強い。

「……主くん」

燭台切はじっと主を見る。

「っ」

主は諦めたように肩をすくめる。

「こんなの、つまみもなしに飲んじゃ、体壊すよ」

注意はするとして、燭台切は困った様子の主の手を引き、座布団に座らせる。

「あ、え、ええ……えええっと……」

主は困った末に、話題を変えることにしたらしい。

「今日は、お、お疲れさまでした」

縁側端の棚から新しく出してきたグラスに、半分ほど酒を注いで、燭台切に渡してくる。

「それと、ありがとうございました」

可愛らしい抵抗だけども。

「それ、何の御礼?」

燭台切が首をかしげる。

「え?」

「僕たちが勝てたのは」

わかっていない主に、静かに、しかしはっきりと告げる。

「主くんが格好良くいてくれるからだよ」

「ええ、ちが……」

「違わない」

燭台切の迷いない言い切りに、主はおろおろと戸惑っている。

「わ、私、」

「まったく」

燭台切は困ったように笑う。

「わかってないな、主くんは」

グラスを軽く揺らす。半月が琥珀色に沈む。香りもいい。

「そういうところが」

少しだけ声が柔らかくなったのが、燭台切自身にもわかった。

「主くんの良いところ、なんだろうけど」

主は同じようにグラスを持ったまま、言葉を失っている。

褒められたのか、怒られているのか、今は分からないのかもしれない。

燭台切は縁側に視線を向ける。

月と、静かな夜と、勝利の余韻。

そして、この小さな主。

「ねえ、主くん」

「は、はい」

「ひとつだけ確認していい?」

燭台切の言葉に、主は身構えている。

「今日の勝利」

「……はい」

「僕たちだけの力だと思う?」

すぐに答えられないようだった。

燭台切は急かさない。

ただ待つ。

やがて。

小さな声。

「……みんなの、です」

燭台切は満足そうに頷いた。

皆、に主が自分を入れているかは、あえて聞かなかった。

今は、皆、と言えるだけ良くなっているから。

「うん」

そして、少しだけ笑った。

「じゃあ、それでいいよ」

主と共に、燭台切もグラスを一口傾ける。

強い酒のはずなのに、顔色一つ変えない主の横顔を見て、眼鏡の間の綺麗な濃い琥珀みたいな瞳に気づく。

心根のまま、綺麗な瞳だった、と前髪を切った直後を思い出す。

燭台切は月を見たまま、ぽつりと言った。

「主くん」

「はい」

「君はさ」

少し間を置いて。

「もう十分、格好良いよ」

燭台切の誉め言葉に、主は顔を伏せる。

けれど、今度は否定の言葉は出てこなかった。

主がぽつりと言う。

「もし、そうなら」

その手にある、月を映したグラスがわずかに揺れる。

「全部、皆さんのおかげです」

燭台切は息を止めた。

「私は、刀剣男士の皆さんの主にふさわしくありたいと」

その言葉は静かだった。けれど確かに芯があった。

「私のわがままで戦っていただいているのですから」

主はまた少しだけグラスに揺らし、顔を上げる。

「せめてそれぐらいでありたいと、そう思っているんです」

そして、月を見ながら、ふわりと優しく微笑んだ。

「特に、燭台切さんのあれを見てからは」

「え?」

燭台切は瞬きをした。

その間に、主は再び自分のグラス半分に酒を注いで、手にする。

月が、酒の表面に沈む。揺れて、滲んで、夜に溶けていく。

「顕現したばかりの頃」

ぽつりと主が続ける。

「無茶をされたこと、覚えていらっしゃいますか?」

主の言葉をたどり、顕現当初のことを、燭台切は思い出した。

仲間を庇って前に出た。相手は自分より遥かに練度の高い敵で、無茶で、無謀だった。

そして、結果として、燭台切一振だけが、重傷を負った。

「他の刀剣男士の手前」

主の声は揺れない。

「怒らざるを得ませんでしたが」

そこで少しだけ間が空く。

「私は」

主が燭台切を見る。まっすぐに。すぐに視線は月へ戻ってしまったけれど。

「あなたのそのまっすぐな格好良さに、憧れたんです」

燭台切は言葉を失う。

「ただまっすぐ」

「素直にまっすぐな」

「格好良さに」

それは、燭台切がずっと大事にしてきたものだった。

格好良くありたい。

誰かのために、恥ずかしくない自分でいたい。

その結果の無茶だった。

「……あれは」

燭台切はようやく言葉を絞り出す。

「格好悪かったじゃないか」

主は小さく首を振り、燭台切をまた見つめる。

「いいえ、格好良かったです」

迷いがない、月よりも澄んだ声で、眼差しだった。

「でも」

そこで初めて声と瞳が揺れ、視線が燭台切から外れて、グラスに戻った。

「折れてしまわないか、心配しました」

主はグラスの縁をそっと指でなぞっている。

「だから」

小さく、けれどはっきりと続ける。

「もう、しないでくださいね」

燭台切は動けなかった。

その言葉は命令ではない。お願いでもない。もっと祈りに近いものだった。

縁側に座る主の横顔は、月光に照らされている。

さっきまでの泣き虫でも、自信のない少女でもない。

ただ一人の、本丸の主だった。

「主くん」

燭台切はようやく口を開く。

「それはね」

少しだけ笑う。

「難しい注文だな」

主が驚いて、再び燭台切を振り向く。

その眼差しを受け止めながら燭台切は続ける。

「格好良くあろうとすると、どうしても無茶をしたくなる」

「……」

「でも」

燭台切はグラスを軽く持ち上げる。

「君に心配されるのは、もっと困る」

そのグラスの向こう側で、主の目が揺れたのが見えた。

燭台切は月を見る。

「じゃあ約束しようか」

「……約束、ですか?」

「うん」

月を見たまま、燭台切は静かに頷く。

「無茶はしない」

「……」

「でも」

少しだけ目を細め、主を見やる。

「格好良くはあろうとする」

燭台切は苦笑した。

「それでいいだろう?」

主が息を呑み、沈黙した。しばらくの沈黙。

やがて、主は小さく頷いて、俯いた。

「……はい」

声は少しだけ震えていた。

けれど、今度は、たぶん怖さではなかったのだと思う。

燭台切は主の顔を見て、ふと思う。

この主は、自分が思っている以上に、ずっと前から、誰かの「格好良さ」を見ていたのだ。

そして、それを失いたくないと願えるほどに、ちゃんと生きている。

その事実が、なぜだかひどく誇らしかった。

 

 

 

主は少しだけ笑って、ふと思い出したように言った。

「……格好良いって、難しいですね」

「そうだね」

燭台切はすぐに答え。

「でも」

少しだけ間を置いた。

「誰かを見て、そうなりたいと思うのは簡単だよ」

主が視線を向けてきたきれど、燭台切は月を見ていた。

まるで昔からそこにあったものを確かめるように。

「その気持ちがあれば」

「……」

「もう始まってる」

主が何かを言おうとして、でも言葉が見つからなくて。視線を少しだけさまよわせ。また月に向き直り、小さく息を吐いた。

「……私」

ぽつりと小さな言葉がこぼれる。

「やっぱり、まだ怖いです」

燭台切はすぐには答えなかった。

ただ、否定しない。それが今は一番大事だと分かっていた。

主はまた俯いて、続ける。

「誰かに何かを言われるのも」

「自分のことを……ちゃんと見るのも」

主の小さな指先が、グラスの縁をゆっくりとなぞる。

「でも」

そこで、少しだけ顔を上げた。

「それでも」

声が揺れる。けれど、逃げていない。

「続けようと思います」

「一日一回、自分を貶さないことも」

「服を整えることも」

「背筋を伸ばすことも」

小さく息を継いで。

「全部、続けます」

その言葉に燭台切は、ほんの少しだけ目を見開いて、静かに笑った。

「それでいいよ」

夜風が、二人の間を通り抜ける。その向こうで、本丸の灯りが揺れていた。

その灯りは、誰かがつけたものではなく、誰かが守ってきたものでもなく。

ただ一つの場所から始まって。ここにいる全員へと、少しずつ広がってきた光だった。

主は気づかない。まだ気づかない。

その光の中心にいるのが自分だと知る日が、きっともうすぐ来る。

そして燭台切は思う。

格好良さは、形じゃない。言葉でもない。

ただ、誰かが誰かを見て、少しだけ前に進もうとすること。

それが、伝わっていくこと。

それだけなんだ、と。

夜は静かに更けていった。

 

 

 

翌日の日課を一通り終えたあたりで、主が燭台切にディスプレイ画面を見せてきた。

「…あの、燭台切、さん…」

そこに表示されているのは通販サイトで、酒の瓶がいくつも並んでいる。

「…あの、お好みは、どれですか…?」

「主くんの飲んでたのは、ものすごく度数が高いよね?」

「--…父が、好きだったんです。…忘れたく、なくて…」

その顔はあまり聞かれたくないことを無理やりに答えているような苦い顔で。

「僕も同じものを飲みたいな」

「え!?」

「よろしくね」

「っはい…」

主は少しだけ頬を染めて、頷いた。

あの月夜の静かな宴席に、また呼んでもらえるということだ。

グラスの琥珀色の液体に映る月と、主を思い出す。

「つまみ、僕が用意するから」

「え」

「いくら強くても、お酒だけはダメだからね」

主は困った様子で頷いた。

その約束が果たされる前に、燭台切の旧知、太鼓鐘貞宗が顕現された。

新人研修ということで、近侍は燭台切から太鼓鐘貞宗が務めることになった。

そんな制度聞いたことない、とは燭台切は言えなかった。

主の決めたことに不満を言うのは、格好良くはない、と思ったので。

 

 

 

 

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