[刀剣乱夢] 燭台切光忠は主を甘やかしたい 作:himausa
第四話 [い] いつもそこにいる~僕だけの御守~
遠目に主を見つける。伸びるようになった背筋、皴を伸ばした服、眼鏡の覗く顔。
毎日、主が格好良さに、気を付けているのが分かる。
それを燭台切は遠目に見る。
――そう、最近、顕現したばかりの刀剣男士の研修のために、近侍が変更になったからだ。
顕現されたのは、燭台切から見ても格好いい伊達男、太鼓鐘貞宗。それ自体は喜ばしい。
でも、そんな制度聞いてないんだけど、とは言えなかった。
「すいません」
なんて、主にすまなそうに言われたら、いいよ、と笑顔で返すしかない。
だって、主が頑張っているのは知っている。
それをもう少し、今度は他の刀剣男士の前でも、なんて主が薬研たちに言われてしまえば、何とも言えなくなる。
実際のところ、主はよくやっている。
今までしていなかったことを、毎日気にして実行、なんて案外できるものじゃない。
でも、いつ見かけても、ちゃんと気にしてるのが分かる。
それに、少しずつ主は他の刀剣男士と話すことが増えてきていると思う。
今も乱が話しかけると、わずかに口元が柔らかくなっている。
何か揶揄われて、慌てている様子は。
「愛らしくなったよなー?」
燭台切は急に、すぐ近くで聞こえた鶴丸国永の声に、ひどく驚いた。
「っ、つ、鶴さん!?」
思わず背筋を伸ばす。
「主、最近変わったよな? あれ、光坊だろ?」
鶴丸の指摘に、燭台切は苦笑しつつ首を振った。
「違うよ、主くんはもともと格好いい子なんだよ」
燭台切の返事に、鶴丸がじっと見つめてくる。
「ふうん?」
「もう、なに、鶴さん」
鶴丸が主のいた方を見つめる。
「遠くから見てないで、行けばいいじゃねぇか」
燭台切も同じ方向を見つめた。そこにすでに主の姿はない。
「でも、今の近侍は僕じゃないし」
「近侍じゃなきゃ、そばにいっちゃいけないわけでもないだろ」
「そうだけど」
視線を感じて燭台切は鶴丸に向き直った。彼の目が楽しそうに煌いている。
「そもそも、こんな遠くからずっと眺めてるだけなんて、伊達男の名が廃るぜ」
「な、眺めてなんてないよ! たまたま! たまたま、主くんの姿が見えたから」
「じーっと見てたって?」
「見てないってば!」
鶴丸は楽しそうに笑った。
「はいはい、そういうことにしとくか」
「もう……!」
燭台切光忠は、ため息をついてその場を離れようとした。
――はずだった。
その視線の先、廊下の向こう側。歩く審神者の姿が見えた。
ふわりと風に揺れる髪。少しだけ前を向いて歩く背中。以前よりも、ほんの少しだけ姿勢がいい。
「あ」
声が、出てしまった。自分でも驚くくらい自然に。
鶴丸が横から覗き込む。
「お、出たな」
「……何がさ」
「いや? 今のはいい“間”だったぞ」
「別に」
いつもの調子で。
いつもの笑顔で。
「ただ見えただけだよ」
そう言いながら、燭台切はもう目を逸らせなかった。
主が誰かと話している。笑っている。少しだけ頷いている。
その仕草が、やけに落ち着いて見える。
前は、こんなふうに立ち止まることすら少なかった。
「……」
胸の奥が、少しだけざわつく。
理由は分かっている。分かっているはずなのに。
「光坊」
鶴丸が、珍しく声のトーンを落とした。
「それ、眺めてるって言うんじゃねぇのか?」
「……違うよ」
言いながらも、燭台切の否定の言葉が、少しだけ遅れた。
その一瞬が、やけに長く感じる。
主がふと顔を上げた。焦げ茶の眼鏡越しの視線が、燭台切を向く。目が合う。
あ、と口が動く。ほんの一瞬。それだけで十分だった。
燭台切は反射的に笑ってしまう。
いつもの笑顔。
格好良い笑顔。
完璧なはずの表情。
「……っ」
なのに、胸の奥が、うるさい。
どうしてだろう。さっきまで何も問題なかったのに。ただのいつもの光景だったのに。
主が燭台切の方向に、小さく会釈して去っていく。その背中が見えなくなってから、燭台切はようやく息ができた。
「……変だな」
ぽつりとこぼすと、鶴丸がにやりと笑う。
「おう、今のは珍しいな」
「何が?」
「格好良く取り繕うのが遅れた顔」
「……やめてくれる?」
燭台切の声は少しだけ硬い。それに対して、鶴丸は肩をすくめた。
「まあ、いいじゃねぇか」
「何がさ」
「いつもそこにいるんだろ?」
「……」
燭台切の動きが止まる。鶴丸は続ける。
「だから見ちゃうんだろ」
風が通る。廊下の外で、庭の草が揺れる。遠くで誰かの笑い声がした。
燭台切はゆっくりと目を閉じる。
そして、小さく息を吐いた。
もう、格好良さ、では隠しきれなくなってきていた。
その日の夜、燭台切は廊下に立っていた。
理由はない。いや、ある。
本丸内の巡回は、近侍ではない日でもやる、いつもの仕事。そのはずだった。
だが、気づけば足が止まる。
灯りの向こうに、小さな足音。
主が一人で歩いている。
少しだけ疲れた顔で。それでも、前を向いている。
その姿を見た瞬間、また息が詰まる。
(……まただ)
胸の奥が、勝手に動く。
近づきたい。声をかけたい。
でも、このまま見ていたい。
そんな矛盾が、喉の奥に引っかかる。
主がふと立ち止まり、顔を上げ、燭台切と視線が合う。
「あ……」
小さな声。
その瞬間、燭台切は反射的に笑っていた。
いつものように、完璧に。何も揺らいでいない顔で。
「こんばんは、主くん」
そう言えた。言えてしまった。
主は少しだけ驚いた顔をして、それから、小さく笑った。
「こんばんは」
一言だけで、十分だったはずなのに。
すれ違う瞬間、燭台切の胸の奥が、遅れて痛んだ。
(……何だ、今の)
振り返らない。振り返れない。
格好良くあれ。
その言葉が、いつものように支えてくれない。
代わりに、別の声がする。
(また、見たい)
誰の声かも分からないまま、燭台切はゆっくりと目を閉じた。
そして、小さく息を吐く。
「……格好悪いな、僕は」
燭台切が近侍になる前、こんなにも主に会わなかっただろうか。
そういえば、主の行動範囲は狭い。わかっていたはずなのに、今さらわからないなんて思わなかった。
「みっちゃんっ」
厨にいた燭台切のもとに、太鼓鐘貞宗が明るい声をかけてきた。
「主のおやつ、これ? 持ってくなっ」
「あ」
「ん?」
「…いや、何でもないよ」
主のオヤツを持って行くのも、近侍の仕事だ。だから、太鼓鐘がもっていくのは当たり前なのに。ずるい、なんて考えが過ってしまう。
「俺にもその菓子もらえるかい?」
厨に顔を出した鶴丸が、燭台切に聞いてきた。
「う、うん」
残っている分を小皿に用意する間に、鶴丸が太鼓鐘に話しかけている。皆、同じ伊達藩に所蔵されていたことがあるから、顔なじみだ。
「お、それ、貞坊ももらったか。まあ、顕現したてだしな」
燭台切は二人を見る。太鼓鐘の首から下げられた、青い御守。
「ああ、これ? 顕現してすぐに渡されたんだ。今度の主は心配性だな」
「え」
自分は御守をもらった覚えがない。
なにそれ、僕知らない、と燭台切がいえる空気じゃない。
動揺する燭台切に気づいた太鼓鐘が、羊羹の乗った盆を押し付けてきた。
「みっちゃん、行って来いよ」
「貞ちゃん」
「俺は鶴さんと話してるからさ」
「う、うん」
取り繕うこともできず、燭台切は主のもとへ、執務室へと向かう。
「主くん」
そして、開け放たれた障子の向こうへ声をかけた。
覗き見するつもりではなかったのだけど。
執務室の中の主を見て、燭台切は一瞬だけ言葉を失った。
主の手の中にある、小さなお守り。
それは明らかに、既製品ではない。
歪で、不揃いで。でも丁寧に結ばれている。
「……それ」
お盆を机に置きながら、燭台切の声が少しだけ低くなる。
「僕には、ないんだね」
「っ……!」
主の肩が跳ね、燭台切を焦った様子で見つめる。
「違いますっ」
必死な否定。
「違うんです、そうじゃなくて……!」
主の小さな手が震えていて。
燭台切はその手元を見ている。見てしまっている。止められない。
(なんで)
頭の中で、同じ言葉が回る。
(なんで貞ちゃんには渡して)
(僕にはないんだ)
(なんで今なんだ)
理屈は分かっている。
新規顕現、優先順位、作業量、時間。
近侍をしていたから、全部分かる。分かるのに。
胸の奥が落ち着かない。
太鼓鐘が、廊下の向こうで、明るい声で言う。
「みっちゃん! あとでなー!」
「……ああ」
返事はできる。笑顔も作れる。いつも通りに。
なのに、足は動かない。
主は視線を泳がせながら、必死に言葉を探していた。
「その……燭台切さんは……」
「僕は?」
燭台切は思わず、主の言葉を遮っていた。
主が息を呑み、燭台切を見る。その反応に、何故かまた胸が痛む。
(違う)
(こんなつもりじゃない)
頭では分かっているのに、言葉が止まらない。
「それ、僕にはないの?」
「っ!」
主の目に涙が浮かぶ。そこでようやく、燭台切は気づいた。
(あ)
(違う)
これは、怒りじゃない。
「……すみません」
先に口を開いたのは主だった。小さく、震えた声で。
「器用じゃなくて……」
両手をぎゅっと握って、作りかけの御守を握りしめている。
「でも、燭台切さんには、その……特別に、って……」
言葉が途切れる。
それでも、そこに込められたものだけは、はっきりしていた。
燭台切は動けなかった。
その、特別、という言葉が、やけに重い。やけに優しい。そして、やけに危険だった。
「……」
気づけば、燭台切の視線は御守ではなく、それを持つ手に向いていた。
震えている。
不器用で、まっすぐで、逃げられない形でそこにある。
(……僕は今)
燭台切は、ようやく理解する。
(嫉妬してるんじゃない)
(怒ってるんじゃない)
そのどちらでもなく。
もっと単純で、もっと厄介なもの。
――欲しい。
その言葉が、頭に浮かんだ瞬間、燭台切は息を止めた。
次の瞬間、自分でも驚くほど自然に。一歩、踏み出していた。
主の前、少しだけ声を落とす。
「……主くん」
「は、はい……」
必死に燭台切の顔を見つめ、震える返事。
燭台切は、その目を見る。
逃がさない。でも責めない。ただ、確かめるように。
「それ」
一度、御守を見て。
「ちゃんと、大事にするよ」
主の目が見開かれる。
「……え?」
燭台切は小さく笑った。いつもの顔で、でも少しだけ、違う温度で。
「だからさ」
少し間を置く。
「次は、僕の分もお願いしていい?」
主の呼吸が止まる。
廊下の方、太鼓鐘が何かを察したような声が聞こえた。
「お、おい、みっちゃん、それは……」
鶴丸がどこかで吹き出す気配もする。
でも、燭台切は見ていなかった。ただ、目の前の主だけを見ている。
主は小さな頭を揺らして、ゆっくりと頷いた。
「……はい」
小さな声。
でも、確かに、その瞬間、燭台切はようやく気づいてしまう。
(ああ)
(僕は今、格好良く、なんて考えていない)
それでも、不思議と、それが一番格好悪くて。一番、格好良かった気がした。
執務室から離れて、すぐにしゃがみ込み、顔を俯かせる。そんな燭台切の周りに、鶴丸、太鼓鐘、大倶利伽羅が集ってきた。
静寂を破ったのは、大倶利伽羅だった。
「光忠」
短い呼びかけで。燭台切は顔を上げる前に、すでに嫌な予感がしていた。
「俺たちのは全部既製品だ」
「……は?」
それだけ言って、大倶利伽羅は踵を返し、去っていく。
それ以上は何も言わない。説明もしない。同情もしない。
ただ事実だけを置いていく。
残された燭台切は、その言葉の意味を数秒かけて理解した。
(……つまり)
(僕が勝手に)
視線を落とす。
執務室、主の手の中の不格好な小さな御守。
それは確かに、既製品ではない。
主は、特別、と言っていた。
だからこそ、そこに込められたものが、余計に重い。
「みっちゃーん」
間延びした声で、太鼓鐘がにやにやしながら覗き込んでくる。
「いやー、あれはズルいって」
「そうそう、あれは反則だよなー」
鶴丸も隣で肩を揺らしている。
「……何のこと」
燭台切はようやく声を出す。だがその声は、いつもの余裕がなかった。
太鼓鐘は楽しそうに言う。
「だってさぁ、あれ完全に、特別扱いして、って顔だったじゃん」
「してないよ」
即答してた。しかし即答すぎた。
鶴丸が笑う。
「おっと、今のは逆に怪しいな」
「怪しくない」
「いやいや、みっちゃん」
太鼓鐘が肘で軽くつついてくる。
「あれはもうさ、わかっててやってる、だろ?」
「……」
言葉が出ない。否定したいのに、否定できない。
さっきの主の顔が、頭から離れない。
震える手で、必死な声で。そして、特別、という言葉。
燭台切はゆっくりと両手を顔に当てた。
「……僕」
声がくぐもる。
「今、すごくカッコ悪い……」
沈黙。
そして、太鼓鐘が吹き出す。
「いや、今さら!」
「今さらだな」
鶴丸も笑っている。
遠慮がない。救いがない。でも、不思議と嫌ではなかった。
燭台切は顔を覆ったまま、小さく息を吐く。
(……そうか)
(これが)
(崩れる、ってことか)
今までずっと、格好良さで整えてきた。振る舞いで隠してきた。距離で守ってきた。
それが、たった一つの言葉で簡単に揺らぐ。
そしてその原因が、あの小さな主だということが。
どうしようもなく、救いがなかった。
なのに。
(嫌じゃない)
その事実だけが。
一番格好悪くて。
一番どうしようもなかった。
翌日、燭台切が近侍に戻った朝は、妙に静かだった。
いつも通りのはずの執務室。
いつも通りのはずの距離。
それなのに、何かだけが違う。
「その……」
主は両手をきゅっと握っていた。
「遅くなってしまって、ごめんなさい」
差し出されたのは、小さな包みだった。
紐が少しだけ不揃いで、結び目がほんの少し歪んでいる。
それでも丁寧に包まれている。
「燭台切さんを近侍から外したのは……」
言いながら、主の視線が落ちる。
「これを作るためで」
燭台切は受け取る指先が、ほんのわずかに迷う。
(ずるいな)
心の中でだけ、そう思う。
受け取った瞬間、それが既製品ではないことがはっきり分かる。
昨日のものと同じなのだけど、もっと、もっと個人的な想いのこもったものだ。
「……いや」
燭台切はようやく声を出す。
「いいんだ、うん」
それ以上の言葉が出ない。出したらまずい気がした。
燭台切は軽く笑おうとして、失敗する。口元がうまく動かない。
(恥ずかしい)
どうしようもなく。
自分でも理由が分からないまま、ただ胸の奥が落ち着かない。
主は不安そうに燭台切を見ている。
「……その」
「うん」
「ちゃんと、使っていただけるようにと思って」
「……使う?」
思わず聞き返すと、主は慌てて首を振る。
「いえ、そうじゃなくて……その、持ってもらえるだけでも……」
「……」
燭台切は視線を落とす。
小さなお守りは、昨日より少しだけ形が整っている。
でも、まだ不器用だ。その不器用さが、やけにまっすぐで、目を逸らせない。
「主くん」
「は、はい」
主の肩がわずかに揺れる。
燭台切はそこで初めて気づく。
(ああ)
(僕は今、この子の、手作り、に動揺している)
格好良くあろうとする余裕が、どこかに落ちている。
代わりにあるのは、ただの感情だ。
「これ」
ゆっくりと言う。
「すごく、いいね」
主の目が見開かれる。
「え……?」
「うん」
頷くだけで、それだけで燭台切は精一杯だった。
「……ちゃんと、大事にする」
その言葉を聞いた瞬間、主の表情が、ふっと緩む。安心したように。少しだけ嬉しそうに。
「……よかった」
その一言で、燭台切は気づいてしまう。
(これだ)
(昨日からずっと)
(僕を崩しているのは)
格好良さじゃない。特別扱いでもない。戦でもない。
ただ、この子が、こちらを見ているという事実だ。
燭台切は小さく息を吐いて、笑う。いつものように。でも、少しだけ違う温度で。
「主くん」
「はい」
「これ、ありがとう」
そこで一度言葉を止めて、真っ直ぐに主を見つめる。
「主くんの手作りって、僕だけ?」
主は首を横に向けて、逸らす。
「そ、れは、」
「うん」
首から上が真っ赤になっている。
「そ、そういう意味では……っ」
主の耳まで真っ赤になる。
そこでようやく燭台切は、自分が少し追い込みすぎたことに気づいた。
「……ごめん。今のは、ちょっと意地悪だったかな」
そして、すぐに笑う。いつもの、燭台切光忠の格好良い顔、で。
けれど、その笑顔の裏で、静かに思う。
(冗談で済むうちは、まだ大丈夫か)
揶揄われたと思って、主がほっとしている。
今日も近侍お願いします、なんて頼ってくれる。
だから、きっと気づかれていない。
燭台切が、こんなことを思っているなんて。
――ああ、本当に、僕だけなんだ。
格好良さの裏側で、嬉しさをかみしめているなんて。
きっと主は気づいていない。
夜、主の部屋近くの縁側へ向かう燭台切の足取りは軽かった。
手元にはつまみを乗せた盆がある。
主から、月見の会のお誘いを受けたからだ。
以前に頼んだお酒が届いたから、と。
「それと、近侍再就任のお祝い、です」
直接誘われたのは初めてで、どうしたって浮き足立ってしまう。
「燭台切、それ、つまみ?」
「うん、厨にも置いてあるから、各自ね」
通りすがった男士にも、浮かれているとわかるぐらいだったかもしれない。
これは、格好悪い、と途中で気づき、主の部屋近くで足を止める。
呼吸を整え、主の待つ縁側へと向かった。
縁側には既に主が座っていて、ぼんやりと少し膨らんだ半月を眺めている。上限と十三夜の間ぐらいの月。主は、洋風寝巻の上に、カーディガン一枚を羽織り、手には空のグラス。
「主くん」
燭台切が声をかける。
ぴくりと振り返った主は、今にも泣きだしそうで。でも、口をきゅっと結んで、わずかに頬を上げた。
きっと家族を思い出していたのだろう。
そのことには触れずに、燭台切は隣に用意された座布団に座る。お盆は二人の後ろに。
「また、つまみもなしに飲んで」
「まだ飲んでません」
やけにきっぱりという。
普段はゆっくりと躊躇いながら話すのに。こと、お酒に関しては誤魔化すときに、はっきりいってしまうらしい。
主が、持っていた空のグラスを盆に置く。それから、用意していた氷入れから、氷を二つのグラスに入れる。そこに未開封のウィスキーを開けて、ゆっくりと注いでいく。隣に空のボトルがあるけど、空なのかは聞かないで置いた。
「どうぞ」
差し出されたグラスは透明で、氷とお酒の琥珀色が良く見える。
燭台切が受け取ってから、主も同じように作ったグラスを手にした。
「近侍、もう一度引き受けていただいて、ありがとうございます」
その言葉に、瞬きをしてから、燭台切はふっと微笑む。
「僕の方こそ、もう一度近侍にしてくれてありがとう」
主は恥ずかしそうに口元を緩め、誤魔化すようにグラスを口に運んだ。
「それと、御守」
その動きがぴたりと止まる。
「すごく、嬉しかった」
「ありがとう」
主の目が月を見上げ、ゆっくりと燭台切に移る。
「その、忘れていたわけでは、なくて、ですね」
「うん」
「時間が、かかって。不器用で」
「うん」
「何があっても、丈夫なものを、と思いまして」
紡がれる言い訳は、全部燭台切を想ったもので。
それがうれしくて、格好良く取り繕うのが大変だった。
「大切にする」
こくりと主が頷く。
「飾っておきたいぐらい」
「使ってください」
「はい」
くすくすと笑う燭台切から視線を外し、月を見上げる主の口元も、少し柔らかくなっていた。
今、燭台切の懐には、不格好な御守りがある。確かめなくてもわかる。
誰にでも配られたものじゃない。
主が不器用な手で、僕のためだけに時間をかけて作ったものだ。
(……ああ、危ういな)
こんなの、持っていたらどうにかなってしまいそうだ。
指先が無意識に懐へ向かいかけて、燭台切はそっとグラスを持ち直した。
確かめなくても、そこにある。それだけで十分だった。
月を映した琥珀色を静かに傾ける。
氷がからりと鳴る。
その音さえ、少し浮ついて聞こえた。