[刀剣乱夢] 燭台切光忠は主を甘やかしたい   作:himausa

4 / 28
第二章 あなたを見ていたい
第四話 [い] いつもそこにいる~僕だけの御守~


遠目に主を見つける。伸びるようになった背筋、皴を伸ばした服、眼鏡の覗く顔。

毎日、主が格好良さに、気を付けているのが分かる。

それを燭台切は遠目に見る。

――そう、最近、顕現したばかりの刀剣男士の研修のために、近侍が変更になったからだ。

顕現されたのは、燭台切から見ても格好いい伊達男、太鼓鐘貞宗。それ自体は喜ばしい。

でも、そんな制度聞いてないんだけど、とは言えなかった。

「すいません」

なんて、主にすまなそうに言われたら、いいよ、と笑顔で返すしかない。

だって、主が頑張っているのは知っている。

それをもう少し、今度は他の刀剣男士の前でも、なんて主が薬研たちに言われてしまえば、何とも言えなくなる。

実際のところ、主はよくやっている。

今までしていなかったことを、毎日気にして実行、なんて案外できるものじゃない。

でも、いつ見かけても、ちゃんと気にしてるのが分かる。

それに、少しずつ主は他の刀剣男士と話すことが増えてきていると思う。

今も乱が話しかけると、わずかに口元が柔らかくなっている。

何か揶揄われて、慌てている様子は。

「愛らしくなったよなー?」

燭台切は急に、すぐ近くで聞こえた鶴丸国永の声に、ひどく驚いた。

「っ、つ、鶴さん!?」

思わず背筋を伸ばす。

「主、最近変わったよな? あれ、光坊だろ?」

鶴丸の指摘に、燭台切は苦笑しつつ首を振った。

「違うよ、主くんはもともと格好いい子なんだよ」

燭台切の返事に、鶴丸がじっと見つめてくる。

「ふうん?」

「もう、なに、鶴さん」

鶴丸が主のいた方を見つめる。

「遠くから見てないで、行けばいいじゃねぇか」

燭台切も同じ方向を見つめた。そこにすでに主の姿はない。

「でも、今の近侍は僕じゃないし」

「近侍じゃなきゃ、そばにいっちゃいけないわけでもないだろ」

「そうだけど」

視線を感じて燭台切は鶴丸に向き直った。彼の目が楽しそうに煌いている。

「そもそも、こんな遠くからずっと眺めてるだけなんて、伊達男の名が廃るぜ」

「な、眺めてなんてないよ! たまたま! たまたま、主くんの姿が見えたから」

「じーっと見てたって?」

「見てないってば!」

鶴丸は楽しそうに笑った。

「はいはい、そういうことにしとくか」

「もう……!」

燭台切光忠は、ため息をついてその場を離れようとした。

――はずだった。

その視線の先、廊下の向こう側。歩く審神者の姿が見えた。

ふわりと風に揺れる髪。少しだけ前を向いて歩く背中。以前よりも、ほんの少しだけ姿勢がいい。

「あ」

声が、出てしまった。自分でも驚くくらい自然に。

鶴丸が横から覗き込む。

「お、出たな」

「……何がさ」

「いや? 今のはいい“間”だったぞ」

「別に」

いつもの調子で。

いつもの笑顔で。

「ただ見えただけだよ」

そう言いながら、燭台切はもう目を逸らせなかった。

主が誰かと話している。笑っている。少しだけ頷いている。

その仕草が、やけに落ち着いて見える。

前は、こんなふうに立ち止まることすら少なかった。

「……」

胸の奥が、少しだけざわつく。

理由は分かっている。分かっているはずなのに。

「光坊」

鶴丸が、珍しく声のトーンを落とした。

「それ、眺めてるって言うんじゃねぇのか?」

「……違うよ」

言いながらも、燭台切の否定の言葉が、少しだけ遅れた。

その一瞬が、やけに長く感じる。

主がふと顔を上げた。焦げ茶の眼鏡越しの視線が、燭台切を向く。目が合う。

あ、と口が動く。ほんの一瞬。それだけで十分だった。

燭台切は反射的に笑ってしまう。

いつもの笑顔。

格好良い笑顔。

完璧なはずの表情。

「……っ」

なのに、胸の奥が、うるさい。

どうしてだろう。さっきまで何も問題なかったのに。ただのいつもの光景だったのに。

主が燭台切の方向に、小さく会釈して去っていく。その背中が見えなくなってから、燭台切はようやく息ができた。

「……変だな」

ぽつりとこぼすと、鶴丸がにやりと笑う。

「おう、今のは珍しいな」

「何が?」

「格好良く取り繕うのが遅れた顔」

「……やめてくれる?」

燭台切の声は少しだけ硬い。それに対して、鶴丸は肩をすくめた。

「まあ、いいじゃねぇか」

「何がさ」

「いつもそこにいるんだろ?」

「……」

燭台切の動きが止まる。鶴丸は続ける。

「だから見ちゃうんだろ」

風が通る。廊下の外で、庭の草が揺れる。遠くで誰かの笑い声がした。

燭台切はゆっくりと目を閉じる。

そして、小さく息を吐いた。

もう、格好良さ、では隠しきれなくなってきていた。

 

 

 

その日の夜、燭台切は廊下に立っていた。

理由はない。いや、ある。

本丸内の巡回は、近侍ではない日でもやる、いつもの仕事。そのはずだった。

だが、気づけば足が止まる。

灯りの向こうに、小さな足音。

主が一人で歩いている。

少しだけ疲れた顔で。それでも、前を向いている。

その姿を見た瞬間、また息が詰まる。

(……まただ)

胸の奥が、勝手に動く。

近づきたい。声をかけたい。

でも、このまま見ていたい。

そんな矛盾が、喉の奥に引っかかる。

主がふと立ち止まり、顔を上げ、燭台切と視線が合う。

「あ……」

小さな声。

その瞬間、燭台切は反射的に笑っていた。

いつものように、完璧に。何も揺らいでいない顔で。

「こんばんは、主くん」

そう言えた。言えてしまった。

主は少しだけ驚いた顔をして、それから、小さく笑った。

「こんばんは」

一言だけで、十分だったはずなのに。

すれ違う瞬間、燭台切の胸の奥が、遅れて痛んだ。

(……何だ、今の)

振り返らない。振り返れない。

格好良くあれ。

その言葉が、いつものように支えてくれない。

代わりに、別の声がする。

(また、見たい)

誰の声かも分からないまま、燭台切はゆっくりと目を閉じた。

そして、小さく息を吐く。

「……格好悪いな、僕は」

 

 

 

燭台切が近侍になる前、こんなにも主に会わなかっただろうか。

そういえば、主の行動範囲は狭い。わかっていたはずなのに、今さらわからないなんて思わなかった。

「みっちゃんっ」

厨にいた燭台切のもとに、太鼓鐘貞宗が明るい声をかけてきた。

「主のおやつ、これ? 持ってくなっ」

「あ」

「ん?」

「…いや、何でもないよ」

主のオヤツを持って行くのも、近侍の仕事だ。だから、太鼓鐘がもっていくのは当たり前なのに。ずるい、なんて考えが過ってしまう。

「俺にもその菓子もらえるかい?」

厨に顔を出した鶴丸が、燭台切に聞いてきた。

「う、うん」

残っている分を小皿に用意する間に、鶴丸が太鼓鐘に話しかけている。皆、同じ伊達藩に所蔵されていたことがあるから、顔なじみだ。

「お、それ、貞坊ももらったか。まあ、顕現したてだしな」

燭台切は二人を見る。太鼓鐘の首から下げられた、青い御守。

「ああ、これ? 顕現してすぐに渡されたんだ。今度の主は心配性だな」

「え」

自分は御守をもらった覚えがない。

なにそれ、僕知らない、と燭台切がいえる空気じゃない。

動揺する燭台切に気づいた太鼓鐘が、羊羹の乗った盆を押し付けてきた。

「みっちゃん、行って来いよ」

「貞ちゃん」

「俺は鶴さんと話してるからさ」

「う、うん」

取り繕うこともできず、燭台切は主のもとへ、執務室へと向かう。

「主くん」

そして、開け放たれた障子の向こうへ声をかけた。

 

 

 

覗き見するつもりではなかったのだけど。

執務室の中の主を見て、燭台切は一瞬だけ言葉を失った。

主の手の中にある、小さなお守り。

それは明らかに、既製品ではない。

歪で、不揃いで。でも丁寧に結ばれている。

「……それ」

お盆を机に置きながら、燭台切の声が少しだけ低くなる。

「僕には、ないんだね」

「っ……!」

主の肩が跳ね、燭台切を焦った様子で見つめる。

「違いますっ」

必死な否定。

「違うんです、そうじゃなくて……!」

主の小さな手が震えていて。

燭台切はその手元を見ている。見てしまっている。止められない。

(なんで)

頭の中で、同じ言葉が回る。

(なんで貞ちゃんには渡して)

(僕にはないんだ)

(なんで今なんだ)

理屈は分かっている。

新規顕現、優先順位、作業量、時間。

近侍をしていたから、全部分かる。分かるのに。

胸の奥が落ち着かない。

太鼓鐘が、廊下の向こうで、明るい声で言う。

「みっちゃん! あとでなー!」

「……ああ」

返事はできる。笑顔も作れる。いつも通りに。

なのに、足は動かない。

主は視線を泳がせながら、必死に言葉を探していた。

「その……燭台切さんは……」

「僕は?」

燭台切は思わず、主の言葉を遮っていた。

主が息を呑み、燭台切を見る。その反応に、何故かまた胸が痛む。

(違う)

(こんなつもりじゃない)

頭では分かっているのに、言葉が止まらない。

「それ、僕にはないの?」

「っ!」

主の目に涙が浮かぶ。そこでようやく、燭台切は気づいた。

(あ)

(違う)

これは、怒りじゃない。

「……すみません」

先に口を開いたのは主だった。小さく、震えた声で。

「器用じゃなくて……」

両手をぎゅっと握って、作りかけの御守を握りしめている。

「でも、燭台切さんには、その……特別に、って……」

言葉が途切れる。

それでも、そこに込められたものだけは、はっきりしていた。

燭台切は動けなかった。

その、特別、という言葉が、やけに重い。やけに優しい。そして、やけに危険だった。

「……」

気づけば、燭台切の視線は御守ではなく、それを持つ手に向いていた。

震えている。

不器用で、まっすぐで、逃げられない形でそこにある。

(……僕は今)

燭台切は、ようやく理解する。

(嫉妬してるんじゃない)

(怒ってるんじゃない)

そのどちらでもなく。

もっと単純で、もっと厄介なもの。

――欲しい。

その言葉が、頭に浮かんだ瞬間、燭台切は息を止めた。

次の瞬間、自分でも驚くほど自然に。一歩、踏み出していた。

主の前、少しだけ声を落とす。

「……主くん」

「は、はい……」

必死に燭台切の顔を見つめ、震える返事。

燭台切は、その目を見る。

逃がさない。でも責めない。ただ、確かめるように。

「それ」

一度、御守を見て。

「ちゃんと、大事にするよ」

主の目が見開かれる。

「……え?」

燭台切は小さく笑った。いつもの顔で、でも少しだけ、違う温度で。

「だからさ」

少し間を置く。

「次は、僕の分もお願いしていい?」

主の呼吸が止まる。

廊下の方、太鼓鐘が何かを察したような声が聞こえた。

「お、おい、みっちゃん、それは……」

鶴丸がどこかで吹き出す気配もする。

でも、燭台切は見ていなかった。ただ、目の前の主だけを見ている。

主は小さな頭を揺らして、ゆっくりと頷いた。

「……はい」

小さな声。

でも、確かに、その瞬間、燭台切はようやく気づいてしまう。

(ああ)

(僕は今、格好良く、なんて考えていない)

それでも、不思議と、それが一番格好悪くて。一番、格好良かった気がした。

 

 

 

執務室から離れて、すぐにしゃがみ込み、顔を俯かせる。そんな燭台切の周りに、鶴丸、太鼓鐘、大倶利伽羅が集ってきた。

静寂を破ったのは、大倶利伽羅だった。

「光忠」

短い呼びかけで。燭台切は顔を上げる前に、すでに嫌な予感がしていた。

「俺たちのは全部既製品だ」

「……は?」

それだけ言って、大倶利伽羅は踵を返し、去っていく。

それ以上は何も言わない。説明もしない。同情もしない。

ただ事実だけを置いていく。

残された燭台切は、その言葉の意味を数秒かけて理解した。

(……つまり)

(僕が勝手に)

視線を落とす。

執務室、主の手の中の不格好な小さな御守。

それは確かに、既製品ではない。

主は、特別、と言っていた。

だからこそ、そこに込められたものが、余計に重い。

「みっちゃーん」

間延びした声で、太鼓鐘がにやにやしながら覗き込んでくる。

「いやー、あれはズルいって」

「そうそう、あれは反則だよなー」

鶴丸も隣で肩を揺らしている。

「……何のこと」

燭台切はようやく声を出す。だがその声は、いつもの余裕がなかった。

太鼓鐘は楽しそうに言う。

「だってさぁ、あれ完全に、特別扱いして、って顔だったじゃん」

「してないよ」

即答してた。しかし即答すぎた。

鶴丸が笑う。

「おっと、今のは逆に怪しいな」

「怪しくない」

「いやいや、みっちゃん」

太鼓鐘が肘で軽くつついてくる。

「あれはもうさ、わかっててやってる、だろ?」

「……」

言葉が出ない。否定したいのに、否定できない。

さっきの主の顔が、頭から離れない。

震える手で、必死な声で。そして、特別、という言葉。

燭台切はゆっくりと両手を顔に当てた。

「……僕」

声がくぐもる。

「今、すごくカッコ悪い……」

沈黙。

そして、太鼓鐘が吹き出す。

「いや、今さら!」

「今さらだな」

鶴丸も笑っている。

遠慮がない。救いがない。でも、不思議と嫌ではなかった。

燭台切は顔を覆ったまま、小さく息を吐く。

(……そうか)

(これが)

(崩れる、ってことか)

今までずっと、格好良さで整えてきた。振る舞いで隠してきた。距離で守ってきた。

それが、たった一つの言葉で簡単に揺らぐ。

そしてその原因が、あの小さな主だということが。

どうしようもなく、救いがなかった。

なのに。

(嫌じゃない)

その事実だけが。

一番格好悪くて。

一番どうしようもなかった。

 

 

 

翌日、燭台切が近侍に戻った朝は、妙に静かだった。

いつも通りのはずの執務室。

いつも通りのはずの距離。

それなのに、何かだけが違う。

「その……」

主は両手をきゅっと握っていた。

「遅くなってしまって、ごめんなさい」

差し出されたのは、小さな包みだった。

紐が少しだけ不揃いで、結び目がほんの少し歪んでいる。

それでも丁寧に包まれている。

「燭台切さんを近侍から外したのは……」

言いながら、主の視線が落ちる。

「これを作るためで」

燭台切は受け取る指先が、ほんのわずかに迷う。

(ずるいな)

心の中でだけ、そう思う。

受け取った瞬間、それが既製品ではないことがはっきり分かる。

昨日のものと同じなのだけど、もっと、もっと個人的な想いのこもったものだ。

「……いや」

燭台切はようやく声を出す。

「いいんだ、うん」

それ以上の言葉が出ない。出したらまずい気がした。

燭台切は軽く笑おうとして、失敗する。口元がうまく動かない。

(恥ずかしい)

どうしようもなく。

自分でも理由が分からないまま、ただ胸の奥が落ち着かない。

主は不安そうに燭台切を見ている。

「……その」

「うん」

「ちゃんと、使っていただけるようにと思って」

「……使う?」

思わず聞き返すと、主は慌てて首を振る。

「いえ、そうじゃなくて……その、持ってもらえるだけでも……」

「……」

燭台切は視線を落とす。

小さなお守りは、昨日より少しだけ形が整っている。

でも、まだ不器用だ。その不器用さが、やけにまっすぐで、目を逸らせない。

「主くん」

「は、はい」

主の肩がわずかに揺れる。

燭台切はそこで初めて気づく。

(ああ)

(僕は今、この子の、手作り、に動揺している)

格好良くあろうとする余裕が、どこかに落ちている。

代わりにあるのは、ただの感情だ。

「これ」

ゆっくりと言う。

「すごく、いいね」

主の目が見開かれる。

「え……?」

「うん」

頷くだけで、それだけで燭台切は精一杯だった。

「……ちゃんと、大事にする」

その言葉を聞いた瞬間、主の表情が、ふっと緩む。安心したように。少しだけ嬉しそうに。

「……よかった」

その一言で、燭台切は気づいてしまう。

(これだ)

(昨日からずっと)

(僕を崩しているのは)

格好良さじゃない。特別扱いでもない。戦でもない。

ただ、この子が、こちらを見ているという事実だ。

燭台切は小さく息を吐いて、笑う。いつものように。でも、少しだけ違う温度で。

「主くん」

「はい」

「これ、ありがとう」

そこで一度言葉を止めて、真っ直ぐに主を見つめる。

「主くんの手作りって、僕だけ?」

主は首を横に向けて、逸らす。

「そ、れは、」

「うん」

首から上が真っ赤になっている。

「そ、そういう意味では……っ」

主の耳まで真っ赤になる。

そこでようやく燭台切は、自分が少し追い込みすぎたことに気づいた。

「……ごめん。今のは、ちょっと意地悪だったかな」

そして、すぐに笑う。いつもの、燭台切光忠の格好良い顔、で。

けれど、その笑顔の裏で、静かに思う。

(冗談で済むうちは、まだ大丈夫か)

揶揄われたと思って、主がほっとしている。

今日も近侍お願いします、なんて頼ってくれる。

だから、きっと気づかれていない。

燭台切が、こんなことを思っているなんて。

――ああ、本当に、僕だけなんだ。

格好良さの裏側で、嬉しさをかみしめているなんて。

きっと主は気づいていない。

 

 

 

夜、主の部屋近くの縁側へ向かう燭台切の足取りは軽かった。

手元にはつまみを乗せた盆がある。

主から、月見の会のお誘いを受けたからだ。

以前に頼んだお酒が届いたから、と。

「それと、近侍再就任のお祝い、です」

直接誘われたのは初めてで、どうしたって浮き足立ってしまう。

「燭台切、それ、つまみ?」

「うん、厨にも置いてあるから、各自ね」

通りすがった男士にも、浮かれているとわかるぐらいだったかもしれない。

これは、格好悪い、と途中で気づき、主の部屋近くで足を止める。

呼吸を整え、主の待つ縁側へと向かった。

縁側には既に主が座っていて、ぼんやりと少し膨らんだ半月を眺めている。上限と十三夜の間ぐらいの月。主は、洋風寝巻の上に、カーディガン一枚を羽織り、手には空のグラス。

「主くん」

燭台切が声をかける。

ぴくりと振り返った主は、今にも泣きだしそうで。でも、口をきゅっと結んで、わずかに頬を上げた。

きっと家族を思い出していたのだろう。

そのことには触れずに、燭台切は隣に用意された座布団に座る。お盆は二人の後ろに。

「また、つまみもなしに飲んで」

「まだ飲んでません」

やけにきっぱりという。

普段はゆっくりと躊躇いながら話すのに。こと、お酒に関しては誤魔化すときに、はっきりいってしまうらしい。

主が、持っていた空のグラスを盆に置く。それから、用意していた氷入れから、氷を二つのグラスに入れる。そこに未開封のウィスキーを開けて、ゆっくりと注いでいく。隣に空のボトルがあるけど、空なのかは聞かないで置いた。

「どうぞ」

差し出されたグラスは透明で、氷とお酒の琥珀色が良く見える。

燭台切が受け取ってから、主も同じように作ったグラスを手にした。

「近侍、もう一度引き受けていただいて、ありがとうございます」

その言葉に、瞬きをしてから、燭台切はふっと微笑む。

「僕の方こそ、もう一度近侍にしてくれてありがとう」

主は恥ずかしそうに口元を緩め、誤魔化すようにグラスを口に運んだ。

「それと、御守」

その動きがぴたりと止まる。

「すごく、嬉しかった」

「ありがとう」

主の目が月を見上げ、ゆっくりと燭台切に移る。

「その、忘れていたわけでは、なくて、ですね」

「うん」

「時間が、かかって。不器用で」

「うん」

「何があっても、丈夫なものを、と思いまして」

紡がれる言い訳は、全部燭台切を想ったもので。

それがうれしくて、格好良く取り繕うのが大変だった。

「大切にする」

こくりと主が頷く。

「飾っておきたいぐらい」

「使ってください」

「はい」

くすくすと笑う燭台切から視線を外し、月を見上げる主の口元も、少し柔らかくなっていた。

今、燭台切の懐には、不格好な御守りがある。確かめなくてもわかる。

誰にでも配られたものじゃない。

主が不器用な手で、僕のためだけに時間をかけて作ったものだ。

(……ああ、危ういな)

こんなの、持っていたらどうにかなってしまいそうだ。

指先が無意識に懐へ向かいかけて、燭台切はそっとグラスを持ち直した。

確かめなくても、そこにある。それだけで十分だった。

月を映した琥珀色を静かに傾ける。

氷がからりと鳴る。

その音さえ、少し浮ついて聞こえた。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。