[刀剣乱夢] 燭台切光忠は主を甘やかしたい   作:himausa

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第五話 [い] いつもそこにいたい~熱の理由~

燭台切が近侍に戻った翌日、主は珍しく熱を出した。

薬研がいうには、人間は手入れでは治らないので、食事をして、薬を飲んで、寝ているしかないらしい。

世話ができないから、という理由で、主は執務室と審神者の私室の間にある四畳半部屋で寝ている。

おかゆを作ってきたけど、食べられるだろうか。

「山姥切くん、はいるよ」

燭台切は襖を開ける。

布団には顔を赤くしたまま眠っている主。額には冷やすための薄青のシートが貼られている。

そばについていた山姥切が小さく声をかけると、うっすらと主の目が開いた。

「しゃべらなくていい。少し食べられるか?」

夢現の主は、答えずに目を閉じてしまう。

「一口でいいから、食べろ。燭台切、これを食後に飲ませてやってくれ。俺は他のことを済ませてくる」

これ、と枕元の盆に乗せられた粉薬の袋と水を指し示す。

立ち上がった山姥切から、彼のかぶっている布がずれ落ちる。彼はそれを気にせずに出て行った。布の端は主の手の中だ。

襖を閉めて、燭台切は主の布団の傍に座る。

「主くん、起き上がれるかい?」

目を開けた主はぼんやりと燭台切を見て、それから緩慢に体を起こした。

「主くん」

でも、目は閉じたまま、ゆらゆらと身体が揺れている。

「主くん、口を開けて」

ひと匙すくったおかゆを、息を吹きかけて軽く冷まし、主の口元へ持ってゆく。

「……」

目を閉じて、主が口を開けた。

そっと差し入れたスプーンを主が受け入れる。無防備に。

ふた匙目を準備する前に、主はゆっくりと後ろへ倒れてしまって。

燭台切はとっさに抱き止めていた。

高い体温、荒れた呼吸、眦を滑り落ちる涙。

危なかった。

「っと、主くん、まだもう少し頑張って」

返事の代わりに、寝息が返ってきた。

(…しかたないなぁ)

そっと布団に横たわらせると、うっすらと目が開く。焦点が合っていない。

「…おかあ、さん…」

幼子のように、手を伸ばす。その手を燭台切が掴む。瞳に、燭台切が映る。

「…みつただ、さん…?」

思いがけない呼びかけに、胸の奥がぎゅっと掴まれた。

「うん、僕だよ」

ほっとしたように、主の表情が柔らかく綻ぶ。

「主くん、薬を」

でも、燭台切が再度呼びかける頃には、また目を閉じていて。

この状態で、薬を飲ませると言われても。

かつて、ものであった頃、見た光景が過ぎる。

(そうだ、人間がやってた。口移しで)

脳裏の光景が、自分と主に置き換わる。

「え」

燭台切光忠は固まった。

薬、眠る主、口移し。頭の中で単語だけが並ぶ。

「……」

いや、待て。落ち着こう。格好良く、冷静に。

でも、自分も体温が上がってきた気がする。

「……駄目だろう」

誰も聞いていない部屋で、燭台切は自分に言い聞かせる。

当たり前だ。主は寝ているから、了承もない。後で知ったら卒倒する。

よしんば了承されたとしても、それは。

「僕が困る……」

思わず額を押さえる。

そこへ。

くい、と袖が引かれた。

「っ」

見ると、主がまた薄く目を開けていた。うっすらと涙を浮かべて、荒い息をついて。

「どうしたの、主くん」

はくはくと、主が口を開ける。

燭台切は耳を近づける。どんな声も聞き逃さないように。

掠れた声で、夢と現の間みたいな顔で。

「いかないで……」

燭台切の心臓が嫌な音を立てた。

袖を握る力は弱い。弱いのに、振り払える気がしない。

「……行かないよ」

燭台切がそう答えると、主は少しだけ安心したように息を吐いた。

「ほんと……?」

「うん」

頷くと、口元を緩めて、笑った。

「よかった……」

それだけで、主はまた眠ってしまう。

燭台切は動けなかった。

主は寂しがりだと知っていた。

それでも、直接言うことはない。

いつもは堪えている言葉が溢れたとわかる。それに、胸が苦しくなる。

「……参ったな」

誰にともなく呟く。

今のも、名前を呼ばれたことも。

こんな状況なのに嬉しくて、愛おしくて。

顔を押さえて、いろいろな感情をやり過ごして。燭台切はそっとその場を離れた。

戻った時、まだ主は荒い息をついて眠っていた。熱は高く、顔は赤い。

薬研に聞いた通り、少量の水に薬を溶かす。眠ったままの主を支え、少しずつ飲ませる。

飲み終えた主の寝顔を見て、燭台切は小さく息を吐いた。

早く、元気になってほしいな。

いろんな感情を全部忘れて、ただそれだけを願った。

先ほど頭をよぎった考えを振り払うように。

 

 

 

一晩経てば、主の熱も下がって起き上がれるようになった。

「ご迷惑をおかけしました……」

主はしょんぼりと頭を下げている。

熱を出している間は、何も覚えていないという。

「気にしなくていいよ」

燭台切は笑う。完璧な笑顔。いつもの格好良い近侍。そのはずだった。

「ええと……私、変なこと言ってませんでした?」

「別に」

即答した。言えるわけがない。

自分の名前を呼ばれたことも、袖を掴まれたことも、行かないでと言われたことも。

「本当に?」

「本当に」

嘘ではない。変なことではなかった。

ただ、燭台切の胸がぎゅっと痛くなるだけで。

主は安心したように笑った。

「今日も安静にしておけよ、大将」

薬研が言うと、困った顔をする。

「…仕事が…」

それを山姥切が静止する。

「やっておく。いいから、休め」

「…山姥切さん…」

二振が燭台切を見る。

「燭台切、主を見張っておいてくれ」

「一人で出歩くんじゃねぇぞ、大将」

「…はい…」

出てゆく薬研と山姥切を、主は布団の端で顔を隠して、嬉しそうな寂しそうな顔で見送っていた。

その顔を見て、燭台切は思う。

(困ったな)

昨日までは、気のせいかもしれないと思っていた。

勘違いかもしれないと思っていた。

でも、今はもう無理だ。

主がいないと探してしまう。主が笑うと嬉しい。主が苦しそうだと胸が痛い。

そして、自分の名前を呼ばれたことが、どうしようもなく嬉しかった。

(ああ)

燭台切光忠は静かに目を閉じる。

(これはもう)

気のせいではない。

格好良くなんて、言ってられない。

 

 

 

主が通常業務に戻った日の午後、薬研が執務室に来て、主に静かに問いかけた。

「大将、最近現世か万屋街に行ったか」

「行ってません」

「じゃあ、他の人間に会ったのは。ああ、演練のはいい」

「……会ってないですね」

「そうか」

主に近寄った薬研がその眼鏡を取る。

「あ」

「大将、こっちをみてくれ」

「え」

じっと主の目を覗き込む薬研。そこに甘さは欠片も無い。

「どうしたの、薬研くん」

燭台切が声をかけると同時に、薬研が苛立たしく舌打ちした。

「え」

「やっぱりだ。大将、いつから回復してない」

「え?」

「回復してますよ?」

「じゃあ、回復が追い付いてないんだな? いつからだ」

「どういうこと?」

薬研が言うには、この間の発熱は霊力不足が関係しているらしい。

主は眠ることで緩やかに霊力を回復させてゆくという。

回復できないほどの霊力を使ったことといえば。

「もしかして、あの御守?」

「ち、違います!」

いつもより大きな声で否定するのが、すでに肯定しているようなものだ。

「ちが、ちがうんです、その、結界が、ええと」

「結界がなんだって?」

「ええと、ええと、」

おろおろと燭台切に助けを求めるように視線をよこす。

けれど、さっさと話した方がいいと思う。

「その、結界の補強を」

「そりゃ前からだな」

「ええと」

主は自分のもつ霊力を本丸の結界に注いでいたらしい。でも、回復できる程度だった。

「乱を呼んでもいいんだぞ」

「そ、れは」

「さあ大将、吐け」

「えええ」

霊力の回復が追い付いていないのは、間違いなく燭台切の御守を作ったせいだろう。

確かに強い想いが込められているけれど、まさかそこまでのものとは思っていなかった。

つまり、まだ回復していない主は、またあんな熱で苦しむことになるということで。

「霊力の回復方法って、何があるんだい?」

内心で焦りながら、燭台切は薬研に問いかける。

「まあ、簡単なところで刀剣男士の本体に一定時間触れていることだな」

「短刀なら懐、それ以上なら帯刀するのがやりやすいところだ」

薬研の説明に、部屋が静かになる。

「へえ」

燭台切は頷く。

なるほど、理屈は分かる。刀剣男士は審神者の想いで励起している存在だ。もともと繋がりがある。本体との接触は霊力循環の助けになるという理屈は、分かる。

「……」

なのに、何故か嫌な予感がした。

今の話を主はまったく驚いていなかった。つまり方法を知っていたということだ。

薬研が大きなため息をつく。

「で、大将」

「は、はい」

「なんで黙ってた」

「ええと」

「なんで」

静かで、追及を辞さない薬研の低い声に、主の肩が縮こまる。

「だって……」

「だって?」

「皆さん忙しいですし……」

薬研の眉間に皺が寄る。

「大将」

「はい」

「それで倒れたら、誰が困る?」

主は俯いて答えない。わかっているから。

薬研は続ける。

「大将一人の身体じゃねえんだ」

「っ」

「本丸全部の要だぞ」

その言葉は重かった。優しさではなく、事実だからだ。

「次からは報告」

「……はい」

「霊力不足を感じたら?」

「報告します」

「無理したら?」

「報告します……」

主がしょんぼりしながらも答えてゆく。それを聞いて、薬研はようやく一息ついた。

「よし」

次の瞬間、勢いよく障子が開いた。

主がびくりと体を震わせ、薬研が眉間にしわを寄せ、目を閉じる。燭台切も流石に気配に気づいていたが、こんなふうに登場するとは思っていなかった。

「聞いたよ!! あるじさん!!」

乱は周りには目もくれず、ずんずんと主に近づき、その手を取った。

「なんで言わないの!?」

「ご、ごめんなさい」

「ごめんなさいじゃない!」

軽くのけぞりながら謝る主に、乱は完全にお説教モードだった。

燭台切は思わず笑ってしまう。だが、その笑いは長く続かなかった。

「ということで!」

乱が突然、燭台切を向いた。

「今日からあるじさんは帯刀生活!」

「え」

燭台切は動きを止める。

「え?」

主も止まる。

「え?」

薬研まで止まった。

「何、その反応」

「いや」

半眼になった乱に、薬研が額を押さえる。

「まあ理屈としては正しい」

「でしょ?」

「だが誰を持たせる」

その瞬間、乱の顔がにやりとした。嫌な予感しかしない。

「当然」

乱の視線が動く。部屋の全員の視線も動く。それは最後に、燭台切へ集中する。

「え」

燭台切は固まった。

「なんで?」

「だって原因じゃん」

「原因」

「原因」

乱と薬研が同時に頷く。

これは、御守のことを知っているということだろう。

そのことに気が付いた主は、顔を真っ赤にしている。

「ち、違います!」

「違わないよね?」

「違わないな」

「違わないと思う」

つい燭台切は同意してしまった。

「燭台切さん!?」

主が悲鳴を上げる。その反応に、乱が楽しそうに笑う。

「決定!」

「待って」

燭台切は慌てた。

「待って、乱くん」

「なに?」

「それは」

言葉に詰まる。

本体に常に触れることによる霊力循環。必要性は理解できる。

だが。

(それはまずい)

何がまずいのか説明できない。でもまずい。とてもまずい気がする。

乱は首を傾げる。

「なんで?」

答えられない。答えられるわけがない。

燭台切は思う。たぶん、今、本当に困っているのは、霊力不足の主ではなく、その提案を聞いて動揺している自分の方だと。

「とりあえず決定ね!」

乱がぱん、と手を叩いた。

「待って」

燭台切はまだ諦めていなかった。

「待って乱くん」

「やだ」

「即答だね」

「だってあるじさん、倒れたじゃん」

ぐうの音も出ない。主が小さくなる。

「ご、ごめんなさい……」

「あるじさんは謝らなくていいの!」

「はい……」

しょんぼりしている主の姿に対し、乱は満足げに頷く。

「というわけで、燭台切さん」

「うん」

「本体貸して」

「うん?」

一瞬、理解が追いつかない燭台切に、乱は当然のように続けた。

「あるじさんが持つから」

「……」

「……」

「……」

燭台切の思考が停止した。

主が不安そうに、燭台切の顔を覗き込んでくる。

近い。少し近い。やめてほしい。いや、やめてほしくない。

どっちだ。

燭台切は人生で初めて、自分の思考が信用できなくなった。

「燭台切」

薬研がにやにやとした顔で呼ぶ。

「なに?」

「顔が固い」

「そう?」

「固い」

断言だった。乱まで頷く。

「すっごく固い」

「気のせいじゃないかな」

「気のせいじゃねぇな」

追撃まで来た。

燭台切は助けを求めるように主を見る。

主はもっと困っていた。

「その……無理なら別の刀で……」

おろおろとした提案に、燭台切は反射的に口にしていた。

 

「駄目」

 

一拍遅れて、燭台切は自分が何を言ったのか気づいた。

今のは、完全にまずい。

乱の目が輝き、薬研が顔を覆った。あれ、絶対笑ってる。

主だけがきょとんとしている。

「え?」

「……」

燭台切はゆっくり目を閉じた。

「えっと」

主が恐る恐る聞く。

「燭台切さん?」

「うん」

「今のは」

「気にしなくていいよ」

「でも」

「気にしなくていいよ」

二回繰り返した。完全に怪しいと思われている。

乱が肩を震わせ、笑うのを堪えている。

薬研は窓の外を見始めた。見なかったことにする気らしい。

「じゃあ」

乱が咳払いする。

「あるじさんはしばらく帯刀生活!」

また話が戻った。

「ええっ」

「異議なし!」

「薬研さん!?」

「異議なし」

「乱さんまで!?」

二振りが同意して、主が悲鳴を上げている中で。

 

「異議なし」

 

また言ってしまっていた。しまったと思った時には遅い。

部屋が静かになる。

主が困った様子で、燭台切を見上げる。

「燭台切さん」

「はい」

「さっきから何なんですか……?」

その問いに、燭台切は本気で答えられなかった。

なぜなら本人が知りたい。

どうして自分は、主が別の刀を持つかもしれないと思った瞬間、あんな声を出したのか。

どうして嫌だったのか、答えは薄々分かっている。

でも、認めるにはまだ少し勇気が足りなかった。

 

 

 

腰にベルトを巻いて、とりあえず、燭台切光忠の本体を佩く。

大きいし重いけれど、格好いい刀だから、自分の背筋が伸びる。

この刀にふさわしくありたい。審神者として、そう思った。

「どう、かな?」

乱と薬研はにやにやしてて、燭台切も嬉しそうで。

それに本体を通じて、燭台切の優しさを感じる。もちろん、普段の近侍をしている時も、そうでない時も感じてはいるのだけど。

「うん、格好いいよ」

そういう燭台切が少し可愛らしく見えて、あれ、と内心で首をかしげながら、口元を緩めた。

――可愛い。今、そう思った。

格好良いではなく、可愛い。

「あるじさん?」

乱がにやにやしている。

「え」

「今、何考えてたの?」

「な、何も」

「ほんとに?」

「本当に」

慌てて答える。でも、乱は全然信じていない。薬研まで肩を揺らしている。

「大将」

「な、なんですか」

「顔」

「顔?」

「緩んでる」

反射的に頬を押さえる。

熱い気がする。

「熱はないよね?」

乱が額に触れる。

「ないね」

「ないな」

薬研も頷く。

「じゃあ別の病気かな」

「えっ」

「重症だね」

「えっ?」

何の話か分からない。本当に分からない。

分からないまま執務に戻った。

 

 

 

腰の太刀を、自分の手でそっと撫でる。

重い。

短刀や脇差とは違う。

歩けば揺れるし、座る時も気を遣う。時々ぶつけそうにもなる。

それでも、不思議と嫌ではなかった。

つけているだけで勇気が湧く。背筋が伸びる。

格好良くなれる気がする。

そんな、お守り。

気になるのは、あの時の反応だった。

帯刀が決まった時、燭台切は珍しく取り乱していた。

なんであんな顔をしていたんだろう。

なんであんなに慌てていたんだろう。

考えてみても分からない。

「燭台切さん、優しいですからね」

熱を出してしまったから、きっと心配してくれたのだろう。それが一番納得できた。

誰もいない廊下で。もう一度、腰の太刀にそっと触れる。

大切な刀。

大切な仲間。

そして、憧れの刀。

「最期まで、よろしくお願いしますね」

小さく、そう呟いて僅かに口元を緩めた。

もちろん、その言葉が本刃に届いているなんて知らない。聞かれているなんて思いもしない。

だから、その頃、燭台切光忠が廊下の角で固まっていたことも知らない。

 

 

 

夜には、燭台切に本体を返し、一日を終える。

特に今は、月見をしないで寝なさい、と言われてしまった。

早々に部屋に一人になってしまうと、いろいろ考えてしまう。

以前なら家族のことだった。

でも、今夜は別の人。燭台切光忠のこと。

近侍になってくれた日。

綺麗な目だと褒めてくれた日。

服を整えてくれた日。

泣いてしまった日。

お守りを渡した日。

熱を出した翌日。

本体を佩かせてくれた日。

色々なことを思い出す。

「……」

静かな部屋で、誰もいない。

だから、ぽつりと呟く。

「燭台切さんは、格好いい」

いつもの言葉で、これまでも何度も思った言葉だ。

だけど、続けて出た言葉は少し違った。

「優しいし」

それから。

「笑うと、素敵で」

それから。

「一緒にいると安心する」

そこまで言って、思考が止まった。

「……あれ」

静かな部屋で、自分以外は誰もいない。だから誰も答えない。

代わりに、胸の奥が温かいのにざわざわして、ゆっくりと温かくなる。

燭台切は格好良くて、優しくて、素敵な刀剣男士だ。

いつも自分の目を見て、優しい眼差しで、話しかけてくれて。

ほっとする。

審神者になってから数年、こんな気持ちになる人はいなかった。

そういえば、燭台切光忠を佩いた時、思った。

可愛い。

格好いいじゃなくて。

可愛い。

なんでだろう。

 

――お父さんはね、可愛くて格好いいのよ。

 

そんな、母の宣言を思い出した。

胸の奥で何かが落ちる。

すとん、と。

腑に落ちる。

そんな感覚。

「……好き」

ぽつり。

声に出た。

自分でも驚くほど自然に。

「……あ」

否定しようとして、できなかった。違うと言えなかった。

思い出と一緒に、落ちてきたから。

 

――あなたも好きな人ができたら、わかるわよ。

 

しばらく思い出せなかった母の温かい声が聞こえた。

そうか、好きだったから。

たぶん最初から。

格好良いと思っていた。憧れていた。

見ているだけで嬉しかった。近くにいると安心した。褒められると嬉しかった。無事だとほっとした。

全部。全部。

「……好き、だから」

少しだけ俯き、泣きそうになる。

でも、嫌な涙ではなかった。

叶うとは思わない。隣に立てるとも思わない。

燭台切が自分を好きになるだなんて、もっと思わない。

だけど、ふと、あの日の言葉を思い出した。

「まずは、私なんか、をやめようか」

優しい声。

穏やかな笑顔。

格好良い刀。

大好きな人。

そっと目を閉じた。

「……好きなものは、好きでいい」

小さく呟く。誰にも聞こえない声で。

それは告白ではなく、決意でもなく。

ただ、初めて自分に許した言葉だった。

「……想うだけなら…」

燭台切の迷惑にもならないだろう、という言葉を飲み込んだ。

 

 

 

 

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