[刀剣乱夢] 燭台切光忠は主を甘やかしたい 作:himausa
主の執務室へ向かう。手にはずんだ餅とお茶だ。仕事の休憩は必要だから。
執務室に着く少し前、周囲がやけに静かだ。
ただ穏やかな静けさ。
理由はすぐに分かった。
主が机に突っ伏して、居眠りしている。だから、見守っている短刀たちが大人しいのだろう。その休息を妨げないように。
こうしているとあどけないただの女の子だ。そう、ただの人間の女の子というだけだ。
穏やかな寝息、昼の光に照らされる寝顔。
まぶしさを遮るように、障子を閉める。
ぱちり、と焦げ茶の目が開く。眼鏡をしていない、綺麗な目が。
「…おかあ、さん…?」
ずきり、と胸が痛んだ。そうだ、この子は家族を取り戻すために、審神者、をしているんだった。
「疲れてるみたいだね、主くん」
燭台切を見て、主が慌てる。
「あ、あの、これは」
燭台切は膝を折って、主の柔らかな頬にそっと手を伸ばす。
「隈、できてる」
「っ!?」
「眠れてない?」
「あ」
ふい、と目を背けられる。わかりやすい女の子だ。
「……添い寝してあげようか」
「ぇ、」
主の顔が一気に赤くなる。燭台切は小さく笑った。
「なんてね」
いつもの冗談、いつもの距離感。
――のはずだった。
「……あんまり夜に空腹で飲んじゃだめだよ」
「そ、そんな、飲んでません」
速すぎる否定に、燭台切は目を細める。
「昨夜飲んだのは何杯だっけ?」
「……ええと……」
視線が泳ぐ。分かりやすすぎる。
燭台切が行った時にはいつもグラスは空だけれど、きっといつも既に一杯は空にしているのだ。
いつもなら、少し笑って終わるはずだった。
なのに今日は。
(……なんでだろうな)
胸の奥が、落ち着かない。
出されたままの作業中のディスプレイ画面、散らばったメモ書きと、使いっぱなしの筆。飲みかけのコップ。
その全部がこの子の、無理、をそのまま形にしているようだった。
燭台切はゆっくりと息を吐く。
「主くん」
「は、はい」
「少し、休もうか」
「……でも」
「でもじゃないよ」
燭台切の声は柔らかい。それなのに、少しだけ強い。
「主くんはさ」
言いかけて、止める。言葉を選び直す。
「ずっと頑張ってる」
主の肩が小さく揺れる。
「だからって、倒れていい理由にはならない」
「……」
「それは格好良くない」
その言葉に、主は一瞬だけ目を伏せる。そして、小さく伺う。
「……格好悪い、ですか」
「違う」
少しだけ、否定の声が強くなってしまった。
「そうじゃない」
燭台切は気づく。今の自分の声が、いつもと違うことに。
焦っている。乱れている。
「ただ」
意識して、少し間を置く。
「君が倒れたら、困るだけだよ」
それは嘘ではない。けれど、全部でもない。
主はゆっくりと頷いた。
「……すみません」
「謝らなくていい」
燭台切はすぐに返す。反射のように。
でも、その瞬間、気づいてしまう。
(僕は今、何に怒っている?)
無理をしていることか、倒れそうになっていたことか。
それとも、知らない所で、彼女が一人で抱え込んでいたことか。
答えは出ない。出ないのに、胸だけがざわつく。
燭台切は視線を逸らす。障子の向こうは、昼の光が強い。それが、やけに腹立たしい。
主が小さく立ち上がり、頭を下げる。
「あの……お茶、ありがとうございます」
「ああ」
短く返す。いつもの距離で、いつもの会話。なのに、一歩だけ、足りない。
それ以上近づくのが怖い。
かといって、近侍ではなくなったときのように、離れるのも嫌だ。
その矛盾に気づいた瞬間、燭台切はほんの少しだけ息を呑んだ。
何かおかしい。何に苛立っているのかわからない。
主が怪訝そうに、首を傾げる。
「燭台切さん?」
呼ばれただけで、心が揺れる。たったそれだけで。
格好良くなんて、もうできない。
それでも燭台切は笑った。いつも通りの顔で、完璧に整えた声で。
「……なんでもないよ」
そう言うしかなかった。
そして、その、なんでもない、が一番嘘だったことに。
自分が一番気づいていた。
厨で、主のオヤツの片付けをしながら思う。
最近の主は、眼鏡はそのままにしても、顔を上げることが増えたし、背筋も伸びている。
それに、声が柔らかくて、優しいのは以前からだが、おどおどした様子が減った。
燭台切の格好良くを目指しているから。
「…今の僕、あの子の前だと、全然格好良くないんだけどな…」
ぽつりと漏らす。
今日オヤツを食べている姿も愛らしかった。小さな口で、一口一口を大切に食べていた。
あの月夜に食べさせたみたいな。
そこまで思い出して、目を閉じる。
これ以上はマズイ。想いが溢れそうだ。このところずっと。
太鼓鐘が近寄ってきて、燭台切の背中をたたいた。
「みっちゃんはいつでも格好いいぜ」
「ありがとう、貞ちゃん。でもさ、実際そう思うでしょ」
太鼓鐘はにやりと笑った。
「まあ、好きな子の前だと、もーっと格好つけたいもんな」
その言葉に燭台切は固まる。
「貞ちゃん?」
「みっちゃん、思い出してみろよ。政宗公だってそうだったじゃん」
「僕は」
燭台切の言葉を遮り、太鼓鐘が指折り数える。
「主が寝てるだけで心配して」
「無理してると怒って」
「笑うと嬉しくて」
「他の奴より気になって」
燭台切は全部心当たりがある。心当たりしかない。
それに、燭台切だけの手作りの御守が嬉しくて。
名前を呼ばれるだけで、落ち着かなくなって。
帯刀を他の男士ではしてほしくなくて。
指輪を主の薬指に嵌めて。主から贈られた花冠は、大切に飾っている。
燭台切は、顔を片手で覆って、空を仰ぐ。
「政宗公の愛姫に対してと、同じ?」
「そう」
「……僕、そんなに?」
いつの間にか、恋、をしていたらしい。
気づくと、納得できてしまう。全部。
太鼓鐘がからからと笑う。
「格好つければいいじゃん」
それが自然なことだと言う。でも。
「できてたら、相談しないよ」
深く息を吐いて、燭台切は太鼓鐘を見た。
「相談だったのかい?」
いつの間にか居た鶴丸が言う。
「鶴丸、余計なことはするな」
大倶利伽羅がその首を掴んで、引きずっていこうとする。
それを鶴丸は、手足をばたつかせて拒否する。
「まあまてまて。鶴さんに、イイ考えがある。名付けて、惚れ直し大作戦、だ!」
「惚れ直すも何も、あの子、僕に憧れてるだけだよ」
燭台切が言うと、三振がなんとも言えない顔で見てくる。
「……ま、まあ、それはいいとして」
「いいのかよ、鶴さん」
「いいんだよ」
鶴丸は腕を組み、うんうんと大きく頷いた。
「よし。まずは現状確認だ」
「現状?」
「主が光坊を見る頻度」
「知らないよ」
「多い」
即答したのは大倶利伽羅だった。
「え」
「多いよな」
太鼓鐘も頷く。
「え?」
「光忠、お前本当に気づいてないのか」
大倶利伽羅に呆れたように言われて、燭台切は瞬きをした。
そんなことはないだろう。
確かに最近は目を合わせてくれることも増えた。話もしてくれる。笑ってくれる。
でもそれは、自信がついてきたからで。近侍として接しているからで。
別に特別な意味では。
「ないと思うんだけど」
「重症だな」
鶴丸が真顔になった。
「重症だな」
太鼓鐘も頷いた。
「重症だ」
なぜか大倶利伽羅まで頷いた。
「なんで、揃って」
「じゃあ、聞くが」
鶴丸が指を一本立てる。
「お前が厨にいる時」
「うん」
「主は通るか」
「通るね」
「一日に何回だ」
「え」
何回だろうと、考える。
朝、昼、おやつ、夕餉前、夕餉後、たまに夜。
「……六回くらい?」
「ほらな」
「ほらな」
「ほらな」
「何が?」
「執務室から厨まで遠い」
大倶利伽羅が言った。
「え」
「遠回りだ」
「え」
「主はわざわざ来てるんだよな」
太鼓鐘が言う。
「え」
燭台切は固まった。
そう言われれば、最近、よく来る。差し入れを持って。あるいは、特に用もない様子で。
「こんにちは」
「何か手伝うことありますか?」
「いい匂いですね」
そんなことを言って、少し話して、帰っていく。
あれは。
あれは、単に厨が好きなのかと。
「違う」
三振が口を揃えた。
燭台切は両手で顔を覆った。
「……僕、格好悪いなぁ……」
「そこじゃねぇ」
鶴丸に即座に突っ込まれ、燭台切は顔を覆ったまま肩を落とした。
「だってさ」
「だってじゃない」
「だって、僕、全然気づいてなかった」
「そりゃそうだろうな」
鶴丸に続いて、大倶利伽羅が容赦なく言う。
「光忠だからな」
「伽羅ちゃんまで」
「だって、みっちゃんだし」
太鼓鐘にまで言われた。味方がいない。
燭台切は小さくため息を吐いた。
本当に、気づかなかった。
だって主は元々、人と話すのが得意ではない。自分の本丸の刀剣男士相手でもそうだった。
だから、最近話しかけてくれることが増えたのは、成長したからだと思っていた。自信がついたからだと思っていた。
それ自体は間違っていないのだろう。
でも、もし本当に、自分に会いに来てくれていたのだとしたら。
胸の奥が熱くなる。嬉しくて、どうしようもなく嬉しくて。そして少しだけ怖い。
「で、惚れ直し大作戦だ」
鶴丸が話を戻した。
「まだ続いてたの」
「当たり前だ」
「だから主くんは別に」
「光忠」
大倶利伽羅が低い声で呼ぶ。
「はい」
「まずその憧れ理論を捨てろ」
「……はい」
正直、最近は自信がなくなってきていた。
憧れだけで、あんな顔をするだろうか。
指輪を受け取った時の顔、花冠を渡してくれた時の顔。月を見ながら微笑んでいた顔。
思い出すたびに心臓がおかしくなる。
「じゃあ作戦その一だ」
動揺している燭台切を見て、鶴丸がにやりと笑う。
「主を万屋に連れていけ」
「万屋?」
「そうだ」
そのまま鶴丸がにやにやと畳みかけてくる。
「眼鏡だ」
「服だ」
「甘味処だ」
「映画だ」
「旅行だ」
思わず笑ってしまう。
「話が飛びすぎだよ、鶴さん」
そこで、大倶利伽羅が言う。
「鶴丸」
「はい」
それでやっと鶴丸が止まって、燭台切も息をつく。
「眼鏡の話は前からしてたよな」
今度は太鼓鐘が続ける。
「あ」
そういえば、言っていた。新しいフレームを見に行こうと。主もその時は頷いていた。
「服もだな」
「服?」
「服」
「服だ」
三振が揃って頷いた。
「いやいやいや」
燭台切は首を振る。
「それはさすがに」
「何がだ」
「主くんが困るよ」
「困らねぇ」
「困る」
「困らねぇ」
「困る」
「いや」
鶴丸が肩を竦めた。
「困るのは別の理由だろ」
燭台切は黙った。
困る。それは本当だ。でも、主が困るんじゃない。
もし、主が可愛くみえてしまったら。
(いや、可愛いんだけど)
今でも十分、かなり、その、可愛い。
(いや、待って)
なんだろう。最近、主を見ると、まず可愛いが出てくる。
以前は違ったはずだ。頑張っているなとか、健気だなとか、守ってあげたいなとか、そんな感じだった。
なのに、最近は。
笑った。可愛い。
照れた。可愛い。
慌てた。可愛い。
名前を呼ばれた。可愛い。
誤魔化す時に即答する。可愛い。
もう駄目かもしれない。
「みっちゃん?」
「光忠?」
「おい」
三振の声で我に返り、燭台切はゆっくり顔を覆った。
「……僕、結構まずいかもしれない」
「今更気づいたか」
大倶利伽羅が呆れたように言った。
夜、いつものように、主の元へと足を運ぶ燭台切は、緊張していた。
恋と自覚してから、さらに格好良くどころか、平静にできなくて。結局、昼間のうちに万屋街へ誘うことができなかったから。
「今日のうちに、絶対だぞ」
鶴丸に念を押された。
「そんなこと言われても」
「格好つけろよ、伊達男」
そんな風に発破をかけられ、ここにいる。
月を眺める小さな背中に、足を止める。
じっと眺めていても、主は気づかない。普通の女の子だから。
見られているとも知らずに、月を切なげに見つめて、グラスを傾けている。
ただそれだけなのに目が離せない。
フレームの話は以前にしている。だから、頷いてくれるだろう。
それに、鶴丸たちの言う通りなら、燭台切は主にかなり好かれている。
でも、本当にそうだろうかと、疑う気持ちがないこともない。
だって、あの子は、燭台切光忠の格好良さ、を見に来ていただけかもしれないじゃないか。
不安になる。足が進まない。
主がふいに振り返る。
「燭台切さん」
嬉しそうな声。燭台切を見つけた瞬間だけ柔らかくなる声。優しくて、暖かくて。その声を聴くと、胸が温かくなる。
政宗公も、そうだったんだろうか。
「うん」
足を進め、主の隣に座る。主はすでに、燭台切と自分の分のお酒を用意し始めている。
「…何杯目?」
主は答えなかったけど、耳を赤くしていた。
差し出されたグラスを受け取る。
主がつまみを手にして、一口かじる。
燭台切の視線に気づいて、はにかみながら微笑む。
「美味しいです」
憧れだけで、こんな顔はきっとしない。
この顔を知っているのは、たぶん僕だけ。
「……はぁ」
片手で顔を覆って、深く息を吐く。
「燭台切さん?」
「うん、いや、なんでもないよ」
「そうなんですか?」
「うん、今日もまた、先に飲んでるなぁって」
主が固まる。それをなんだかおかしく感じてしまって、燭台切は笑っていた。
「明日」
「明日?」
「休みにしなよ。主くん、疲れてるし」
「え、でも」
「今日うたた寝してたし」
「あれは、日差しが温かくて」
「それで、一緒にフレーム、買いに行こう」
主の眼鏡に、ちょん、と触れる。
「約束してたし」
「し、てました、っけ?」
「してたよ」
主の頬が染まってゆく。燭台切をその瞳に映したまま。
「行こう」
燭台切の誘いに、主は少し戸惑いつつ、こくりと頷いた。
「はい」
目線を外されたけど、その横顔は嬉しそうで。本当に、嬉しそうで。
自覚してしまえば、簡単だった。
ただ主に恋をしていただけだった。
声が、姿が、すべてが好きなだけだった。
僕が格好良くなくても、たぶん、主は僕を好きなんだろうけど。
「明日、格好良く、エスコートさせて」
燭台切を見た主が、柔らかく微笑む。
「はい」
それは、今まで見た中で一番きれいで優しい笑顔だった。
翌朝、燭台切は予定より、かなり早く万屋街ゲート前へ来ていた。
乱にそうしてくれといわれてしまったから。任せてくれといわれた。
落ち着かない。
そわそわする。
何度も時計を見てしまう。
まだ時間はある。あるのだけれど。
「お待たせしました」
聞き慣れた声に顔を上げ、そして固まる。
主の服はいつも通りで、眼鏡もいつも通り。
でも。
「髪型、変えた?」
思わず口から出る。
いつもは降ろしたままの癖毛を、少しだけ緩いカールを混ぜて、更にサイドを編み込んである。それに、後ろに緩く桃色のリボンが揺れている。
主が少しだけ髪に触れた。
「乱さんに」
その瞬間、後ろからひょこっと乱が顔を出す。
「あるじさんが買い物だって言うから、髪しかいじれなかったんだよねぇ」
「買い物ですもんね」
主が当然のように答える。
(買い物)
(そう)
(買い物)
「そうだね」
一拍遅れた燭台切の返事に、主は特に疑問を持たなかったようだ。
その代わり、乱が複雑そうな顔をしている。
「燭台切さんまで…」
でも、燭台切にとっては、それは重要じゃなかった。
主の髪に揺れている桃色のリボンが目に付く。
それに主が気が付く。
「…リボンなんて、もう似合う年じゃないって、言ったんですけどね」
「そんなことないよ」
苦笑する主に、即座に言う。
「よく似合ってる。可愛いよ」
あっという間に、主の顔が真っ赤に染まった。
見送りの視線を感じながら、ゲートをくぐる直前、主の手を掴む。
「え」
「逸れないように、ね」
赤い顔のまま、主は小さくうなずいた。
その髪で揺れる桃色のリボンが目に入る。
乱が結んだものだと分かっている。分かっているのに。
できることなら、自分が選んだものをつけてほしいと思ってしまった。
我ながら格好悪い。
今までのことを恋と自覚してしまった以上、もう後戻りはできない。
だからどうか、今この瞬間だけ、気づかないでほしい。
ゲートをくぐった先は、ちゃんと格好いい燭台切でエスコートするから。