[刀剣乱夢] 燭台切光忠は主を甘やかしたい 作:himausa
第八話 [く] 口に出して言っていい ~初めての万屋街~
万屋街のゲートを抜けて、すぐに街の入り口がある。それを抜けて、街に入る。
「わ」
小さく驚く声。慣れていないのが分かる足取りに、燭台切はいつも以上にゆっくりと歩く。
「眼鏡屋、近いから」
「そう、なんですね」
手を引く前に、主の身体が燭台切にぶつかる。
「っ」
「大丈夫」
誰かにぶつかられたわけじゃない。でも、彼女にとっては、触れられる距離が怖いのだろう。
それでも、燭台切は別なのだとわかるのは、自分から腕が触れ合うぐらいの距離まで近づいているからだ。
かなり嬉しい気持ちを押し殺す。
「い、急ぎましょう。危ない、です」
「大丈夫だって」
燭台切が苦笑すると、主が不安そうな目で見上げてくる。
「人が多くて、危ないので」
「うん」
そう言って、主がそっと燭台切の手を握りなおした。
「行きましょう」
そういって、主が歩き出す。
握る力は弱いのに、離れたくないという意思だけははっきり伝わってくる。
燭台切の左手をしっかりと握って、寄り添って。頼ってくれているのが分かる。うれしい。頼られている実感だけで、胸の奥が緩む。
眼鏡屋までは本当にすぐで、主は看板を見つけて、ほっと息をついた。
「本当、すぐですね」
「行こうか」
「はい」
店に入った主は、入り口脇に移動すると、すぐに手を放してしまった。
「すいません」
「気にしなくていいよ」
恥ずかしがって頬を染めている主に、微笑みかける。
「いろいろあるけど、どういうのがいい?」
燭台切が訊ねると、主は不安そうにまた見上げてくる。
「…えと、あんまり重くないのがいいです」
主の背に軽く手を添え、誘導する。
「こういうのは?」
細身の銀縁。
主が眼鏡をはずし、かける。
「どう、でしょうか?」
大人びて見えるけれど、優しい主の印象に合わない。
「じゃあこっち」
柔らかな薄赤の色合い。丸みのあるフレーム。
「軽いですね」
気に入った感じなのか、ほんの少し頬があがっている。
「わ」
かけた主が目を丸くする。
「似合う」
思わず口に出た。主の耳が赤くなる。
「そ、そうですか」
「うん」
燭台切は自然に答える。本当にそう思ったから。
「じゃあ、これにします」
店員に言って、一応視力測定をすることになった。
主は奥の席へ。燭台切は少し離れた待機場所へ移動して待つ。
一瞬窓の外に、大倶利伽羅がいた気がした。買い物に出ているのかもしれない。
今日はあまり混んでいないからか、男性店員が近付いてきた。
「お連れ様ですか?」
「え?」
「大事にされているんですね」
燭台切は少し笑う。
「そうですね」
大事だ。とても。驚くほど。
「実はですね」
店員が声を落とす。
「刀剣男士様をお連れの方には時々あるんです」
「?」
「神力の影響で視力が変化することが」
燭台切は瞬いた。
「変化?」
「ええ」
店員が頷く。
「特に強い縁ができると」
強い縁。
「ですので、以前の度数が合わなくなる場合がございます」
燭台切は思わず視力測定中の主を見る。
眼鏡を外している。綺麗な琥珀色の瞳。少し真剣な横顔。
もし、眼鏡がなくて見えるなら、それがいつでも見られる。
「……そうなんですか」
「ええ」
店員は微笑んだ。そして、完全に確信した顔で言った。
「それはきっと、とても良いご縁なのでしょうね」
燭台切は、返事に困った。
良い縁。それは、間違いなくそうだ。間違いなく。
でも、その言葉を聞いた瞬間、ふと最近聞いた主の言葉を思い出した。
『最期まで、よろしくお願いしますね』
腰に差した自分の本体、小さな手、優しい霊力。
胸の奥が熱くなる。
その時。
「燭台切さん?」
主に呼ばれ、顔を上げる。
不思議そうに燭台切の顔を覗く、主がいた。
ぱちり。
目が合う。
「会計しておいたから」
「え」
「三時間ぐらいだって」
「え」
「せっかくだから、少し歩こう」
誤魔化すように、主の手を取った。
もしも、眼鏡がいらなくなったなら。
(…可愛すぎて、連れ去られるかも)
そんな心配をしながら、眼鏡屋を後にした。
道に出て直ぐ。
「万屋街に来るのは久しぶり? 新しいお店もできてるし、案内するよ」
少なくとも燭台切は、主が万屋街のゲートを通るのを見たことはない。
「あ」
少し視線を逸らす主が、ちらりと燭台切を伺う。
「そ、の」
「うん」
「……じめ、て」
「うん?」
「……初めて、来ました」
「え」
その言葉に驚く。
「必要なものは、山姥切さんが揃えてくれていたので、私は、その」
来たことがなかったのだ、と。主は困っているようだけど、正直燭台切は嬉しかった。
「じゃあ、なおさら僕にエスコートさせて」
主は戸惑ったように瞬きをした。
「え」
「せっかくなんだから」
燭台切は自然に笑う。
「楽しんで帰ろう?」
主が戸惑うように言う。
「でも」
「うん」
「その」
「うん」
「ご迷惑では」
燭台切は思わず吹き出した。
「主くん」
「は、はい」
「僕、今から君を案内したくて仕方ない顔してない?」
主はきょとんとした顔で。そして、少し考えて。
「……してます」
「でしょ?」
燭台切が微笑むと、主もつられるように笑った。
「じゃあ、お言葉に甘えます」
その言葉だけで、燭台切は少し幸せになった。
万屋街はいつも通り、賑やかだ。
通りの両脇には店が並び、食べ物、雑貨、衣服、装飾品、見たこともない品々がある。
主の足も気になるたびに、少し遅くなるので。
「あ」
主の視線の先に、飴細工があった。
色とりどりの花、小鳥、猫。透き通るような飴で作られている。
「綺麗ですね」
思わずといった様子で、ぽつりと漏れる。
「好き?」
「え」
燭台切に聞かれて、主は少しだけ困った顔になる。
最近知ったのだ。主は、自分の好きなものを口にするのが苦手だ。
欲しいとも、好きとも、あまり言わない。
「その」
案の定、言葉を探している。
「綺麗、だとは思います」
遠慮がちに言うのに、燭台切は苦笑した。
「それは好きって言うんだよ」
「え」
「好きなんでしょ?」
「……はい」
小さく頷く仕草が、いちいち可愛い。
いけない。本当にいけない。
今日はずっとそうだ。
何を見ても。可愛い。
可愛いしか出てこない。
格好良くない。全然格好良くない。
そんなことを考えていると。
ふと、また主の足が遅くなった。
「主くん?」
「……あ」
視線が一点に固定されている。
店先に並んでいたのは、髪飾りにリボン、簪、花飾りと色とりどり。装飾メインの雑貨屋だろう。
「ああ」
燭台切は理解した。
リボンが似合わないなんて言っていたけれど、主は女の子らしいものも好きなのだろう。
今、主の髪で揺れるリボンに目が行く。
よく似合っている。それは認める。認めるが。
(君の髪を飾るのが、僕の手で選んだものであってほしいなんて)
また思った。
しかも今度は、出かける前よりもはるかに強く、思った。
燭台切は内心で頭を抱える。
(僕、本当に格好悪いな……)
けれど、その一方で、どうしても。
どうしても、主に似合うものを選びたかった。主が笑顔になってくれるものを、自分の手で。
店先のリボンを手に取った主が、ふわりと微笑む。
「これ、乱さんに合いそう」
「え」
「今日、貸してもらったので御礼に」
「……そうだね」
借りている、という言葉に内心でほっとする。
「でも、困っちゃうかな。私、あんまりセンス良くないし」
困り顔で見上げてくる。そんな顔をされると、断れる気がしない。
「そんなことないよ。主にもらえるなら、絶対喜ぶに決まってるよ」
僕なら絶対に喜ぶ。
「……それでも、好きでもないものをもらったら、困りますよね」
こういう気遣いができるところも、主の良いところだ。
「主くん、じゃあ、僕と一緒に選ぼうか」
「え」
「それなら、贈ることができるでしょう?」
「……はい」
乱に、というのを口実にした。
格好悪くはあるけれど、主の、好きな人の好きなものは知りたい。
その欲望に、負けた。
誰かに贈るものを選ぶ時、自然と自分の好みは混ざるから。
主は真剣な顔でリボンを見比べている。
「乱さん、明るい色が似合いますよね」
一本手に取る。淡い桃色。
「うん」
「でも」
隣の青色を見る。
「こういうのも綺麗」
迷っている。本気で選んでいる。
燭台切は少し微笑んだ。
主はこういう時、自分のことより相手を優先する。だからこそ、選ぶものには時々本音が混ざる。自分のためなら遠慮してしまうものも、誰かのためなら素直に手を伸ばすから。
「これも、いいかも」
ふと、主が小さく呟いた。
手にしているのは深い紺色。夜空みたいな色。銀糸が少しだけ入っている。
「へえ」
「綺麗だなって」
照れたように笑う。
燭台切は覚える。
紺、銀、落ち着いた色、派手すぎないもの。
なるほど、覚えておこう。
そう思った時。
「燭台切さんは?」
不意打ちだった。
「え?」
「好きな色、とか」
主が首を傾げる。
「ありますか?」
燭台切は一瞬黙った。
好きな色は、もちろんある。
だが、今、頭に浮かんだのは、色ではなかった。
眼鏡をかけた横顔、焦茶色の瞳、柔らかい黒茶の髪。
いつもの柔らかく、安心して笑っている顔。
(まずい)
本当にまずい。
「燭台切さん?」
「あるよ」
なんとか答える。
「黒とか」
嘘ではない。
「銀とか」
これも嘘ではない。
「……あと」
思わず、彼女を見る。
「最近は茶色も好きかな」
「茶色?」
焦茶の瞳が、不思議そうに、ぱちりと瞬いた。
「うん」
燭台切は微笑んだ。
主は気付かない。たぶん、永遠に気付かない。
その色が、自分の髪や目の色だなんて。ありふれた色だと思っているから。
だから、燭台切は少しだけ安心して、少しだけ残念に思った。
結局、明るく淡い桜色と黒に銀糸の入ったリボンを二本購入した。
会計中、明るい乱藤四郎の髪が棚の陰に見えた気がするけど。同じ本丸かどうかわかる前に、いなくなった。
店を出てすぐ、その紙袋を燭台切が持つ。
「あ」
「隣、服屋さんなんだ。見てみよう」
「え」
「洗い替え以外の服があってもいいと思うよ。演練で着飾っている審神者は多いでしょ。僕もあんな風に主くんを自慢したいな」
「え、じ、まん…?」
「うん、僕の主くんが一番格好いいって」
それに、と口には出さなかったもう一言は、一番かわいい、だ。
主は目を丸くした。
「じ、自慢……」
聞き返す声が小さい、耳が赤い。
燭台切は気付いている。でも触れない。
「うん」
自然な顔を装う。
「主くん、もっと自信を持っていいと思うんだ」
「でも」
「でも?」
主は視線を落とした。
「私なんて」
そこで、ぴたり、と言葉が止まって、燭台切を見る。
しまった。そんな顔をしている。
以前なら、自然に続いていた言葉。
『私なんて』
それが、出なくなっている。
燭台切が少しずつ何度も、何度も否定してきたから。
「……まだ言いそうだったね」
くすり、と笑う。彼女はバツが悪そうな顔をしている。
「う」
「減ったけど」
「……がんばってるので」
主から、小さく抗議が入る。
「知ってる」
即答する。
「すごく頑張ってる」
主が黙る。そして、嬉しさを隠す困り顔。
何それ、可愛すぎる。
「ほら」
燭台切は、店の扉を開く。このまま見てると、格好つけていられなくなりそうで。
「入ろうか」
「は、はい」
服屋に入ると、主は燭台切を見上げる。本気で困った顔で。
中は広くて、商品も多い。
棚に並ぶ服、色々な形、色々な色。
主は選び慣れていないのがわかる緊張状態だ。
「どうしましょう」
その一言で、燭台切の理性が少し危険になる。
(可愛い)
危険だ。本当に危険だ。
頼られると弱い。
しかも主だ。なおマズい。
さっき、主は落ち着いた色が好きそうだった。
それに本丸にあるのは、いつも同じ黒のパンツとダークグレーのカーディガンだ。
この店の落ち着いた色で、主に似合う服を探すのはいいだろう。きっと、何を着ても、似合うけど
折角なら、気にいるものになってほしい。
普段の装いに加えて欲しい。
主は慣れないからか、いつもより距離が近い。
そうだ、スカートも履いて欲しい。似合う。絶対。
だって、主は可愛い女の子だから。
棚から、深い紺色に赤緑チェックのプリーツスカートを取り出す。主の瞳が瞬く。
「可愛い……」
思わず漏れた声を燭台切は聞き逃さない。
「着てみようか」
「えっ」
「試着してみて」
「えっ」
押し切って、試着室に入ってもらう。
待つ間に、誰かが近づいてきたけど、目もくれずにいたら。
「あれ、絶対似合うぜ。さすがみっちゃん」
「……貞ちゃん……」
「他も、期待してる」
振り返ると、太鼓鐘はもう店の出入り口で、軽く手を上げて出ていくところだった。
これ、さっきの大倶利伽羅も気のせいじゃないかも。というか、絶対他にもいる。
片手を顔に当て、息を吐く。
ともかく、今は主だ。早く見たい。
数分後、試着室のカーテンが少し開く。
「……どうでしょう」
恐る恐る出てくる。
深い紺色チェックのプリーツスカート。
白いシャツは、そのまま。ただスカートが変わっただけ。
それだけ。それだけなのに、燭台切は言葉を失った。
背筋が伸びている。少し照れた顔。
そして、似合いすぎる。
「燭台切さん?」
言葉が出ない。
「……あの」
困り始めた主に、ようやく、燭台切は我に返る。
「うん」
一拍置いて。
「格好いい」
本音だった。完全に。
主の顔が真っ赤になる。
それから、視線を落とし、スカートを摘まむ。
「スカートなんて、久しぶりです」
「学生時代みたい」
ふふ、とわずかに微笑む。
「そういえば、成人してるんだっけ」
「はい、だから、お酒も飲めます」
「そうだったね」
なんとか持ち直し、燭台切はいくつか彼女に試着を頼み、最後に襟にレースのついた白のブラウスと、あのプリーツスカート、その上に揃いのボレロとスカーフを着てもらって、そのまま会計を済ませた。試着中に。
「買いすぎです」
「だって、色々似合うからね」
燭台切の言葉に、主が赤くなる。
褒められ慣れていないからだと思っていたのだけど、自分だから、と今はわかる。
「そうだ、さっきのリボン、合うと思うんだ」
「え」
「後ろ向いて」
主の後ろに回り、乱のリボンを解く。ふわり、とゆるいウェーブになった髪が広がる。
「あ」
「じっとしてて」
主の柔らかい髪に、さっき買った黒に銀色の入ったリボンを結んだ。
「やっぱり、こっちのがいい、ね」
振り返った、自分が全身コーディネートした主は、想像以上に可愛らしかった。もともと愛らしいけれど。
「格好いいよ」
その言葉を喜ぶのを知っているから、そう褒めるけど。
主はぱちぱちと瞬いた。
「……格好いい?」
確認するように聞き返す。
「うん」
燭台切は頷く。
「すごく」
その言葉に、主が店内の姿見を見る。
ただそれだけで、自然と背筋が伸びて、顎が上がる。
毎日、燭台切の渡した、全身鏡を見ている証拠なのだろう。
「……私じゃないみたい」
ぽつりと漏れた言葉に、燭台切は少し考えた。
そして。
「ううん」
首を振る。
「前からこうだったんだよ」
「え?」
「気付いてなかっただけ」
主が黙り、また鏡を見る。数回。
自信なさげな顔の頬があがる。
「……そう、でしょうか」
「そうだよ」
燭台切は笑う。
「僕はずっとそう思ってた」
さらりと言っていた。
それに、主が硬直する。じわじわと首から上が、赤く染まる。
「主くん?」
「な、なんでも」
慌てて視線を逸らされた。
そこに、店員がにこやかに近付いてきた。
「大変お似合いですね」
「ありがとうございます」
燭台切が答える。
「本当に仲がよろしいんですね」
「え」
「恋人さんでしょう?」
店員は悪気なく言った。
完全に、善意だった。
だが、当人たちには爆弾だった。
「ち、違います!」
見事に声が揃った。
それに驚いて、顔を見合わせ、どちらともなく視線を逸らす。
店員が目を丸くする。
その後、なぜか。二人とも少し気まずくなった。
少し慌てた様子の主が、会計所近くのハンカチを手に取る。
それから、驚くことに自分から店員に声をかけて、買っていた。
「主くん? それなら僕が」
店員がタグを取って、渡して、主に頷く。主も頷く。なにそれ、可愛い。
主は燭台切を振り返り、買ったばかりのハンカチを差し出した。
「これ、を」
「え、僕に?」
「そ、その、私のセンスで申し訳ないのですが、御礼、です」
服と、眼鏡の、と。
燭台切は差し出されたハンカチを見る。
黒地に金茶の縁取りで、落ち着いた意匠。そして、端の馬の刺繍にそっと触れる。
派手すぎないけれど上品。確かに実用的で、燭台切の好みにも合う。驚くほど、合っている。
「主くん」
思わず聞いてしまう。
「どうしてこれを?」
主が少し慌てる。
「え」
「その」
視線が泳ぐ。
「燭台切さん、使うかなって」
「うん」
「あと」
小さな声。
「格好いいなって」
燭台切は固まった。
「え」
「え?」
主も固まる。
「……格好いい?」
「は、はい」
思わず確認してしまうと、主がますます困った顔をするけど。
「燭台切さん、格好いいもの好きですし」
「うん」
「だから」
「うん」
「似合うかなって」
黙ってしまった燭台切に、主が不安そうに言う。
「ええと」
「その」
「変でしたか」
「いや」
返事の声が少し掠れた。
「すごく嬉しい」
本音だった。
とても。本当に。
とても。嬉しい。
自分のために選んでくれた。
自分を思い浮かべながら、自分に似合うものを、選んでくれた。
それだけで、胸がいっぱいになる。
「ありがとう」
そう言うと、主がほっとしたように笑った。
「よかった」
その笑顔を見て、燭台切は思う。
(僕、今これ以上何か貰ったら駄目かもしれない)
十分危険なのに、さらに危険になる。そんな予感しかしない。
「大事に使うよ」
「はい」
主が嬉しそうに頷く。
燭台切はハンカチを仕舞いながら、思う。
きっと使えない。
いや、使う。使うけれど。
絶対に無くさない。
絶対に落とさない。
絶対に汚したくない。
というか、誰にも触らせたくない。
好きな人が、自分を想って、くれたものだから。
ふと、主の近侍になる前の自分なら、そんなこと考えなかったな、と思う。
主の手作りの御守。
髪のリボン。
眼鏡を選ぶ時間。
そして。
このハンカチ。
少しずつ。
少しずつ、増えている。
自分だけの特別が、嬉しくて。同時に少し怖かった。
もっと欲しくなってしまうから。
万屋街を歩く。
荷物は本丸に転送を頼んだ。
だから、主とまた手を繋いで歩く。
左側をちょこちょこ歩く主に合わせて、ゆっくりと。
「疲れてない?」
「だ、大丈夫です」
「本当?」
「はい」
燭台切はちらりと横を見る。
嘘ではないけれど、緊張している。それはわかる。
主の視線があちこち忙しい。
色々な店、並ぶ品物、歩く人々。全部珍しいのだろう。
それが嬉しい。主の初めてを共有できている気がして。
(あ)
今のは駄目だ。
何だろう。最近思考が危険だ。
そんなことを考えていると。
「わ」
隣から小さな声。
主を見ると、ショーウィンドウを見ていた。
小さな雑貨屋で、並んでいるのは万年筆、インク、便箋。
本丸では、メモ帳ぐらいしか使わないから、ただの支給品だけだけど。
「好き?」
「きれい、だなって」
またそれだ。好きなものを好きと言わない。
「主くん」
「は、はい」
「それ、好きなんだよね?」
主の声が詰まる。
「……好きです」
小さい。でも言えた。
燭台切は嬉しくなる。
今日だけでも、少しずつ、少しずつ、好きなものを口にするようになった。
それが本当に嬉しい。
「見ていこうか」
「え」
「せっかくだし」
店に入ると、主はさっきの綺麗なガラスペンを見た。
光を透かす硝子、透明な軸、青い装飾。
「素敵ですね」
ふわりと微笑む。
その顔を見るたび、燭台切は思う。
もっと笑ってほしい。
もっと、ずっと、自分の隣で。
そんなことを、自然に思ってしまう。
「燭台切さん?」
「うん?」
「どうしました?」
「何でもないよ」
本当は何でもある。ありすぎる。
けれど言えない。
伊達男だから。
いや、違う。言ったら終わる気がするからだ。
今の関係が、壊れるのが怖い。
そんな自分を少し情けなく思いながら、店を出た。
その後、しばらく歩いて、燭台切は立ち止まる。
「そろそろ休憩しようか」
「え」
視線の先には喫茶店。木の看板で、落ち着いた外観。窓際には花が飾られている。
「ここ、好きなんだ」
「燭台切さんが?」
「うん」
主が少し嬉しそうになる。目を細め、口元が緩んで、嬉しいと顔に出ているのがイイ。
店内へ入ると、案内されたのは窓際の二人席。
向かい合わせに、主が少し緊張している。
燭台切も緊張しているが、好きな店で好きな子と座っている嬉しさの方が勝る。
「何飲む?」
メニューを渡すと、主がぱらりと開く。
「……」
固まったのがわかって声をかけた。
「主くん?」
「わかりません」
燭台切は悪いと思いつつ、吹き出した。可愛すぎるから。
「正直でよろしい」
「だって、こんないっぱい…」
「じゃあ僕のおすすめにする?」
主は少し考えた後、頷いた。
「お願いします」
その返事に、燭台切は少しだけ目を細める。
信頼されている。その事実が、どうしようもなく嬉しかった。
注文を待つ間、主の視線がきょろ、と店内を見る。
「このお店、刀剣男士が多いですね」
どのテーブルにも刀剣男士、もしくは審神者と一緒の刀剣男士がいる。それも、長船派と称されるものが多い。
主は少し猫背になりかけたが、向かいの燭台切を見て、自然と背筋を伸ばしていた。
その心のうちが手に取るように見えてしまった。
気後れして、縮こまりかけた体を、自分を見て、思い直してくれた。本当、こう言うところが格好いいんだ。
「さっきの季節のデザートって、なんですか?」
戸惑いを隠して、主が燭台切に静かな声で問いかける。
「今はアップルパイ。君、リンゴが好きでしょう」
「え、なんで」
「見ていればわかるよ」
「わ、私、そんなにわかりやすいですか? 山姥切さんたちにはいつも、ちゃんと言わないとわからないと」
「あ」
燭台切は固まった。
しまった、と。今のは完全に口が滑った。
主は気づかずに、首を傾げている。
「燭台切さん?」
「いや、その」
どう誤魔化そうか考える。だが、思いつかない。
なにせ本当に見ていただけだからだ。
りんごを使った菓子がオヤツに出れば、主は少しだけ目が止まる。
夕餉に出れば、少しだけ嬉しそうに口元をゆるめる。
ただそれだけ。ただそれだけを見ていただけなのだが。
改めて説明しようとすると、少し問題があった。
見すぎている。どう考えても。
「ええと……」
珍しく燭台切が言葉に詰まる。
その様子に主が不思議そうな顔をした。
「本当に、見ていたんですね」
「う」
否定できない。
「ごめん」
「どうして謝るんですか?」
きょとんとしている。怒っていないらしい。
「だって、その」
「はい」
「気持ち悪くなかった?」
「え?」
今度は主が固まった。そんな発想はなかった、とでも言うように。
「どうしてです?」
「どうしてって」
「だって、燭台切さんでしょう?」
あまりにも当然のように返されてしまう。
燭台切は思わず黙った。主は続ける。
「私はずっと燭台切さんを見ていましたし」
「え」
今度は燭台切が止まる。
「え?」
主も、あ、と固まる。
数秒の沈黙。そして、みるみると主の顔が赤くなっていく。
「あの」
「うん」
「それは」
「うん」
「ちが、違わないですけど」
違わないんだ。燭台切の胸が妙な音を立てる。
「でも、その」
「うん」
「憧れていたので」
慌てたように付け足される。
「顕現した時から、ずっと」
主が視線を伏せた。
「格好良いなって」
小さな声。
「だから、見てしまうのは仕方ないというか」
そこまで言って、はっと顔を上げる。
「すみません!」
「どうして謝るの?」
「だって」
「僕も見てたよ」
燭台切は笑った。
少しだけ、本当に少しだけ意地悪く。
「お互い様だね」
主は言葉を失った。耳まで真っ赤だ。
燭台切はそんな姿を見て、危うく理性が飛びそうになる。
可愛い。どうしようもなく、可愛い。
そんな空気を断ち切るように、店員が注文を運んできた。
「お待たせしました」
テーブルに置かれる珈琲が二つ。それから。
「季節のデザートは、焼きたてアップルパイです」
林檎とパイ生地の焼きたての香りが、ふわりと広がる。
主の目がわかりやすく輝いて、燭台切は思わず吹き出した。
「ほら」
「……」
「好きなんでしょう?」
主は数秒迷って、観念したように小さく頷いた。
「好きです」
先ほどよりもはっきりとした、好きです、に。燭台切はなんだかとても嬉しくなった。
たぶんアップルパイのせいではなくて、好きなものを好きだと言えるようになったという変化が、何より嬉しかったのだ。
好きだと言えるようになった。それだけで、今日はここへ来た意味があった気がした。
アップルパイと一緒に来たのは、店特製のブレンドコーヒー。
燭台切がそのまま飲むのを見て、主が思わず手を止める。
「入れないんですか、ミルクとお砂糖。いつもは、あ」
しまった、と口を止める。
「……知ってたの?」
数秒固まっていた主は、観念して、申し訳なさそうに言う。
「えと、はい。うちの燭台切さんは甘党、ですよね?」
うちの、と言われて、今度は燭台切の方が固まる。顔に熱が集まるのがわかる。
「……カッコ悪いなぁ、僕」
それに、慌てて主がフォローしてくる。
「そんな、そんなことないです」
「え」
「どんな燭台切さんも格好いいです」
「…」
「あ、え、ええと、私の刀はみんな、格好いいですし、そ、その中でも一番格好いいのが燭台切さんで、その、ええと、あの、あの、」
しどろもどろになりながら、言葉を探す彼女を見て、燭台切は思った。
(これ以上は駄目だ)
あまりにも、心臓に悪い。
本人はまったく無自覚なのだろう。
だが、言われている側はたまらない。
どんな燭台切さんも格好いい。一番格好いい。
そう言われて平然としていられるほど、燭台切光忠はできた男ではなかった。
「主くん」
「は、はいっ」
主がびくりと肩を震わせる。それさえも、可愛いが過ぎる。
燭台切は額を押さえた。
「ちょっと落ち着こうか」
「す、すみません」
「謝らなくていいから」
本当に謝らなくていい。むしろ謝りたいのは自分の方だ。
伊達男を自称しておきながら、こんなことで動揺しているのだから。
主はおろおろしていたが、やがて恐る恐るアップルパイを口に運んだ。
さくり、と軽い音がする。
途端にその表情が緩んだのを、燭台切は見逃さなかった。
「美味しい?」
「……はい」
「よかった」
また一口。今度は少しだけ頬が緩む。
その様子は小動物のようで、見ているだけで頬が緩みそうになる。
燭台切は珈琲を飲んだ。
いつもと違いストレートなので、いつもよりも苦い。
なのに今日は妙に甘く感じる。
「燭台切さん」
「うん?」
「その」
主がフォークを握ったまま、視線を彷徨わせる。
「私、好きなものを好きって言うの、苦手、です」
ぽつりと零された言葉。
「言うと、無くしそうで」
その声は静かだった。好きなものを全部失って、審神者になったから、そう思い込んでしまっていたのだと。
「だから、あんまり言わないようにしてました」
燭台切は黙って聞く。
「でも」
主が燭台切を真っ直ぐに見る。
「今日は少しだけ、言ってもいいのかなって、思えるようになりました」
そう言って微笑む。
それは以前のような、自信のなさから浮かべる曖昧な笑みではない。
ちゃんと自分の気持ちを認めた人の笑顔だった。
燭台切は胸の奥が温かくなるのを感じた。
最初に教えたこと。
格好いいと思うことが、まず大切。
その種が、こんなところで芽吹いている。
「それはね」
燭台切は静かに言った。
「すごく格好いいことだよ」
主が目を丸くする。
「好きなものを好きだって言うのは、勇気がいるからね」
「……そう、でしょうか」
「うん」
少なくとも、今の君の方が、僕よりずっと格好いい。
そんな言葉は飲み込んだ。
代わりに微笑む。
すると主も、少し照れたように笑い返してきた。
その瞬間、燭台切の後ろのテーブルの衝立向こうの席から。
「光坊、もう告白してるようなもんだろ」
ぼそり。
「鶴さん、静かに」
「だから見守りはやめろと言った」
聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
主は聞こえていなかったようで、またアップルパイを一口ずつ食べては頬を緩めている。
それを見る方が重要だから、さっきのは聞こえなかったことにしよう、と燭台切は思った。
ゆっくりと食べ終えた主が、化粧直しに向かうのを見送り、燭台切はようやく肩の力を抜いた。
そして。
「……あのさ」
にこり、と笑う。
「全部聞こえてるんだけど? 鶴さん」
「おっと」
振り返ると、衝立の陰からひょこりと顔を出した鶴丸国永が笑った。
「俺だけじゃないぜ」
「わかってる」
燭台切は笑顔のまま続ける。
「でも、これじゃデートにならない」
「デートだったのか」
大倶利伽羅が呆れた声を出す。
「違うの?」
「聞くな」
大倶利伽羅の即答に、鶴丸が肩を震わせて笑う。
「光坊があんな顔してるの初めて見るなあ」
「どんな顔」
「恋する男の顔」
「鶴さん」
低い声が出た。
大倶利伽羅が鶴丸の首根っこを掴む。
「余計なことを言うな」
「おいおい、事実だろ」
「黙れ」
ずるずると引きずられていく。
その後ろで太鼓鐘が笑っていた。
「みっちゃん、頑張れよー」
「貞ちゃんまで……」
頭が痛い。本当に。
「大丈夫だよ、燭台切さん」
「乱くん」
乱が優しい眼差しで微笑む。
「あるじさん、ちゃんと喜んでる」
「…うん」
「だから、この後もよろしくね」
「うん?」
燭台切が何か言う前に、薬研が乱の口を抑えた。余計なことを言わないように。
「悪いな、燭台切」
「え、薬研くん?」
まさかの男士に、燭台切は身を起こす。薬研は、乱を強引に連れ出しながら、言った。
「あとな、あんまり大将に油断してると、足元救われるぜ?」
そんな風に気を取られていたからだろう。
燭台切は気づかなかった。
主の戻りが少しだけ遅いことに。
「お待たせしました」
戻ってきたら主が残りのコーヒーを口にする。
「…今度コーヒー酒でも作ろうかな…」
無意識に溢れた一言を拾い上げる。
「なんて?」
「あ、いえ、なんでもないです」
きっぱりと言い切る主を、燭台切がじっと見つめる。
じーっ。
顔を背ける主の頬が、耳が染まってゆく。
「主くん?」
結局、飲み終わった主がそろそろ出ようと言って、聞き出せなかった。
本当、お酒が絡むと頑固なんだから。
そういうところも好きだけど。
喫茶店を出るとき。
「……え? 会計が済んでる……?」
驚く燭台切に、店員が軽く会釈をした。
「先ほど、お連れ様が」
「え?」
もう一度言った燭台切を見て、店員は困ったように笑った。
「またお待ちしております」
「……」
燭台切は無言になった。
「……主くん」
思わず額を押さえる。
やられた。完全に。
そういえば、あの子、絶対に与えられっぱなしでは終わらないのだった。
まさかこんなところで、思い知らされるとは。
店の出口前で離れて待つ主を見る。
伸びた背筋、自分の選んだ服を着た彼女。
燭台切は小さく笑った。
なんだ。結局、いつだって、あの子はちゃんと返してくる。
形は違っても、気持ちは同じだけ。
燭台切が近づくと、少しだけ気まずそうな顔で見上げてくる。
「あの」
「うん」
「勝手なことをして、ごめんなさい」
「うん」
「でも、その」
瞬間、視線が決意を込めた様子になって。
「今日は、本当に楽しかったので」
ゆる、と照れたように笑う。
「少しだけ、格好つけたかったんです」
その一言で、仕草で。燭台切の怒りも、困惑も、全部吹き飛んだ。
代わりに、どうしようもなく愛おしい気持ちだけが残る。
「……参ったな」
「え?」
「いや」
これはもう、本当に、惚れ直してばかりじゃないか。
この子は本当に最初から、格好いい、を持っていたらしい。
気づいていなかったのは、本人だけなのだ。きっと。
そろそろ眼鏡の受け取りをしていい時間だった。
店を出て、また主と手を繋ぐ。
主は自然と燭台切の左側にいる。ほんの少し、寄り添って。
「本当に、いろいろなお店があるんですね」
「うん、気になる店があったら、入ってみようか」
「えっと、でも、」
「好きなものが見つかるの、楽しいでしょ?」
「はい」
頷くと、その頭で送ったリボンが揺れる。ただそれだけで、心が弾む。
「君はもっと欲張りになっていいんだよ」
「もう十分、欲張りだと思いますけど」
「そんなこと、」
「だって、今日は燭台切さんとずっと一緒ですし」
燭台切は足を止める。
主も止まる。
「それが、欲張り?」
「はい」
迷いのない返事。
「だって、燭台切さん、いつも誰かと一緒ですし」
嬉しそうに頬を染めて。
「独り占めなんて、こんなの欲張り過ぎです」
本当に、この子は。突然、燭台切を揺さぶってくる。
それなのに、僕は。ずっと、乱の貸したリボンを気にして、付け替えてまでして。
「…本当、格好悪いな、僕…」
「え? どうしてですか? 今日もいつも通り、格好いいですよ」
深く息を吐き、主の手を引く。
「君が格好良過ぎるの!」
「ええ?」
「行こう。帰りも、格好よく、エスコートするから」
歩き出す燭台切に、主はくすくると笑いながら、はい、と頷いた。
本当、うちの主は時々とんでもなく格好良くて、可愛すぎる。