[刀剣乱夢] 燭台切光忠は主を甘やかしたい   作:himausa

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第九話 [だ] 誰でもなくあなたを失いたくない

二人で歩きながら、ちら、と左側を見る。

燭台切の選んだ服を着て、燭台切の選んだリボンをつけた愛らしい彼女。

握る手は小さくて柔らかで、刀を振るうことはない。

だけど、今までも審神者として、結果は出し続けている。本人は自覚していないけど、近侍として共にいると、より実感する。

彼女は、強くて、優しくて、格好いい主なんだ。

「燭台切さん?」

視線に気づいた彼女が、見上げてくる。その上目遣いに体温が上がる。

「うん、やっぱり、格好いい」

頬を染めた彼女が視線を外す。

「そ、それは、もういいです、から」

可愛い。可愛すぎる。

そう、見惚れていたせいだろう。

何か——本当に彼女の身内にしかわからないような声が、幻聴のように聞こえた気がした。

「…え、なんで…?」

するり。

急に、彼女の手が離れた。

「すみません、燭台切さん!」

踵を返した彼女が、反対方向へ走り出す。掴みなおそうと伸ばした手もすりぬけて。

「主くん!?」

「待って! あの、待ってください!!」

彼女は誰かに呼びかけながら、すぐ先の路地に入ってしまう。

「主くん!!」

急いで追いかける燭台切だが、その路地に入ってすぐ、違和感に気づく。

いつもの万屋街じゃない。

雷鳴と共に、時間遡行軍が一部隊、立ち塞がる。

短刀二振、脇差一振、打刀二振。

一部隊なら、一振足りない。

「ちょっと、僕、今急いでいるんだよね」

左足を下げ、腰を落として、抜刀の構えを取る。

「無粋な奴らだ」

その隣に、鶴丸の白い装束が翻った。

「本当だな」

太鼓鐘の内側が青の白い短いマントもなびく。

大倶利伽羅の黒赤の戦装束も見える。

「燭台切さん、行って」

乱の金髪が揺れて、薬研も戦装束で本体の短刀を構える。

「大将を頼む」

心強い仲間たちに、燭台切は構えを解いた。

「……わかった。折れないでよ」

「折れるかよ。俺たちは格好いい主の刀なんだぜ?」

鶴丸の軽口は、自信に満ちている。

そう、僕たちは生半可な相手に遅れは取らない。それだけの練度を得ている。

戦闘が始まる直前、部隊をすり抜け、燭台切は主を追いかけた。

 

 

 

そう遠くない場所で、主を見つける。

主は転んで膝をついていて、大きな影がかかっていて。

「主!!」

走りながら、抜刀の構えを作り、急ぐ。間に合うか。

(間に合わせる!)

振り下ろされる大太刀の影、振り返った主が叫ぶ。

「だめ!!」

その刀が当たる寸前、抜刀し、切った感触が自分の手に、腕に伝わる。

「いやあ!」

でも、大太刀の一撃を避ける余裕はなくて、肩に刃の食い込む感触がした。

泣き叫ぶ彼女の顔が見える。

そんな、泣かせたいわけじゃないんだ。

それにまだ、終わってない。

「このままじゃ、格好つかないんでね!!」

真剣必殺を放ち、大太刀を倒せたが。

「燭台切さんっ」

倒れる燭台切の前、主がふらふらと覚束ない足取りで。

「…主、くん…」

「いや、」

視界がぼやける。これは、かなり、やばい。

そう思った時、懐に仕舞っておいた御守が強く反応した。

燭台切を包む優しい温かさ。主の声。

「どうか、傷つきませんように」

「どうか、折れませんように」

「どうか、無事に帰ってきますように」

そんな、願いが聞こえた。

たぶん、御守に込められた想いで、今はただ主は茫然としている。

怪我は、すっかりとなくなって。気力も回復していて。服の汚れや破れさえもなかったことみたいになっていた。取り出した御守は、身代わりのように大きく裂けていた。

「…主くん」

裂けたお守りを握りしめたまま、燭台切は言葉を失う。

目の前では、主がただ俯いている。

肩を縮めて。まるで、初めて近侍になった頃のように。

「ごめんなさい」

小さな声だった。

「私が、追いかけたりしたから」

違う。

「ごめんなさい」

違う。

「私が、ちゃんとしていれば」

違う。

「私が」

違う。

燭台切は気付いた。

この子は今、自分が傷ついたことなど考えていない。

考えているのは、自分のせいで燭台切が傷ついたこと。

そして、何もできなかったこと。

それだけだ。

「主くん」

呼びかけても主は顔を上げない。震える指がぎゅっと服の裾を掴んでいる。

その姿を見ていると、胸が痛かった。

きっと今、この子は、また昔の場所へ戻ろうとしている。

自分なんか。

自分のせいで。

自分がいなければ。

そういう場所へ。

だから、燭台切は怒るのをやめた。

今は違う。先に伝えなければならないことがある。

「主くん」

そっと手を伸ばす。

びくり、と主の肩が震えた。

逃げられるかと思った。

けれど、逃げなかった。

だから、燭台切はそのまま審神者の肩を抱いた。

「え」

驚いた声。

細い身体だった。

思ったよりずっと、軽かった。

そして、震えていた。

燭台切はそっと腕に力を込める。

壊れないように、逃げてしまわないように。

「燭台切、さん……?」

困惑した声に、燭台切は答えなかった。

答えるより先に、確かめたかった。

腕の中にいる。温かい。生きている。

無事だ。ちゃんといる。

それを、自分自身が確認したかった。

あの瞬間、大太刀が振り下ろされた時に燭台切が恐れたのは、自分が傷つくことじゃない。

ただ一つ、この子を失うことだった。

間に合わなかったら、もし一歩遅れていたら。

……考えたくもない。

だから、抱き締めたまま、小さく息を吐く。

「……よかった」

思うより、かすれた声がでた。主が息を止める。

「え」

「本当に」

もう一度言う。

「無事でよかった」

その言葉に、主の身体がぴくりと震えた。

「でも」

「うん」

「燭台切さんが」

「僕は平気」

「でも」

「平気なんだ」

君の御守のおかげで。

そう続けようとして、やめた。

今は違う。

「僕は無事だった」

腕の中の主が息を呑む。

「でも君は違う」

「え」

「君は今にも泣きそうだ」

言葉が返ってこない。

「主くん」

柔らかい髪を撫でる。

以前ならできなかったことで、今だからできることだ。

「僕はね」

静かに言う。

「君が無事で、本当に安心したんだ」

主が燭台切の腕の中で、ぎゅっとその服を掴んだ。

「だから」

少しだけ身体を離す。

顔を見るために。

俯いたままの顔へ、そっと指を添える。

「今は自分を責めないで」

震える睫毛、潤んだ瞳。

「ちゃんと怖かったでしょう?」

その瞬間、主の瞳から涙が零れた。

ぽろり、と。

まるで許可が下りたみたいに。

「……こわかった」

掠れた声だった。

「燭台切さんまで」

涙が落ちる。

「また」

落ちる。

「いなくなるかと」

燭台切は息を呑んだ。

その言葉の重さを知っていたから。

家族を失ったこの子にとって、いなくなるという言葉がどれほど恐ろしいものか、知っていたから。

だから、もう一度だけ、そっと抱き締める。硝子細工を抱くように。

「大丈夫」

今度は迷わず言えた。

「僕はここにいる」

その言葉は、主へ向けたものだった。

けれど同時に、燭台切自身へ向けた言葉でもあった。

失わなかった。守れた。この腕の中にいる。

だから今だけは、格好良くなくてもいい。

ただ無事でいてくれてよかったと。

そう思っていた。

 

 

 

主は、しばらく燭台切の胸元に額を押し付けたまま、動かなかった。

ただ、震えていた。泣き声はない。けれど、小さな肩が時折かすかに揺れる。

声を上げずに泣くことなんて、燭台切が知らないだけで、きっと何度もあった。

でも、今は一人で泣かせることにならなかっただけ、進歩している。

燭台切は急かさなかった。急かしてはいけない気がした。

この子はいつもそうだ。

誰かが傷つけば自分のせいだと思う。

誰かが悲しめば自分が悪いと思う。

そして、自分自身が傷ついた時だけは、何も言わない。

だから、今こうして燭台切の胸で泣けていることは、むしろ良いことなのかもしれなかった。

その呼吸が少しずつ落ち着いてきた頃。

「……主くん」

呼ぶと、胸元から小さな返事が返る。

「はい」

やっと、返事が返ってきたけど。

「僕、怒ってるんだ」

燭台切が言うと、ぴくり、と主の肩が震えた。

やっぱり。そうなると思った。

きっとこの子は、自分が責められると思っている。

「ごめんなさ」

「違う」

すぐに遮る。今度は間違えない。

「君が飛び出したことじゃない」

「え」

「たぶん、家族のことだろう? それで追いかけたことはいい」

それは責められない。責める資格なんてない。

燭台切だって、同じ立場なら追いかけていた。

「じゃあ」

「御守だよ」

腕の中の身体が固まった。

分かりやすい。本当に、この子は隠し事が下手だ。

「やっぱり」

「……」

「やっぱり無理をしてたんだね」

返事はない。その沈黙が答えだった。

燭台切は小さくため息を吐く。

「薬研くんが言ってた」

びくり。

「回復が追いついていないって」

「……」

「熱を出したのも、そのせいだったんでしょう?」

返事がない代わりに、服を掴む指先に力が入った。

「主くん」

優しく呼ぶ。

「どうしてそこまでしたの」

しばらく沈黙が続いた。

遠くで部隊を片付けた仲間たちの気配がする。

けれど今は誰も来ない。

たぶん、来ないようにしてくれている。

「……だって」

ようやく声が落ちた。

「燭台切さん、だから」

あまりにも当然みたいに言うから、燭台切は言葉を失った。

「だって」

主は続ける。

「大切な刀です」

「……」

「あの時みたいに」

「……」

「絶対に、怪我してほしくなくて」

「……」

「折れたりなんて、してほしくなくて」

その声は震えていた。

「だから」

きゅっと、燭台切の服を掴む。

「できることを、したかったんです」

燭台切は目を閉じた。

困る。

本当に、困る。

そんなことを言われたら、怒れなくなる。

けれど、怒れなくても、譲れないことはある。

「ありがとう」

まずはそう言った。

主がやっと自分から顔を上げる。

涙で濡れた目と少し赤い鼻はひどく幼く見える。

「僕を大切に思ってくれてありがとう」

それは本心だった。

「でも」

そこで燭台切は微笑む。

少しだけ、困ったように。

「次からは、僕にも君を大切にさせて」

主が息を呑む。

「君が無理をしてるのを知らないまま守られてるなんて」

そんなの。

「格好悪いだろう?」

その言葉に、主の目が大きく見開かれた。

格好悪い。

それは、燭台切が一番気にする言葉。

そして、主に一番よく効く言葉でもある。

「……」

「ね?」

「……はい」

小さな返事。

まだ納得しきってはいないだろう。

それでも、ちゃんと返事をしてくれた。

だから燭台切は安心した。

その時だった。

「おーい光坊ー!」

遠くから聞き慣れた声に、燭台切が顔をしかめる。

「無事かー?」

「生きてるかー?」

「邪魔しない方がいいー?」

「乱、最後のは言わなくていい」

さっきまで心強いと思っていた仲間たちだった。

燭台切は深々とため息を吐く。そういえば、ずっと今日見守られていたんだった。

腕を緩め、主の身体を離す。名残惜しいけれど、揶揄われるのは目に見えている。

「帰ろうか」

「そう、ですね」

主の小さな手が、自ら燭台切の手に収まり、握られる。

燭台切は、一瞬だけ息を止めた。

握られた手は燭台切からではない。主の方から。

逃げるように触れることはあっても、こんな風に自分から手を取ることはなかった。

それなのに、今は自然に、まるで当たり前みたいに。小さな手が、自分の手を握っている。

「一緒に、帰りましょう」

彼女が言う。

「私たちの本丸に」

その言葉が胸に落ちる。

私の本丸ではなく、あなたたちの本丸でもなく。

私たちの本丸。

燭台切はゆっくりと目を細めた。

「うん」

それしか言えなかった。

それだけで十分だった。

路地を抜けると、鶴丸たちが待っていた。誰一人折れていないし、軽傷も負ってない。

「主!」

真っ先に駆け寄ってきたのは乱だった。

その顔を見て、涙の跡を見て。それから、燭台切と繋がれた手を見る。

「……」

沈黙して、にやりと口元が。

「へぇー」

「乱」

薬研が肩を掴む。

「今はやめとけ」

「えー」

「今は」

「はいはい」

全然納得していない顔だったけれど、引いた。

その後ろでは鶴丸が何か言いたそうにしているのを、大倶利伽羅が首根っこを掴んでいる。

「離せ」

「駄目だ」

「一言だけ」

「駄目だ」

主はきょとんと瞬きをして。

それから、ふっと笑った。

泣き顔のまま、少しだけ。

でも確かに、笑った。

その笑顔を見た瞬間、燭台切は思った。

お守りの話も、説教も、家族の話もまだ終わっていない。

けれど今は、この笑顔が戻っただけで十分だと。

 

 

 

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