[刀剣乱夢] 燭台切光忠は主を甘やかしたい 作:himausa
二人で歩きながら、ちら、と左側を見る。
燭台切の選んだ服を着て、燭台切の選んだリボンをつけた愛らしい彼女。
握る手は小さくて柔らかで、刀を振るうことはない。
だけど、今までも審神者として、結果は出し続けている。本人は自覚していないけど、近侍として共にいると、より実感する。
彼女は、強くて、優しくて、格好いい主なんだ。
「燭台切さん?」
視線に気づいた彼女が、見上げてくる。その上目遣いに体温が上がる。
「うん、やっぱり、格好いい」
頬を染めた彼女が視線を外す。
「そ、それは、もういいです、から」
可愛い。可愛すぎる。
そう、見惚れていたせいだろう。
何か——本当に彼女の身内にしかわからないような声が、幻聴のように聞こえた気がした。
「…え、なんで…?」
するり。
急に、彼女の手が離れた。
「すみません、燭台切さん!」
踵を返した彼女が、反対方向へ走り出す。掴みなおそうと伸ばした手もすりぬけて。
「主くん!?」
「待って! あの、待ってください!!」
彼女は誰かに呼びかけながら、すぐ先の路地に入ってしまう。
「主くん!!」
急いで追いかける燭台切だが、その路地に入ってすぐ、違和感に気づく。
いつもの万屋街じゃない。
雷鳴と共に、時間遡行軍が一部隊、立ち塞がる。
短刀二振、脇差一振、打刀二振。
一部隊なら、一振足りない。
「ちょっと、僕、今急いでいるんだよね」
左足を下げ、腰を落として、抜刀の構えを取る。
「無粋な奴らだ」
その隣に、鶴丸の白い装束が翻った。
「本当だな」
太鼓鐘の内側が青の白い短いマントもなびく。
大倶利伽羅の黒赤の戦装束も見える。
「燭台切さん、行って」
乱の金髪が揺れて、薬研も戦装束で本体の短刀を構える。
「大将を頼む」
心強い仲間たちに、燭台切は構えを解いた。
「……わかった。折れないでよ」
「折れるかよ。俺たちは格好いい主の刀なんだぜ?」
鶴丸の軽口は、自信に満ちている。
そう、僕たちは生半可な相手に遅れは取らない。それだけの練度を得ている。
戦闘が始まる直前、部隊をすり抜け、燭台切は主を追いかけた。
そう遠くない場所で、主を見つける。
主は転んで膝をついていて、大きな影がかかっていて。
「主!!」
走りながら、抜刀の構えを作り、急ぐ。間に合うか。
(間に合わせる!)
振り下ろされる大太刀の影、振り返った主が叫ぶ。
「だめ!!」
その刀が当たる寸前、抜刀し、切った感触が自分の手に、腕に伝わる。
「いやあ!」
でも、大太刀の一撃を避ける余裕はなくて、肩に刃の食い込む感触がした。
泣き叫ぶ彼女の顔が見える。
そんな、泣かせたいわけじゃないんだ。
それにまだ、終わってない。
「このままじゃ、格好つかないんでね!!」
真剣必殺を放ち、大太刀を倒せたが。
「燭台切さんっ」
倒れる燭台切の前、主がふらふらと覚束ない足取りで。
「…主、くん…」
「いや、」
視界がぼやける。これは、かなり、やばい。
そう思った時、懐に仕舞っておいた御守が強く反応した。
燭台切を包む優しい温かさ。主の声。
「どうか、傷つきませんように」
「どうか、折れませんように」
「どうか、無事に帰ってきますように」
そんな、願いが聞こえた。
たぶん、御守に込められた想いで、今はただ主は茫然としている。
怪我は、すっかりとなくなって。気力も回復していて。服の汚れや破れさえもなかったことみたいになっていた。取り出した御守は、身代わりのように大きく裂けていた。
「…主くん」
裂けたお守りを握りしめたまま、燭台切は言葉を失う。
目の前では、主がただ俯いている。
肩を縮めて。まるで、初めて近侍になった頃のように。
「ごめんなさい」
小さな声だった。
「私が、追いかけたりしたから」
違う。
「ごめんなさい」
違う。
「私が、ちゃんとしていれば」
違う。
「私が」
違う。
燭台切は気付いた。
この子は今、自分が傷ついたことなど考えていない。
考えているのは、自分のせいで燭台切が傷ついたこと。
そして、何もできなかったこと。
それだけだ。
「主くん」
呼びかけても主は顔を上げない。震える指がぎゅっと服の裾を掴んでいる。
その姿を見ていると、胸が痛かった。
きっと今、この子は、また昔の場所へ戻ろうとしている。
自分なんか。
自分のせいで。
自分がいなければ。
そういう場所へ。
だから、燭台切は怒るのをやめた。
今は違う。先に伝えなければならないことがある。
「主くん」
そっと手を伸ばす。
びくり、と主の肩が震えた。
逃げられるかと思った。
けれど、逃げなかった。
だから、燭台切はそのまま審神者の肩を抱いた。
「え」
驚いた声。
細い身体だった。
思ったよりずっと、軽かった。
そして、震えていた。
燭台切はそっと腕に力を込める。
壊れないように、逃げてしまわないように。
「燭台切、さん……?」
困惑した声に、燭台切は答えなかった。
答えるより先に、確かめたかった。
腕の中にいる。温かい。生きている。
無事だ。ちゃんといる。
それを、自分自身が確認したかった。
あの瞬間、大太刀が振り下ろされた時に燭台切が恐れたのは、自分が傷つくことじゃない。
ただ一つ、この子を失うことだった。
間に合わなかったら、もし一歩遅れていたら。
……考えたくもない。
だから、抱き締めたまま、小さく息を吐く。
「……よかった」
思うより、かすれた声がでた。主が息を止める。
「え」
「本当に」
もう一度言う。
「無事でよかった」
その言葉に、主の身体がぴくりと震えた。
「でも」
「うん」
「燭台切さんが」
「僕は平気」
「でも」
「平気なんだ」
君の御守のおかげで。
そう続けようとして、やめた。
今は違う。
「僕は無事だった」
腕の中の主が息を呑む。
「でも君は違う」
「え」
「君は今にも泣きそうだ」
言葉が返ってこない。
「主くん」
柔らかい髪を撫でる。
以前ならできなかったことで、今だからできることだ。
「僕はね」
静かに言う。
「君が無事で、本当に安心したんだ」
主が燭台切の腕の中で、ぎゅっとその服を掴んだ。
「だから」
少しだけ身体を離す。
顔を見るために。
俯いたままの顔へ、そっと指を添える。
「今は自分を責めないで」
震える睫毛、潤んだ瞳。
「ちゃんと怖かったでしょう?」
その瞬間、主の瞳から涙が零れた。
ぽろり、と。
まるで許可が下りたみたいに。
「……こわかった」
掠れた声だった。
「燭台切さんまで」
涙が落ちる。
「また」
落ちる。
「いなくなるかと」
燭台切は息を呑んだ。
その言葉の重さを知っていたから。
家族を失ったこの子にとって、いなくなるという言葉がどれほど恐ろしいものか、知っていたから。
だから、もう一度だけ、そっと抱き締める。硝子細工を抱くように。
「大丈夫」
今度は迷わず言えた。
「僕はここにいる」
その言葉は、主へ向けたものだった。
けれど同時に、燭台切自身へ向けた言葉でもあった。
失わなかった。守れた。この腕の中にいる。
だから今だけは、格好良くなくてもいい。
ただ無事でいてくれてよかったと。
そう思っていた。
主は、しばらく燭台切の胸元に額を押し付けたまま、動かなかった。
ただ、震えていた。泣き声はない。けれど、小さな肩が時折かすかに揺れる。
声を上げずに泣くことなんて、燭台切が知らないだけで、きっと何度もあった。
でも、今は一人で泣かせることにならなかっただけ、進歩している。
燭台切は急かさなかった。急かしてはいけない気がした。
この子はいつもそうだ。
誰かが傷つけば自分のせいだと思う。
誰かが悲しめば自分が悪いと思う。
そして、自分自身が傷ついた時だけは、何も言わない。
だから、今こうして燭台切の胸で泣けていることは、むしろ良いことなのかもしれなかった。
その呼吸が少しずつ落ち着いてきた頃。
「……主くん」
呼ぶと、胸元から小さな返事が返る。
「はい」
やっと、返事が返ってきたけど。
「僕、怒ってるんだ」
燭台切が言うと、ぴくり、と主の肩が震えた。
やっぱり。そうなると思った。
きっとこの子は、自分が責められると思っている。
「ごめんなさ」
「違う」
すぐに遮る。今度は間違えない。
「君が飛び出したことじゃない」
「え」
「たぶん、家族のことだろう? それで追いかけたことはいい」
それは責められない。責める資格なんてない。
燭台切だって、同じ立場なら追いかけていた。
「じゃあ」
「御守だよ」
腕の中の身体が固まった。
分かりやすい。本当に、この子は隠し事が下手だ。
「やっぱり」
「……」
「やっぱり無理をしてたんだね」
返事はない。その沈黙が答えだった。
燭台切は小さくため息を吐く。
「薬研くんが言ってた」
びくり。
「回復が追いついていないって」
「……」
「熱を出したのも、そのせいだったんでしょう?」
返事がない代わりに、服を掴む指先に力が入った。
「主くん」
優しく呼ぶ。
「どうしてそこまでしたの」
しばらく沈黙が続いた。
遠くで部隊を片付けた仲間たちの気配がする。
けれど今は誰も来ない。
たぶん、来ないようにしてくれている。
「……だって」
ようやく声が落ちた。
「燭台切さん、だから」
あまりにも当然みたいに言うから、燭台切は言葉を失った。
「だって」
主は続ける。
「大切な刀です」
「……」
「あの時みたいに」
「……」
「絶対に、怪我してほしくなくて」
「……」
「折れたりなんて、してほしくなくて」
その声は震えていた。
「だから」
きゅっと、燭台切の服を掴む。
「できることを、したかったんです」
燭台切は目を閉じた。
困る。
本当に、困る。
そんなことを言われたら、怒れなくなる。
けれど、怒れなくても、譲れないことはある。
「ありがとう」
まずはそう言った。
主がやっと自分から顔を上げる。
涙で濡れた目と少し赤い鼻はひどく幼く見える。
「僕を大切に思ってくれてありがとう」
それは本心だった。
「でも」
そこで燭台切は微笑む。
少しだけ、困ったように。
「次からは、僕にも君を大切にさせて」
主が息を呑む。
「君が無理をしてるのを知らないまま守られてるなんて」
そんなの。
「格好悪いだろう?」
その言葉に、主の目が大きく見開かれた。
格好悪い。
それは、燭台切が一番気にする言葉。
そして、主に一番よく効く言葉でもある。
「……」
「ね?」
「……はい」
小さな返事。
まだ納得しきってはいないだろう。
それでも、ちゃんと返事をしてくれた。
だから燭台切は安心した。
その時だった。
「おーい光坊ー!」
遠くから聞き慣れた声に、燭台切が顔をしかめる。
「無事かー?」
「生きてるかー?」
「邪魔しない方がいいー?」
「乱、最後のは言わなくていい」
さっきまで心強いと思っていた仲間たちだった。
燭台切は深々とため息を吐く。そういえば、ずっと今日見守られていたんだった。
腕を緩め、主の身体を離す。名残惜しいけれど、揶揄われるのは目に見えている。
「帰ろうか」
「そう、ですね」
主の小さな手が、自ら燭台切の手に収まり、握られる。
燭台切は、一瞬だけ息を止めた。
握られた手は燭台切からではない。主の方から。
逃げるように触れることはあっても、こんな風に自分から手を取ることはなかった。
それなのに、今は自然に、まるで当たり前みたいに。小さな手が、自分の手を握っている。
「一緒に、帰りましょう」
彼女が言う。
「私たちの本丸に」
その言葉が胸に落ちる。
私の本丸ではなく、あなたたちの本丸でもなく。
私たちの本丸。
燭台切はゆっくりと目を細めた。
「うん」
それしか言えなかった。
それだけで十分だった。
路地を抜けると、鶴丸たちが待っていた。誰一人折れていないし、軽傷も負ってない。
「主!」
真っ先に駆け寄ってきたのは乱だった。
その顔を見て、涙の跡を見て。それから、燭台切と繋がれた手を見る。
「……」
沈黙して、にやりと口元が。
「へぇー」
「乱」
薬研が肩を掴む。
「今はやめとけ」
「えー」
「今は」
「はいはい」
全然納得していない顔だったけれど、引いた。
その後ろでは鶴丸が何か言いたそうにしているのを、大倶利伽羅が首根っこを掴んでいる。
「離せ」
「駄目だ」
「一言だけ」
「駄目だ」
主はきょとんと瞬きをして。
それから、ふっと笑った。
泣き顔のまま、少しだけ。
でも確かに、笑った。
その笑顔を見た瞬間、燭台切は思った。
お守りの話も、説教も、家族の話もまだ終わっていない。
けれど今は、この笑顔が戻っただけで十分だと。