君はアイリス   作:矢崎未紗

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君はアイリス 第4話(2)

 そんなフレイザーなら、どんなに口が悪かろうと、未熟な者たちに根気よく教える教官という職種は向いているのかもしれない。常に堂々としており、そう簡単にへこたれない強気の姿勢を見せてくれるフレイザーは、とてもいい見本であり、手本になれるだろう。

 

(私も……近付きたい)

 

 エーファにとってフレイザーは、上官としてとても頼れる存在だ。たしかに、気は短いし言葉遣いも悪いほうだが、ここに来てからエーファは、彼に対して何一つ、萎縮したこともなければ困ったこともない。部下として彼を支えることを嬉しく思ったし、休暇日に彼と過ごせた時間も嬉しかった。そして今は、セカンドキャリアという先のことも見据えて視野を広く持つ彼のように、自分もなりたいと思う。たくましく力強く、一人の軍人として堂々と背筋を伸ばすフレイザーに、少しでも近付きたい。

 フレイザー・ベリンガムという存在は、ほかの隊員とは明らかに違う。いつの間にか、自分にとって何か特別な意味を持った存在になっていた。その彼が未来を見据えて進もうとするのなら、補佐官らしく、その道を支えたいとエーファは思った。

 

「教育隊への出向は、いつからのご予定ですか。それまでに、戦闘データの精査を終わらせたほうがいいですよね。あの……まだ終わりはかなり遠いのですが……」

 

 自分がフレイザーに対して何か特別な思いを抱いていることを、エーファは自覚した。けれど、意思や行動、感情さえも長年抑えつけられてきたエーファは、自分の心の中に生まれつつある気持ちの名前については、まだわからなかった。

 

「早ければ来週だ。教育隊側と、何よりこちらの飛行隊の人員調整次第ではあるがな。データの精査だが、急ぐことはない。現在までに完了した分は、すでに技術班に渡したのだろう? それなら、残りは無理のない範囲で進めてくれればいい。それに、今後はお前自身も飛ぶだろうしな。いつまでも内勤ばかりをさせておけん。お前がパイロットとして復帰する際には、別の人材にデータ管理一式の業務を専担でやらせるように、隊長にはお願いをしている」

 

 いつの間にか、エーファの進退――事務作業から離れてパイロットに復帰すること――の準備も進んでいたらしい。

 エーファは、ほぼ相談なくフレイザーが事を進めていたことを少しばかり寂しく思ったが、それは表に出さないように、胸中にしまい込んだ。

 

「わかりました。後任の担当者に、いつでも引き継げるようにしておきます」

「ああ。頼むぞ、ベルツ少尉」

 

 ようやくエーファのほうを向いて、フレイザーは頷いた。

 

 

   ◆◇◆◇◆

 

 

 フレイザーの教育隊への出向は少し遅くなって、それから二週間後という日にちで決定した。教育隊は飛行隊と同じく、各地の惑星や宇宙にいくつかの拠点を持っているが、フレイザーが行くのは宇宙基地とのことだった。

 これは異動ではない。定められた期間が過ぎれば、フレイザーは戻ってくる。だが、その先はどうなるかわからない。何事もなくパイロットとしての日々に戻るかもしれないし、今度は期間限定ではなく、本格的に教育隊に籍を移すことになるかもしれない。エーファはリースからそう聞いていたが、特に何も答えなかった。

 

 そうして、エーファもフレイザーも淡々と引継ぎを終え、フレイザーは教育隊への出発を明日に控えて基地を後にした。

 明日は最も早い連絡便で宇宙基地へ行くので、今夜は早めに寝たほうがいい。しかし、賃貸の自分の部屋に帰ったフレイザーは妙に落ち着かない気分に襲われ、気晴らしのつもりで少しのドライブをすることにした。

 向かった先は、一番近くの懸垂式モノレール駅の周辺で、学校や仕事から帰宅する人々が、止まることのない波を作っていた。目的地はないので、フレイザーは降車することなく、頻繁に赤信号で止まる駅前の道路を、なんとはなしに運転し続ける。すると、ふと目に入ったものが気になり、車を止めてある店へと向かった。

 

「いらっしゃいませ。気になるものがあれば、お声掛けください」

 

 緑色のエプロンを着た愛想のいい女性店員が、フレイザーに声をかける。その声を無視して、フレイザーは店先の一部をじっと見つめた。

 アイリス――小さなプラカードに値段と共に書き込まれた、その花の名前。

 シャキッと背筋を伸ばした軍人を思わせる、直立で太い茎に白い花びら。色づいているので花びらだとフレイザーは思うが、隣に並ぶアネモネやガーベラに比べると、なんとも花っぽくない形をしている。不器用なために、花らしく花びらを広げられなかった――フレイザーにはそんなふうに見えた。

 

「これを」

「はい、アイリスですね」

「一本だけ、というのはおかしいだろうか」

 

 女性店員に声をかけたフレイザーは、まるで独り言のように呟いた。

 花を買う男性客の扱いには慣れているようで、女性店員は助言と確認をすべく、フレイザーに尋ねる。

 

「どなたかへの贈り物ですか? 就職や退職などの節目なら花束にするほうがいいかもしれませんが、そこまで仰々しい理由での贈り物でないのなら、一本でも大丈夫ですよ。装飾のリボンで少し華やかさを出せますから。ここにある白いアイリスなら、花言葉は〝純粋〟や〝思いやり〟、〝あなたを大切にします〟なんて意味もあるので、プロポーズに使われることもあります」

「いや……そういうのではない」

 

 誰がプロポーズに使うなどと言った! とフレイザーは一瞬、大声で反論したい気持ちになった。しかし民間の女性店員に対して、いつもリースに怒鳴り散らしているような態度をとるわけにもいかず、ごにょごにょと言葉を濁して否定する。直立の茎に、花には見えない不器用さ。それはまるでエーファのようだと、ふと思っただけなのだ。

 

「隣にある青いアイリスなら〝強い希望〟や〝信念〟という花言葉ですから、励ます気持ちを伝えられるかもしれません。花言葉なんてたくさんあるし、そもそも調べて知ろうとする人のほうが少ないんですけどね」

 

 花屋として元も子もないことを言っている自覚があるのか、女性店員は苦笑した。

 しかし青いアイリスの花言葉は、ますますフレイザーにエーファを思わせた。これまでの彼女の人生は父親に抑圧されてきたものだったが、この先はどうか、己の信念を見つけて生きていってほしいと。

 

「では青いほうを一本頼む。その……そんなに派手にしなくていい」

「畏まりました。少々お待ちください」

 

 女性店員はにっこりほほ笑むと花筒から一本のアイリスを取り出して、店の奥へと入っていく。そして手早く包んで、レジで会計を済ませたフレイザーにそれを手渡した。

 

「ありがとうございました。またどうぞ」

 

 女性店員に見送られて、フレイザーは自分の車に戻る。透明なビニールで覆われて細長い三角のシルエットを成し、蝶結びにされた白いリボンでラッピングされた一本のアイリスを助手席に横たわらせてから、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。

 花なんか渡してどうしたいのか、と自問する。けれど、この花の姿があまりにも彼女みたいだったから、どうしても渡したいとの思いが勝ってしまった。

 

(これを渡したら、どんな顔をするんだろうか)

 

 まるで人形のように無感情で、無表情だった初対面の日のエーファ。けれども第八宇宙団で過ごすうちに、その表情は少しずつ多様な色を持つようになった。そして先日のベルツ大佐の突然の来訪以降は、さらに自然に笑えるようになっていた。

 命令や業務以外の会話を自発的にすることのなかったエーファだが、待機室や食堂で、自分から同僚たちに話しかける姿を見かけたこともある。フレイザー同様にエーファを気にかけているリースが、持ち前の人懐っこさでエーファと周囲を結び付けるようにこっそりとフォローしていることも奏功しているのだろうが、それにしてもずいぶんとかわいく笑うようになったものだ。

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