変化の乏しいエーファの表情をわずかにでも疑念の色に染めたのは、むしろそのあとの異動命令のほうだった。それも、飛行隊内でのチームが変わるというようなレベルではなく、その上の組織である宇宙団が変わるという、めったにないタイプの異動だ。
(まずは増速、減速データの抽出。加えて旋回データのカッティング……)
通常の人事異動というのは、異動前組織と異動後組織の間で、何かしらのコミュニケーションが図られるものである。ところが、派閥争いのある軍内部で――それも、ライネヴェジン軍事アカデミー出身者、いわゆる「黒服」派で成り立つ第九宇宙団と、シャーラヌス軍学校出身者、いわゆる「白服」派で成り立つ第八宇宙団との間でそれがあったとは、にわかには信じがたい。
黒服派と白服派は対照的というか、犬猿の仲というか、よく同じ軍を構成しているなと思えるほど、持っている気質が違う関係だ。感情が希薄で特定の個人や集団を憎んだ経験のないエーファですら、その二者の仲の悪さはアカデミー時代から肌で感じている。両者を組成する根底の思想がまったく異なるため、軍人同士だけでなく、互いが有する教育機関同士も、強烈に相手を意識していたのだ。「こちらの人材を送ります。どうぞよろしくお願いします」、「わかりました。受け入れましょう」というような、穏やかなコミュニケーションがとられたうえで人事異動が行われたとは、到底思えなかった。
(三年分となると、二週間では終わらないわね)
空中に表示されている半透明の電子モニタは三つ。左右と上方だ。正面の物理モニタは電子モニタよりもサイズが大きく、右上には「ランドルフ・フェザー」というパイロット名が表示されていた。
(どうしてここまで放置できたのかしら)
各画面上では、システムたちによるデータ解析、およびデータ加工作業が開始され、エーファの手はしばしの休憩を得る。
フレイザーの髪と瞳に見惚れた初対面の日、エーファは整備員たちと共にフレイザー直々の基地案内を受けた。その後、今後すべき業務として、この基地が放置していた戦闘データの精査を申しつかった。人手不足が続いた時期から放置し続けてしまったデータの量は膨大で、誰も手を出したがらないまま放置期間だけが延び続けてさらにデータは増え、専属で解析する者でもいない限り誰も片付けようとはしないだろう、と言われていた代物らしい。なるほど、訳ありの新参者に押し付けるにはいい雑務だ。
(次はいつ、乗れるのかしら)
システムが現フェーズの解析作業を終えるまで、エーファにできることはない。ただ椅子に座ってモニタを眺めているだけの時間は、否応なしにエーファの頭を思考させる。
先日の作戦において、あの宇宙戦艦を護ることは勝利のための絶対条件だった。エーファたちのチームは決死の思いで宇宙戦艦を護り、敵機を撃墜し、命令された任務を果たし、作戦成功に大きく貢献した。何人もの仲間が敵の攻撃で撃破されて宇宙の塵と化したが、彼らの顔はすでにぼんやりとしか思い出せない。軍人とはそういうものだ。命令どおりに動き、作戦のために死に、そしてまた補充される。使い捨ての駒だ。
エーファがそんな軍人としての道を選んだのは、エーファ自身の意思によるものではない。だが、十八にもなってこの道から外れようとしないのは、エーファ自身の意思だ。いや、正確には意思とは言えないかもしれない。自分を支配する人物が怖くて、「嫌だ」と主張できていないだけだ。それに、生まれてからずっと軍人としての人生を歩み続けてきたので、ほかの道を知らない。軍人でない人生と今の人生を比較しようがないのだ。
それでも、宇宙戦闘機に乗ることは好きだと思っている。一瞬で加速し、あっという間に宇宙を駆けていく愛機。重力のある地上では考えられないあの速度ならば、絶対的な支配者からさえも逃げられるような気がした。
宇宙戦闘機だけがこの心を動かし、解き放ってくれる。まさに拠り所。
そんなふうに感じていたエーファにとって、あの白銀とコバルトブルーの美しさはとても久しぶりのような、それでいて初めてのような感動を覚えるものだった。
(フレイザー・ベリンガム大尉……)
データ精査を始めて幾日が経過し、すでに何人かのパイロットの基本情報は記憶してしまった。その一人であるフレイザーは、シャーラヌス軍学校出身だ。リースもそうだが、いわゆる白服の軍人で、卒業後にこの第八宇宙団に配属されたのは当然の流れだろう。
リースはやや軽薄な態度ではあるが、二人ともファイターパイロットとしての腕前は申し分なく、いくつもの作戦に従事して任務を完遂している。片手で数えるほどだが功労賞も授与されているので、上中下で三分割するならば、間違いなく上位のパイロットだろう。
リースと仕事で関わることは少ないが、補佐官という関係になったため、フレイザーとはほぼ毎日のように関わりがある。
この放置され続けた戦闘データの精査のほかにも、フレイザーは都度、事務仕事をエーファに言いつけた。その言葉遣いや態度は常にぶっきらぼうだったが、エーファを道具のように扱っているわけでないことは、すぐにわかった。
たとえば、エーファがこっそり残業をしようとすると、すかさずフレイザーはエーファに声をかけた。「残業はしなくていい。お前が帰らないと、整備員も帰らないらしいからな。勤務時間は守れ」と。エーファだけでなく、第九宇宙団から異動になった整備員のことも気にかけている言葉だった。
また、リースの先月の戦闘データを至急形成してくれるか、と頼まれたこともあった。「あの馬鹿、航法システムの断片的なバグを知っていたくせに、放置してやがった」と、非常に苦い顔をして。つまり、リースの身を心配しているということだ。
それから、自分が基地を数日間留守にする際は、「判断が必要な場合は、マック・スミス大尉に相談しろ」と、抜かりなく引継ぎをしていった。
フレイザーは実に細やかに働くパイロットだった。日々の訓練の合間にエーファへの指示を出し、そして自身も事務仕事に手を動かす。それはいちパイロットとしての業務量を超えているのではないか、とエーファは思ったが、だからこそ自分が彼の「補佐官」としてこの居場所を与えられたのだと、妙に納得してしまった。
(第九宇宙団とは、ずいぶん違う)
第八宇宙団は、エーファの古巣と比べて良い表現をするならば穏やか、悪意を込めるならゆるい雰囲気だ。同僚をちゃん付けするリースのような軍人は、第九宇宙団にはまずいない。怒声も罵声も、第九宇宙団に比べたらここでは圧倒的に少ない。第九宇宙団は閉鎖的で暴力的だったのだと、ほかを知って初めてエーファは気付いた。
(あそこがすべてだと思っていたけど)
モニタには長い数式のあとに、いくつもの類似したデータが表示されて流れていく。ランドルフの戦闘データの解析は順調なようだ。こうして解析して切り分けられたデータは、整備員や技術員に共有され、日々の訓練や機体のメンテナンス、あるいは新型戦闘機の開発に利用される。自分が乗っている戦闘機は、こうした地道な作業やあまたのデータによって支えられているのだと、エーファは新しい発見をした気がした。
(ここは、不思議な心地がする……)
時々止まり、かと思えば高速で流れ、時にはゆっくりとしたスピードで進む、四つのモニタ上に映っているデータたち。それを眺める日々は、エーファの心をゆっくりとほぐしていった。
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※三種省略……「第○銀河守護星軍」、「第○エリア第○星第○ハウス」、「第○恒星系第○SS部隊」という三種類の所属組織を省略すること