「エーファちゃんは? こういう場所、来たことある?」
「私は……」
三人の足が止まる。先を歩いていたフレイザーとリースに見つめられて、エーファは俯いた。そして、ゆっくりと首を横に振った。
「だよねー。軍事アカデミーを卒業してすぐ入隊だと、遊ぶ時間もないもんな。ま、せっかくここまで来たんだし、いろいろやってみようぜ」
「リース、そう言ってお前が楽しみたいだけだろ」
「え、そうだけど? 俺はまだ、こういうのが楽しめる年齢なんでね」
「俺と同い年のくせに。ガキだな」
「フレイザー、気持ちだけでも若くいないと、あっという間に年をとってハゲるぜ?」
「誰がハゲるか!」
「ちょっとは気にしてんだろ~?」
フレイザーをあしらうと、リースはずんずんと施設内に入っていく。
そしてこの日の夕方まで、エーファはリースに勧められるまま、施設内を歩き回った。
軍人の道を早くから強制され、軍人になるのに不要なものは一切排除されてきたエーファにとって、遊園施設のアトラクションは何もかもが初体験だった。
高所から急な傾斜を落ちたあとに猛スピードで進むジェットコースターは、曲がりなりにも宇宙戦闘機のパイロットであるエーファにとってはそれほど刺激的ではなかったが、自分で操縦できないという不自由さに対しては、新鮮な不安感を抱いた。暗闇の中、つるされたような状態で予測不可能な方向へ揺らされながら進むアトラクションでは、「これはいい訓練になるかも」などと、軍人らしいことを考えていた。
ほかにも、無秩序に行き交う大勢の一般人の中を歩く困難さや、小腹が減ったと言うリースが買ってきた、粒の大きな砂糖でコーティングされたドーナッツを食べ歩きするだらしなさ。次は何に乗ろう、あれに乗ろう、いやだ、あれはつまらん、としっかりと行き先を相談するフレイザーとリースの仲の良さなど、これまでの人生で体験したり見聞きしたりしたことのなかったものが、閉じていたエーファの感覚をノックする。
自分の胸の中に繰り返し起こる、波のようなその高鳴りをなんと呼ぶのか、エーファはわからなかった。けれど、おそらく一番単純な名前を付けるのなら、それは「楽しい」という感情なのだろうと思った。
「エーファちゃん、今日は楽しかった?」
「はい」
だから帰りの車の中、リースから尋ねられたエーファは、間髪を容れずにそう答えることができた。そんな自分を不思議に思ったが、次の瞬間には思わず頬がゆるんでいた。
「とても……楽しかったです」
「そっか、それはよかった。フレイザーが隊舎まで送ってくれるから、寝ちゃってもいいぜ」
エーファのほほ笑みを見て満足げなリースは穏やかに笑った。
そこでエーファは、ステアリングを握る運転席のフレイザーの横顔を見つめた。彼のサラサラとした銀髪は、今日も変わらずきれいだ。様々なアトラクションに乗って上下左右に振り乱されたはずなのに、まるでつい今し方櫛を通したかのようにすとん、と落ちている。
「なんだ」
「あ、いえ……」
エーファの視線に気付いたフレイザーは、前方を向いたまま短く尋ねる。エーファは首を振ると、助手席側の窓の外へと視線を向けた。
(こういう日や、こういう感情を……楽しいと言うのね)
エーファの人生のすべては、守護星軍に捧げるためにある。そういうものだと父から言い聞かされて育ってきて、それが当然だと思っていた。疑いもしなかった。不満を抱いたことはあっただろうが、それを表に出すと大声で叱責され、時には女だろうと容赦せずに殴られたので、いつしか自分の心は押し殺すようになっていた。守護星軍の軍人として軍のためだけに生きなければ、自分にはなんの価値もない。そう思っていた。
軍人に、楽しいなどという感情は不要。必要なのは、軍人としての技量を磨く時間。任務に従事し、確実に結果を出して、階級を上げること。そのためには、一分一秒たりとも無駄にするな。すべての時間とエネルギーを、軍人として生きることに捧げろ。そう繰り返し刷り込まれてきたおかげで、エーファは楽しみも喜びもろくに知らなかった。
(それに……嬉しい)
後部座席のリースも多少なりとも疲れたようで、往路ほど積極的に話しかけてくることはなかった。
エーファもフレイザーも自分から話をすることはないので、リースが喋らないと、車内に会話が生まれることはない。窓ガラスの外で空気が流れていく音と静かなエンジン音だけが、唯一のBGMだ。それはまるで子守歌のようで、エーファの瞼は落ち、意識と思考はゆっくりと沈んでいく。
(ベリンガム大尉と……一緒に、いられ……て……)
生まれて初めての遊園施設での体験が「楽しい」ならば、フレイザーと共に過ごせた体験は「嬉しい」だ。
なぜそんなふうに思うのか、エーファはその疑問を深掘りする間もなく、しばしのうたた寝を始めてしまった。
「ベルツ少尉、起きろ。隊舎だ」
鋭い声が聞こえて、ゆっくりと覚醒する。ぼやける視界に数秒間ぼうっとしてから、エーファははっとして運転席を見やった。
「はっ、す、すみません!」
「おい、今は勤務時間中じゃないし、俺は怒ったわけではない」
エーファが今にも敬礼をしそうな気配を察して、フレイザーはため息をついた。
「リースは所用があるらしいからな。お前だけ先に降りてくれるか」
「はい。あ、あの、行きも帰りも、ありがとうございました」
決して短いとは言えない距離のドライブを、フレイザーは往路も復路もこなしてくれた。本人いわく、この車を他人に運転させたくない、とのことだったが、その言葉にしっかりと甘えてしまったことは事実だ。
「問題ない。今夜はしっかり休めよ」
「はい。お先に失礼します」
「じゃあね、エーファちゃん。また基地で」
最後にリースとも別れを済ませて、エーファはフレイザーの車を降りる。
どうしてもせずにはいられなかったのか、それとも隊舎の入り口だからなのか、見えなくなるまで敬礼の姿勢を続けたエーファに、車内のリースは苦笑した。
「ほんっと硬いねえ。十八歳には見えないぜ」
フレイザーは特に相槌を打つこともなく、車を走らせる。向かった場所は、基地内の駐車場だった。
「長話ではないんだろうな」
「びっくりするほど長くはないかな。調査結果をちょっと共有するだけ」
フレイザーは車のエンジンを止める。本当に長い話ではないようで、リースは後部座席から少しだけ身を乗り出して口火を切った。
「まず、エーファちゃんの生い立ちだ。エーファちゃんの家、つまりベルツ家ってのは、第九宇宙団の中でも名の知れた黒服の一族だ。親戚一同、ほぼすべての人間が代々軍人になっている。エーファちゃんの父親はロバート・ベルツ二等星大佐だ」
「珍しくはないな」
「まあな」
両親共に民間人である民間の子供が、将来の職業として軍人を選び、自らの意思で軍に入るということは珍しくない。私設の軍隊でない限り、軍人というのは基本的に公的な人材、つまり公務員だ。長く働くという意味では安定した職場である。
そしてまた、軍人同士で結婚し、自分の子供も軍人にさせ、親戚一同軍人であるという家族も珍しくない。なぜなら、親戚や親子というつながりをベースにした一種の派閥を作って、軍内で発言権を持てるようになるからだ。特に黒服と言われるライネヴェジン軍事アカデミー出身者と、白服と言われるシャーラヌス軍学校出身者は、その半分以上が軍人家系である。
第八、もしくは第九宇宙団の所属という時点で、軍人家系の出身である可能性は想像に難くない。今さらエーファがそうだと聞かされても、フレイザーに驚きはなかった。
「このベルツ大佐がまあ、クセのあるおっさんでさ」
誰にも聞かれていないのをいいことに、リースは上席者に対する不躾な発言をためらいもせずに口にした。
「いわゆる野心家ってーの? なんかいろいろと、グレーなことをやってるっぽい」
「ずいぶん曖昧な言い方だな。証拠がないのか」
「さすがに別の宇宙団だからな。悪い、調査っつーか、ちょっとつてを使って噂話をかき集めただけなんだわ」
「それでも、聞く価値のある噂話なんだろう」
普段ならリースの話すゴシップなどに興味を示さないフレイザーだったが、今回は別だった。なぜなら、「ジーニアスの舞踊」の功績を残したはずのエーファが、関係者共々謹慎処分になった経緯に関わることだからだ。