フレイザーに煽られて、ベルツ大佐はエーファの手首を離す。そしてその手を振り上げて、フレイザーに殴りかかろうとした。
「ベルツ大佐、そこまでです。また一つ、ゴシップの材料を自ら作るおつもりですか」
しかし新たな声によって、ベルツ大佐の手は空中で止まった。
「筋を通さず実力行使ばかり続けていたからこそ政敵を有利にさせたのだと、貴殿もわかっておられるでしょう。もう少し、自制心というものをお持ちになったほうがよろしいのでは?」
「ケビン・コスティッチ……!」
標準実務室内に入ってきた男――この第八宇宙団飛行隊の隊長であるケビン・コスティッチ三等星准将の姿を見るやいなや、ベルツ大佐のこめかみの青筋はさらに際立った。
「ベリンガム大尉の言うとおりです。どうぞお引き取りを。人事異動の打診は、正式ラインでならお聞きします。貴殿の意に沿う形になるかどうかは確約いたしませんが」
ケビンの物言いに、ベルツ大佐は悔しそうに歯ぎしりをする。反駁するための言葉をいくつか探していたようだが、これ以上ここで何を言っても有利にはならないと判断すると、ベルツ大佐は部下二名に目配せをしてから大股で事務室を出ていった。
「フェザー中尉、お三方が迷わずこの基地を出られるよう、見送って差し上げなさい」
「了解です」
「ベリンガム大尉、スペンス大尉、ベルツ少尉はわたしと共に隊長室へ行きましょう。そのほかの者は通常業務に戻りなさい」
ケビンの落ち着いた、しかし有無を言わせぬ圧力を伴った声に、隊員たちは散り散りになっていく。そして指名された三名とケビンは、一言も発さぬまま隊長室に向かった。
◆◇◆◇◆
「スペンス大尉、録音データは情報収集班に提出するように」
「げっ……よくわかりましたね、隊長」
隊長室に入って応接用ソファに腰を下ろすなり、ケビンは意地悪な笑顔でリースに命じた。リースは録音モードをオンにしておいた、制服の胸ポケットの中の小型タブレットを取り出す。標準事務室に近付いた瞬間から今の今まで、周囲の会話を録音していたのだ。
「何か事が起きた際に、君が証拠を残さないはずがないからね」
「ベルツ大佐の横暴を示す録音データとして、あとで出しておきますよ」
「それで、ベルツ少尉」
ケビンに呼ばれて、エーファは恐る恐るケビンを見つめた。
「君の第九宇宙団への異動は、まったく予定のないものだ。君の父君が勝手に希望して騒いでいるだけのことで、組織同士の話ですらない。だから不安に思わなくていい。君はこれからも、この第八宇宙団のパイロットだ」
「はい……」
ベルツ大佐はもう近くにいないというのに、エーファはまだ縮こまったままだった。あの父親の存在はそれだけ彼女を威圧し、萎縮させ、強大な支配力を持っているのだろう。
「コスティッチ隊長は、ベルツ大佐とお知り合いなんですか」
ソファに腰掛けたまま、フレイザーは尋ねた。先ほどの二人の様子を見るに、昨日今日知り合った間柄のようには見えなかった。
「ベルツ大佐とは同学年だ。黒服のベルツ大佐、そして白服のわたし。それ以上細かくは、言わずともわかるだろう?」
「犬猿の仲……ライバルという感じですかね」
「直接競り合ったことはないはずなんだがね。どうもわたしが先に昇格したことが、ベルツ大佐は羨ましくて仕方がないようだ」
「同学年の白服に二階級も先を越されたら、そりゃ悔しいでしょうね~」
余裕の笑みを浮かべるケビンに、リースはどこか面白そうに苦笑した。
ベルツ大佐は二等星大佐だ。その次の階級は一等星大佐、そしてその次が、現在のケビンの階級である三等星准将だ。なるほど、以前からライバル視していた男に二階級も負けているというのは、ベルツ大佐にとって耐えがたい屈辱なのだろう。
「そんなベルツ大佐の狙いだが、簡単なことだ。ファン・ジンクンという政治家の息子に、自分の娘を嫁がせたいだけだ。ファン・ジンクンと姻戚関係になることで彼の協力を得て、二人の共通の政敵に打ち勝とうというわけだ」
ケビンの簡単な説明を聞いて、リースはぷっと噴き出した。
「隊長、それ、マジっすか」
「ああ。第九宇宙団内ではすでに周知の戦術のようでね、簡単に調べられたよ」
「噂話にもあった、敵の敵は味方……それがファン・ジンクンか」
「エーファちゃんの名前が噂話に出てたのは、その息子に嫁がせたかったからなわけね」
フレイザーとリースは、そろって納得顔になった。
先日リースがフレイザーに共有したベルツ大佐の噂話では、仔細が何もわからなかった。だが蓋を開けてみれば、なんとも単純な戦略だった。
「見てのとおり、ベルツ大佐は力ずくで押し通す性格だからね。こそこそと隠れて行動するほうが少ないんだ。だから狙いがわかりやすくて、落ち度を指摘されやすい。組織人として欠けている点が明らかだから、彼の昇級に対して慎重な意見も多い。それがわたしと彼の、出世スピードの差の原因だろう」
「なるほど、そういうことでしたか」
ベルツ大佐と真っ向から言い合いをしたフレイザーは、彼の威圧的な瞳を思い出してため息をついた。
正直、ベルツ大佐の迫力はなかなかのものだった。第八宇宙団はこのケビンのように、指揮官であっても軍人にしては温和なタイプの人間が多い。そのため、わりと短気で大声も出すフレイザーが、ここでは恐れられる側であった。そのフレイザーからしても、ベルツ大佐に対しては身がすくむ思いがあった。
だが、以前リースが集めた噂話とケビンがいま語ったことを総合すれば、彼は何手も先を読んで策略を巡らしているわけではなく、なんとも単純でわかりやすい思惑で動いているにすぎない。軍人らしいあの見た目と迫力に気圧されることなく冷静にその浅知恵を読み取れば、いくらでも矛盾点を指摘できる相手であり、そこまで恐れるべき人物ではないと思われた。
「以前から、彼のやり方に眉を顰めている指揮官は多かった。今回ベルツ少尉はうちに異動させたが、彼女以外にも、優秀な者たちは何人かがほかの宇宙団に異動になっている。ベルツ大佐のもとでは、彼に都合よく使い潰されてしまうだけだからね。いま彼のところに残っている軍人たちは、彼の靴を舐めることも厭わない者たちだけだろう」
「それがエーファちゃんの異動の背景ってことっすね」
エーファが特別だったわけではなく、反ベルツ大佐の思いを抱く上官たちによって、彼のもとにいた軍人たちの異動が行われた。そうしてベルツ大佐の軍内での影響力をそぎ落とすことが、おそらく真の目的なのだろう。
ケビンの狙いに、リースはまた一つ納得した。
「ベルツ少尉、重ねて言おう。君が不安になることは何もない。わたしは隊員たちの生い立ちや私的な部分に関してあれこれ言うことはあまりしたくないが、君の人生は君のものだ。この第八宇宙団に来るまでずっと、父君にコントロールされていたものだとしてもね。このまま、父君が望んだとおりの軍人人生を歩むもよし、ほかに職を見つけて生きるもよし。君は自由なんだ。父君の意に沿うべき、なんて義務は、君にはないんだよ。たとえ血のつながった親子であってもね」
この隊長室に来てただ一言頷いたきり、ずっと視線を下に向けて俯いていたエーファに、ケビンはやさしく言葉をかけた。
「君の第九宇宙団での謹慎処分も、君に落ち度がないことがもう少しで証明される。そうしたら、うちでも堂々と君を飛ばそうと思っている」
「え?」
「パイロット復帰だ。君の機体の整備員たちも、そろそろ愛機の飛ぶ姿が見たいらしい。それに、近々ベリンガム大尉が飛行隊を離れるからね。その補充という意味でも、君には飛んでもらいたい」
「離れる……えっ!?」
最初の驚きよりも一段階大きな声でエーファは驚き、フレイザーのほうへ視線を向けた。すると、どこか気まずそうなフレイザーと一瞬だけ視線が合ったが、それはすぐにそらされてしまった。
「ベリンガム大尉は教育隊に出向いてもらう予定だ。次のステップのためにね」
「次の……?」
「そのあたりは本人から直接聞くといい。ベリンガム大尉、ベルツ少尉は君の補佐官だ。上官の君からしっかりと話をして、彼女の今後の進退に不安が出ないようにしなさい」
「了解です」
ケビンから命じられ、フレイザーは短く頷いた。
「さて、予期せぬ来訪者に関する情報共有はこんなところだ。ベルツ大佐が再びここへ乗り込んでくることはないと思われるが、一応警戒しておこう。スペンス大尉も、引き続き情報収集に励んでくれると助かります。ただし、情報収集班への共有は忘れずに」
「了解っす」
かたやリースは、軽い口調で頷く。
そして三人は隊長室を退出した。