分身ハメ殺し忍者『うちはイタチ』 作:やめろイタチ、その技は俺に効く
桃地再不斬という名は、霧隠れの里においても軽く口にされるものではなかった。血霧の里と呼ばれた時代に生まれ、まだ幼さの残る九歳で忍者アカデミーを卒業し、その卒業試験において同級生を皆殺しにした男。子供同士を殺し合わせるという狂った制度の中で、彼は怯えることも躊躇うこともなく刃を振るい、泣き叫ぶ声も、逃げる足音も、命乞いも、全てを冷たい霧の向こうへ沈めた。その惨状は里の仕組みすら変えさせるほどであり、以後、再不斬には鬼人という異名が纏わりついた。
霧隠れの暗部として任務をこなし、やがて忍刀七人衆の一人として断刀・首斬り包丁を手にした。人を斬り、骨を断ち、血を吸って刃を再生するその大刀は、再不斬という男によく似合っていた。巨大で、無骨で、刃そのものが殺意の塊のような武器。並の忍ならば構えるだけで体勢を崩す重さを、再不斬は片腕で振るい、霧の中から現れては首を刎ね、胴を割り、敵が己の死を理解するより早く視界を暗転させた。
彼は己を善人だと思ったことなどない。霧隠れの汚れた任務をこなし、命令に従い、必要とあれば幼い者の命も奪った。血霧の里で生きるとはそういうことであり、弱さとは死に直結する病だった。だが、そんな再不斬にも、一つだけ己の手から離すつもりのないものがあった。雪の中で死にかけていた、細い身体の子供。血継限界を持つが故に追われ、家族を失い、世界から居場所を奪われた白である。
白は道具だ。少なくとも再不斬は、そう言い聞かせてきた。忍として使える。氷遁は強い。人を殺すための刃として鍛えれば、己の目的に役立つ。だから拾った。だから連れている。だから守る。それ以上の理由など必要ないはずだった。だが、白が消えた時、再不斬の足はいつもより速く動いた。追っ手の血を浴びても苛立ちは消えず、情報屋の喉元へ首斬り包丁を押し当てながら、どの道を通り、誰が運び、どこで取引されるのかを吐かせた。
(雲の連中だけじゃねぇ。別の手が混じってやがる)
中立街へ辿り着いた時、夜の倉庫街は既に異様な気配を孕んでいた。忍が隠れている。商人も傭兵も抜け忍も入り混じる町で、殺気を消しきれない連中が水面下で動いている。再不斬は霧に紛れ、屋根から屋根へ移り、白が入れられていたはずの箱を追った。だが、辿り着くより早く、北の倉庫街で白い光が弾けた。
爆発は、夜を昼へ変えた。
熱風が町を撫で、瓦が震え、遠くの窓硝子が割れた。再不斬は屋根の上で足を止め、首斬り包丁の柄を握る手に力を込めた。普通の起爆札ではない。火遁でもない。霧の忍として幾つもの戦場を見てきた彼ですら、一瞬、足を止めざるを得ないほどの破壊だった。爆心へ向かえば、倉庫は消え、赤熱した巨大な穴だけが残っている。周囲には肉片も骨もろくに残っておらず、焼けた黒い糸のようなものが土に埋もれていた。
(白はどこだ)
怒りは熱を帯びず、むしろ冷たく沈んだ。再不斬は爆心から離れた足跡と、微かに残る冷たいチャクラを追った。血継限界特有の、白い霧のような気配。白のものだ。途切れそうなほど弱いが、確かに生きている。加えて、別のチャクラが二つ。どちらも若い。だが片方は異常なほど整えられ、もう片方は瞬身の跡が鋭い。木ノ葉の匂いがした。
宿の二階。冷気が漏れる部屋の前で、再不斬は一度だけ足を止めた。中に白がいる。白の傍に、木ノ葉の忍がいる。事情など知らない。説明など後でいい。白を奪った者なら斬る。白を利用する者なら殺す。そう決めた瞬間、再不斬は扉を叩いた。
室内の気配が動く。
次の呼吸で、再不斬は水遁の霧を流し込み、扉を蹴破った。木片が弾け、白い霧が床から天井まで一気に満ちる。首斬り包丁を横薙ぎに振るえば、霧の向こうで影がクナイを構えていた。刃と刃がぶつかり、金属音が狭い部屋を裂く。重みを受け止めた少年の腕は細いが、足裏は畳を正確に掴み、力を斜めへ逃がしている。
「やっと見つけた。そいつを返してもらうぞ」
再不斬が低く告げると、霧の向こうで赤い瞳がこちらを捉えた。三つ巴の写輪眼。まだ幼い顔立ちの少年が、怯えも怒りも表に出さず、静かな声で言った。
「俺の目を見ろ」
その瞬間、再不斬の意識は赤い瞳の奥へ引き込まれた。
(グッ!?)
再不斬が瞳術へ引きずり込まれたと気づいた瞬間、足元の畳も、宿の湿った霧も、首斬り包丁の重みも消えていた。代わりに立っていたのは、見たこともないほど整った部屋である。床は磨かれた石のように光り、壁は一面が透明な板で覆われ、その向こうには霧隠れの断崖でも木ノ葉の森でもない、天へ突き刺さるような巨大な建造物が幾本も並んでいた。下方では鉄の箱が列を作って走り、空には羽根を回す奇妙な機械が唸りを上げて横切っていく。向かいの建物にも同じような部屋が幾つもあり、そこでは見知らぬ人間達が机に向かって紙や黒い板を睨んでいた。
再不斬は咄嗟に自分の身体を見下ろした。忍装束ではない。首元には白い布が巻かれ、その上から細い帯のような布が垂れている。黒に近い濃紺の上衣は肩と腕にぴったり沿い、同じ生地の下衣は妙に動きづらそうなくせに、皺一つなく整っていた。霧隠れの暗部装束でも、里の礼服でも、戦場で使う服でもない。再不斬は知らないが、それはスーツだった。白いワイシャツ、ネクタイ、ジャケット、スラックス。血と泥と霧に慣れた鬼人にとって、これほど場違いな服もない。
(何だこれは……幻術にしても悪趣味が過ぎる)
部屋の中央には長い机があり、その周囲に黒い椅子が並んでいた。机の上には薄い紙束、奇妙な四角い箱、水の入った透明な器、そして小さな黒い棒が置かれている。再不斬は首斬り包丁を探そうとしたが、背中にも手元にもない。代わりに手には銀色の筆のような物が握られていた。殺傷力はなさそうだ。少なくとも、これで人の首は刎ねられない。
扉が静かに開いた。
「再不斬、座れ」
「はい」
反射的に返事をしてしまったことに、再不斬自身が一番苛立った。入ってきたのは、先ほど宿の部屋で首斬り包丁をクナイで受け止めたうちはの小僧、うちはイタチだった。ただし、こちらも黒いスーツを隙なく着込み、白いシャツと細いネクタイをきっちり締めている。年齢はどう見ても子供のままなのに、歩き方だけは妙に落ち着き、片手には紙束を抱え、もう片方の手には黒い棒を持っていた。その後ろには、うちはシスイらしき男が同じくスーツ姿で入ってきて、腕を組みながら壁際に立つ。顔は笑っているが、目はまったく笑っていない。
「これより来期の新プロジェクトの概要を説明する」
「待て。何の話だ」
「白救出案件に関する経緯報告、および誤解解消のための説明会だ」
「なら最初からそう言え。来期だのプロジェクトだの、訳の分からねぇ言葉を使うな」
イタチは再不斬の抗議を聞き流し、部屋の奥にある白い幕へ黒い棒を向けた。すると、幕に光が走り、文字が浮かび上がる。そこには大きく、白救出経緯説明資料、と書かれていた。その下には、小さく作成者うちはイタチ、協力うちはシスイ、守秘区分社外秘、と並んでいる。
(社外秘とは何だ)
再不斬の疑問など構わず、イタチは淡々と黒い棒で幕を指した。
「本日の目的は三つ。一つ、俺達が白を攫った犯人ではないことの証明。二つ、暁および雲隠れ関係者による取引現場の共有。三つ、今後白の身柄をどう扱うべきか、お前と認識を合わせることだ」
「……認識を合わせる?」
「会議では重要だ。ここがずれると後で揉める」
「すでに揉めてるんだよ」
再不斬は低く唸ったが、椅子に座らされた身体は動かない。腕を組むことはできるが、立ち上がろうとすると足元が床へ貼りついたように重くなる。どうやらこの幻術空間では、イタチの説明を聞く以外に選択肢がないらしい。戦場で敵の術に縛られるより屈辱的だった。しかも、殺されるのではなく説明される。意味が分からない。
イタチが黒い棒を押すと、幕の画面が切り替わった。中立街の地図が映り、赤い線で宿、飲食店、北の倉庫街が示される。
「まず俺達は、日向一族を狙う雲隠れの動向を探るため、この中立街へ潜入した。偽装身分は旅の兄弟。宿を取り、飲食店で情報収集を行った」
画面には、焼き鳥定食を前に座るイタチとシスイが映った。イタチは串から肉を箸で外し、皿へ綺麗に並べて食べている。再不斬の眉間に皺が寄った。
「何だ、その食い方は」
「議題と関係ない質問は後にしてくれ」
「関係なくても気になるだろ」
「手と口を汚さない合理的な食べ方だ」
シスイが壁際で肩を震わせていた。再不斬はますます苛立ったが、画面は勝手に進む。怪しい三人組が密談し、例の荷、北の倉庫、雲の連中、白い目という言葉を口にする場面が映された。続いて、三人組を尾行する影分身、屋根から倉庫を見下ろす二人、封印札だらけの木箱が赤い雲の外套を着た者達へ差し出される様子。
再不斬の目が鋭くなった。
(白……)
木箱は間違いなく、再不斬が追っていたものだった。白の冷たいチャクラは封印に押し込められ、外へ漏れる気配も弱い。あのまま暁へ渡っていれば、どうなっていたか分からない。兵器か、実験体か、売り物か。どれにしても、白が望む未来ではない。
「ここで俺達は取引へ介入した。以降、戦闘になる」
画面は激しく動き始めた。角都の黒い糸が三人組を殺し、イタチとシスイが梁から降りる。火遁が黒い糸を焼き、鉄棒の男が床を割り、業火滅却が倉庫を炎で満たす。再不斬は黙って見た。黒い糸を操る暁の男、そしてそれに応じるうちは二人の動きは、どちらも子供の喧嘩ではない。特にイタチの分身の使い方は、いやらしいほど敵の選択肢を奪っていた。
そして最後、青白い螺旋の球体を持った影分身が異形の心臓を潰し、さらに別の影分身が赤く輝く親指を自身の胸へ突き刺した。
「これは何だ」
「詳しい説明は省く。危険な術だ」
「見れば分かる」
白い閃光が画面を埋め尽くし、倉庫が消えた。
再不斬は、ほんの僅かに沈黙した。爆発の規模は幻術越しでも異常だった。あれを現実で起こしたのが、目の前の十一歳の小僧だという事実が、ひどく不気味だった。
画面が切り替わり、宿の部屋で木箱が開かれる。中には衰弱した白がいた。イタチとシスイが布団へ寝かせ、薬を用意し、警戒しながらも傷を確認する姿が映る。
「以上が、俺達の行動だ」
イタチは黒い棒を下ろし、再不斬を見た。
「俺達は白を攫っていない。助けた。それでも不明点があるなら、次の資料で補足する」
幕に次資料目次という文字が浮かんだ瞬間、再不斬のこめかみがひくついた。
「待て。次だと?まだあるってのか」
白い幕に次資料目次という文字が浮かび上がった瞬間、再不斬の声は低く濁った。先ほどまで映し出されていた倉庫街の爆発、暁との戦闘、白を箱から出す場面。それだけでも十分に長かった。にもかかわらず、目の前のうちはの小僧は、まるで本題はここからだと言わんばかりに黒い棒を持ち直し、涼しい顔で次の資料へ進もうとしている。
「お前が
「ふざけるな。こんな幻術、すぐに——」
「無駄だ」
イタチの声は静かだった。だが、その声が落ちた瞬間、会議室の空気が一段重くなる。高層の硝子窓の向こうを飛んでいた機械の音が遠ざかり、長机の上に置かれていた資料の束が、まるで重石のように存在感を増した。
「お前は既に俺の写輪眼の瞳力に嵌っている。自力で抜け出すことはできない」
再不斬は歯を剥き、全身のチャクラを一気に巡らせた。現実の肉体ならば、霧隠れの暗部として叩き込まれた幻術返しを行い、外部からの干渉を経絡系ごと弾き返すところだ。彼は戦場で幾度も幻術使いと相対してきた。視界を奪う術、音で感覚を狂わせる術、痛覚を誤認させる術。その手の小細工は、殺気と経験で踏み潰してきたはずだった。
(解けろ)
再不斬は体内のチャクラを乱し、幻術の綻びを探す。だが、見つからない。普通の幻術ならば、どこかに術者の干渉点がある。そこへ己のチャクラを叩き込めば、意識は現実へ戻る。だが、今彼を縛っている赤い瞳の力は、目から脳へ、脳から意識へと深く食い込み、会議室そのものを現実のように固定していた。足元に敷かれた灰色の絨毯の毛並み、手元に置かれた水の入った透明な器、首に締められたネクタイの息苦しさまで、全てが妙に生々しい。
(何だ、この術は……!)
うちは一族の写輪眼から放たれる幻術は、並の幻術師が扱うものとは根本から質が違う。視線を合わせた時点で、相手の意識は瞳力の中へ沈む。一対一であれば、真正面から見ないこと、目を逸らすこと、最初から距離を取ることが定石だった。だが再不斬は、宿の霧の中でイタチの瞳を見た。刃を押し込み、白を取り返すことだけを考え、赤い三つ巴を真正面から受けてしまった。その時点で、この会議から逃げる道は閉ざされていた。
「再不斬、資料の二枚目を見ろ」
「誰が見るか」
「では読み上げる」
「やめろ」
イタチは淡々と紙束を一枚めくった。そこには、追加確認事項と題された項目が並んでいる。白の状態、再不斬との関係、雲隠れ関係者の追跡経路、暁との接点、今後の対応案。文字が多い。妙に整っている。忍の報告書とも違う、嫌な圧迫感がある。
壁際に立つシスイは、腕を組んだまま肩を震わせていた。笑いを堪えている。再不斬はその顔を睨んだが、シスイは悪びれもせず視線を逸らした。
「お前ら、木ノ葉の忍は戦場でこんな真似をするのか」
「普通はしねぇよ。イタチが変なんだ」
「シスイ、発言は挙手してからにしてくれ」
「ここまでやって会議の作法だけ守らせるなよ……」
再不斬は本気で頭痛を覚えた。殺し合いなら分かる。霧に紛れ、刃を交え、どちらかが倒れるまで戦えばいい。だが、これは何だ。高い建物の中で、見知らぬ服を着せられ、椅子に座らされ、十一歳のうちはに資料を見せられている。しかも抜け出せない。拷問の方がまだ理解できる。説明会という形の拘束は、再不斬の経験にない苦痛だった。
「まず、白について確認する。お前は白を何と認識している」
「道具だ」
再不斬は即答した。考えるまでもない。白は己が拾い、鍛え、使うための存在だ。霧隠れで生き残るとはそういうことだ。甘さは死を招く。情など刃を鈍らせるだけである。
だが、イタチは黒い棒を止め、赤い瞳で再不斬を見た。
「なら、なぜあそこまで焦った」
「……」
「白がただの道具なら、暁へ売られようと、雲隠れに奪われようと、別の道具を探せばいい。だが、お前はこの町まで追ってきた。宿の部屋へ霧を流し、俺達を斬ろうとした。道具に対する反応としては過剰だ」
「ガキが知った口を利くな」
「知った口ではない。見たままを言っている」
再不斬の指が椅子の肘掛けへ食い込んだ。革のような素材が軋む。幻術空間だというのに、力を込めた感触だけは妙に現実的だった。
(黙れ)
胸の奥に沈めていたものを、目の前の小僧が黒い棒で突く。白は道具だ。そうでなければならない。血霧の里で、忍として、追われる身で、誰かを守るなど愚かだ。だが、白が箱に詰められている映像を見た時、再不斬の殺意は木ノ葉の二人ではなく、白を売った連中へ向かった。そこを見抜かれている。
イタチは資料を一枚めくり、静かに続けた。
「次に、白が攫われた経緯を聞く。ここからはお前の説明が必要だ」
再不斬は長く息を吐いた。首に巻かれたネクタイが妙に苦しい。
どうやら、この会議はまだ終わりそうになかった。
「よそ見していただけだ」
再不斬は、絞り出すようにそう言った。幻術の会議室は相変わらず異様に明るく、天井に埋め込まれた白い光が長机を照らし、硝子張りの壁の向こうでは鉄の箱が道路を流れ、空には羽根を回す機械が悠々と横切っている。血と霧と泥の中で生きてきた再不斬にとって、その全てが不快だった。さらに不快なのは、自分が妙に窮屈な服を着せられ、首に細い布を締められ、うちはイタチという十一歳の小僧に資料をめくられているという事実である。
「よそ見?霧隠れの鬼人とまで呼ばれるお前が、戦場でよそ見をしていたのか」
イタチは黒い棒で白い幕を指し示しながら問い返した。画面には、雪の中を歩く再不斬と白の姿が映っている。再不斬自身の記憶ではない。これは彼の言葉からイタチが組み上げた再現映像であり、細部は曖昧だ。それでも、白が再不斬の背後を少し遅れて歩く様子、霧の中から複数の忍が現れる気配、そして再不斬が前方の敵へ意識を向けた瞬間、後方の林から別働隊が伸びてきたことだけは妙に生々しく映っていた。
「チッ……」
「会議で舌打ちをするな。いいか?これは重要な議題だ。社の未来に関わることだ」
(こいつ、さっきから何を言ってやがる?社外秘だの会議だの議題だの……意味が分からねぇ)
再不斬はこめかみをひくつかせた。目の前の少年は真顔で訳の分からない言葉を並べている。にもかかわらず、態度だけは妙に堂々としていて、場の主導権を完全に握っていた。戦場であれば力で奪い返せる。霧を濃くし、首斬り包丁を振るい、相手の喉笛を断てばいい。だがこの空間では、それができない。椅子から立とうとすると足元が重くなり、机を蹴ろうとすれば身体が硬直する。逃げ道のない会議。再不斬がこれまで経験したどの拷問よりも、方向性の違う苛立ちがあった。
「もう一度確認する。白を連れて移動していたお前は追っ手と遭遇した。その時、敵は正面と背後の二方向から来た。お前は正面の部隊を潰すことを優先し、その隙に白が別働隊に攫われた。これで相違ないな」
「……そうだ」
「つまり、よそ見ではなく索敵不足と護衛対象の配置ミスだ」
「てめぇ、殺すぞ」
「現実に戻ってからにしてくれ。今は議事進行中だ」
壁際でスーツ姿のシスイが肩を震わせていた。完全に笑いを堪えている。再不斬が睨みつけると、シスイは咳払いをして視線を逸らしたが、口元は緩んだままだった。
「悪い悪い。いや、霧隠れの鬼人相手にここまで会議で詰める奴、初めて見たわ」
「シスイ、私語は控えてくれ」
「お前が一番おかしいんだよ」
イタチはシスイの言葉を聞き流し、資料を一枚めくった。次の画面には、白の名前、推定年齢、血継限界、衰弱状態、保護時の外傷、木箱の封印状態が項目ごとに整理されている。再不斬はその整いすぎた文字列を見て、また眉間に皺を寄せた。情報の扱いが忍の報告書とは違う。だが、白をただの荷物として記していないことだけは分かった。
「白は血継限界を理由に狙われた。雲隠れに関係する仲介人が人身売買の形で流し、最終的に暁が受け取ろうとしていた。お前が追ってきたことは理解したが、問題は今後だ。白をお前に返したとして、同じことが二度と起こらない保証はあるのか」
「俺が斬る」
「答えになっていない。お前が常に白の傍にいられるわけではない。今回それを証明したばかりだ」
「……」
再不斬の指が、肘掛けに深く食い込んだ。幻術の椅子でありながら、革の裂ける感触が掌へ返る。白は道具だ。道具ならば持ち主が守る。奪いに来た者は斬る。それで十分なはずだった。だが、イタチの言う通り、今回の再不斬は白を守り切れなかった。正面の敵を殺すことに集中した瞬間、背後から奪われた。それは事実だ。どれほど舌打ちをしても、どれほど殺気を込めても変わらない。
(道具なら、失った時点で別の物を探せばいい。だが俺は……)
そこまで考えた瞬間、再不斬は奥歯を噛み締めた。余計な思考だ。忍にそんなものは不要だ。血霧の里で情を抱いた者から死ぬ。白にもそう教えてきた。道具として生きろ。俺の役に立て。それが生きる意味だと。
「お前は白を道具だと言った」
イタチの声が静かに落ちた。
「なら、なぜ白が攫われたことに怒った。なぜここまで追った。なぜ俺達を斬ろうとした。道具を取り返すだけなら、あの子の衰弱に反応する必要はない」
「黙れ」
「黙らない。これは重要な確認事項だ」
「てめぇ……」
「白を守りたいのか、利用したいのか。お前自身がそこを曖昧にしたままでは、俺達は判断できない」
会議室に沈黙が落ちた。硝子の外を走る鉄の箱の音だけが遠く響き、空調の低い唸りが妙に耳につく。再不斬はイタチを睨んだ。赤い瞳は揺れていない。子供のくせに、戦場の古傷へ正確に刃を差し込む目をしている。
やがて再不斬は、吐き捨てるように言った。
「白は俺の道具だ。俺が拾った。俺が使う。だから俺が守る。それ以上でも以下でもねぇ」
イタチはその答えを聞き、黒い棒で資料の余白を軽く叩いた。
「分かった。現時点ではそう記録する」
「記録するな」
「会議では記録が重要だ」
「本当に腹が立つ幻術だな」
再不斬が唸ると、画面の端に小さく議事録保存中という文字が浮かんだ。
(何なんだ、この地獄は)
その時、幻術空間の景色が僅かに揺れた。現実側で白のチャクラが動いたのだろう。冷たい気配が微かに混じり、イタチの赤い瞳がほんの少し細くなる。
「白が目を覚ましかけている。会議は一時中断だ」
「最初からそうしろ」
「再開の可能性はある」
「二度と開くな」
黒い会議室の壁に亀裂が走り、硝子の向こうの高層ビルが霧へ溶けていく。再不斬は最後までイタチを睨みつけていたが、その胸中には、殺意とは別の重い苛立ちが残っていた。白をどう思っているのか。そんな問いを、小僧の幻術会議で突きつけられるとは思ってもいなかった。
「白が目を覚ましかけている。会議は一時中断する」
「最初からそうしろ」
「必要なら再開する」
「二度と開くな」
再不斬が心底嫌そうに吐き捨てた瞬間、ガラス張りの会議室がひび割れ、高層ビルも、空を飛ぶ機械も、長机も、スーツ姿の俺も霧に溶けて消えた。いやぁ、疲れた。内心ヒイヒイ言いながら幻術を維持し、霧隠れの鬼人相手に説明会を開くという、忍界でも前世でも多分なかなか経験できない荒業をやり遂げた。これで納得してくれたよな?少なくとも、俺達が白を攫った犯人ではないことは分かったはずだ。白が目を覚ましかけたから会議は一時中断という形にしたが、もちろん再開するつもりはない。再開したら俺の精神が先に死ぬ。
こう見えて俺は社会人だ。いや、前世だけど。数々の会議、プレゼン、研修、眠気と戦う長時間講義を潜り抜けてきた猛者である。相手に資料を見せ、要点を整理し、質問に答え、最後に「ご理解いただけましたでしょうか」と締めるくらい朝飯前だ。忍界にパワポがなくても、写輪眼があれば会議室くらい作れる。便利すぎるな写輪眼。もし再不斬が納得しなかったら、万華鏡写輪眼にして月読をぶちかまし、七十二時間ぶっ通しで経緯説明を続けようと思っていたなんて、口が裂けても言えない。父さんにバレたら説教どころか写輪眼使用禁止札を額に貼られる。
現実の宿へ意識が戻ると、まず鼻を刺したのは湿った霧と、砕けた扉の木の匂いだった。畳には冷気が薄く這い、壁には刃圧でできた傷が走っている。そして目の前には、包帯で口元を覆った再不斬の顔と、俺のクナイへ食い込んだ断刀・首斬り包丁があった。幻術内では長々と会議をしていたが、現実では十秒も経っていないだろう。腕が痺れている。肩が重い。いや、本当に鍛えていてよかった。もし日々の筋トレと健康管理を怠っていたら、今頃俺の腕は大刀ごと畳に沈んでいた。健康は命を救う。ありがとう過去の俺。
「大刀を下ろせ」
俺は呼吸を乱さないように言った。内心はかなり乱れているが、うちはイタチの顔面は優秀なので表に出ない。
「分かってる」
再不斬は低く答え、首斬り包丁をゆっくり引いた。金属が擦れる音が部屋の中に響き、俺のクナイから重みが消える。腕に残った痺れが遅れて跳ね、指先までじんわり広がった。痛い。めちゃくちゃ痛い。でも顔には出さない。クールに見える男は、裏で痛みを我慢しているだけなのかもしれない。世の中のクールキャラも大変だな。
再不斬は大刀を壁に立てかけると、こちらへ背を向けすぎない位置を選びながら布団の側へ腰を下ろした。白はまだ眠っている。細い肩が浅く上下し、唇から漏れる息に白い冷気が混じっていた。封印箱から出した時よりは表情が少しだけ緩んでいるが、衰弱は深い。畳に広がる霜が、白の体内で乱れたチャクラの危うさを示していた。
俺は一歩引いてシスイの隣へ移動する。シスイは忍刀を構えたままだったが、再不斬が武器を下げたのを見て、刃先だけを僅かに落とした。完全には気を抜かない。さすがだ。俺なら油断して「ふぅ」とか言いそうなところを、シスイはちゃんと忍者している。
(分かってると思うが、幻術で説得した)
俺は視線だけでそう伝えた。
(分かってるよ。俺もいたからな。お前の説得方法にビックリだよ)
シスイの目がそう返してくる。笑うな。いや、笑ってないけど絶対笑っている。あの状況で一瞬で誤解を解くには幻術しかなかったのだ。刃を交えたまま口頭で説明していたら、再不斬は一言目で斬りかかってきただろう。だから会議室に呼んだ。会議は人を縛る。前世でもそうだった。決定事項が何もないまま二時間拘束される会議とか、ある意味最強の幻術である。
(会議室は何だよ)
(説得しやすい空間だ)
(お前の頭の中、たまに怖ぇよ)
失礼な。合理的と言ってほしい。前世でこれが使えたら、どれほど楽だったか。上司に写輪眼をかけて人事評価を爆上げし、ボーナスを増やし、有給申請を即承認させる。夢のような術だ。いや、完全に悪用だな。忍界以前に社会人としてアウトである。
「……白の状態は」
再不斬が低く聞いた。声は硬いが、さっき俺達に向けた殺気とは違う。
「衰弱している。封印でチャクラを抑え込まれていた。水と薬を少しずつ与えるべきだ。急に食べさせるな」
「薬?」
俺は懐から兵糧錠剤を取り出し、指先で一つ摘まんだ。
「俺が作った。滋養強壮とチャクラの流れを整える効果がある。毒ではない」
「信用しろってのか」
「信用しなくていい。だが白の体を優先しろ」
再不斬はしばらく黙り、俺の指先の錠剤を見た。疑っている。当然だ。霧隠れの抜け忍が木ノ葉の薬を素直に飲ませるはずがない。俺だって逆なら疑う。だが再不斬の視線は、最後には白へ戻った。
その時、布団の上で白の指が微かに動いた。畳を這う霜が淡く広がり、冷たい空気が部屋の底へ溜まる。再不斬の肩が僅かに強張った。シスイも俺も同時に目を向ける。
白の瞼が、ゆっくりと震えた。
「……再不斬さん」
あ、起きた。
再不斬「なんなんだこのガキは」