分身ハメ殺し忍者『うちはイタチ』 作:やめろイタチ、その技は俺に効く
おっす。俺イタチ、うちはイタチ。
任務から帰り、説教も食らい、一楽で心の栄養も補給し、根だの暗部だのダンゾウだの胃に悪い単語を一旦棚の上へ押し込んだ俺は、今日は工房前の修行場に立っていた。理由は単純。サスケとナルトとの約束である。任務から戻ったら体術や忍術を見てやる。そう言った以上、守らねばならない。社会人時代、納期を破った時の空気の重さは骨身に染みている。六歳児との約束とはいえ、信頼残高を削るわけにはいかないのだ。
「よし、二人とも。準備運動は終わったな」
「うん!できたよ!兄さん!」
「バッチリだってばよ!」
二人は揃って元気に返事をした。サスケは背筋を伸ばし、俺に褒められる準備をしている顔。ナルトは今にも走り出しそうな勢いで足踏みしている。うん、若い。若さが眩しい。俺も身体は十一歳だが、中身の三十路サラリーマンが「準備運動は大事だぞ」と膝に語りかけている。前世で嫌というほど学んだ。外回り中の急な坂道、電車時間ギリギリの全力ダッシュ、重い荷物を抱えて非常階段を駆け上がる地獄。筋肉を温めずに無理をすれば、翌日、腰とふくらはぎから抗議文が届く。バンテリンを塗って布団の中がスースーした夜が懐かしい。あれはあれで、社会人の青春だったのかもしれない。いや、違うな。ただの疲労だ。
工房前の修行場は、朝からよく晴れていた。土は乾き、的や丸太は端に寄せてある。俺が普段、影分身や手裏剣術の調整に使っている場所だ。今日は危険なものは片付け、二人が動ける空間を広めに取ってある。六歳。アカデミー入学の年齢。二人はこれから、遊びではなく忍としての道へ入っていく。
この世界の忍は、前世で俺が想像していた忍とはかなり違う。黒装束で屋根裏へ忍び込み、巻物を盗んで煙玉で逃げる。そんな渋い職人集団ではない。全然忍ばない。火を吐く、水をぶつける、雷を纏う、山を割る。隠密とは名ばかりのド派手なドンパチ業界である。忍とは何か、前世の俺が知ったら多分「求人票と業務内容が違う」と真顔になる。
「約束通り、今日は二人に新しい術を教える」
俺が言うと、サスケとナルトの目が同時に輝いた。分かりやすい。新商品発表会の最前列に座ったお客様みたいな反応である。しかも期待値が高い。これは講師側の責任が重いぞ。
「いいか。これは生半可な術じゃない。習得難易度はAランク。高等忍術だ」
「うおお!!なんだろう!?」
「ねぇ!ねぇ!兄ちゃん!早く教えてくれってばよ!」
「落ち着け。まずは見ることだ」
ナルトが前のめりになり、サスケも拳を握る。二人の反応が可愛い。だが、ここで甘やかしてはいけない。高等忍術には危険が伴う。説明不足で現場投入して事故が起きました、では済まされない。前世なら労災、忍界なら医療班送りである。どちらも避けたい。
俺は二人の前へ右手を差し出した。掌を上へ向け、呼吸を整える。チャクラを一点に集めるのではなく、掌の上へ放出し、逃がさず、押さえ込む。回転方向を一定にせず、縦、横、斜め、逆回転、無数の流れをぶつける。小さな球の中でチャクラを暴れさせ、それでいて形を崩さない。形態変化を極限まで高める。口で言えば簡単だが、実際には脳の中で複数の会議を同時進行させながら、全員の意見を一つの議事録にまとめるような面倒さがある。しかも発言者が全員暴れ馬だ。部長、課長、現場、取引先、全部が好き勝手言う。これを掌の上で丸める。螺旋丸とは、そういう術だ。多分違うが、俺にはそう感じる。
掌の上で、青白い光が渦を巻いた。
空気が僅かに唸り、草の先が揺れる。小さな球体が、回転しながら密度を増していく。圧縮されたチャクラが指先の皮膚を押し返し、掌の上に重みを生む。火遁のような熱はない。だが、触れたものを内側から抉り、捻り、砕く力がそこにある。
「螺旋丸だ」
俺が静かに告げると、サスケもナルトも息を呑んだ。さっきまで騒いでいたナルトの口が開いたまま止まり、サスケは目を見開いて俺の掌を凝視している。よし、掴みは上々。プレゼンなら一枚目の資料で聴衆の視線を取れた状態だ。
「すげぇ……!兄ちゃん、それ火遁じゃないのか?」
「違う。これは性質変化を加えていない。チャクラの形を変えているだけだ」
「形を?」
サスケが眉を寄せる。良い反応だ。分からないことを分からないままにしないのは大事である。
「そうだ。手裏剣を投げる時、ただ前へ飛ばすだけではないだろう。回転、角度、力の抜き方で軌道が変わる。これはそれをチャクラでやる」
「じゃあ俺もできるってばよ!」
「焦るな。今日はまず水風船からだ」
「水風船!?」
ナルトが素っ頓狂な声を出し、サスケまで不思議そうな顔をした。俺は懐から用意していた水風船を二つ取り出す。準備は万全だ。社会人は事前準備が八割。会議室を押さえ、資料を印刷し、予備のペンまで持っていく。それができる男である。忍術修行でも同じだ。
「この中の水を、チャクラだけで乱回転させて破裂させる。まずはそこからだ」
二人の目が、さらに輝いた。
よし、研修開始だ。今日の受講者は素直でやる気がある。前世の眠そうな新入社員研修より、ずっと教え甲斐がある。
「ほら、水風船だ」
俺は用意していた水風船を二人の手に一つずつ乗せた。屋台で売っている、指に引っ掛けてびよんびよん跳ねさせるアレである。前世なら蛇口にゴム風船をくっつけて水を入れるだけで済んだが、この世界にあの便利な量産品はない。あるのは職人が作った玩具寄りの水風船だ。ゴムの質も個体差がある。こういうところで文明の微妙な差を感じる。いずれ俺が発明して量産するか?いや、忍が水風船事業に手を出すな。事業計画書を出す先もない。
螺旋丸の修行といえば、俺のガバ原作知識でも水風船、ゴムボール、そして完成という流れは覚えていた。だから俺も影分身を出し、ナルト式に修行工程を分担して試した。複数の影分身で同時に検証し、失敗の感覚を回収し、改善点を洗い出す。前世で言えば、研修資料を部署全員に投げてフィードバックを一晩で集める荒業である。もちろん戻ってくる疲労と記憶で頭は痛くなるが、イタチボディの処理能力が優秀すぎて、気づけば一人で螺旋丸を出せるようになっていた。ありがとう天才の肉体。中身は疲れた三十路だけど、ハードウェアが高性能だと業務効率が違う。
「おっしゃーー!!いくぜーー!!」
ナルトが水風船を握り締め、全身で気合を爆発させた。可愛い。とても可愛い。だが何も起きていない。チャクラすらまだ出ていない。気合だけなら水風船は割れないのだ。前世でも「やる気あります!」だけで企画書は完成しなかった。やる気は大事だが、手順も同じくらい大事である。
「ナルト、力むな。まず集中だ。手の中の水を感じろ」
「しゅうちゅう!しゅうちゅう!」
「声に出すと少し逃げる。静かにだ」
「んんん……!」
ナルトが口を閉じ、眉間に皺を寄せた。すると、掌から少しずつチャクラが漏れ始める。お、出た。やはり筋はいい。チャクラの量は六歳にしてかなり多いし、感覚も悪くない。原作同様に分身や変化の素質があるのだろう。何も教えていないのに、おいろけの術っぽい変化を勝手に編み出しかけた時は本気で驚いた。表情には出さなかったが、内心の俺は会議室で資料を落とすくらい動揺した。あれはどこから来る発想なんだ。血か。魂か。原作力か。
「兄さん!こんな感じかな?」
サスケの声に視線を移す。サスケはナルトより静かに取り組んでいた。掌の上の水風船、その内側で水が小さく揺れている。チャクラが回転し、水を動かしているのだ。最初にしてはかなり良い。真面目で、観察して、言われたことをそのまま丁寧にやる。サスケらしい。
「回転はできている。だが遅い。そこからさらに速度を上げろ。中の水を一方向に回すだけじゃ駄目だ。縦、横、斜め、色々な方向から乱す」
「色々な方向……」
「そうだ。水をただ回すのではなく、中でぶつける。風船の内側全体へ圧をかけるんだ」
サスケは真剣に頷き、もう一度掌へ集中した。水風船の表面がぷるぷる震える。小さな指先に力が入りすぎているが、今はまだそれでいい。最初から脱力まで求めると混乱する。教育というのは段階が大事だ。新人にいきなり全部やれと言う上司はだいたい現場を知らない。俺は違う。ちゃんと工程を分ける兄でありたい。
「ナルトは水を感じるところからだ。チャクラを出しすぎると風船の外へ逃げる。手の中に留めろ」
「留めるってばよ……!こうか!?」
ナルトの掌からぶわっとチャクラが膨れ、水風船が大きく歪んだ。
「出しすぎだ」
次の瞬間、水風船が破裂した。
「うわっ!」
水がナルトの顔にかかり、前髪からぽたぽた落ちる。サスケが一瞬目を丸くし、すぐに口元を押さえた。
「笑うなよサスケ!」
「笑ってない」
「笑ってるってば!」
「少しだけだ」
うん、仲が良い。水浸しのナルトは悔しそうだが、今のは失敗ではない。むしろ初回で割れたのは大きい。力任せでも、チャクラが水へ影響した証拠だ。
「ナルト、今のでいい。だが雑だ。次は風船の外へ押し出すのではなく、中の水だけを暴れさせろ」
「割れたのに駄目なのか?」
「割るだけなら握ればいい。術は再現性が大事だ。同じことを、狙って、何度でもできるようにする」
「さいげんせい……?」
「毎回同じように成功できる力だ」
ナルトは難しい言葉に眉を寄せたが、すぐに次の水風船を要求する目になった。やる気が消えないのは強い。俺は予備を渡す。用意しておいてよかった。修行も会議も、予備資料があると心が安定する。
「兄さん、これ……!」
今度はサスケの水風船が大きく波打った。内側で水が複数の方向へ回り、表面が不規則に膨らむ。サスケの額に汗が浮かんだ。集中が深い。だが、少し整いすぎている。真面目に制御しようとする分、乱回転に必要な荒さが足りない。
「サスケ、綺麗に回しすぎだ。もっと崩していい」
「崩す?」
「そうだ。全部を管理しようとしなくていい。右へ回すチャクラ、左へ回すチャクラ、上へ押すチャクラを同時に出す。喧嘩させろ」
「チャクラを……喧嘩させる」
サスケは小さく呟き、目を細めた。水風船の揺れが変わる。次の瞬間、ぱん、と音を立てて破裂した。水がサスケの手と袖を濡らす。
「できた!」
サスケの顔が明るくなる。俺は頷いた。
「よくやった」
「俺ももう一回やるってばよ!」
ナルトが張り合うように叫ぶ。二人とも濡れて、笑って、また掌へ意識を向ける。六歳の修行場に、危うさと眩しさが同居していた。
俺は新しい水風船を取り出しながら思う。
この二人には、できれば戦争ではなく、こういう失敗と成功を積み重ねて強くなってほしい。まあ忍界という職場は、求人票に書いてないトラブルを平気で投げてくるブラック業界だが、兄として少しでも安全な研修環境を整えるくらいはしたい。
「次、いくぞ。今度は二人とも、割るまでの感覚を覚えろ」
「うん!」
「任せろってばよ!」
元気な返事が朝の修行場に響いた。水風船の在庫はまだある。研修初日は、順調な滑り出しだった。
そんなこんなで、朝から昼までみっちり修行をした。
結論から言う。
サスケとナルト、センス良すぎませんか?
いや、もちろん俺の教え方が良かった可能性もある。こう見えても前世では部下を持ったことがあるのだ。Z世代だのゆとり世代だのと上司達が勝手にラベルを貼っていた若者達に、資料の作り方、電話の取り方、謝罪メールの文面、そして心を殺して飛び込み営業へ向かう作法まで教えてきた男である。六歳児二人に水風船修行を教えるくらい、あの頃の胃痛に比べればまだ優しい。少なくとも「これ今日中にお願い」と夕方に資料を投げてくる上司はいない。サスケもナルトも素直だ。質問も真っ直ぐで、目が死んでいない。新入社員研修としては満点である。
午前中だけで、水風船は二人とも割れるようになった。ナルトは最初、力任せにチャクラをぶつけて水ごと爆ぜさせる方向だったが、途中から中の水だけを暴れさせる感覚を掴み始めた。やはりチャクラ量が多い。暴れ馬みたいなチャクラを、本人の気合で無理矢理前へ進ませる。普通なら危なっかしいが、ナルトの場合はそれが妙に噛み合っている。サスケは逆に、最初から綺麗に回しすぎていた。管理しよう、整えよう、失敗しないようにしようとする。真面目な新人によくあるやつだ。全部を完璧にやろうとして逆に詰まる。そこへ「チャクラを喧嘩させろ」と言ったら、悔しそうな顔をしながらも、すぐ乱回転を作ってみせた。末恐ろしい。
次に、俺は少し硬めのゴム玉を渡した。水風船は水を動かす感覚を掴む段階。ゴム玉は、形を崩さず内側へ圧をかける段階だ。二人とも最初は苦戦したが、昼前には小さくへこませるところまで来た。まだ螺旋丸には遠い。遠いのだが、六歳の午前中でそこまで行くのは普通におかしい。俺の中の研修担当者が、評価シートへ「飲み込みが非常に早い。今後の成長に期待」と書き込んでいる。いや、期待しすぎると仕事を振りすぎる悪い上司になる。気をつけろ俺。
「いいか?その術は安易に放ってはいけない。人を傷つける術だ」
俺は二人を前に座らせて、少し声を落とした。修行場の土には、割れた水風船の残骸と濡れた跡がいくつも残っている。二人の手も袖も濡れていて、頬には汗が浮いていた。だが目だけはまだ輝いている。ここで釘を刺しておかなければならない。新しい技を覚えかけた時ほど、人は試したくなる。前世でも新しい営業トークを覚えた若手が、取引先で余計なことを言って火種を作ることがあった。忍術の場合、火種どころか本当に穴が空く。
「螺旋丸は見た目より危険だ。火も雷も出ないが、当たった相手の内側を抉る。木や岩なら砕ける。人に当てれば、命に関わる」
「……そんなに?」
サスケの顔が真剣になる。ナルトも、ゴム玉を握った手を少し下げた。
「そうだ。だから人に向けるな。遊びで使うな。喧嘩で使うな。使う時は、自分が何をするのか理解してからだ」
「兄さんは使えるんだよね?」
「ああ」
「じゃあ、兄さんはいつ使うの?」
サスケの問いに、俺は少しだけ間を置いた。いつ使うのか。俺が螺旋丸を使ったのは、角都の心臓を潰すためだった。人を殺すための戦闘で、影分身に持たせた。六歳の弟へそのまま言うには重すぎる。だが、嘘を軽く言うのも違う。
「守るために必要な時だ。逃げ道がなく、他に方法がない時だけ使う」
「守るため……」
ナルトが呟いた。何かを考えるように、自分の掌を見ている。小さな手だ。その手に、いつか強すぎる力が宿る。今はまだ水風船を割って喜んでいる子供だが、忍界は子供に容赦しない。まったく、教育カリキュラムがブラックすぎる。児童労働とかそういう概念を誰か火影会議へ提出してくれないだろうか。
「それと、今日はここまでだ」
「ええ!?まだできるってばよ!」
「俺も、もう少しやりたい」
二人が同時に不満を漏らした。気持ちは分かる。楽しくなってきたところで止められるのは嫌だろう。だが、ここで止めるのが兄の仕事であり、研修担当の良心である。
「駄目だ。手の筋肉とチャクラの流れに負担が出始めている。これ以上は怪我をする」
「俺、平気だってば!」
「平気だと言う奴ほど、翌日痛いと言う」
前世で何度見たか分からない。まだいけます、問題ないです、余裕です。そう言った翌日に休む若手。いや若手だけじゃない。俺もやった。無理をすると身体はきちんと請求書を送ってくる。支払期限は翌朝だ。
俺は二人の手を順番に見た。サスケは指先に少し力が入りすぎている。ナルトは手首周りのチャクラが散っている。どちらも今休めば問題ないが、続ければ癖がつく。
「昼飯を食べて、手を冷やして、午後は体術の基礎にする。螺旋丸はまた明日だ」
「明日もやるの!?」
ナルトの顔が一気に明るくなった。サスケも嬉しそうに口元を緩める。単純で助かる。いや、素直と言おう。
「約束だ。ただし、今日の注意を守れるならだ」
「守る!」
「守るよ、兄さん!」
二人の声が重なった。俺は頷き、ゴム玉を回収する。研修初日は上出来だ。だが、教えた以上、責任も増える。力は便利だが、便利なものほど扱いを間違えれば事故になる。前世のコピー機ですら新人が詰まらせると大惨事だったのだ。螺旋丸ならなおさらである。
その時、工房の屋根に一羽のカラスが降りた。俺が育てた個体ではない。けれど、どこかで見たような気配があった。
昼飯の前に、また面倒な連絡が来た気がした。
「サスケ、ナルト。工房の中におにぎりがある。兄さんも後で行くから、先に食べていていいぞ」
「はーい!」
「おにぎりー!」
螺旋丸研修午前の部を終えた二人は、分かりやすく腹を空かせた顔で工房へ向かった。朝から水風船を割り、ゴム玉をへこませ、集中し、失敗し、また挑戦したのだ。六歳児の労働量としてはなかなかである。いや労働ではない。修行だ。だがこの忍界、修行と労働と戦闘の境界が曖昧すぎる。前世なら完全に児童向け体験教室の範囲を超えている。
「ちゃんと手洗いとうがいをしろよ」
「分かってるよ、兄さん!」
「俺もやるってばよ!」
二人の返事を聞きながら、俺は屋根の上へ視線を戻した。そこに止まっていたカラスが、黒い羽を一度震わせ、俺へ向かって降りてくる。羽音は軽く、けれど動きに妙な迷いがない。俺の肩へ当然のように留まると、顔を少し傾けて鳴いた。
「カァッ」
俺が育てた個体ではない。少なくとも、五十羽いる我がカラス社員達の顔と声はだいたい覚えている。毎日点呼しているわけではないが、面構えや羽の癖、鳴き声の節回しで何となく分かるものだ。これは外部のカラスである。とはいえ、木ノ葉の里にいるカラスは大体友達みたいなものだ。何しろ俺はこの数年で五十羽育てた。餌をやり、怪我を見て、簡単な合図を教え、時々任務の補助まで頼んでいる。カラス界隈における俺の顔は、たぶんそこそこ知られている。前世で言えば、支店をいくつか回っているうちに各所の受付さんと顔馴染みになるようなものだ。いや、カラスを受付さんに例えるな。怒られる。
「何だ」
俺は肩のカラスへ声をかけ、頭から嘴の根元へ指を滑らせた。野生のカラスなら普通は嫌がる距離だが、この個体は逃げない。むしろ少し首を伸ばして撫でられている。かわいい。黒くて賢くて図々しい。実に良い。
「カッ!カァ、カァ〜」
ふむふむ。
なるほど。
さっぱり分からん。
だって俺の育てたやつじゃないもん。口寄せ契約も結んでいないし、合図も共有していない。俺のカラス達なら、鳴き方と羽の動きで大まかな方角、危険、人物、食べ物の有無くらいは伝わる。だが初対面の外部取引先から、いきなり専門用語だらけの電話を受けたような状態である。「先日の件、例の方向でお願いします」と言われても、先日の件が分からない。報連相は前提共有が大事だぞ、カラス君。
「もう一度頼む」
「カァ!カッ、カァ!」
「……元気なのは分かった」
カラスは少し苛立ったように羽を膨らませた。ごめん。俺も努力はしている。しかし言語の壁は厚い。忍術でどうにかならないか。写輪眼で幻術をかければ意思疎通できるだろうか。いや、カラス相手に幻術会議を開くのは流石にどうかと思う。再不斬の時でさえ精神が削れたのだ。カラス会議室まで開いたら、俺の中の三十路サラリーマンが過労で倒れる。
俺は懐から小さな袋を取り出し、乾燥させた木の実を指先に乗せた。カラスは即座に啄む。現金なやつだ。嫌いじゃない。
「落ち着け。誰かからの使いか」
「カァ」
「誰だ。うちはか。火影か。シスイか。オビトか」
名前をいくつか挙げると、カラスはオビトのところで嘴を鳴らした。おや。これは偶然か、それとも反応したのか。もう一度試す。
「シスイ」
「カァ」
「オビト」
「カッ」
違う反応。なるほど。完全ではないが、何かある。俺は目を細めた。オビト関連のカラス。さっき一楽で外を横切ったカラスが妙に気になったのも、これかもしれない。嫌な予感が、昼飯前の胃にじわっと染みる。やめてほしい。午前の研修が終わったら、おにぎりを食べて少し休む予定だったのだ。カレンダーに空き時間を入れた瞬間、上司から緊急会議をねじ込まれるあの感覚。忍界にもスケジュール管理アプリが欲しい。
「オビトに何かあったのか」
カラスは羽を広げ、工房とは逆の方角へ顔を向けた。南賀ノ神社の方角だ。なんだ?昨日からずっと胃に悪い案件が山積みで、処理しても処理しても未読メールが増えていく感じがする。嫌な感じ。
「……今すぐか?」
「カァ」
短い鳴き声。肯定に聞こえる。俺の気のせいかもしれないが、ここまで来ると無視はできない。だがサスケとナルトを工房に置いたまま離れるわけにはいかない。今日の俺は兄であり、臨時講師であり、未成年二名の安全管理責任者である。勝手に現場を離れる管理者は信用を失う。前世なら炎上案件だ。
俺は印を結んだ。
「影分身の術」
白煙の中から、俺が一人現れる。分身は状況を理解した顔で工房を見た。
「二人を見ていろ。昼飯、手の冷却、午後の体術基礎。螺旋丸は今日は追加なしだ」
「あいよ。なにか問題があれば解除するぜ」
「勝手に変なことを教えるな」
「おいおい。俺だぞ?」
「だから言っている」
分身は笑ったまま少しだけ嫌そうな空気を出した。自分相手でも信用しきれない。これが影分身運用の難しいところである。部下が全員自分なら統制できると思うだろう?ところが全員同じ発想で余計なことをするから、管理職としては普通に怖い。
工房の中から、サスケとナルトの声が聞こえた。手洗いをしているらしい。偉い。そこはしっかり守れている。兄さんは嬉しいぞ。
俺は肩のカラスへ視線を戻し、静かに言った。
「案内しろ」
カラスは短く鳴き、空へ舞い上がった。
南賀ノ神社の方角へ、黒い羽が昼の光を切って飛んでいく。俺は一度だけ工房を振り返り、それから跳んだ。昼飯前の予定変更。嫌な仕事ほど、だいたい休憩直前に来るものだ。
うちは一族の居住区と南賀ノ神社の間には、ちょっとした森がある。深山というほどではないが、木々はそれなりに密集していて、昼でも場所によっては影が濃い。俺は野良カラスの飛ぶ先を追い、枝から枝へと跳び移った。土の匂いと葉擦れの音が耳に入る。さっきまでサスケとナルトに螺旋丸研修をしていたのに、昼飯前に緊急案件で呼び出しである。社会人時代も休憩直前に限って上司から「ちょっといい?」が飛んできた。よくないんだよな、本当に。
にしても、オビトか。
野良カラスが知らせてくるくらいだから、よほどのことなのだろう。とはいえ、オビト自身に何かあったとは考えにくい。あいつは強い。半端な忍ではどうにもならない。正面から押さえ込める者など、三代目や四代目のような影クラスくらいだろう。俺?んー、ワンチャン。大体の相手なら分身ハメ殺しで何とかできるつもりだが、オビト相手は見積もりが難しい。下手な見積もりは後で炎上する。これは前世で痛いほど学んだ。
しばらく走ると、鳥居が見えてきた。
南賀ノ神社。うちは一族の大人達がよく集まる場所だ。昨日も集会があったらしい。俺はあまり行かない。
理由は単純だ。会議は嫌いだ。前世で何時間奪われたと思ってるんだ。議題が一つなのに資料は二十枚、参加者八人、そのうち三人は発言せず、一人だけ話が長い。最後に「結論は次回で」。地獄か。南賀ノ神社まで俺にその記憶を蘇らせないでほしい。
「ん」
人気のない境内の前に、一人立っている男がいた。
「イタチか」
「オビト」
俺が降り立つと、オビトは少しだけ肩の力を抜いた。
「やっぱお前は頭がいいな」
なんか褒められてる?ありがとうね。でも俺の精神年齢はもう四十路に片足を突っ込んでいるのよ。三十路で死んでイタチになって十一年。見た目は少年、中身は疲れた中堅社員。褒められても、まず「追加業務の前振りかな」と警戒してしまう悲しい生き物だ。
「話を聞いてくれるか?」
話?悩み事か?どうしたん、話聞こか?などと軽く言える空気ではなかった。オビトの声は低い。ラーメン屋で話をした時より、さらに重い。
「なんだ?」
「知ってるだろうが、昨日の集会で色々決まったことがある。お前の父親も関わってる」
父ちゃんか。まあ、木ノ葉警務部の責任者だから当然だ。木ノ葉を大きな会社に例えるなら、父ちゃんは常務執行役員くらいの位置にいる。現場も知り、上層部ともやり取りし、一族という面倒な部署まで背負っている。考えるだけで胃が痛い役職だ。
「ここ最近、うちは一族で行方不明になってる奴等がいる。イタチは勿論気づいてるはずだ」
…………。
え?
確かに、最近見ない人はいた。警務部でよく見かけた人、通りで挨拶してくれた人、修行場近くで声をかけてきた人。任務で長く里を離れているものだと思っていた。いや、思い込んでいた。
行方不明?
それ、普通に事件じゃねぇか。
俺は顔には出さず、頭の中で記憶を棚卸しした。誰をいつ見た。誰がいつから見えない。父ちゃんや母ちゃんの会話に不自然な間はなかったか。警務部の巡回配置が少し変わっていた気がする。ああ、駄目だ。情報の断片はあったのに、繋げていない。月末に数字が合わず、後から「この伝票、先週から置いてありましたよね」と言われるやつだ。しんどい。
「昨日の集会で決まったのは、うちは一族を狙う者達をどうするかって話だった」
え、もう犯人分かってんのか。
「誰だ」
「確証はねぇ。ただ、行方不明になった連中には共通点がある」
「共通点?」
「全員、写輪眼を開眼してる。それも、任務経験の多い奴らだ」
空気が冷えた気がした。
写輪眼持ちだけを狙っている。しかも任務経験がある大人を。偶然で済ませるには条件が揃いすぎている。俺の中の前世社会人が、赤字で「要注意案件」と書かれた付箋を貼った。
「任務中の失踪ではないのか」
「そう処理されてるものもある。けど、記録が曖昧だ。警務部が追っても、途中で足跡が消える。里の外へ出た形跡が薄い奴までいる」
「つまり、里の中で消えた可能性がある」
「ああ」
オビトは短く頷いた。風が木々を揺らし、どこかでカラスが鳴いた。さっきまで昼の森だった場所が、一気に会議室のように重くなる。議題が悪い。出席者も悪い。俺は帰りたい。だが帰れない。
「集会じゃ、根の名前も出た」
来た。
また根だ。
未処理メールの山に、ダンゾウという差出人から新規の重要メールが届いた気分である。件名はたぶん「至急」。絶対開きたくない。
「証拠は」
「ねぇ。だからフガクさんも表立って動けない。ただ、一族の中にはもう根がやったと決めつけてる奴もいる」
「危険だな」
「ああ。下手に動けば、木ノ葉の中でうちはと根がぶつかる」
それはまずい。非常にまずい。社内の二部署が裏で殴り合うどころではない。里の中で武力組織同士が疑い合うのだ。火種としては最悪だ。
「それで、俺に何をさせたい」
俺が問うと、オビトはまっすぐこちらを見た。
「お前は今、根からも火影からも注目されてる。だからこそ動くな。勝手に首を突っ込むな」
……それを言うために呼んだのか。
「俺が勝手に動くと思ったのか」
「思うだろ」
即答だった。失礼な。いや、実績があるので反論しづらい。社会人でも一度やらかすと信用回復には時間がかかる。つらい。
「分かった。父にも確認する」
「頼む。お前が動くなら、フガクさんを通せ。単独で調べるな」
オビトの声は真剣だった。俺は短く頷く。
「承知した」
森の向こうで、またカラスが鳴いた。昼飯前の軽い呼び出しではなかった。うちはの中に、根の影が伸びている。案件は、もう俺の机の上に置かれていた。
カラス「カァ(元気になる粒くれ)」