分身ハメ殺し忍者『うちはイタチ』 作:やめろイタチ、その技は俺に効く
おっす!俺はうちはイタチ!
今日は、三代目火影にひとつお願いをしに行くつもりだった。内容は単純。影分身の術を教えてください、である。いや、単純と言っていいのかは分からない。前世知識で考えると、影分身はナルトの代名詞みたいな術だし、多重影分身の術に至っては禁術扱いだった気がする。四歳児が「ちょっと教えてください」と言っていい術じゃない可能性はかなり高い。だが、俺には必要なのだ。超健康分身ハメ殺しイタチ計画を次の段階へ進めるために。
これまで俺が使ってきたのは、基本的には分身の術だった。実体のない、相手の目を欺くための幻みたいなものだ。便利ではある。相手の視界の端へ置けば反応が遅れるし、頭上へ出せば一瞬だけ上を向かせられるし、足元へ滑らせれば踏み込みを狂わせられる。弱い術だなんて思わない。むしろ使い方次第では滅茶苦茶嫌らしい。俺はこの術だけで、何度もシスイに「今の嫌だな」と言わせてきた。最高の褒め言葉である。
ただし、弱点もはっきりしている。
触れられたら終わりだ。
分身の術は、ちょっと小突かれただけで煙になって消える。攻撃を受け止められない。物を掴めない。相手に直接打撃を入れられない。あくまで目くらましであって、戦力そのものではない。だから今の俺がやっている分身戦法は、相手の判断をずらし、その隙へ本体が入り込むという組み立てになる。四歳児の身体で大人の忍を相手にするには、それだけではまだ足りない。
激闘忍者対戦4のイタチを思い出す。
あのゲームのイタチは、本当に性格が悪かった。分身を撒く。相手が動く。気づいたら捕まる。崩される。起き上がりにまた重ねられる。友情にヒビを入れるには十分すぎる性能だった。あれを現実で完全再現できたら、俺は相当生き残りやすくなるはずだ。もちろんゲームと現実は違う。コントローラーを握って笑っていられる世界ではない。だが、発想は使える。相手に選ばせない。迷わせる。動いた先へ罠を置く。それが俺の目指す形だ。
そして、ゲームの中で使われていた分身のほとんどは、たぶん普通の分身の術に近い。実体のない陽動。視線を奪うための虚像。けれど、ひとつだけ違うものがある。
分身大爆破。
名前からしてもう強い。いや、強いというか悪い。相手の攻撃に合わせて分身を出し、斬った瞬間、あるいは触れた瞬間に爆発させる。カウンターで爆風を叩き込み、相手の反撃どころか呼吸まで奪う。もしこれを使えるようになれば、俺の分身戦法は一気に別物になる。相手は分身を見た瞬間、斬るか、避けるか、無視するかを考えなければならない。斬れば爆発するかもしれない。避ければ本体に回り込まれるかもしれない。無視すれば別の術に繋がるかもしれない。嫌すぎる。最高だ。
だが、そのためには影分身が必要になる。
普通の分身では駄目だ。実体がないから、そこに爆発を仕込む芯がない。火遁で煙だけ派手にしても、相手をびっくりさせるくらいが限界だろう。分身大爆破を本当に戦術として成立させるには、実体を持つ分身を作り、その分身へチャクラと火遁の性質を組み込む必要があるはずだ。つまり、術者のコピーとして動き、場合によっては忍術すら放てる影分身の術が土台になる。
影分身の術。
改めて考えると、相当おかしな術だ。
普通の分身がただの幻なら、影分身はもう一人の自分を作る術である。実体があり、攻撃でき、印も結べる。術者のチャクラを分けるから負担は重いだろうが、その代わりに単純な手数が増える。ひとりでは足りない場面で、もうひとりの自分が動ける。戦場でそんなものが使えるなら、便利どころの話ではない。しかも俺の場合、前世のゲーム知識と写輪眼の観察力を合わせれば、嫌らしい使い方をいくらでも考えられる。
もちろん問題はある。
三代目が教えてくれるかどうかだ。
あの爺ちゃんは優しい。ラーメンも奢ってくれる。教え方も上手い。だが、火影である。四歳のうちはに影分身を教える危険性くらい、当然考えるだろう。下手をすれば「まだ早い」と言われる。もっと悪ければ、父ちゃんへ報告が行く。そうなれば父ちゃんの写輪眼面談である。正座。沈黙。重い視線。怖い。非常に怖い。
だが、行くしかない。
戦場を見た。岩隠れの忍に襲われた。自分より大きな大人が、子供でも平気で殺しに来ることを知った。俺がどれだけ前世の記憶でふざけていても、この世界では強くなければ守れない。父ちゃんも母ちゃんも、まだ生まれていない弟も、シスイも、木の葉で出会った人達も、何かが起きた時に「まだ早いから」と言って守れるわけじゃない。
だから俺は、朝飯をきちんと食べ、兵糧丸を一粒だけ懐に入れ、軽く身体をほぐしてから家を出た。
向かう先は火影岩の下、木の葉の中心。
三代目火影、猿飛ヒルゼンのいる場所だった。
うちはの地区を抜けると、空気の色が少し変わった。
一族の家々が並ぶ通りは、どこか音が低い。人の声はあるし、生活の匂いもあるのに、背筋の伸びた大人達が多いせいか、子供の俺でも自然と足音を整えてしまう。だが、そこを出て火影岩へ続く大通りに入った瞬間、木の葉の里らしい雑多な音がどっと耳へ押し寄せてきた。店先に立てられたのぼりが風で揺れ、焼き物の匂い、魚の生臭さ、野菜についた土の匂い、熱い出汁の湯気、鉄と油の匂いが重なっている。前世の商店街とは全然違うのに、人が生きている場所の騒がしさだけは少し似ていた。
道の両脇には、八百屋、魚屋、肉屋、武器屋、萬屋が並び、少し先には焼肉屋や定食屋の暖簾も見える。八百屋のおばちゃんは籠いっぱいの葉物を前に声を張り、魚屋の親父は桶の中で跳ねる川魚を見せながら客を呼び、武器屋の店先には研がれたクナイや手裏剣が整然と並べられていた。四歳児が歩くには情報量が多すぎる。だが、忍の里で育つ子供はこれが日常なのだろう。玩具の隣に刃物があり、団子屋の向かいに起爆札が売っている。冷静に考えると治安が世紀末である。
「おっ、イタチ坊じゃねぇか。今日は肉か?」
通りの中ほどで、肉屋のおっさんが包丁を片手にこちらへ笑いかけてきた。声がでかい。肉屋という職業にふさわしい、血色のいい顔と太い腕をしている。俺が近づく前から、まな板の上の肉を叩く音がドン、ドン、と腹に響いていた。
「今日は買いません。用事があります」
「なんだよ、つまんねぇな。せっかくいい肉が入ってんのによ」
「また来ます。その時にお願いします」
「あいよ。じゃあ、新鮮な内臓と骨も取っといてやる。あんま変な丸薬にすんなよ?」
俺は軽く頭を下げた。
この肉屋には何度も世話になっている。兵糧丸用の材料を譲ってもらったり、森で仕留めた猪を持ち込んで捌いてもらったり、骨を細かく砕く方法を聞いたりした。普通、四歳児が「内臓と骨をください」と言えば引かれる。だが、このおっさんは最初こそ目を丸くしたものの、今では「またか」くらいの顔で対応してくれる。木の葉の懐は深い。いや、単に俺が変な客として認識されているだけかもしれない。
最近は、兵糧丸の材料を猪から牛へ変えられないかと考えている。
猪は悪くない。野性味があって、生命力が強そうで、いかにも滋養がありそうだ。だが味が暴れすぎる。燻した肉と内臓と骨粉を混ぜると、口の中で獣が戦争を始める。そこへ野草の苦味と蜂蜜の甘味を足した結果、俺の兵糧丸は「栄養はありそうだが食べる気力を削る謎物体」になった。ミナトさんは優しいから食べてくれたが、あの黄色い閃光を一瞬止めた味である。兵器としては優秀かもしれないが、日常携帯食としては改良が必要だった。
やっぱり筋肉といえば牛だろう。
前世知識でも、筋トレと赤身ステーキは相性が良さそうなイメージがある。たんぱく質、鉄分、なんかそういう身体に良いものが詰まっていそうだ。詳しい栄養学は知らない。知らないが、牛の赤身という響きには信頼感がある。猪から牛へ。原始的な野生パワーから、安定した筋肉供給へ。超健康分身ハメ殺しイタチ計画において、食事改革は避けて通れない。
それに、ミナトさんに言われた通り、兵糧丸は小さくしなければならない。
今までの俺の兵糧丸は、兵糧丸というより栄養団子だった。一粒で腹に溜まる。それはそれで悪くないが、戦闘中に飲み込める代物ではない。ミナトさんの「小さく喉を通りやすく」という指摘は正しい。俺は噛んで食べていたが、本来は飲むものらしい。あの時の衝撃は今でも忘れられない。俺はずっと、兵糧丸を噛み締めて苦しむ修行だと思っていた。違った。飲めばよかった。
小型化はできると思う。
問題は栄養濃度だ。小さくした分だけ効き目が薄くなっては意味がない。数粒でしっかり腹に溜まり、戦闘中でも補給でき、しかも味が人間の食べ物として成立する。理想を言えば、前世で飲んでいたサプリ錠剤みたいに扱いやすいサイズがいい。ただし、一回で十粒も二十粒も飲む仕様は嫌だ。忍者が戦場で「少々お待ちください、今から十粒飲みます」なんてやっていたら、その間に首が飛ぶ。
そんなことを考えながら大通りを歩いていると、意外と見知った顔が目に入る。
向こうの通りでは、濃い眉の少年が凄まじい勢いで走っていた。その少し前を、同じく濃い眉の大人が親指を立てながら駆けている。恐らく、いや多分、あれは未来のガイ先生とその父親のダイさんだ。二人ともまだ若い。ガイ先生なんて完全に子供である。だが、走り方の熱量だけは既に未来の片鱗がある。朝から青春が濃い。見ているだけで胃もたれしそうだ。
別の店先では、アスマと紅らしき子供が団子を食べていた。アスマはどこか不機嫌そうに串を咥え、紅は落ち着いた様子で甘味を口に運んでいる。どちらもまだ子供なのに、未来を知っているせいで妙に感慨深い。こいつらも大人になって、先生になって、色々あって……いや、考えるのはやめよう。未来の悲劇を一気に背負うには、俺の四歳ボディと胃袋はまだ小さすぎる。
今は目の前のことだ。
影分身の術。
分身大爆破への第一歩。
俺は火影邸へ近づくにつれて、少しだけ歩幅を整えた。三代目にどう切り出すか。いきなり「影分身を教えてください」では危険だろうか。もっと自然に、「分身の術の応用について学びたいです」と言うべきか。いや、それはそれで深読みされる未来が見える。あの爺ちゃんは優しいが、こちらの言葉をやたら重く受け取る時がある。
目の前に火影邸が見えてきた。
さて。
四歳児、火影に影分身をねだりに行きます。
火影邸が近づくにつれ、大通りの喧騒が少しずつ背中側へ遠ざかっていった。
木の葉の中心にある建物は、子供の足で見上げるとやっぱりでかい。前世の役所とか市庁舎みたいな威圧感もあるが、こっちはその中に忍がいる。書類を抱えた中忍が出入りし、任務帰りらしい上忍が足早に中へ消え、屋根や壁の陰にも見張りの気配がある。火影のいる場所なのだから当然なのだが、四歳児が気軽に「影分身教えてくださーい」と訪ねていい雰囲気ではない。いや、来たけど。来ちゃったけど。
入口には、緑のベストを着た忍が二人立っていた。
俺が入口の前で足を止めると、片方の忍が一歩だけ前に出た。
「止まれ。火影邸に何の用だ」
声は硬い。まあ当然だ。いくらうちはの子供でも、火影邸に無言で入れるわけがない。俺は背筋を伸ばして、できるだけ礼儀正しく頭を下げた。こういう時、子供らしく元気に行くべきか、うちはらしく静かに行くべきか迷う。結果、いつもの無表情になる。便利だな、うちはイタチの顔面。
「うちはイタチです。火影様にお会いしたく参りました」
「うちはイタチ……警務部隊長、うちはフガク殿のご子息か」
忍の目が僅かに細くなる。警戒というより確認だ。うちはという名字は、木の葉では良くも悪くも重い。俺はただの四歳児として来たつもりでも、向こうからすれば警務部隊長の息子が単身で火影邸を訪ねてきた形になる。何か政治的な匂いがしないでもない。いや違います。政治じゃないです。分身大爆破のためです。余計悪いかもしれない。
「少しここで待っていろ。火影様に確認を取る」
そう言って、一人が建物の中へ入っていった。
残された俺は、もう一人の警備忍と向き合う。すると、さっきまで仕事用の硬い顔をしていたその人が、ほんの少し口元を緩めた。
「相変わらず一人でよく歩くな、イタチ」
「あ、イッカクさん」
そう、この人はうみのイッカクさんである。うみのイルカさんのお父さんだ。俺は一楽で何度か一緒になったことがあり、ラーメンを食べながら少し話したことがある。火影邸の警備もやっているとは知らなかった。木の葉の忍は、任務も警備もこなして大変である。俺も将来働くのだろうか。いやもう四歳で半分働いてるようなもんじゃないか? 兵糧丸開発と修行と生存戦略で、毎日ブラック企業みたいなスケジュールなんだが。
「イルカさんは元気ですか」
「元気すぎるくらいだ。最近はアカデミーの帰りに友達と走り回ってる。お前と違って普通の子供らしくな」
「俺も普通の子供です」
「普通の子供は、肉屋で内臓と骨を注文しない」
正論で殴られた。
イルカさんは俺より年上で、今は十歳くらいだったか。記憶だと年齢差が少し曖昧だが、とにかく俺よりずっと兄貴分の世代である。原作ではナルトの先生で、すごく良い人だった。つまり今のイルカさんも、きっと元気にアカデミーへ通っているのだろう。十歳のイルカさん。想像すると少し不思議だ。未来の先生達がまだ子供として団子を食ったり走ったりしているこの時代、やっぱり変な感じがする。
イッカクさんが俺の顔を見て、少しだけ目を細める。
「今日は一楽に行くのか。テウチさんが、お前の食いっぷりは見ていて気持ちいいと言っていたぞ」
「火影様とお話しした後に行こうかと思っています」
ラーメンは大事だ。健康食ではないかもしれないが、心の栄養である。味薄めにしてもらえばいける。兵糧丸ばかり食っていたら、人間性が失われる。いや、すでに自作兵糧丸を常食している四歳児の人間性とは何だという話だが。
「そうか。なら、用事が早く済むといいな」
イッカクさんはそう言いかけて、ふと何かを思い出したように眉を寄せた。
「……ところで、火影様と何を話すつもりだ。まさかとは思うが、お前の兵糧丸の相談じゃないだろうな」
俺は僅かに視線を逸らしそうになった。
なぜバレる。いや、今回は違う。今回は本当に兵糧丸ではない。たしかに兵糧丸は現在進行形の重要課題だ。猪から牛へ切り替える案、小型化、味の改善、内臓配合率、骨粉の粒度、蜂蜜の量、薬草の苦味。相談したいことは山ほどある。だが、火影様にそれを持ち込んだら確実に深読みされるし、木の葉の栄養政策みたいな話に発展したら困る。俺は自分の健康と生存のためにやっているだけなのだ。
「いえ。兵糧丸ではありません」
「本当か?」
「本当です。今日は、術について相談したいことがあります」
イッカクさんの表情が少し変わった。さっきまでの冗談混じりの空気が薄れ、忍としての目になる。四歳のうちはが火影に術の相談をしに来た。そう聞けば、当然何かを考えるだろう。俺は内心で少しだけ冷や汗をかいた。影分身と分身大爆破のことをどこまで話すべきか。正直に全部言ったら絶対止められる気がする。だが、嘘をつけば三代目に見抜かれそうだ。あの爺ちゃん、ラーメン奢ってくれる優しい老人の皮を被ったプロフェッサーである。
イッカクさんはしばらく俺を見てから、小さく息を吐いた。
「術か。……まあ、お前ならそういう話になるか」
「はい」
「無茶はするなよ。イルカより年下の子供が、そんな顔で火影様に術の相談をしに来るんだ。周りの大人は少し心配になる」
そう言われて、俺は返事に困った。
無茶はしている。かなりしている。むしろ無茶の上に生存戦略を積み上げている。だが、無茶をしなければ未来の方がもっと危ないかもしれない。原作通りなら、うちは一族も、シスイも、父ちゃんも母ちゃんも、いろいろ終わる。俺はそれを避けたい。避けたいなら、四歳だろうが動くしかない。
「気をつけます」
結局、そう答えるしかなかった。
その時、火影邸の中へ入っていた警備忍が戻ってきた。
「火影様がお会いになるそうだ。中へ入れ」
俺は頷き、イッカクさんに軽く頭を下げた。
「行ってきます」
「ああ。帰りに一楽へ行くなら、イルカにも会うかもしれん。妙な丸薬を食わせるなよ」
「……努力します」
食わせる予定はなかったのに、なぜか自信を持って否定できなかった。
俺は火影邸の中へ足を踏み入れた。磨かれた床に小さな足音が響く。目指すは三代目火影の執務室。
影分身を教えてもらうための、第一関門突破ぁ!
そして火影邸の階段を上がるたびに、磨かれた床と壁に足音が小さく返ってくる。
任務の報告書を抱えた中忍や、何やら真剣な顔で廊下を歩く上忍とすれ違うたび、俺はなるべく邪魔にならないよう壁際を進んだ。四歳児が一人で火影の執務室に向かっている絵面は、冷静に考えるとかなりおかしい。だが、今さら引き返すわけにもいかない。影分身。分身大爆破。超健康分身ハメ殺しイタチ計画。その第一歩が、この廊下の先にあるのだ。
そうして三代目の執務室前まで辿り着き、俺は一度深呼吸した。
よし。まずは礼儀正しく挨拶する。いきなり「影分身を教えてください」は危ない。まず分身の術の応用について相談したいと切り出し、三代目の反応を見る。そこから徐々に影分身の有用性を話し、可能なら実技指導へ持ち込む。完璧な作戦だ。社会人時代の稟議書よりよほど雑だが、四歳児の交渉としては十分だろう。たぶん。
俺が扉へ手を伸ばし、軽く叩こうとした瞬間だった。
内側から扉が開いた。
うお!ビックリした〜!
心臓が喉から飛び出るかと思った。俺は反射的に後ろへ跳び退き、廊下の床を足裏で掴むように着地する。こういう時、修行していて良かったと思う。普通の四歳児なら尻餅をついて泣いていたかもしれない。いや、俺も内心は泣きそうだけどな。火影執務室の扉がノック直前に開くとか、ホラー演出としては上々である。
そして、部屋の中から出てきた男を見た瞬間、俺の内心はさらに冷えた。
今、会いたくない人物ランキング堂々の一位。
志村ダンゾウである。
「ん?お前は……」
男は俺を見下ろした。
顎に刻まれた十字の傷跡。忍装束というより着物に近い落ち着いた服装。俺が前世の記憶で知っている姿より少し若いが、纏っている空気はやっぱり重い。というか、目つきが悪い。めちゃくちゃ悪い。顔面だけで部下の有給申請を却下しそうな圧がある。前世でいたんだよな、こういう上司。正論っぽいことを言いながら、こっちの事情を全部無視して無茶な納期を投げてくるタイプ。しかも本人は組織のためだと本気で思っているから厄介なやつだ。
「フガクの息子か」
低い声が廊下に落ちる。
逃げたい。
めちゃくちゃ逃げたい。
だが逃げたら余計に怪しまれる。俺は背筋を伸ばし、できる限り自然に頭を下げた。
「うちはイタチです。ダンゾウ様」
普通に挨拶してしまった。
いや、ここは挨拶するしかないだろ。相手は木の葉の上層部で、三代目の執務室から出てきたばかりの危険人物である。無視なんてできるわけがない。とはいえ、口から名前が出た瞬間、自分でも少し焦った。俺はダンゾウを前世知識で知っている。だが、この時代の四歳児うちはイタチが、どれくらいダンゾウの顔と名前を知っていて自然なのかは分からない。まあ、フガクの息子なら上層部の名くらい聞いていてもおかしくない……はず。頼む、そういうことにしてくれ。
ダンゾウの視線が、俺の頭から足元まで静かに降りた。
うわ、見られてる。
嫌な汗が背中にじわっと滲む。俺は写輪眼を隠している。今は黒い目のままのはずだ。だが、この人は危ない。何が危ないって、俺のガバガバ前世知識でも「関わるとろくなことにならない」という印象だけは強く残っている。たしか木の葉の闇担当。根。暗部よりさらに暗い何か。うちはにも絶対関わっていた。細部は思い出せないのに、嫌な感じだけは鮮明なのが腹立つ。NARUTO全巻うろ覚えのくせに、前世のパワハラ上司の表情だけ妙にくっきり蘇る脳みそ、どうなってんだ。
「将来有望だと
ダンゾウが言った。
その言葉に、俺の内心がぎゅっと固まる。
誰から?何を?三代目か。父ちゃんか。警務部か。あるいは、もっと別の誰かか。俺は一楽に行き、三代目と修行し、父ちゃんから鍛えられ、シスイとも動いている。目立っていないつもりでも、たぶん目立っている。四歳で分身を使い、火遁を覚え、体術も伸び、しかも妙に大人びて見える。自分で言うのも何だが、怪しい。とても怪しい。
ダンゾウの目は、その怪しさを値踏みするようだった。
「期待しているぞ」
声だけ聞けば、若い才能を励ます言葉である。
だが、全然嬉しくない。
期待というより、棚に並んだ道具へ「いずれ使える」と言っている感じがする。ひぃ〜、嫌だ。マジで嫌だ。根に勧誘とかされたら最悪だ。俺は超健康分身ハメ殺しイタチになりたいのであって、木の葉の闇に沈む無表情暗殺マシーンになりたいわけではない。いや外面は無表情だけど、内心はこんなにうるさいんです。根の適性はありません。たぶん。
「ありがとうございます」
それでも、俺は静かに答えた。
ここで余計なことは言わない。否定もしない。怯えすぎても駄目。興味を引きすぎても駄目。社会人経験が唸る。厄介な上司には、必要最低限の礼儀と短い返答。相手の話に乗りすぎず、逆らいすぎず、早く通り過ぎる。三十路まで生きていて本当に良かった。忍術より先に役立つのが処世術ってどういうことだよ。
「ふん……」
ダンゾウは短く鼻を鳴らし、俺の横を通り過ぎた。
その瞬間まで、俺は背筋を伸ばしたまま動かなかった。男の足音が廊下の向こうへ遠ざかっていく。角を曲がり、気配が薄れて、ようやく俺は心の中で大きく息を吐いた。
ひぃ〜。
怖かった。
マジで三十路で社会経験豊富で良かった!
四歳児メンタルだけだったら、今ので泣いていたかもしれない。いや、三十路メンタルでも結構ギリギリだったけどな。俺はそっと拳を握り、気持ちを切り替える。ダンゾウイベントは怖すぎたが、今日の目的は別だ。
目の前には、開いたままの火影執務室の扉がある。
俺はもう一度だけ息を整え、中へ向かって頭を下げながら入った。
執務室に足を踏み入れた瞬間、紙と墨と古い木の匂いが鼻を掠めた。
「イタチか」
低く、けれどどこか柔らかい声が、部屋の奥から落ちてくる。
顔を上げると、そこには火影の装束を身につけた三代目がいた。机の上には書類が山のように積まれ、その向こうで猿飛ヒルゼンは片肘をつき、頬に手を添えた姿勢でこちらを見ている。いつも一楽の暖簾の下でラーメンを啜っている爺ちゃんか、演習場で術の理屈を教えてくれる先生みたいな姿しか見ていなかったせいで、こうして正式に火影として座っている姿を見ると、妙に圧がある。ああ、この人は本当に木の葉の一番上にいる人なんだなと、今さらながら思った。
……いや、待て。
俺、影分身のこと、普通に修行中に聞けばよかったんじゃね?
心の中で、俺は自分の額を殴った。そうだよ。何でわざわざ火影邸まで来た。演習場で分身の術を見てもらっている時に、「次の段階として影分身に興味があります」とか言えばよかったじゃん。火影の執務室に正式訪問したせいで、話が無駄に重くなっている。さっき廊下でダンゾウ様と遭遇したのも、完全にこの選択ミスのせいである。社会人経験豊富とか言っておきながら、アポ取りの場所を間違えるとは何事か。前世の俺、会議室予約からやり直せ。
だが、来てしまったものは仕方ない。
俺は背筋を伸ばし、できるだけ礼を崩さず頭を下げた。
「火影様」
「うむ」
三代目は目尻を少し緩めた。火影としての重さはあるが、その奥にはいつものラーメン爺ちゃんの空気も残っている。
「それで、今日は何用かの。修行の相談か?それとも、例の兵糧丸の改良案でも聞かせに来たか?あるいは、腹が減ったなら一楽へ付き合ってもよいぞ」
全部魅力的だった。
修行はもちろん本題だし、兵糧丸の改良も早急に進めたい。あの味と大きさのままでは、いずれ誰かを別の意味で倒してしまう。しかも一楽。ラーメン。火影様の奢り。四歳児の財布に優しい最強選択肢である。危ない。危うく「一楽で」と即答するところだった。今日の俺は影分身を学びに来たのだ。ラーメンは後で誘えばいい。後で。忘れるな俺。火影様に奢ってもらえるチャンスは逃すな。
「今日は、分身の術についてご相談があります」
俺は慎重に言葉を選んだ。
「今使っている分身の術を、もう一段上の形にしたいと思っています」
三代目の目が、僅かに細くなった。
「ほう。分身の術を、とな」
頬杖をついていた手がゆっくりと外れ、火影は椅子に座り直す。さっきまでの緩い空気が、ほんの少しだけ変わった。やばい。やっぱりこの人、術の話になると一瞬で先生の顔になる。いや、ありがたいけど怖い。俺の発言ひとつひとつが、何か深い意図を持っているように解釈されそうな気配がする。
「イタチ。お主の分身の扱いは、すでに年齢を考えれば異常なほど巧みじゃ。視線の誘導、間合いの操作、相手に判断を強いる位置取り……ただ形を増やすだけではなく、戦いの中で意味を持たせておる」
褒められている。
たぶん褒められている。
だが、俺の脳内にあるのは激闘忍者対戦4の嫌がらせムーブである。先生、そんな立派な戦術論みたいに言わないでください。俺はもっとこう、相手の起き上がりに分身を重ねて「はい残念でしたー!」ってしたいだけなんです。とは言えない。絶対言えない。
「それでも、足りないと?」
三代目が静かに聞いた。
俺は一度、息を吸った。
ここからが問題だ。正直に言うべきか。遠回しに行くべきか。正直に「分身を爆発させたいので影分身の術を教えてください」と言ったら、どう考えても危険思想の四歳児である。しかも相手は火影だ。下手をすれば、フガクの息子が何を考えているのかと警務部へ話が行く。最悪、さっきのダンゾウ様の耳にも入る。うちはの天才児、爆発する分身に興味。見出しだけで危険すぎる。
だが、変に誤魔化すのも危ない。
三代目は俺の分身の使い方をよく見ている。俺がただ分身を増やしたいだけではないことくらい、すぐに分かるだろう。だから、完全な嘘は駄目だ。目的を少しだけ丸めて、危険性を薄めて、けれど本質は外さない。前世の会議で言えば、上司に通りやすい形へ資料を整える作業である。忍界でもプレゼン力が問われるとは思わなかった。
「今の分身は、相手の目を欺くことはできます」
俺は言った。
「ですが、触れられればすぐ消えます。相手が分身だと理解した瞬間、効果が薄くなります」
「ふむ」
「だから、相手が分身を無視できない形にしたいんです。分身を、ただの幻ではなく、戦いの中で実際に意味を持つものへ変えたい」
三代目は黙って聞いている。
その沈黙が怖い。けれど、俺は続けた。
「実体のある分身について、学びたいと思いました」
影分身、という単語をあえてまだ出さない。まず概念から入る。俺は火影の顔色を窺った。三代目は白い髭を指で撫でながら、何かを考えているようだった。その目は穏やかだが、奥にある光は鋭い。
「実体のある分身、か」
「はい」
「お主は、それをどう使うつもりじゃ?」
来た。
核心である。
俺の背中にじんわり汗が滲む。どう言う?どう答える?仲間を守るため?自分の手数を増やすため?相手に選択肢を与えないため?全部本当だ。だが、その先にあるのは分身大爆破である。分身を大爆発させたいです、なんて言ったらドン引きされるかもしれない。いや、三代目なら「ほう、そういう発想もあるか」とか言いそうな気もする。どっちだ。読めない。プロフェッサー怖い。
俺は一瞬だけ、激闘忍者対戦4の画面を思い出した。
黒い髪のイタチが分身を出し、相手の攻撃を誘い、次の瞬間に爆ぜる。嫌われる技。だが、現実ならそれは自分や誰かが死なないための手段になる。
俺は腹を括った。
「まずは、相手の攻撃を受けても意味のある分身を作りたいです」
言葉を選びながら、俺は三代目を見た。
「分身が消えるだけではなく、相手の動きを止めるものにしたいんです」
ダンゾウ「“いい”子だ」
会話文の文頭を一字空けていたんですが、今話から空白を空けずに書いてます。これまで数作執筆してきて、ずっと一字空けで執筆してました。何故そうなったのか定かではありませんが、お気に入りの作品がそうだったからかもしれません。