分身ハメ殺し忍者『うちはイタチ』 作:やめろイタチ、その技は俺に効く
どうも!うちはイタチです!
無事、三代目火影から影分身の術を教えてもらうことに成功しました!
いや、成功と言っていいのかは微妙だ。教えてもらえたのは本当だが、条件がかなり厳しい。無断使用は禁止。火遁との併用は禁止。分身を爆発させるなんてもってのほか。練習は三代目が見ている時だけ。身体に違和感が出たら即中止。つまり、俺が本当にやりたい分身大爆破への道は、入口に縄が張られて「ここから先、危険区域」と札を立てられたような状態である。分かる。理屈は分かる。四歳児が影分身を爆発させたいとか言い出したら、そりゃ止める。俺が大人でも止める。
でも影分身の術そのものを教えてもらえた事実は大きい。
巻物を見せてもらった時なんて、正直めちゃくちゃ興奮した。だってあれ、たぶんナルトが盗んだデカい巻物だ。前世の記憶がぐわっと蘇った。夜の森、禁術の巻物、ナルト、イルカ先生、ミズキ、そして多重影分身。あの物語の始まりみたいな巻物が、今は火影執務室の奥から出てきて、俺の目の前に広げられていたのだ。テンション上がらない方がおかしい。外面は静かにしていたけど、内心では「うおおお本物だ!」って叫んでいた。
ただし、見せてもらえたのは影分身の術の項目だけだった。
多重影分身の術は見られなかった。三代目が巻物の余計な部分をきっちり隠していたからである。さすが火影。そこら辺は抜かりない。まあ、見られたとしても俺には使えない。多重影分身なんて発動した瞬間、俺のチャクラが木っ端微塵に吹き飛ぶ気がする。影分身は術者のチャクラを分ける術だ。分身が増えれば増えるほど本体の負担も増える。うずまきナルトみたいな馬鹿げたチャクラ量があるから成立するのであって、四歳のうちはイタチが真似したら普通に死ぬ。
でも、経験値のフィードバックは気になる。
原作でナルトは、多重影分身を使って修行時間を何倍にも増やしていた。影分身が経験したことが解除時に本体へ戻る。つまり、一人で十人分、百人分、下手すればそれ以上の修行を積める。あれ、冷静に考えると反則である。前世で言うなら、自分の分身に資格勉強させて、解除したら知識だけ戻ってくるみたいなものだ。そんなの社会人時代に欲しかった。資料作成も議事録も全部分身に投げたかった。
もちろん、俺には絶対無理だ。
ナルトがあれをできたのは、うずまき一族の生命力と肉体強度、さらに九尾のチャクラがあったからだと思う。チャクラが馬鹿みたいに多い上に、身体も耐えられる。だから何百体も分身を出して、それが一気に解除されても情報量と疲労に耐えられた。俺が同じことをやったら、脳みそが情報で爆発するか、チャクラ切れで倒れるか、最悪そのまま死ぬ。超健康を目指しているのに、自分で過労死ルートへ突っ込むのは本末転倒である。
今の俺が安全に出せる影分身は、せいぜい二体が限界だと思う。
一体ならまだ余裕がある。二体になると、身体の奥からチャクラを持っていかれる感覚がはっきり出る。三体はたぶん危ない。三代目にも試そうとした瞬間に止められた。俺は原作のイタチより健康的な生活を送っている自信がある。飯は食う。寝る。筋トレもする。兵糧丸も作る。病弱ルート回避のために全力だ。だが、チャクラ量というものは一朝一夕で増えない。筋肉みたいに食って鍛えたらすぐ増えるわけではないらしい。残念である。
とはいえ、兵糧丸の改良がうまくいけばワンチャンあるかもしれない。
チャクラそのものが食事で直接増えるかは分からない。だが、体力が増え、回復が早くなり、修行量を増やせるなら、結果的にチャクラの扱いも良くなるはずだ。赤身肉、内臓、骨、薬草、蜂蜜、茶。味はともかく、方向性は間違っていないと信じたい。問題は味だ。今の兵糧丸は、健康になる前に精神が削れる。ミナトさんに食べてもらった時の反応を思い出すと、改良は急務である。
三代目にも、多重影分身について一応聞いてみた。
すると爺ちゃんは、煙管を置いて真顔で言った。
「お主が今それを使えば、発動した瞬間に倒れる。下手をすれば、そのまま死ぬぞ」
怖いことをさらっと言うな。
いや、大事なことだから言ってくれたんだろうけど、四歳児に即死宣告する火影、かなりスパルタである。俺は死にたくない。マジで死にたくない。前世では車に轢かれてあっさり死んだんだ。今世くらいは健康に長生きしたい。目指せ超健康分身ハメ殺しイタチ。目指す方向性が健康なのか不健康なのか自分でも分からなくなってきたが、とにかく死なないことが最優先だ。
だから、多重影分身は封印。
だが、二体までの影分身なら修行に使う価値はある。
というわけで今日は、無断で影分身を使って兵糧丸改良を進めたいと思います!
……はい。すみません。
三代目との約束?
分かってる。分かってます。でも考えてみてほしい。戦闘訓練じゃない。火遁と組み合わせるわけでもない。爆発もしない。兵糧丸の材料を刻み、乾燥具合を見て、配合を試すだけだ。影分身の安全運用テストとしては、かなり平和な部類ではなかろうか。いや、無断使用の時点でアウト?そうですね。俺もそう思います。
それでも、俺は印を結んだ。
十字の印。
チャクラを二つに分ける感覚を思い出す。身体の内側から、熱を持った水を汲み出すような感触。無理に引き千切らず、流れを整え、もう一つの形を作る。
「影分身の術」
小さな煙が弾けた。
目の前に、俺が立っていた。
よし。
兵糧丸改良会議、開幕である。
「お前、やっちまったな」
煙が薄れて現れたもう一人の俺は、開口一番そんなことを言った。
なんだこいつ。顔は俺なのに、口調が完全に俺である。いや、当たり前だ。影分身なんだから俺のコピーで、思考も癖もだいたい同じなのだろう。三代目の前では静かで礼儀正しいクールうちはイタチ仕様を維持していたのに、誰もいない自室で出した途端これである。外面の皮を脱いだ俺が、俺に向かって呆れた顔をしている。しかも腹立つことに顔がいい。やっぱうちはイタチ、顔面が強い。四歳児なのに将来性がえぐい。
「何もやらかしてない。まず兵糧丸改良について考えるぞ」
俺は冷静に言ったつもりだった。
影分身の俺は、腕を組んでじっとこちらを見ている。自分の顔に疑いの目を向けられるのは、思ったより腹立つ。鏡に説教されている気分だ。
「三代目に言われただろ。無断で使うなって」
「戦闘では使ってない。火遁とも組み合わせてない。爆発もさせてない。これは兵糧丸改良の補助であり、安全な実験だ」
「言い訳が完全に怒られる奴のそれなんだよな」
ぐうの音も出ない。
いや、出る。出す。俺は四歳児でありながら三十路社会人の魂を持つ男だ。こういう時は論点をずらす。三代目との約束違反という倫理的問題から、兵糧丸改良という実務的課題へ会話を移すのだ。前世の会議で身につけた技である。たぶん良い技ではない。
俺は机の上に材料を並べた。乾かした肉、砕いた骨粉、蜂蜜、茶葉、滋養強壮に良さそうな野草、そして肉屋のおっさんから譲ってもらった牛の赤身と内臓。これまでの猪主体の兵糧丸は、栄養面では悪くないはずだったが、味と携帯性に大きな問題があった。特に味。あれは食べ物というより、獣と薬草と骨粉の合戦場である。ミナトさんが優しい人でなければ、外交問題になっていたかもしれない。
「まず方針を確認する。従来型は大きすぎる。噛まないと食べられないし、味が強すぎて戦闘中に摂取しづらい」
「あと臭い。普通に臭い」
「それは認める」
「認めるんだ」
影分身の俺が、乾燥肉をつまんで匂いを嗅いだ瞬間、顔をしかめた。俺の顔でその反応をされると、兵糧丸開発者として少し傷つく。だが、客観的評価は大事だ。商品開発にはユーザー目線が必要である。影分身を出した最大の利点は、作業量が二倍になることではない。自分の味覚をもう一つ用意できることだ。最悪の発想だな。自分で自分に毒味させる四歳児、字面が酷い。
俺は牛の赤身を小刀で細かく刻み、影分身には内臓の処理を任せた。
「火を通す時は弱めだ。焦げると苦味が増える」
「分かってる。俺だぞ」
「俺だから不安なんだよ」
「それはそう」
影分身は素直に頷いた。
なんだこの会話。俺と俺なのに全然頼もしくない。だが作業は速い。二人いるだけで、刻む、乾かす、砕く、混ぜるという工程が一気に進む。影分身は実体があるから、包丁も持てるし、すり鉢も使える。便利だ。便利すぎる。三代目が無断使用を禁止した理由が分かる。これを覚えた子供が自制できるわけがない。宿題も掃除も修行も、全部分身にやらせたくなる。ナルト、お前よく悪用しなかったな。いや、悪用してたかもしれん。
ただ、便利さの裏に重さもあった。
影分身がすり鉢で骨粉をさらに細かくしている間、俺の身体の奥からじわじわチャクラを持っていかれる感覚がある。分身を維持するだけで負担が続いているのだ。多重影分身なんて絶対無理だ。俺が何十体も出したら、兵糧丸改良どころか俺自身が乾燥肉みたいに干からびる。
「やはり二体目は出さない方がいいな」
俺が呟くと、影分身の俺も頷いた。
「一体でこれだしな。三代目の言う通り、今の身体で数を増やすのは自殺だ」
「でも効率はいい」
「それが一番危ないんだよな」
分かっている。効率が良いものほど危険だ。前世でも残業を前提にした仕事術は、最初だけ便利で最後は身体を壊す。影分身も同じだ。経験値が戻るなら修行効率は跳ね上がるだろうが、疲労も戻る。情報も戻る。味見の苦痛も戻る。……待て。味見の苦痛も戻るのか?
俺と影分身は、同時に試作品を見た。
小さく丸めた新型兵糧丸。牛赤身、内臓、骨粉、蜂蜜、茶葉、野草を混ぜ、従来よりずっと小粒にしたものだ。見た目は悪くない。少なくとも以前の獣団子よりは兵糧丸らしい。
「お前、食えよ」
「お前が食えよ」
「俺が食ったら俺が苦しむだろ」
「俺が食っても解除したらお前に戻るぞ」
最悪じゃねぇか。
影分身毒味システム、欠陥が発覚した。いや、最初から分かっていたことだが、いざ目の前にするとかなり嫌だ。逃げ場がない。俺は本体で食っても苦しむし、影分身に食わせても後で苦しみが戻ってくる。自分の開発物から逃げられない。責任ある製造者としては正しい姿勢だが、四歳児の胃袋には重すぎる。
「同時に食うぞ」
「地獄を二倍にする気か」
「情報量も二倍だ。味の分析が正確になる」
「嫌な合理性だな」
俺達は顔を見合わせ、同時に兵糧丸を口へ入れた。
噛む。
牛の旨味が、最初に来た。
お?
悪くない。猪より癖が少ない。内臓の鉄っぽさはあるが、蜂蜜と茶葉が少し抑えている。骨粉も細かくしたおかげで、前ほど砂を噛んでいる感じはしない。野草の苦味はまだ強いが、従来型の「死ぬほど不味い」から「健康食品としてギリ許される不味さ」くらいには改善している。
「いけるぞ、これ」
影分身の俺が目を見開いた。
「いや、まだ不味い。でも人間の食べ物には近づいた」
「大進歩だ」
俺は感動した。
ついに兵糧丸が食料へ近づいたのだ。兵器ではなく、補給食へ。ミナトさんに次食べてもらう時、少なくとも黄色い閃光が停止することはないかもしれない。いや、油断はできないけど。
その時、影分身の身体がふっと揺れた。
「あ、そろそろ限界かも」
「早いな」
「お前のチャクラ量が少ないんだよ」
「うるせぇ。健康的に増やしてる途中だ」
影分身の俺は、少しだけ笑った。
「三代目には怒られるぞ」
「バレなきゃ大丈夫」
「それ、バレるやつの台詞だぞ」
白煙が弾けた。
次の瞬間、作業の記憶と味見の感覚と、影分身側の疲労が一気に本体へ流れ込んできた。
うわっ、きっつ。
頭の奥がぐらりと揺れ、胃に重さが落ちる。だが同時に、骨粉の粒度、牛肉の配合、蜂蜜の量、茶葉の苦味の抜け方まで、影分身が感じた細かい情報が全部入ってきた。
これは凄い。
そして危ない。
俺は机に手をつき、息を吐いた。
影分身の術、便利すぎる。だからこそ、絶対に調子に乗ったら死ぬ。分かった。分かったけど。
「ふむ……」
工房の中に、牛肉と内臓と野草と蜂蜜と茶葉が混ざった、何とも言えない匂いが充満してる。
俺は机代わりの板の上に並べた試作品を見下ろしながら、腕を組んでいた。影分身を使った兵糧丸改良会議は、かなりの成果を出した。従来型の猪ベース兵糧丸は、栄養はありそうだが味が終わっていた。噛んだ瞬間、口の中で獣と薬草と骨粉が殴り合い、蜂蜜が仲裁に入ろうとして普通に巻き込まれる感じだった。だが今回の牛肉型は違う。まだ不味い。もちろん不味い。だが、人間の食べ物としてギリギリ踏みとどまっている。これは大きな進歩である。
「イタチ?ごはんよ?」
工房の外から、柔らかい声がした。
母ちゃんだ。
俺は一瞬、板の上の試作品と、すり鉢と、乾燥途中の肉片と、細かく砕いた骨粉と、茶葉の入った小皿を見た。まずい。いや兵糧丸の味もまずいが、状況もまずい。朝早く起きて少しだけ実験するつもりだったのに、影分身を出して作業効率が上がったせいで、気づけば朝飯の時間になっていた。無断影分身使用という三代目との約束違反はもちろん、母ちゃんに見つかると単純に「また変なもの作ってる」と心配される。四歳児の趣味としては、兵糧丸開発はかなり尖りすぎている。
どうやら、家の自室にいない俺を探して、ここまで来たらしい。
ちなみにこの工房は、家の近くにある修行場のさらに端へ、一年前に俺が作ったものだ。工房と呼んでいるが、実際には木を打ちつけて簡単に囲った掘立て小屋である。壁は少し歪んでいるし、雨が強い日は端から漏れるし、床も板を並べただけだ。だが俺にとっては立派な研究施設だった。肉を乾かし、骨を砕き、野草を刻み、兵糧丸を丸めるための聖域。超健康分身ハメ殺しイタチ計画の裏拠点。四歳児の秘密基地としては、かなり完成度が高いと自負している。
母ちゃんが入口の布を少し持ち上げ、中を覗き込んだ。
「またここで何か作っていたの?」
次の瞬間、母ちゃんの表情が固まった。
「うわ……すごい匂いね」
ですよね。
俺は思わず乾いた笑いを浮かべた。工房内に残っている匂いは、牛の内臓を加熱した鉄っぽさ、乾燥肉の香ばしさ、骨粉の粉臭さ、野草の青臭さ、蜂蜜の甘さ、茶葉の渋さが全部混ざったものだ。前世で言うなら、焼肉屋と薬局と理科室と健康食品売り場が狭い部屋で会議している感じである。母ちゃんが顔をしかめるのも無理はない。むしろよく入口で逃げなかった。母は強し。
「ははは……兵糧丸の改良をしてたんだよ、母さん。すぐ行く」
俺はできるだけ自然に答えた。
もちろん影分身のことは言わない。絶対に言わない。母ちゃんに言えば父ちゃんに伝わる。父ちゃんに伝われば三代目にも伝わるかもしれない。そして三代目に知られたら、穏やかな顔で「約束は守るものじゃぞ」と言われる。怖い。ダンゾウ様とは別方向に怖い。善意と心配で逃げ道を塞がれる怖さである。
「そうなの?でも、朝から根を詰めすぎちゃ駄目よ。まだ小さいんだから」
「うん。無理はしてない」
嘘ではない。いや、影分身の反動でちょっと頭が重いから、完全な真実でもない。だが倒れるほどではない。兵糧丸も改善された。つまり総合的には健康に向かっている。そういうことにしておこう。
「それならいいけど……ちゃんと片付けてから来なさいね。あと、手を洗うこと。口もゆすいだ方がいいわ」
「分かった」
口もか。
やっぱり匂うのか。
俺は母ちゃんが家の方へ戻っていくのを見届けてから、急いで片付けに入った。試作品を布に包み、小皿の材料をまとめ、骨粉は湿気ないように蓋付きの容器へ移す。すり鉢についた粉を落とし、刃物を布で拭き、乾燥肉は吊るし直す。ここで雑にやると虫が寄る。虫が寄れば材料が駄目になる。兵糧丸開発は衛生管理も大事だ。前世でも食品工場のドキュメンタリーを少し見たことがある。たぶん大事。知らんけど。
その後、工房の外に置いた桶で手を洗った。
水が冷たい。指先についた油と粉を丁寧に落とし、爪の間もこする。ついでに口をゆすぐ。口の中に残っていた牛内臓と野草と蜂蜜の微妙な後味が薄れていく。良かった。これで朝飯を食べられる。兵糧丸の味見をした直後の白米は、正直かなりありがたい。ミコト母ちゃんの飯は優しい味がする。俺の兵糧丸とは方向性が真逆である。いや、俺の兵糧丸もいつか優しくなれるはずだ。たぶん。
家に戻ると、玄関で靴を脱いだ。
うちはの家は静かだ。外の工房で一人、いや一人と影分身一体で騒がしく作業していた後だと、畳と木の床の匂いが妙に落ち着く。廊下を歩き、自室へ一度戻る。服についた匂いを少しでも落とすために上着を替え、髪を手で軽く整えた。鏡を見ると、いつもの静かな顔のうちはイタチがこちらを見ている。内心では「朝から影分身で兵糧丸作ってました!」みたいな四歳児なのに、外見だけは妙に落ち着いている。詐欺だな、これ。
腹が鳴った。
影分身を使ったせいか、単純に朝早くから作業したせいか、いつもより空腹が強い。これは良い兆候だ。食欲があるのは健康の証。俺は食卓へ向かいながら、頭の中で今日の改良結果を整理した。牛赤身は採用。内臓は量を少し減らす。骨粉はもっと細かく。蜂蜜は増やしすぎるとベタつく。茶葉は渋みが残るから焙じた方がいいかもしれない。
兵糧丸改良は進んでいる。
影分身の無断使用については、ひとまず考えないことにした。
食卓というより畳の上の定位置に腰を下ろすと、母ちゃんが湯気の立つ白飯と味噌汁をそっと置いてくれた。
ふわりと米の甘い匂いが上がる。次に味噌汁の温かい香りが鼻を撫でた。さっきまで工房で嗅いでいた牛肉と内臓と骨粉と野草の混ざった地獄みたいな匂いとは、何もかもが違う。全然違う。同じ口に入るものなのに、兵糧丸と母ちゃんの飯では存在している次元が違う。あっちは生存のために胃袋へ叩き込む補給物資。こっちは人間として朝を迎えたことを教えてくれる食事である。俺の兵糧丸も、いつかこっち側へ寄せたい。せめて、黄色い閃光を停止させない程度には。
「焼き魚もあるからね」
「うん、ありがとう母さん」
「いいのよ。昆布はいる?」
「ほしいです」
「今持ってくるね」
母ちゃんが台所へ戻る背中を見送りながら、俺は両手を合わせた。
「いただきます」
まず味噌汁のお椀を持ち上げる。温かい。両手に伝わる熱だけで、影分身を使った後の変な疲労が少しほどけていく。俺は豆腐とわかめを箸でつまみ、汁と一緒に口へ運んだ。
味噌の香りが舌の上で広がった瞬間、身体の奥がじんわり緩んだ。
美味い。
美味すぎる。
朝から影分身を出し、牛の赤身を刻み、内臓の臭みを抜き、骨粉を細かくし、蜂蜜と茶葉と野草を混ぜ、試作品を口に放り込んで味覚を痛めつけた身体に、味噌汁がめちゃくちゃ染みる。これだよこれ。人間の食べ物ってこういう優しさが必要なんだよ。俺の兵糧丸は「食え!生きろ!倒れるな!」って拳で胃を殴ってくる感じだけど、母ちゃんの味噌汁は「お疲れ、温まりなさい」と背中に布団をかけてくれる感じだ。方向性が違いすぎる。
次に白飯を食べる。
ふっくらしていて、粒が潰れず、噛むとほんのり甘い。米って偉大だ。前世でも米には散々世話になった。コンビニおにぎり、牛丼、定食、カレー。残業帰りの俺を何度救ってくれたことか。今世でも米はちゃんと美味い。いや、むしろ母ちゃんが炊いてくれるから余計に美味い。
俺は白飯を噛みながら、味噌汁の椀を見た。
味噌と白米か……
味噌。
米。
俺の箸が止まった。
味噌!?米!?
頭の中で何かが爆発した。
あー!!!
俺はとんでもない事を忘れていた!!!
もっと良い材料があったじゃないか!!!
そうだよ。なんで今まで肉と骨と野草ばっかり見ていたんだ。栄養。筋肉。滋養強壮。そういう方向へ考えすぎて、携帯食としての基礎を見落としていた。兵糧丸って丸薬であり、携帯食だ。なら固める材料、腹に溜まる材料、食べやすくする材料が必要になる。蜂蜜だけで全部まとめようとしたから、妙にベタついたり、野草の苦味が浮いたり、骨粉が舌に残ったりするのだ。
団子といえば餅!
香りと風味なら味噌じゃないか!
米を蒸して潰せば餅になる。餅は腹に溜まるし、乾燥させれば保存も効くはずだ。粉にして混ぜる方法もあるかもしれない。そこへ味噌を少し加えれば、塩気と旨味がつく。肉の臭みも抑えられる可能性がある。しかも味噌は大豆から作る。つまり植物性タンパク質。肉を入れれば動物性タンパク質、味噌を入れれば植物性タンパク質。牛赤身、内臓、骨粉、味噌、米、蜂蜜、茶葉、野草。これ、かなりそれっぽいぞ。
俺は思わず椀を持ったまま固まっていた。
「イタチ?」
昆布の小皿を持って戻ってきた母ちゃんが、不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?熱かった?」
「ううん。大丈夫」
俺は慌てて味噌汁を飲み込んだ。
危ない。朝飯中に研究者の顔をしていた。いや、四歳児の顔にどれだけ研究者感が出ているのかは分からないが、母ちゃんの目は鋭い。俺が変なことを考えている時、だいたい察する。母ちゃんの観察力、父ちゃんの写輪眼とは別の意味で怖い。
母ちゃんは昆布を俺の前に置いてくれた。
「はい。食べすぎないでね」
「うん」
昆布をご飯に乗せて食べる。
旨味。
これも使える。
俺はまた固まりかけたが、今度は何とか箸を動かし続けた。昆布を粉末にして少し混ぜれば、さらに旨味が出るかもしれない。味噌と昆布。前世知識でいう出汁と発酵食品。兵糧丸に出汁の概念を入れる。天才か?いや、ただの飯の知恵だ。母ちゃんの朝飯から学ぶ四歳児、健全である。影分身の無断使用よりはかなり健全である。
焼き魚が出てきた。
皮が香ばしく焼け、身から湯気が立っている。俺は箸で身をほぐし、ご飯と一緒に食べた。魚の塩気と米の甘み。これもまた強い。魚粉もありか?いや、材料が増えすぎると管理が面倒だ。まずは米と味噌だ。餅型兵糧丸。味噌風味兵糧丸。名前は微妙だが方向性はいい。戦闘中に食べるなら、甘すぎるより塩気と旨味がある方が飲み込みやすいかもしれない。
「イタチ、ちゃんと噛んで食べてね」
「うん」
母ちゃんに言われ、俺は少しゆっくり噛んだ。
そうだ。食事は急ぐものじゃない。兵糧丸の研究も大事だが、今は朝飯をちゃんと食べる時間だ。超健康を目指すなら、母ちゃんの飯を味わって食うことも修行である。
俺は白飯をもう一口食べながら、心の中で今日の予定を組み替えた。
朝飯を食べ終わったら、工房へ戻って米と味噌を試す。
影分身は……今日はもう使わない。
たぶん。
たぶんだ。
うちはミコトは、木ノ葉隠れに生きる『くのいち』であり、うちはフガクの妻であり、そして何より、うちはイタチの母であった。
うちはの血を引く家に生まれ、幼い頃から一族の誇りと掟と、忍として生きるための厳しさを知って育った。やがてフガクと出会い、妻となり、イタチを産んだ時、ミコトの中で世界の見え方は少し変わった。任務の成否や一族の立場、里の緊張、戦の気配。そうしたものの重さは消えなかったが、そのすべての中心に、小さな命の温かさが置かれるようになったのである。
イタチは、生まれた時から不思議な子だった。
手がかからない、という言葉だけでは足りない。よく乳を飲み、満ちれば静かに眠り、夜泣きも少なく、オムツを替える時でさえ、まるでこちらの手を煩わせまいとするかのように大人しかった。赤子とはもっと泣き、もっと求め、もっと世界へ自分の存在を訴えるものだと、ミコトは思っていた。だがイタチは違った。小さな瞳を開き、母の顔をじっと見つめ、何かを観察するように静かに息をしていた。
言葉を覚え、意思の疎通ができるようになると、その印象はいっそう強くなった。
幼い子供らしい拙さはある。けれど、言葉の選び方や返事の間に、妙な落ち着きがあった。わがままを言わない。泣き喚かない。欲しいものを欲しいと駄々をこねることも少ない。喜びも怒りも、表に出る量があまりに少なく、その静けさは時に母であるミコトの胸をざわつかせた。自分の息子であるのに、深い井戸の底を覗き込むように、その心の奥が見えない瞬間があったからだ。
それでも、イタチは確かに子供だった。
二歳を過ぎ、身体を思うように動かせるようになると、彼は静かに家を抜け出すようになった。最初に気づいた時、ミコトは息が止まるほど驚いた。まだ小さな身体で、庭先や修行場の端を使い、腕を曲げ、脚を動かし、息を整えようとしていたのである。遊びではなかった。見よう見まねの鍛錬とも違った。幼いなりに自分の身体を確かめ、鍛え、何かへ備えているように見えた。
そのことをフガクが知ると、彼はしばらく沈黙した。
夫は厳しい男である。うちは一族の長として、警務部隊を率いる者として、忍としての才を見抜く目も持っていた。だからこそ、イタチの異常な早熟さをただ喜びはしなかった。才は人を守る力になる一方で、人を縛る鎖にもなる。時代が才ある子供を見つければ、放ってはおかない。誰かが利用しようとする。里も、一族も、戦も、時に子供の肩へ平然と重荷を載せる。
フガクがイタチに修行をつけるようになったのは、息子を早く忍にしたいからだけではなかった。
誰かに使われる前に、自分の足で立てるように。命令に流されるだけではなく、自ら選べるように。力を持たぬまま才だけを見つけられるより、確かな基礎を持たせた方がいい。フガクは多くを語らなかったが、ミコトにはその思いが分かった。だから彼女は、夫の修行を止めなかった。
けれどミコトは、イタチを忍としてだけ見たくはなかった。
彼女にとってイタチは、うちはの天才でも、フガクの息子でも、里が注目する早熟な子供でもない。お腹を空かせればご飯を食べ、眠くなれば布団に入り、時には不思議なものを作って家族を困らせる、愛しい息子だった。だから、鍛錬から戻ったイタチの服に土がついていれば払ってやり、食事の量を見て足りなければ増やし、顔色が悪くないかを確かめた。忍として何を積み上げているかより、母としてはまず、ちゃんと生きているかが大事だった。
兵糧丸の試作品を差し出された日のことを、ミコトは今でもはっきり覚えている。
小さな手のひらに乗せられた丸薬は、見た目からして不穏だった。獣の匂い、薬草の苦味、蜂蜜の甘さ、骨を砕いたような粉っぽさ。それらが口の中で一斉に広がった瞬間、ミコトは本気で言葉を失った。くのいちとして毒や苦い薬に耐えた経験はある。だが、息子が真剣に作った兵糧丸は、別の意味で強敵だった。飲み込むまでの時間が、妙に長く感じられた。
けれど、その時のイタチの顔を見て、ミコトは怒ることも笑い飛ばすこともできなくなった。
いつも何を考えているのか分からない深い瞳が、その時だけはきらきらと輝いていた。結果を待つ子供の顔だった。褒めてほしい、認めてほしい、役に立つものを作りたい。そんな幼い願いが、静かな表情の下から確かに滲んでいた。ミコトが何とか笑って感想を伝えると、イタチはほんの少しだけ、柔らかく笑った。その笑顔は、母の胸に今も残っている。
ミコトは、イタチを愛している。
才があるからではない。静かで賢いからでもない。時に大人びすぎていて、何を見ているのか分からなくなる息子だからこそ、なおさら抱きしめてやりたいと思う。深い場所を覗くような瞳が、いつか深さの中で迷わぬように。忍として強くなる前に、人として温かいものを忘れぬように。
今、目の前でイタチは、白いご飯に昆布を乗せて食べている。
その顔は、兵糧丸を作っている時とも、修行へ向かう時とも違っていた。ほんのわずかだが、嬉しそうだった。湯気の立つ味噌汁を飲み、焼き魚をほぐし、昆布の乗ったご飯を丁寧に噛む。その表情を見ているだけで、ミコトの胸は満たされていく。
どれほど早く大人びても、どれほど才を示しても、この子はまだ自分の息子なのだ。
ミコトはそう思いながら、空になりかけたイタチの茶碗を見て、静かに微笑んだ。
ミコト「一緒にごはん食べようね」