ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

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第14話『二つの夜』

 夜のアルカパは、昼とは違う顔をしていた。

 

 宿屋の窓の外から聞こえていた人の声は、もうほとんどない。

 時折、遠くで犬が吠える。

 あとは、風が看板を揺らす音だけだ。

 

 俺は寝台の上で目を閉じていた。

 

 眠ってはいない。

 

 眠りたい気持ちはある。

 実際、身体は休息を求めている。

 

 だが、今夜は眠るわけにはいかない。

 

 隣の部屋で、小さな物音がした。

 

 続いて、床板がきしむ音。

 

 来たか。

 

「リュカ、起きて」

 

 ビアンカの小さな声が聞こえた。

 

「ん……ビアンカ?」

 

「約束したでしょ。レヌール城に行くの」

 

 少し間があった。

 

 リュカは迷っているのだろう。

 怖いはずだ。

 夜に、子どもだけで、幽霊が出るという城へ向かう。

 

 普通なら無茶だ。

 

 だが、ビアンカは引かない。

 

「子ネコを助けるんでしょ」

 

「……うん」

 

 リュカの声が変わった。

 

 怖さは消えていない。

 それでも、行くと決めた声だった。

 

 俺は目を開けない。

 

 ここで起き上がれば、二人は止まる。

 それが一番安全なのは分かっている。

 

 けれど、安全だけを与え続ければ、リュカは自分の足で立てなくなる。

 

 リュカ。

 行ってこい。

 

 ただし、無事に帰ってこい。

 

 扉が静かに開いた。

 小さな足音が二つ、廊下へ出る。

 

 俺の部屋の前で、足音が一度止まった。

 

「おとうさん……」

 

 リュカの声。

 

 俺は呼吸を深く、ゆっくりにした。

 眠っているふりをする。

 

「パパスさん、寝てる?」

 

「うん。風邪、つらそう」

 

「じゃあ、早く帰ってこなきゃね」

 

「うん」

 

 足音が離れていく。

 

 嘘をついている。

 

 父親として正しいのかは分からない。

 

 だが、ここで俺が全部を管理すれば、リュカの冒険は消える。

 ビアンカとの約束も、あの子ネコを助ける決意も、リュカ自身のものではなくなる。

 

 それは違う。

 

 やがて、宿屋の出入り口が小さく閉まる音がした。

 

 二人は出た。

 

 俺はゆっくりと起き上がった。

 

 身体は重い。

 眠気もある。

 

 だが、動ける。

 

 荷物を手に取り、剣を腰に差す。

 部屋の中を見回し、寝台の布を少し膨らませておく。

 

 雑だ。

 長くはごまかせない。

 

 だが、朝まで誰も起こしに来なければ十分だ。

 

 俺は窓を少し開け、外の気配を探った。

 

 町は静かだ。

 

 今なら出られる。

 

 宿屋の裏から外へ出ると、夜風が頬に当たった。

 

 リュカとビアンカが向かったのは、レヌール城。

 俺が向かうのは、別の場所。

 

 ルラフェン。

 

 煙突の曲がった家。

 薬草の匂い。

 ベネットじいさんの研究室。

 

 頭の中で、行き先をはっきりと思い浮かべる。

 

「ルーラ」

 

 風が巻いた。

 

 足元の感覚が消え、次に地面を踏んだ時には、ルラフェンの町の外に立っていた。

 

 夜のルラフェンは、相変わらず薬草の匂いが濃い。

 

 俺は迷わず、ベネットじいさんの家へ向かった。

 

 煙突の曲がった家には、まだ灯りがついていた。

 

 予想通りだ。

 

 このじいさん、たぶん夜に寝ていない。

 

 扉を叩く。

 

「誰じゃ!」

 

「パパスだ」

 

 中で何かが落ちる音がした。

 

「またおぬしか!今度は何用じゃ!」

 

「この前の話を聞きに来た」

 

 扉が開く。

 

 ベネットじいさんは、怒ったような顔をしていた。

 だが、目は楽しそうだ。

 

「この前の話?」

 

「道を抜ける呪文だ」

 

 じいさんの口元がにやりと歪む。

 

「ほう。覚えておったか」

 

「ああ。かなり重要だ」

 

「ルーラだけでは足りんと?」

 

「足りない」

 

 俺は短く答えた。

 

「町へ戻る呪文は便利だ。だが、洞窟や塔の奥で子どもが危険に遭った時、外へ出る手段が欲しい」

 

 ベネットじいさんの表情が少し変わった。

 

 茶化すような色が消える。

 

「……子どもを守るためか」

 

「ああ」

 

「なら、覚えは早いかもしれんな」

 

 じいさんは部屋の奥へ戻り、机の上に散らばった紙をかき分けた。

 

「ルーラは、知っている場所へ道をつなぐ呪文じゃ。だが、今考えておるものは少し違う」

 

「違う?」

 

「場所を選んで飛ぶのではない。今いる迷い場から、外へ押し出す呪文じゃ」

 

 迷い場から、外へ押し出す。

 

 リレミト。

 

 その名前が、頭の中で形になる。

 

「洞窟や塔は、内部に流れがある。入口、出口、通路、階段。人が出入りすることで、道の癖が残る」

 

「その癖をたどるのか」

 

「そうじゃ。無理やり空を飛ぶのではない。迷い込んだ道から、外へ抜ける」

 

 なるほど。

 

 ルーラより派手ではない。

 だが、実用性は高い。

 

 特に、これからの俺には。

 

「教えてくれ」

 

「簡単に言うのう」

 

「簡単ではないのは分かっている」

 

「分かっておる顔ではないわい」

 

 ベネットじいさんは鼻を鳴らした。

 

「なら、試す場所がいるのう」

 

 じいさんは机の下から古い鍵を取り出した。

 

「町外れに、昔使っていた薬草倉庫がある。地下に短い通路が残っておる。迷い場と呼ぶには小さいが、感覚を掴むにはちょうどよい」

 

「今からか」

 

「今覚えに来たんじゃろうが」

 

 その通りだ。

 

 紙だけ持ち帰っても意味がない。

 必要なのは知識ではない。

 

 使える手段だ。

 

「頼む」

 

「礼は覚えてから言え」

 

 ベネットじいさんは灯りを手に、家の外へ出た。

 

 夜のルラフェンを抜け、町外れの古い倉庫へ向かう。

 

 地下へ続く扉を開けると、湿った土と古い薬草の匂いがした。

 

 短い通路。

 低い天井。

 行き止まり。

 曲がり角。

 

 洞窟ほどではない。

 だが、閉じた場所特有の圧迫感がある。

 

「よいか。出口を思い浮かべるだけでは足りん」

 

 ベネットじいさんが言う。

 

「ここへ入ってきた道を思い出せ。足元の感触、曲がった角、空気の流れ。外へ向かう筋を探るんじゃ」

 

 俺は目を閉じた。

 

 入口。

 階段。

 湿った壁。

 左へ曲がった通路。

 外の夜風。

 

 ルーラとは違う。

 

 遠くの場所へ飛ぶのではない。

 今いる場所から、外へ抜ける。

 

 身体の中の魔力を、細い糸のように伸ばす。

 

 出口へ。

 外へ。

 戻る道へ。

 

「唱えろ」

 

 ベネットじいさんの声がした。

 

 俺は息を吸う。

 

「リレミト」

 

 足元が、ふっと軽くなった。

 

 次の瞬間、身体が横へ引っ張られる。

 

「っ……!」

 

 壁が迫る。

 

 まずい。

 

 俺は咄嗟に足を踏ん張った。

 肩が石壁にぶつかり、鈍い痛みが走る。

 

 抜けられなかった。

 

「失敗じゃな」

 

 ベネットじいさんが楽しそうに言う。

 

「笑い事ではない」

 

「壁に埋まらなかっただけ上出来じゃ」

 

「基準が怖い」

 

「便利な呪文ほど、雑に使えば死ぬ。覚えておけ」

 

「ああ」

 

 だが、今ので少し分かった。

 

 出口へ向かう流れ。

 道の癖。

 外へ抜ける感覚。

 

 ルーラのように、遠くの場所を強く思い浮かべるのではない。

 

 今いる場所から、外へ押し出す。

 

 俺はもう一度、目を閉じた。

 

「もう一度だ」

 

「ほう?」

 

「感覚を忘れないうちにやる」

 

 ベネットじいさんの口元が、にやりと歪んだ。

 

「よい顔になってきたのう、パパス」

 

 二度目は、壁にはぶつからなかった。

 

 だが、出口までは届かない。

 階段の途中で膝をつく。

 

 三度目。

 地下倉庫の入口近くまで出た。

 

 四度目。

 外の空気が、ほんの一瞬だけ頬を撫でた。

 

 あと少しだ。

 

 俺は息を整える。

 

 焦るな。

 外へ飛ぼうとするな。

 道をたどれ。

 

 入口。

 階段。

 通路。

 曲がり角。

 地下の空気。

 外へ向かう風。

 

 帰る道を、魔力でなぞる。

 

「リレミト」

 

 身体が軽くなった。

 

 今度は横へ流されない。

 足元から押し上げられるような感覚。

 

 視界が一瞬白くなる。

 

 次に足が地面を踏んだ時、俺は倉庫の外に立っていた。

 

 夜風が頬に当たる。

 

 空が見える。

 

 抜けた。

 

 リレミト。

 

 覚えた。

 

 少し遅れて、地下の入口からベネットじいさんが顔を出した。

 

「……本当に一晩で覚えおったか」

 

「まだ危なっかしいか?」

 

「危なっかしいに決まっとる。だが、使えんとは言えんな」

 

 ベネットじいさんは、呆れたように笑った。

 

「おぬし、やはり妙な男じゃ」

 

「必要だった」

 

「子どもを守るためか」

 

「ああ」

 

 短く答える。

 

 それ以上の説明はいらない。

 

 リレミト。

 

 これがあれば、洞窟や塔で逃げ道を失っても、外へ出られる。

 完璧ではない。

 危険もある。

 

 だが、持っているのと持っていないのとでは違う。

 

 未来を変えるための手札が、また一つ増えた。

 

「礼を言う」

 

「だから、礼は覚えてから言えと言ったじゃろう」

 

「覚えた」

 

 ベネットじいさんは一瞬黙った。

 

 それから、ふん、と鼻を鳴らす。

 

「なら、受け取っておくわい」

 

 空はまだ暗い。

 だが、夜は確実に進んでいる。

 

 レヌール城へ向かった二人は、今頃どこまで進んでいるだろうか。

 

 行きたい気持ちはある。

 すぐに追いかけたい気持ちもある。

 

 だが、俺が必要なのは、二人の冒険を奪うことではない。

 

 帰る道を用意しておくことだ。

 

 俺はルラフェンの町の外へ出ようとした。

 

「待て、パパス」

 

 背後から、ベネットじいさんの声がした。

 

 振り返る。

 

「なんだ?」

 

「もう一つ、話しておきたいことがある」

 

「今か?」

 

「今じゃ。おぬし、時間がない顔をしておる。なら、聞ける時に聞いておけ」

 

 ベネットじいさんは、俺の腰の剣を見た。

 

「おぬしは、呪文を外へ放つより、剣へ魔力を通す方が向いておるかもしれん」

 

 剣へ、魔力を通す。

 

 俺は思わず、剣の柄に触れた。

 

「どういう意味だ?」

 

「続きは、わしの家で話す。立ち話で済む内容ではない」

 

 レヌール城の方が気になる。

 

 だが、これは聞いておくべき話だ。

 

 未来を変える手札になる。

 

 俺は短く頷いた。

 

「分かった」

 

 ルーラ。

 リレミト。

 

 移動と脱出。

 

 そして、次は剣に宿す力。

 

 まだ夜は終わっていない。

 

 リュカとビアンカの冒険も。

 俺の準備も。

 

 どちらも、ここからだ。

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