ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
アルカパの町の外に立つと、夜風が少し強くなっていた。
遠くの丘の上に、レヌール城の影が見える。
黒い壁。
崩れた塔。
月明かりに照らされた古い城。
リュカとビアンカは、あそこにいる。
俺は剣の柄に手を置き、ゆっくりと歩き出した。
近づきすぎてはいけない。
二人に見つかれば、冒険はそこで終わる。
だが、遠すぎてもいけない。
何かあった時に間に合わなければ、見守る意味がない。
丘の下、木々の影に身を置く。
城の窓に、小さな灯りが揺れていた。
松明か。
それとも、二人が持っている明かりか。
風に混じって、かすかな声が聞こえた気がした。
ビアンカの声。
リュカの声。
はっきりとは分からない。
だが、二人は進んでいる。
俺は足を止めた。
今すぐ中へ入ることはできる。
魔物を倒し、仕掛けを壊し、子ネコを助け出すこともできるだろう。
だが、それは俺の冒険だ。
リュカの冒険ではない。
ビアンカの冒険でもない。
城の中で、鈍い音が響いた。
俺は反射的に一歩踏み出す。
だが、その直後にビアンカの声が聞こえた。
「リュカ、こっち!」
続いて、リュカの返事。
「う、うん!」
まだ大丈夫だ。
怖がっている。
迷っている。
それでも、自分たちで動いている。
なら、まだ見守る。
俺は木陰から城を見上げた。
その時、背後の草むらが揺れた。
魔物だ。
月明かりの中に、小さな影がいくつか現れる。
城の周りにも魔物はいる。
二人が帰る道に出られても困る。
俺は静かに剣を抜いた。
音を立てないように、短く踏み込む。
一体を柄で打つ。
もう一体の足を払う。
必要以上に騒がせない。
リュカたちの冒険を邪魔する魔物だけを、外側で片づける。
剣を振りながら、ベネットじいさんの言葉を思い出した。
魔力を外へ放つより、剣へ通す方が向いている。
剣へ、魔力を通す。
俺は手のひらに意識を向けた。
柄。
刃。
切っ先。
身体の中を巡る何かを、剣へ流す。
次の一振りで、刃がわずかに重くなった気がした。
魔物の影が、草の上に転がる。
今のは、ただの力ではなかった。
だが、まだ掴めない。
柄を握る手に残った感覚を、俺は黙って確かめた。
城の中から、今度ははっきりと悲鳴が聞こえた。
ビアンカだ。
俺は迷わず城へ向かって走り出しかけた。
だが、すぐに足を止める。
悲鳴の後、足音が聞こえた。
二つ。
こちらへ向かってくる。
逃げている。
いや、戻ってきている。
城の門の方から、リュカとビアンカが飛び出してきた。
二人とも息を切らしている。
服は少し汚れ、顔には疲れが見える。
リュカは片手にひのきのぼうを握っていた。
ビアンカは悔しそうに城を振り返っている。
「……今日は、無理」
ビアンカが小さく言った。
「でも、あの子ネコ……」
「明日、もう一回行くわ。ちゃんと準備して」
リュカは黙って頷いた。
怖くて逃げたのではない。
勝てないと分かった。
準備が足りないと分かった。
だから戻る。
それは、悪い判断ではない。
むしろ、必要な判断だ。
二人は丘を下り、アルカパへ向かって歩き出した。
俺は木陰に身を隠したまま、その背中を見送る。
リュカは何度も城を振り返っていた。
ビアンカも同じだ。
悔しいのだろう。
それでいい。
悔しさは、次に進む力になる。
俺は二人より先に町へ戻るため、少し遠回りして走った。
宿屋の裏口から入り、自分の部屋へ戻る。
寝台に横になり、布を整え、呼吸をゆっくりにする。
少しして、廊下に小さな足音が戻ってきた。
二つ。
リュカとビアンカだ。
「……今日は、だめだったね」
「うん」
「でも、明日はちゃんと行くわよ」
「うん。準備してから」
その言葉を聞いて、俺は目を閉じたまま息を吐いた。
そうだ。
準備してから行け。
勝てない相手に突っ込むだけが勇気じゃない。
帰ること。
考えること。
もう一度やり直すこと。
それも、冒険に必要な力だ。
足音が遠ざかる。
二人が部屋へ戻ったのを確認してから、俺は再び起き上がった。
まだ夜は終わっていない。
リュカたちは、自分たちの未熟さを知った。
なら、俺も俺の未熟さを埋める。
剣を手に取る。
魔力を通す感覚。
リレミトの感覚。
ルーラの精度。
鍛えることは山ほどある。
昼は寝ていればいい。
今の俺は、風邪で寝込んでいることになっているのだから。
俺は静かに窓を開け、夜のアルカパへ身を滑らせた。
ゲマとの戦いまでに、やれることはまだある。