ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
夜になった。
アルカパの宿屋は静まり、廊下の明かりも落ちている。
俺は寝台の上で目を閉じていた。
眠っているふりだ。
だが、身体の疲れはまだ残っている。
グランバニア山の洞窟。
ドラゴンマッド。
ミニデーモン。
ほのおのせんし。
はぐれメタル。
得たものはあった。
それでも、休めばすぐ全快というわけではない。
この身体は強い。
だが、無限ではない。
廊下の向こうで、小さな足音がした。
「リュカ、起きてる?」
「うん」
「薬草、持った?」
「持った」
「昨日みたいに、慌てちゃだめよ」
「ビアンカもね」
「わ、わたしは大丈夫よ」
二人の声は小さい。
だが、昨日とは違う。
勢いだけではない。
怖さを知った声だ。
それでも進もうとする声だ。
扉の前で、足音が止まった。
「おとうさん、寝てるかな」
「寝てるわよ。ちゃんと早く帰って、安心させてあげましょ」
「うん」
足音が遠ざかる。
宿屋の戸が、静かに閉まった。
少し待つ。
すぐに追えば、見つかる。
遅すぎれば、間に合わない。
俺はゆっくりと起き上がった。
寝台の布を整える。
荷物を隠す。
窓から外の様子を確かめる。
通りの先に、リュカとビアンカの背中が見えた。
昨日より歩くのが遅い。
道を確かめている。
周りを見ている。
何度も袋の中を確認している。
いい。
準備してから進む。
それだけで、昨日とは違う。
俺は宿屋の裏から外へ出た。
夜のアルカパを抜け、二人に気づかれない距離を保って追う。
町の外は暗い。
草むらが揺れる。
遠くの丘の上に、レヌール城が見える。
崩れかけた城壁。
黒く沈んだ窓。
月明かりに浮かぶ古城。
子ども二人で向かうには、十分すぎるほど不気味だ。
だが、二人は止まらなかった。
「昨日は、ここで走っちゃったよね」
「うん」
「今日は走らないわ。ちゃんと見ながら行くの」
「うん」
ビアンカが先に立ち、リュカが続く。
怖いのは同じだろう。
それでも、昨日より少しだけ足取りが強い。
城門の前で、二人は立ち止まった。
ビアンカが深呼吸する。
「行くわよ、リュカ」
「うん」
二人は城の中へ入っていった。
扉の奥に、闇が飲み込むように広がる。
俺は表の入口には向かわなかった。
城の外壁沿いに回る。
崩れた石壁。
半分外れた格子。
人が通るには狭いが、パパスの体なら無理やり入れる隙間がある。
音を立てないよう、身体を滑り込ませた。
中は冷えていた。
古い石の匂い。
湿った木材の匂い。
そして、魔物の気配。
レヌール城の中は、死んだ城ではない。
悪意が住み着いている。
遠くで、ビアンカの声がした。
「きゃっ!」
俺は一瞬、動きかけた。
だが、悲鳴はすぐに途切れる。
続いてリュカの声。
「ビアンカ!」
足音が走る。
来たか。
ここは、リュカが越える場所だ。
ビアンカがさらわれる。
リュカが一人になる。
怖くても探しに行く。
それを奪ってはいけない。
俺は奥歯を噛み、別の通路へ向かった。
ただし、放置はしない。
リュカの背後を、白い影が追っていた。
ゴースト。
壁を抜けるように、すうっと近づいている。
リュカは前しか見ていない。
ビアンカを探すことで頭がいっぱいだ。
その背中へ、ゴーストが手を伸ばす。
俺は横の暗がりから踏み込んだ。
声を出させる前に、斬る。
手応えは薄い。
だが、刃は通った。
ゴーストの影がほどけ、冷たい空気だけが残る。
リュカは気づかず、階段を駆け上がっていった。
それでいい。
今のは、あの子の冒険に混ざろうとした余計な影だ。
俺は別の階段を使い、上へ回る。
廊下の角で、青白い火が揺れた。
ナイトウイプス。
宙を漂う火の玉が、こちらへ向く。
こいつは厄介だ。
暗がりで子どもを脅かすには、十分すぎる。
俺は息を整えた。
剣に魔力を流す。
手のひらから柄へ。
柄から刃へ。
刃の先へ。
力を入れすぎるな。
流しすぎるな。
ナイトウイプスが飛びかかる。
俺は半歩だけずれ、刃を振った。
青白い火が裂ける。
手に残った感覚は、昨日より少しだけはっきりしていた。
ただ斬っただけではない。
刃の通り道に、何かが乗った。
まだ掴みきれない。
だが、遠くはない。
次の部屋に入った瞬間、床を這う音がした。
スカルサーペント。
骨の蛇が、石床をうねりながら迫る。
狭い。
広く剣を振れば壁に当たる。
足元へ入られれば面倒だ。
古代の遺跡も、広い場所ばかりではない。
こういう戦い方も、覚えておく必要がある。
俺は短く踏み込み、上から叩き潰した。
骨が散る。
その奥で、赤い小さな炎が揺れた。
おばけキャンドルだ。
蝋燭の身体がぴょんと跳ね、こちらへ火を向ける。
炎が来る。
俺は避けなかった。
真正面から受けるつもりもない。
剣を立てる。
魔力を通す。
炎の流れを見る。
小さな火の玉が飛ぶ。
ゲマのものとは比べ物にならない。
だが、炎は炎だ。
俺は刃を合わせた。
熱が散る。
完全ではない。
火の粉が腕をかすめる。
だが、直撃はしていない。
もう一度。
おばけキャンドルが二つ、三つと集まってくる。
俺は一体を斬り、次の炎に刃を合わせた。
力では駄目だ。
速さだけでも駄目だ。
炎に勝とうとするな。
流れをずらせ。
受け止めるのではなく、斬り分けろ。
火花が闇に散った。
腕が熱い。
手のひらが痺れる。
だが、感覚は残った。
今のを忘れるな。
遠くで、リュカの声が響いた。
「ビアンカ!」
続いて、ビアンカの声。
「リュカ!」
見つけたか。
俺は壁際に身を寄せ、気配を消した。
上階の方で、二人の足音が動いている。
よかった。
ここは、リュカが自分でたどり着いた。
俺が連れていったのではない。
俺が答えを教えたのでもない。
ビアンカを助けに行ったのは、リュカだ。
それでいい。
だが、城はまだ終わらない。
通路の先から、複数の気配が近づいていた。
ゴースト。
おばけキャンドル。
ナイトウイプス。
二人の声に引き寄せられたのか。
リュカとビアンカが合流した直後に、まとめて襲われれば危ない。
俺は闇の中で前へ出た。
足は、いつでも踏み出せる。
剣を構えるのではない。
構える前に、動く。
先頭のゴーストを斬る。
横から来たおばけキャンドルの炎を、刃で散らす。
ナイトウイプスの体当たりを肩でかわし、振り返りざまに落とす。
声は出さない。
音も最小限でいい。
子どもたちの冒険に、父親の戦闘音はいらない。
上の階で、ビアンカが言った。
「リュカ、あっちに明かりが見えるわ」
「行ってみよう」
たいまつか。
リュカとビアンカは、次へ進む。
俺は下の暗がりに残り、残った魔物を見た。
この城は、あの二人が越える。
なら俺は、二人に見えない場所で、余計なものを斬る。
それでいい。
おばけキャンドルが、また火を揺らした。
俺は息を吐く。
剣へ魔力を通す。
今度は、さっきより細く。
さっきより深く。
炎が飛ぶ。
刃を合わせる。
火花が割れた。
まだ名前のない感覚が、腕の中に残る。
掴め。
ゲマの炎を斬るために。
リュカを焼かせないために。
何度でも、掴め。
城の奥で、扉が軋む音がした。
二人の冒険は、さらに奥へ進んでいる。
俺もまた、闇の中を進んだ。
表に出ないまま。
父親だと知られないまま。
この夜の裏側で、二人の道を守るために。