ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
夜明け前に、俺は宿屋へ戻った。
裏口から入り、足音を殺して部屋へ戻る。
寝台に身体を沈めた瞬間、腕の痛みが遅れてやってきた。
黒い影。
魔界の匂い。
ゴールドオーブを狙うものたち。
レヌール城は、ただのお化け城では終わらなかった。
だが、リュカとビアンカは勝った。
おやぶんゴーストを倒し、城を救い、ゴールドオーブを受け取った。
俺ではない。
あの二人がやった。
それでいい。
少し眠るつもりで目を閉じた。
だが、次に意識が浮かんだ時、廊下の向こうから小さな足音が聞こえた。
「おとうさん、起きてる?」
リュカの声だ。
俺は寝たふりを続けようとして、やめた。
「……起きている」
扉が開いた。
リュカが入ってくる。
その後ろにビアンカもいた。
二人とも、ひどい顔をしていた。
服は汚れ、髪は乱れ、目の下には疲れが残っている。
それでも、顔は明るかった。
勝った子どもの顔だ。
「おとうさん、あのね」
リュカが言いかけて、言葉を探すように口を閉じた。
ビアンカが胸を張る。
「レヌール城のお化け、退治したの」
「そうか」
俺は驚きすぎないように答えた。
「本当だよ。王さまとお妃さまがいて、それで、おやぶんゴーストがいて」
「リュカ、全部いっぺんに言っても分からないわよ」
「でも、おとうさんに言いたくて」
その言葉だけで、胸の奥が少し熱くなる。
「よく戻った」
二人がこちらを見る。
「勝ったことも大事だ。だが、生きて戻ったことが一番大事だ」
リュカは少し照れたように笑った。
ビアンカも、得意げに顎を上げる。
「ちゃんと準備したもの。薬草も使ったし、無理だったら戻るって決めてたし」
「そうか」
「でも、最後は戻らなかったわ。だって、行けると思ったから」
「それも大事だ」
戻る判断。
進む判断。
どちらも必要だ。
リュカが袋の中から、淡い金色の玉を取り出した。
ゴールドオーブ。
部屋の空気が、一瞬だけ変わったように感じた。
「これ、もらったんだ」
リュカは大事そうに両手で持っている。
まだ分かっていない。
それが何なのか。
いつか、どれほど大きな意味を持つのか。
分からなくていい。
今のリュカにとっては、レヌール城を救った証だ。
「きれいな玉だな」
「うん」
「大事にしなさい」
「うん。なくさないようにする」
その言葉に、俺は少しだけ息を止めた。
なくさないように。
そうだ。
なくさせない。
今度こそ。
ビアンカがリュカの袖を引いた。
「リュカ、早く行かなきゃ。あの子ネコ」
「あっ、そうだった」
リュカがゴールドオーブを袋へ戻す。
子ネコ。
そうだ。
この冒険は、そこから始まった。
ゴールドオーブでも、魔界の影でも、未来の運命でもない。
一匹の子ネコを助けるために、二人は夜の城へ向かった。
「おとうさん、ちょっと行ってくるね」
「ああ」
「おじさまは寝ててね。まだ病人なんだから」
「分かっている」
ビアンカは満足そうに頷き、リュカを引っ張って部屋を出ていった。
扉が閉まる。
俺は少しだけ待った。
それから、ゆっくりと起き上がる。
寝ていろと言われた。
だが、子ネコを受け取る場面は見ておきたい。
もちろん、表には出すぎない。
宿屋の窓から、町の広場が見える。
リュカとビアンカは、昨日の子どもたちのところへ向かっていた。
木箱のそばに、小さな獣がいる。
黄色がかった毛並み。
黒い斑点。
赤みのあるたてがみ。
まだ幼い。
だが、ただの子ネコではない。
ベビーパンサー。
将来、リュカの大事な仲間になる存在。
あの子は、この先の長い時間をリュカと共に歩く。
少なくとも、俺が知っている物語ではそうだった。
リュカとビアンカが、子どもたちに何かを話している。
レヌール城のお化けを退治した。
約束は守った。
だから子ネコを返してほしい。
そんなところだろう。
子どもたちは最初、信じていない顔をしていた。
だが、リュカとビアンカの様子を見て、少しずつ態度を変えていく。
昨日とは違う。
リュカもビアンカも、ただの子どもの顔ではなかった。
怖い城へ行き、戻ってきた顔だ。
やがて、子どもたちが木箱の前をどいた。
小さなベビーパンサーが、おずおずと外へ出る。
リュカがしゃがみ込む。
声は聞こえない。
だが、リュカの口元は優しく動いていた。
ベビーパンサーはリュカの手の匂いを嗅ぎ、少しだけ頭を擦りつける。
ビアンカが嬉しそうに笑った。
よかったな。
俺は窓の内側から、その光景を見ていた。
この小さな出会いが、未来につながる。
リュカはまだ知らない。
ビアンカも知らない。
だが、それでいい。
大事なのは、今この瞬間に、助けたいと思ったものを助けたことだ。
広場で、ビアンカが何かを言った。
リュカが首をかしげる。
名前を決めるのだろう。
前世の記憶が、妙なところで騒ぎ出す。
いくつかの名前が頭をよぎる。
頼む。
あまり変な名前にはしてやるな。
そんな俺の心配をよそに、リュカは真剣な顔でベビーパンサーを見ていた。
「ボロンゴ……?」
リュカの口が、そう動いたように見えた。
ベビーパンサーが、ぴくりと耳を動かす。
次の瞬間、リュカの腕に飛びついた。
決まったらしい。
ボロンゴ。
悪くない。
いや、かなりいい。
俺は窓から離れ、寝台へ戻った。
レヌール城。
ゴールドオーブ。
魔界の悪霊。
ベビーパンサー。
昨夜から今朝にかけて、詰め込みすぎだ。
だが、これでまた一つ進んだ。
リュカは初めての冒険を越えた。
ビアンカも、ただのお姉さんではなく、一緒に戦った仲間になった。
ボロンゴも加わった。
扉の外で、リュカの声がした。
「おとうさん、ボロンゴっていうんだ」
俺は目を閉じたまま答える。
「そうか」
「かわいいでしょ」
「ああ」
「おとうさん、見に来ない?」
少し迷った。
だが、ここは病人らしくしておくべきだ。
「あとで見る。今は少し休ませてくれ」
「うん。ちゃんと寝てね」
足音が離れていく。
その足音に、もう一つ小さな足音が混ざっていた。
ボロンゴだろう。
俺は静かに笑った。
子どもの足音。
少女の足音。
小さな獣の足音。
この音を守るために、俺は強くなる。
ゲマとの戦いまでに、やれることはまだある。
だが今は、少しだけ眠ろう。
子どもたちの勝利を、胸の奥にしまいながら。