ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

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第21話『子ネコの名前』

 夜明け前に、俺は宿屋へ戻った。

 

 裏口から入り、足音を殺して部屋へ戻る。

 寝台に身体を沈めた瞬間、腕の痛みが遅れてやってきた。

 

 黒い影。

 魔界の匂い。

 ゴールドオーブを狙うものたち。

 

 レヌール城は、ただのお化け城では終わらなかった。

 

 だが、リュカとビアンカは勝った。

 

 おやぶんゴーストを倒し、城を救い、ゴールドオーブを受け取った。

 

 俺ではない。

 あの二人がやった。

 

 それでいい。

 

 少し眠るつもりで目を閉じた。

 

 だが、次に意識が浮かんだ時、廊下の向こうから小さな足音が聞こえた。

 

「おとうさん、起きてる?」

 

 リュカの声だ。

 

 俺は寝たふりを続けようとして、やめた。

 

「……起きている」

 

 扉が開いた。

 

 リュカが入ってくる。

 その後ろにビアンカもいた。

 

 二人とも、ひどい顔をしていた。

 

 服は汚れ、髪は乱れ、目の下には疲れが残っている。

 それでも、顔は明るかった。

 

 勝った子どもの顔だ。

 

「おとうさん、あのね」

 

 リュカが言いかけて、言葉を探すように口を閉じた。

 

 ビアンカが胸を張る。

 

「レヌール城のお化け、退治したの」

 

「そうか」

 

 俺は驚きすぎないように答えた。

 

「本当だよ。王さまとお妃さまがいて、それで、おやぶんゴーストがいて」

 

「リュカ、全部いっぺんに言っても分からないわよ」

 

「でも、おとうさんに言いたくて」

 

 その言葉だけで、胸の奥が少し熱くなる。

 

「よく戻った」

 

 二人がこちらを見る。

 

「勝ったことも大事だ。だが、生きて戻ったことが一番大事だ」

 

 リュカは少し照れたように笑った。

 

 ビアンカも、得意げに顎を上げる。

 

「ちゃんと準備したもの。薬草も使ったし、無理だったら戻るって決めてたし」

 

「そうか」

 

「でも、最後は戻らなかったわ。だって、行けると思ったから」

 

「それも大事だ」

 

 戻る判断。

 進む判断。

 

 どちらも必要だ。

 

 リュカが袋の中から、淡い金色の玉を取り出した。

 

 ゴールドオーブ。

 

 部屋の空気が、一瞬だけ変わったように感じた。

 

「これ、もらったんだ」

 

 リュカは大事そうに両手で持っている。

 

 まだ分かっていない。

 

 それが何なのか。

 いつか、どれほど大きな意味を持つのか。

 

 分からなくていい。

 

 今のリュカにとっては、レヌール城を救った証だ。

 

「きれいな玉だな」

 

「うん」

 

「大事にしなさい」

 

「うん。なくさないようにする」

 

 その言葉に、俺は少しだけ息を止めた。

 

 なくさないように。

 

 そうだ。

 

 なくさせない。

 

 今度こそ。

 

 ビアンカがリュカの袖を引いた。

 

「リュカ、早く行かなきゃ。あの子ネコ」

 

「あっ、そうだった」

 

 リュカがゴールドオーブを袋へ戻す。

 

 子ネコ。

 

 そうだ。

 この冒険は、そこから始まった。

 

 ゴールドオーブでも、魔界の影でも、未来の運命でもない。

 

 一匹の子ネコを助けるために、二人は夜の城へ向かった。

 

「おとうさん、ちょっと行ってくるね」

 

「ああ」

 

「おじさまは寝ててね。まだ病人なんだから」

 

「分かっている」

 

 ビアンカは満足そうに頷き、リュカを引っ張って部屋を出ていった。

 

 扉が閉まる。

 

 俺は少しだけ待った。

 

 それから、ゆっくりと起き上がる。

 

 寝ていろと言われた。

 だが、子ネコを受け取る場面は見ておきたい。

 

 もちろん、表には出すぎない。

 

 宿屋の窓から、町の広場が見える。

 

 リュカとビアンカは、昨日の子どもたちのところへ向かっていた。

 

 木箱のそばに、小さな獣がいる。

 

 黄色がかった毛並み。

 黒い斑点。

 赤みのあるたてがみ。

 

 まだ幼い。

 だが、ただの子ネコではない。

 

 ベビーパンサー。

 

 将来、リュカの大事な仲間になる存在。

 

 あの子は、この先の長い時間をリュカと共に歩く。

 

 少なくとも、俺が知っている物語ではそうだった。

 

 リュカとビアンカが、子どもたちに何かを話している。

 

 レヌール城のお化けを退治した。

 約束は守った。

 だから子ネコを返してほしい。

 

 そんなところだろう。

 

 子どもたちは最初、信じていない顔をしていた。

 

 だが、リュカとビアンカの様子を見て、少しずつ態度を変えていく。

 

 昨日とは違う。

 

 リュカもビアンカも、ただの子どもの顔ではなかった。

 

 怖い城へ行き、戻ってきた顔だ。

 

 やがて、子どもたちが木箱の前をどいた。

 

 小さなベビーパンサーが、おずおずと外へ出る。

 

 リュカがしゃがみ込む。

 

 声は聞こえない。

 

 だが、リュカの口元は優しく動いていた。

 

 ベビーパンサーはリュカの手の匂いを嗅ぎ、少しだけ頭を擦りつける。

 

 ビアンカが嬉しそうに笑った。

 

 よかったな。

 

 俺は窓の内側から、その光景を見ていた。

 

 この小さな出会いが、未来につながる。

 

 リュカはまだ知らない。

 ビアンカも知らない。

 

 だが、それでいい。

 

 大事なのは、今この瞬間に、助けたいと思ったものを助けたことだ。

 

 広場で、ビアンカが何かを言った。

 

 リュカが首をかしげる。

 

 名前を決めるのだろう。

 

 前世の記憶が、妙なところで騒ぎ出す。

 

 いくつかの名前が頭をよぎる。

 

 頼む。

 あまり変な名前にはしてやるな。

 

 そんな俺の心配をよそに、リュカは真剣な顔でベビーパンサーを見ていた。

 

「ボロンゴ……?」

 

 リュカの口が、そう動いたように見えた。

 

 ベビーパンサーが、ぴくりと耳を動かす。

 

 次の瞬間、リュカの腕に飛びついた。

 

 決まったらしい。

 

 ボロンゴ。

 

 悪くない。

 

 いや、かなりいい。

 

 俺は窓から離れ、寝台へ戻った。

 

 レヌール城。

 ゴールドオーブ。

 魔界の悪霊。

 ベビーパンサー。

 

 昨夜から今朝にかけて、詰め込みすぎだ。

 

 だが、これでまた一つ進んだ。

 

 リュカは初めての冒険を越えた。

 ビアンカも、ただのお姉さんではなく、一緒に戦った仲間になった。

 ボロンゴも加わった。

 

 扉の外で、リュカの声がした。

 

「おとうさん、ボロンゴっていうんだ」

 

 俺は目を閉じたまま答える。

 

「そうか」

 

「かわいいでしょ」

 

「ああ」

 

「おとうさん、見に来ない?」

 

 少し迷った。

 

 だが、ここは病人らしくしておくべきだ。

 

「あとで見る。今は少し休ませてくれ」

 

「うん。ちゃんと寝てね」

 

 足音が離れていく。

 

 その足音に、もう一つ小さな足音が混ざっていた。

 

 ボロンゴだろう。

 

 俺は静かに笑った。

 

 子どもの足音。

 少女の足音。

 小さな獣の足音。

 

 この音を守るために、俺は強くなる。

 

 ゲマとの戦いまでに、やれることはまだある。

 

 だが今は、少しだけ眠ろう。

 

 子どもたちの勝利を、胸の奥にしまいながら。

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