ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
昼前になって、俺はようやく部屋を出た。
風邪で寝込んでいた父親としては、少し回復した頃合い。
実際には、夜通し動いた疲れがようやく抜けただけだ。
階下へ降りると、リュカがボロンゴを追いかけていた。
「ボロンゴ、そっちはだめだよ」
小さなベビーパンサーは、宿屋の椅子の下へもぐり込み、すぐに顔だけを出す。
黄色がかった毛並み。
黒い斑点。
赤みのあるたてがみ。
昨日まで木箱に入れられていた子ネコは、もうリュカの仲間の顔をしていた。
「おとうさん、見て。ボロンゴだよ」
「ああ」
俺は少し離れて見下ろした。
無理に手は伸ばさない。
この子はリュカの仲間だ。
俺が懐かせるものではない。
「大事にしなさい」
「うん」
「連れて行くなら、守るだけでは駄目だ。守られることもある」
リュカは少し考え、ボロンゴを見る。
「ボロンゴも、ぼくを守ってくれる?」
ボロンゴが小さく鳴いた。
まるで、任せろと言っているようだった。
ダンカンの具合も落ち着いていた。
まだ顔色は悪いが、昨日よりはずっといい。
「パパスさん、世話になったね」
「こちらこそ、世話になった」
「風邪はもういいのかい?」
「ああ。だいぶ良くなった」
嘘ではない。
ただし、風邪ではなかっただけだ。
ビアンカの母親が、心配そうにこちらを見る。
「無理はしないでくださいね」
「奥さんもだ。体調が悪い時は、無理をしない方がいい」
「ええ。例の布の話も、覚えておくわね」
俺は小さく頷いた。
荷物をまとめ、宿屋を出る。
アルカパの町は、昨日までと変わらず賑やかだった。
この町の人々は知らない。
レヌール城で何が起きたのか。
その裏で、何が迫っていたのか。
知らなくていい。
リュカとビアンカが子ネコを助けた。
今はそれだけで十分だ。
町の入口まで、ビアンカがついてきた。
「リュカ」
「なに?」
「ボロンゴに変なもの食べさせちゃだめよ」
「うん」
「あと、ちゃんと面倒見るのよ」
「分かってるよ」
本当に分かっているのか怪しい顔だが、リュカなりに真剣ではある。
ビアンカは少し黙ったあと、自分の髪に手を伸ばした。
結んでいたリボンをほどく。
「これ、あげる」
リュカが目を丸くした。
「いいの?」
「いいの。しばらく会えないかもしれないし……それに、ボロンゴに似合うと思うから」
ビアンカは照れたように言い、しゃがみ込んだ。
ボロンゴが首をかしげる。
「じっとしててね」
ビアンカは、ボロンゴの首にそっとリボンを結んだ。
黄色がかった毛並みに、そのリボンはよく映えた。
ボロンゴは不思議そうに首を振り、それからリュカの足元へ寄る。
リュカが、リボンをそっと撫でた。
「ありがとう、ビアンカ」
「なくしちゃだめよ」
「うん」
俺は黙ってその光景を見ていた。
あのリボン。
今はただの別れの印だ。
だが、いつか離れ離れになった二人を、もう一度つなぐものになる。
ビアンカは知らない。
リュカも知らない。
ボロンゴも、もちろん知らない。
だからこそ、その贈り物は眩しかった。
「また会ったら、ちゃんと強くなってるか見るからね」
「ビアンカもね」
「わたしは最初から強いわよ」
ビアンカが胸を張る。
リュカが笑った。
ボロンゴもつられるように鳴く。
俺は少しだけ離れて、その別れを見守った。
泣きすぎず、強がりすぎず。
また会えると思っている子どもの別れ。
それでいい。
「おじさま」
「なんだ」
「リュカのこと、ちゃんと見ててね」
「ああ」
「リュカ、ちょっと無茶するから」
それはお前もだ。
そう言いかけて、やめた。
「分かっている」
ビアンカは満足そうに頷いた。
リュカが手を振る。
「ビアンカ、またね」
「うん。またね、リュカ」
俺たちは歩き出した。
アルカパの町が、少しずつ後ろへ遠ざかる。
リュカは何度も振り返った。
ビアンカも、町の入口で手を振っていた。
やがて町が見えなくなると、リュカは前を向いた。
その横を、ボロンゴが歩く。
「おとうさん」
「なんだ」
「レヌール城、こわかったけど……行ってよかった」
「そうか」
「ビアンカもいたし、ボロンゴも助けられたし」
「ああ」
「でも、もっと強くなりたい」
俺はリュカを見る。
リュカは前を向いたまま、小さく続けた。
「こわい時に、ちゃんと進めるように」
レヌール城は、リュカに何かを残した。
怖さを知った。
準備を知った。
戻ることを知った。
それでも進むことを知った。
「強くなれる」
俺は言った。
「本当?」
「ああ。だが、強さは急には増えない。少しずつだ」
「うん」
「無理をせず、逃げる時は逃げる。守る時は守る。戦う時は戦う。それを覚えていけばいい」
リュカは真剣な顔で頷いた。
ボロンゴが小さく鳴く。
子どもの足音。
小さな獣の足音。
そして、父親の足音。
三つの音が、サンタローズへの道に重なっていく。
アルカパでの冒険は終わった。
だが、旅は続く。
ゲマとの戦いまでに、やれることはまだある。