ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
見えない。
本当に見えない。
地下室から戻ったあとも、俺はしばらく落ち着かなかった。
ベラがいた。
たぶん、そこにいた。
リュカは確かに誰かと話していた。
春が来ない、と言っていた。
なら相手は間違いなくベラだ。
推しが、すぐそこにいた。
なのに見えない。
これはつらい。
俺はパパスだ。
父親だ。
冷静であるべき男だ。
だが、中身の俺は違う。
ベラたんに会いたかった男だ。
その時、地下へ続く扉が開いた。
リュカが戻ってくる。
その足元にはボロンゴ。
そして、リュカの隣にいるはずの誰かは、やはり俺には見えなかった。
「おとうさん」
「どうした」
リュカは少し迷ってから言った。
「あのね。ベラっていう子がいるんだ」
名前が出た。
俺は顔を動かさないようにした。
落ち着け。
ここで反応したらおかしい。
「そうか」
「でも、おとうさんには見えないみたい」
「ああ。父さんには見えない」
言葉にすると、改めて刺さる。
見えない。
くそ。
「その子が、困ってるのか」
「うん。妖精の村に春が来ないんだって。春風のフルートがなくなったって」
始まった。
妖精の村。
春風のフルート。
リュカの次の冒険。
リュカは真剣な顔で俺を見上げた。
「ぼく、行った方がいいかな」
「リュカはどうしたい」
「助けたい」
迷いはあった。
怖さもある。
だが、答えは出ている顔だった。
レヌール城を越えた子どもの顔だ。
「なら、話を聞いてやりなさい」
「うん」
リュカが頷く。
そのまま地下へ戻ろうとした。
俺は一歩、前に出た。
「リュカ」
「なに?」
「父さんの手を取りなさい」
リュカが首をかしげる。
「おとうさんも来るの?」
「ああ」
声は低く、静かに出す。
外面はパパス。
内心は違う。
来た。
来たぞ。
大人には見えない。
だが、見える子どもに導かれれば、道は開く。
俺にはベラが見えない。
妖精の道も見えない。
なら、リュカに連れて行ってもらえばいい。
ベラたん。
待ってろ。
そして息子よ、父さんを許せ。
「でも、ベラがびっくりするかも」
「困っている者を助けに行くなら、父さんも話を聞く」
リュカは少し嬉しそうに笑った。
「うん」
小さな手が、俺の手を握る。
ボロンゴもリュカの足元に寄った。
俺たちは地下室へ降りた。
冷たい空気。
古い荷物。
薄暗い壁。
やはり、俺には何も見えない。
だが、リュカは何もない空間へ向かって言った。
「ベラ。おとうさんも一緒じゃだめ?」
返事は聞こえない。
だが、地下室の空気が揺れた。
たぶん驚いている。
そりゃそうだろう。
見えない大人が、妖精の国へ行こうとしているのだから。
俺は黙って待った。
ここで焦るな。
前に出るな。
リュカがつなぐ道だ。
「大丈夫だよ。おとうさん、強いから」
リュカが言う。
その言葉が、少しだけ胸に痛かった。
強い。
そう見えているなら、そうであらねばならない。
リュカが俺の手を強く握った。
「行こう」
次の瞬間、地下室の冷気が変わった。
冬の匂い。
それなのに、どこか甘い花の匂い。
目の前の暗がりが、淡く揺れる。
見えなかったものが、形を取り始めた。
光の粒。
小さな羽。
空中に浮かぶ少女の姿。
息が止まった。
見えた。
ベラが、見えた。
小さな妖精は、俺を見て目を丸くしている。
「本当に来ちゃった……」
聞こえた。
声も、聞こえた。
俺は全力で表情を抑えた。
落ち着け。
叫ぶな。
拝むな。
泣くな。
俺はパパスだ。
「リュカから話は聞いた」
できるだけ普通に言う。
「困っているなら、力になろう」
ベラはまだ驚いた顔のまま、リュカと俺を交互に見た。
「大人なのに、見えてるの?」
「リュカに手を引かれているからだろう」
俺はそう答えた。
たぶん、それが正解だ。
俺一人では来られない。
俺一人では見えない。
だが、リュカが道をつないだ。
ベラは少し考え、それから小さく頷いた。
「分かった。でも、妖精の村では勝手に暴れないでね」
「ああ」
暴れない。
たぶん。
いや、必要がなければ。
ベラが光の向こうへ手を伸ばす。
「じゃあ、ついてきて。ポワンさまに会ってもらうから」
ポワンさま。
さらに来た。
俺は内心で膝をつきそうになった。
だが、顔は崩さない。
リュカの手を握ったまま、一歩踏み出す。
ボロンゴが少し警戒しながらついてくる。
地下室の床が消えた。
冷たい風が吹く。
次に見えたのは、雪に覆われた村だった。
白い木々。
凍った小道。
小さな家々。
そして、そこかしこに浮かぶ妖精たち。
来た。
妖精の村。
俺は本当に来てしまった。
リュカが目を輝かせる。
「すごい……」
「ああ」
俺も同じ気持ちだった。
だが、俺は父親だ。
はしゃぐのはリュカの役目でいい。
俺は一度だけ深く息を吸った。
推しに会えた。
妖精の村にも来られた。
だが、ここは観光地ではない。
春が失われている。
困っている者がいる。
そして、この冒険はリュカのものだ。
俺はリュカの手を離した。
「行きなさい。まずは話を聞くんだ」
「うん」
リュカが頷く。
ベラが先へ飛ぶ。
リュカとボロンゴが続く。
俺はその後ろを歩いた。
父親として。
そして、心の中だけで小さく叫んだ。
ベラたん、最高。
ベラたん、最高!!