ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
船がゆっくりと速度を落とした。
風の匂いが変わる。
潮の香りに、草の匂いと土の温かさが混じってきた。
甲板の向こうに、小さな港が見える。
大きな町ではない。
立派な港でもない。
小さな家と桟橋だけの、ひっそりとした場所だった。
ビスタ港。
ゲームで見た時は、ただの通過点だった。
けれど今は違う。
ここから歩いて、サンタローズへ向かう。
つまり、本当に始まる。
サンタローズ。
リュカの故郷。
パパスが戻る場所。
そして、未来では焼かれる村。
分かっている。
その未来は、ここから変える。
「おとうさん……着いたの?」
リュカが俺の袖を小さくつまんで見上げてきた。
「ああ。港に着いた。村はこの先だ」
「……歩くの?」
「少しだけな。父さんがついている」
それだけ言うと、リュカは少し安心したように頷いた。
言葉は少なくていい。
今の俺はパパスだ。
不安を消すのに必要なのは、長い説明じゃない。
この子の隣にいることだ。
船から降りると、船員たちが荷物を運びながら声をかけてきた。
「パパスさん、ここからサンタローズまでは森を抜けます。最近は魔物も出るようですから、お気をつけて」
「坊っちゃんもご一緒でしょう?どうか無事にお連れくださいね」
「ああ。世話になった」
軽く礼をして歩き出す。
足元には短い砂利道が続いていた。
その先には草原。
さらに奥には、森が広がっている。
ゲームなら何度も通った道だ。
だが今は違う。
画面越しじゃない。
足で歩く道だ。
「おとうさん……こわくない?」
リュカの声が少しだけ震えていた。
「大丈夫だ。ずっと一緒だ」
手を差し出すと、小さな手が俺の指を握った。
温かい。
小さい。
頼りない。
こんな小さな手で、あの未来を歩かせるわけにはいかない。
守る。
絶対に守る。
奴隷なんかにさせない。
大切な人たちと、理不尽に引き裂かれる未来なんか歩ませない。
森に入ると、空気がひんやりと変わった。
木々の葉が揺れる。
奥の方で、小さな獣の足音が聞こえた。
現実の森だ。
ゲームの背景じゃない。
歩けば枝が靴に当たる。
風が肌に触れる。
草の匂いが濃くなる。
そして、魔物も出る。
草むらが揺れた。
「下がっていなさい」
リュカを後ろへ下げる。
手は自然と剣の柄に伸びていた。
青い影が跳び出す。
「ピィッ!」
スライム。
続けて、おおねずみが低く唸りながら飛び出してきた。
序盤の魔物だ。
ゲームなら、何度も倒してきた。
でも現実で見ると、思ったよりずっと生々しい。
スライムの身体は半透明に揺れている。
おおねずみの牙は、普通に痛そうだ。
子どもが噛まれたら洒落にならない。
油断するな。
ここはゲームじゃない。
スライムが跳びかかってくる。
剣が動いた。
俺が考えるより早く、パパスの身体が反応していた。
踏み込む。
振る。
青い身体が弾けるように消える。
おおねずみが地面を蹴った。
牙がリュカの方へ向く。
させるか。
一歩前に出る。
横へ流すように剣を振る。
おおねずみは短く鳴いて倒れた。
森が静かになる。
強い。
パパスは強い。
分かっていた。
知識としては知っていた。
でも、実際にこの身体で動くと分かる。
この人は、化け物じみて強い。
だからこそ、納得がいかない。
これほど強い男が、あの未来では負ける。
ゲマに殺される。
リュカを守りきれない。
なら、俺はもっと強くならないといけない。
「おとうさん……!」
リュカの声で振り返る。
リュカは涙をこらえた顔で立っていた。
膝に、小さなすり傷ができている。
転んだのか。
「痛かったな。じっとしていなさい」
膝のそばにしゃがむ。
小さな傷に手をかざす。
「ホイミ」
温かい光が、手のひらから広がった。
傷口がゆっくりとふさがっていく。
血の滲みも消えた。
ホイミだ。
本当に使えた。
感動している場合じゃない。
でも、少し感動した。
いや、かなり感動した。
だってホイミだぞ。
ドラクエの回復呪文だぞ。
子どもの頃から何度も見てきたあの光が、今、俺の手から出た。
叫ぶな。
顔に出すな。
パパスだぞ。
落ち着け。
「……あれ?いたくない」
「良かった。無事で安心した」
リュカは目をぱちぱちさせた。
それから、小さく胸を張って笑う。
「おとうさんが、なおしてくれた」
「ああ。怪我をしたまま歩かせるわけにはいかないからな」
それだけ言った。
本当は、頭を撫でたかった。
抱きしめたかった。
生きてるだけで偉いぞと言いたかった。
でも外側はパパスだ。
やりすぎると、たぶんリュカが困る。
だから、少しだけ頭に手を置いた。
リュカは嬉しそうに笑った。
だめだ。
かわいい。
この子を守る以外の選択肢が消えていく。
歩き出す足に、さっきより力が入った。
森を抜けると、視界が開けた。
草原の先に、小さな村が見える。
丘の途中には教会。
家々の煙突からは、細い煙がのぼっていた。
サンタローズ。
ついに来た。
何度も見た村。
何度も歩いた村。
何度も、壊された後の姿を思い出して悔しくなった村。
今はまだ、穏やかだ。
人が暮らしている。
煙がのぼっている。
笑い声が聞こえる。
焼かせない。
絶対に焼かせない。
「あれ……サンタローズ?」
「そうだ。今日から、ここが家だ」
「家……!」
リュカの顔が明るくなる。
そのまま走り出しそうな勢いで、村を見つめていた。
家か。
この子にとって、ここは帰る場所になる。
だから守る。
何があっても守る。
村の入口へ近づくと、数人の村人が声を上げた。
「おや、パパスさんじゃないか!」
「旅から戻られたんですね!坊っちゃんもご一緒で……元気そうで何よりです!」
「長旅でお疲れでしょう。今日はゆっくりなさってください」
みんな嬉しそうだった。
心から帰りを喜んでいる顔だった。
パパスという男が、この村でどれほど慕われていたのかが伝わってくる。
すごいな、パパス。
あんたは、こんなにも信頼されていたのか。
その名前を借りてここに立っている。
それが少し怖い。
でも、同時に誇らしくもあった。
「世話になる」
短く返す。
村人たちはそれだけで嬉しそうに笑った。
この人たちは、パパスを信じている。
なら俺も、その信頼に応えなければならない。
村を守る理由が、また一つ増えた。
その時、どたどたと重い足音が近づいてきた。
「旦那様ぁぁぁ!!」
サンチョ。
丸い身体を揺らしながら、涙目でこちらへ走ってくる。
「サンチョ、落ち着け」
「これが落ち着いていられますか!旦那様が、坊っちゃまが、無事にお戻りになられたのでございますよ!」
サンチョはリュカの前で膝をつき、両手で小さな手を包むように握った。
「坊っちゃま……ご立派に……!お元気で……!本当に、本当に良かったでございます……!」
「……えへへ」
リュカは少し照れたように笑った。
サンチョ。
忠臣。
家族のような男。
この先、どれほど長い時間が流れても、パパスとリュカを想い続ける男。
知っている。
俺は知っている。
この人もまた、長い時間を待つことになる。
主を失い、坊っちゃまを失い、それでも家を守り続ける。
そんな未来も、変えたい。
「サンチョ」
「はい、旦那様!」
「ただいま」
口から出たのは、それだけだった。
サンチョの顔がくしゃりと歪んだ。
「……お帰りなさいませ。旦那様」
短い言葉でいい。
今のサンチョには、それで十分だった。
家へ向かう。
木の扉を開けると、温かい匂いがした。
木の匂い。
暖炉の匂い。
人が暮らしている家の匂い。
ここが、パパスの家。
リュカの家。
そして、今日から俺の家でもある。
「ここが……ぼくのおうち?」
「ああ。今日から一緒に暮らす家だ」
「すごい……!おへやがある……!」
リュカは嬉しさを隠しきれない様子で、部屋を見回した。
小さな足音が家の中に響く。
サンチョが目を細めて見守っている。
暖炉の火が、ぱちぱちと音を立てていた。
穏やかだ。
あまりにも穏やかだ。
だからこそ、怖い。
俺はこの後の未来を知っている。
この穏やかさが壊されることを知っている。
その壊れた後の痛みも、画面越しに何度も見てきた。
でも今は、まだ壊れていない。
なら、間に合う。
そう思った時だった。
居間の方から、明るい声がした。
「おじさま、お帰りなさい!」
金髪の少女が、こちらへ駆け寄ってくる。
見た瞬間、頭の中で名前が浮かんだ。
ビアンカ。
幼い頃のビアンカだ。