ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
ドワーフの洞窟を出ると、妖精の村の雪が静かに降っていた。
白い景色。
けれど、俺の目にはもう同じ雪には見えない。
ドワーフの洞窟で見つけた青い羽。
大きく、冷気を帯びた羽。
ホークブリザード。
前世の知識が引き出した名前は、まだ頭の中に残っている。
魔界の鳥が、妖精界の冬に紛れている。
それだけで、今回の異変が原作通りでは済まないことは分かった。
「おとうさん」
リュカがこちらを見上げる。
「氷の館って、こっちでいいんだよね?」
「ああ」
俺が答えるより先に、ベラが前を指した。
「こっちよ。春風のフルートは、氷の館の奥にあるはず」
ベラの声は明るい。
だが、その羽が少し震えている。
妖精の村を覆う冬。
ポワンが困っていること。
そして、春風のフルートを奪った相手。
小さな体で、ベラなりに背負っているものがある。
リュカはどうのつるぎを握り直した。
ボロンゴがその横を歩く。
氷の館は、村から少し離れた場所にあった。
白く凍った壁。
閉ざされた扉。
館全体が、冬そのものを固めたように見える。
扉の前に立つと、リュカが古い書を取り出した。
ドワーフの洞窟で手に入れた、カギの技法の書。
「これ、どうすればいいの?」
リュカが書を開く。
古い紙に描かれた文字と印が、扉の冷気に触れたように淡く光った。
「わっ」
書に記された線が、ほどけるように浮かび上がる。
光はリュカの指先へ流れ込み、腕を通って、胸の奥へ染み込んでいった。
まるで、文字そのものがリュカの中へ入っていくようだった。
「リュカ!」
ベラが声を上げる。
だが、リュカは倒れなかった。
驚いた顔で、自分の手を見つめている。
次の瞬間、古い書は端からさらさらと崩れ始めた。
「本が……!」
リュカは慌てて支えようとした。
だが、紙の形はもう残らなかった。
小さな光の粒だけが、雪のように舞って消えていく。
「大丈夫よ」
ベラが静かに言った。
「カギの技法は、ちゃんとリュカの中に入ったわ」
「ぼくの中に?」
「ああ」
俺は頷いた。
「今、リュカが覚えたんだ」
リュカはもう一度、自分の手を見た。
そして、ゆっくりと扉へ向き直る。
「やってみる」
小さな指が、凍った金具に触れた。
カチリ。
音がした。
ただの鍵ではない。
ドワーフたちが残した技法が、扉の仕組みをほどいていく。
重い氷の扉が、ゆっくりと開いた。
冷気が流れ出す。
リュカが息を飲んだ。
「開いた……」
「リュカが開けたのよ」
ベラが嬉しそうに言う。
リュカは少し照れた顔をした。
「でも、ベラがいてくれたから」
「そうね。じゃあ二人の手柄ってことで」
ボロンゴが短く鳴いた。
「ボロンゴもいるよ」
リュカが笑う。
俺は三人を見て、頷いた。
「行くぞ」
館の中は、床も壁も氷だった。
足を置くたび、靴底が滑る。
柱には霜が張りつき、天井からは細い氷柱が垂れている。
リュカはすぐに走ろうとはしなかった。
一歩ずつ足を置き、滑り方を確かめている。
ドワーフの洞窟で覚えたことが、ここでも生きている。
前だけを見るな。
足元を見ろ。
仲間を見ろ。
「床、すべるー」
「なら、どう歩く」
俺が聞くと、リュカは少し考えた。
「小さく歩く。あと、ボロンゴが先に走らないようにする」
「ガウ?」
「だって、ボロンゴが滑ったら、ぼくもびっくりするから」
ボロンゴは不満そうに鼻を鳴らしたが、リュカの横に戻った。
悪くない判断だ。
広間へ進むと、奥から笑い声が聞こえた。
「へえ。本当に来たんだ」
氷の柱の陰から、一人の少年が現れた。
ザイル。
妖精の村の子ども。
けれど、その目は子どもらしい無邪気さだけではない。
すねたような顔。
怒ったような声。
そして、どこか寂しそうな気配。
俺は名前を知っている。
前世の知識として。
だが、リュカたちにとっては初めて会う相手だ。
「春風のフルートを返して」
ベラが前へ出る。
「ポワンさまが困ってるの」
「知らないよ」
ザイルは口を尖らせた。
「春なんて来なくていい。冬のままでいいんだ」
「どうしてそんなこと言うの?」
リュカが聞く。
ザイルはリュカを見た。
「人間には関係ないだろ」
「関係あるよ」
リュカは一歩前へ出た。
「ベラが困ってる。ポワンさまも困ってる。だから、関係ある」
ザイルの顔が歪んだ。
「……いい子ぶるなよ」
氷の床に冷気が走る。
ザイルの背後で、白い影が揺れた。
まだ姿ははっきりしない。
だが、館の奥にいる。
雪の女王。
そして、さらにその上。
天井近くの氷の陰で、何かが動いた。
羽音。
小さい。
けれど、氷の軋む音でも、風が鳴る音でもない。
生き物の翼が、空気を打つ音だ。
ドワーフの洞窟で見た青い羽。
その主が、この館のどこかにいる。
リュカたちの前にはザイル。
奥には雪の女王。
そして、俺の視線の先には魔界の鳥の気配。
やはり、道は二つに分かれている。
表の戦いと、裏の戦い。
だが、今ここで俺が前に出れば、リュカの冒険を奪う。
ザイルはリュカが向き合う相手だ。
俺は剣の柄に手を置いたまま、動かなかった。
「リュカ」
「なに?」
「目の前の相手を見ろ。怒っているだけではない」
リュカはザイルを見た。
ベラも息を呑む。
ザイルは歯を食いしばり、氷の床を蹴った。
「うるさい!」
冷気が弾ける。
リュカはどうのつるぎを構えた。
ボロンゴが低く唸る。
ベラがリュカの横へ並んだ。
俺は一歩だけ下がる。
ここから先は、リュカたちの戦いだ。
だが、天井の奥でまた羽音がした。
青い鳥。
冷気。
魔界。
俺はそちらを見上げる。
リュカたちがザイルと向き合うなら。
俺は、俺にしか見えないものを見逃さない。