ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

32 / 65
第32話『ザイルの涙』

 ザイルが氷の床を蹴った。

 

 小さな身体が、滑るように走る。

 リュカは追おうとして、一歩目で足を取られた。

 

「っ!」

 

 転びかけたところを、ボロンゴが体を寄せて支える。

 リュカは踏みとどまった。

 

 ザイルが笑う。

 

「そんな歩き方じゃ、この館じゃ動けないよ」

 

 悔しそうに、リュカが唇を結ぶ。

 だが、すぐには飛び出さない。

 

 足元を見る。

 氷の床を見る。

 ザイルの動きを見る。

 

 いい。

 怒りに任せて追えば、足をすくわれる。

 

「リュカ!」

 

 ベラが上から声をかける。

 

「左の床、白く曇ってる。そこは滑りにくいわ!」

 

「うん!」

 

 リュカは白く曇った床へ足を置いた。

 今度は滑らない。

 

 ザイルが舌打ちする。

 

「余計なこと言うなよ!」

 

 氷の欠片が蹴り上げられ、リュカの顔へ飛ぶ。

 リュカは腕でかばった。

 

 その隙にザイルが横へ回る。

 だが、そこにはボロンゴがいた。

 

「ガウッ!」

 

 ボロンゴが低く唸り、ザイルの進路を塞ぐ。

 ザイルは慌てて止まった。

 

 リュカが踏み込む。

 どうのつるぎが、ザイルの足元の氷を削った。

 

 直接斬らない。

 滑る足場を崩した。

 

 ザイルの体勢が乱れる。

 

「今!」

 

 ベラの声が飛ぶ。

 

 リュカは剣を返し、ザイルの手元を打った。

 ザイルの握っていた小さな氷の刃が床に落ち、砕ける。

 

「くそっ!」

 

 ザイルは後ろへ跳んだ。

 だが、もう最初ほど余裕はない。

 

 リュカは剣を構えたまま、息を整えている。

 

「ザイル」

 

「なんだよ!」

 

「どうして春が嫌なの?」

 

 ザイルの顔が歪んだ。

 

「嫌いだからだよ!」

 

「どうして?」

 

「うるさい!」

 

 ザイルの声が、広間に響く。

 

「春になったって、何も変わらない!みんなポワンさまばっかり見てる!ぼくのことなんか、誰も見てない!」

 

 ベラが息を呑んだ。

 

「ザイル……」

 

「なのに、あの人は言ったんだ」

 

 ザイルの声が少し震える。

 

「冬のままならいいって。春なんか来なければ、みんな困るって。そうすれば、ぼくのことを見るって」

 

 あの人。

 

 その言葉で、館の奥の冷気が濃くなった。

 雪の女王だ。

 

 ザイルは悪意だけで動いているわけではない。

 寂しさを突かれた。

 そこに、手を差し伸べるふりをした者がいた。

 

 リュカは剣を少し下げた。

 

「それ、ほんとうにザイルの願いなの?」

 

「え……?」

 

「みんなが困ったら、ザイルは嬉しいの?」

 

 ザイルは答えない。

 唇を噛む。

 

 目に、涙が浮かんだ。

 

「ぼくは……」

 

 その瞬間。

 天井の奥で羽音がした。

 

 さっきより近い。

 氷柱の影を、大きな青い翼がかすめる。

 

 冷気が一本、矢のように落ちた。

 

 狙いはリュカではない。

 ザイルだ。

 

 俺は一歩踏み込んだ。

 剣を抜く。

 

 リュカたちの戦いには入らない。

 だが、これは別だ。

 

 魔界の鳥が、ザイルの迷いを消そうとしている。

 

 冷気の筋へ刃を入れる。

 

 一閃。

 

 氷の矢が砕け、白い霧になって散った。

 

 リュカが振り向く。

 

「おとうさん?」

 

「前を見ろ」

 

 俺は短く言った。

 

「ザイルを見ろ」

 

 リュカはすぐに向き直る。

 

 ザイルは床に座り込んでいた。

 自分が狙われたことにも気づかず、震えている。

 

「ぼくは……ただ……」

 

 涙が頬を伝った。

 

「ぼくのことも、見てほしかっただけなのに……」

 

 ベラがゆっくり近づく。

 

「ザイル」

 

「来るなよ……」

 

 声は弱かった。

 

 リュカが剣を鞘に戻す。

 

「春が来ても、ザイルのことを見るよ」

 

「嘘だ」

 

「嘘じゃない」

 

 リュカはまっすぐ言った。

 

「だって、今見てる」

 

 ザイルが顔を上げる。

 その目が、大きく揺れた。

 

 だが、その時。

 

 館の奥から、冷たい笑い声が響いた。

 

「役に立たない子ね」

 

 空気が凍る。

 白い影が、奥の扉の向こうからゆっくり現れる。

 

 美しい女の姿。

 だが、その目には温かさがない。

 

 雪の女王。

 

 ベラが身を固くした。

 

「あなたが、春風のフルートを……!」

 

 雪の女王は微笑んだ。

 

「春など要らないわ。妖精の村も、この子の心も、ずっと凍ったままでいい」

 

 ザイルが震える。

 

「ち、違う……ぼくは……」

 

「もういいのよ。あなたは十分、役に立ったわ」

 

 雪の女王の指先に、冷気が集まる。

 

 リュカがザイルの前に立った。

 ボロンゴが牙を剥く。

 ベラがリュカの横に並ぶ。

 

 俺は天井を見た。

 

 氷柱の影に、青い翼が広がっている。

 

 鋭いくちばし。

 凍える息。

 大きな青い鳥。

 

 間違いない。

 ホークブリザード。

 

 雪の女王の冷気に紛れて、魔界の鳥がこちらを見下ろしていた。

 

 表には雪の女王。

 裏にはホークブリザード。

 

 リュカたちは、ザイルを守るために前へ出る。

 

 なら。

 

 俺は、この館に紛れ込んだ魔界の牙を折る。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。