ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
ザイルが氷の床を蹴った。
小さな身体が、滑るように走る。
リュカは追おうとして、一歩目で足を取られた。
「っ!」
転びかけたところを、ボロンゴが体を寄せて支える。
リュカは踏みとどまった。
ザイルが笑う。
「そんな歩き方じゃ、この館じゃ動けないよ」
悔しそうに、リュカが唇を結ぶ。
だが、すぐには飛び出さない。
足元を見る。
氷の床を見る。
ザイルの動きを見る。
いい。
怒りに任せて追えば、足をすくわれる。
「リュカ!」
ベラが上から声をかける。
「左の床、白く曇ってる。そこは滑りにくいわ!」
「うん!」
リュカは白く曇った床へ足を置いた。
今度は滑らない。
ザイルが舌打ちする。
「余計なこと言うなよ!」
氷の欠片が蹴り上げられ、リュカの顔へ飛ぶ。
リュカは腕でかばった。
その隙にザイルが横へ回る。
だが、そこにはボロンゴがいた。
「ガウッ!」
ボロンゴが低く唸り、ザイルの進路を塞ぐ。
ザイルは慌てて止まった。
リュカが踏み込む。
どうのつるぎが、ザイルの足元の氷を削った。
直接斬らない。
滑る足場を崩した。
ザイルの体勢が乱れる。
「今!」
ベラの声が飛ぶ。
リュカは剣を返し、ザイルの手元を打った。
ザイルの握っていた小さな氷の刃が床に落ち、砕ける。
「くそっ!」
ザイルは後ろへ跳んだ。
だが、もう最初ほど余裕はない。
リュカは剣を構えたまま、息を整えている。
「ザイル」
「なんだよ!」
「どうして春が嫌なの?」
ザイルの顔が歪んだ。
「嫌いだからだよ!」
「どうして?」
「うるさい!」
ザイルの声が、広間に響く。
「春になったって、何も変わらない!みんなポワンさまばっかり見てる!ぼくのことなんか、誰も見てない!」
ベラが息を呑んだ。
「ザイル……」
「なのに、あの人は言ったんだ」
ザイルの声が少し震える。
「冬のままならいいって。春なんか来なければ、みんな困るって。そうすれば、ぼくのことを見るって」
あの人。
その言葉で、館の奥の冷気が濃くなった。
雪の女王だ。
ザイルは悪意だけで動いているわけではない。
寂しさを突かれた。
そこに、手を差し伸べるふりをした者がいた。
リュカは剣を少し下げた。
「それ、ほんとうにザイルの願いなの?」
「え……?」
「みんなが困ったら、ザイルは嬉しいの?」
ザイルは答えない。
唇を噛む。
目に、涙が浮かんだ。
「ぼくは……」
その瞬間。
天井の奥で羽音がした。
さっきより近い。
氷柱の影を、大きな青い翼がかすめる。
冷気が一本、矢のように落ちた。
狙いはリュカではない。
ザイルだ。
俺は一歩踏み込んだ。
剣を抜く。
リュカたちの戦いには入らない。
だが、これは別だ。
魔界の鳥が、ザイルの迷いを消そうとしている。
冷気の筋へ刃を入れる。
一閃。
氷の矢が砕け、白い霧になって散った。
リュカが振り向く。
「おとうさん?」
「前を見ろ」
俺は短く言った。
「ザイルを見ろ」
リュカはすぐに向き直る。
ザイルは床に座り込んでいた。
自分が狙われたことにも気づかず、震えている。
「ぼくは……ただ……」
涙が頬を伝った。
「ぼくのことも、見てほしかっただけなのに……」
ベラがゆっくり近づく。
「ザイル」
「来るなよ……」
声は弱かった。
リュカが剣を鞘に戻す。
「春が来ても、ザイルのことを見るよ」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
リュカはまっすぐ言った。
「だって、今見てる」
ザイルが顔を上げる。
その目が、大きく揺れた。
だが、その時。
館の奥から、冷たい笑い声が響いた。
「役に立たない子ね」
空気が凍る。
白い影が、奥の扉の向こうからゆっくり現れる。
美しい女の姿。
だが、その目には温かさがない。
雪の女王。
ベラが身を固くした。
「あなたが、春風のフルートを……!」
雪の女王は微笑んだ。
「春など要らないわ。妖精の村も、この子の心も、ずっと凍ったままでいい」
ザイルが震える。
「ち、違う……ぼくは……」
「もういいのよ。あなたは十分、役に立ったわ」
雪の女王の指先に、冷気が集まる。
リュカがザイルの前に立った。
ボロンゴが牙を剥く。
ベラがリュカの横に並ぶ。
俺は天井を見た。
氷柱の影に、青い翼が広がっている。
鋭いくちばし。
凍える息。
大きな青い鳥。
間違いない。
ホークブリザード。
雪の女王の冷気に紛れて、魔界の鳥がこちらを見下ろしていた。
表には雪の女王。
裏にはホークブリザード。
リュカたちは、ザイルを守るために前へ出る。
なら。
俺は、この館に紛れ込んだ魔界の牙を折る。