ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
ホークブリザードが床へ叩きつけられた音が、氷の館に響いた。
リュカが一瞬だけこちらを見る。
「おとうさん!」
「上は片づけた」
俺は剣を下ろしたまま言った。
「雪の女王は、お前たちの相手だ……やれるな?」
リュカは小さく頷き、すぐに向き直った。
その前には雪の女王。
背後には、震えながらも逃げないザイル。
横にはベラとボロンゴ。
もう、リュカは一人ではない。
雪の女王は、倒れたホークブリザードを一瞥した。
「魔界の鳥まで落とすなんて。人間にしてはやるのね」
その声にはまだ余裕があった。
だが、目は笑っていない。
雪の女王の指先が動く。
冷気が床を走った。
真っ直ぐリュカを狙ったものではない。
床を凍らせ、足を奪う冷気だ。
「リュカ、足元!」
ベラが叫ぶ。
リュカは踏み込もうとした足を止めた。
白く凍った床を避け、ザイルが教えた滑りにくい場所へ足を置く。
雪の女王の眉がわずかに動いた。
「その子の言葉を信じるの?」
「うん」
リュカは剣を構えた。
「ザイルは、もう嘘をついてない」
ザイルの肩が震えた。
雪の女王が笑う。
「甘い子ね。だから凍るのよ」
冷気が柱を伝い、広間の奥へ広がる。
そこに、氷で閉ざされた台座があった。
ザイルが指を伸ばす。
「フルートは、あそこだ!」
ベラが顔を上げた。
「あれが……!」
氷の中に、小さな笛が見える。
春風のフルート。
だが、雪の女王がその前に立ちはだかった。
「渡さないわ。春など、この村には必要ない」
「必要ある!」
ベラが前へ出た。
「みんな待ってるの。ポワンさまも、村のみんなも。春が来るのを待ってるの!」
「なら、待ち続ければいいわ。永遠に」
雪の女王の手から、細い冷気の刃が放たれた。
狙いはベラ。
リュカが動く。
「ベラ!」
どうのつるぎが冷気の刃を受ける。
受けきれない。
刃は剣を伝い、リュカの腕を白く凍らせた。
「っ……!」
リュカの足が止まる。
雪の女王がそこへ冷気を重ねようとした。
だが、ボロンゴが飛び込む。
「ガウッ!」
牙が雪の女王の衣を引き裂いた。
雪の女王が顔を歪め、ボロンゴを払う。
ボロンゴは床を滑って転がったが、すぐに爪を立てて起き上がる。
「ボロンゴ!」
「大丈夫。まだ動ける!」
リュカは凍りついた腕を振った。
完全には動かない。
だが、剣は落としていない。
ベラがリュカの横に並ぶ。
「リュカ、無理に受けないで。私が前を焼くわ」
「うん。じゃあ、ぼくは横から行く」
リュカが即答した。
いい判断だ。
正面から押すだけでは通らない。
リュカはもう、それを分かっている。
「ギラ!」
ベラの炎が床を走った。
雪の女王の足元の氷が溶ける。
滑る床が、逆に崩れる。
雪の女王の姿勢がわずかに乱れた。
「ボロンゴ、左!」
ボロンゴが左へ走る。
雪の女王の視線がそちらへ向いた。
その瞬間、リュカは右から踏み込んだ。
どうのつるぎが、雪の女王の腕を斬る。
浅い。
だが、確かに届いた。
「人間の子供風情が……!」
雪の女王の声が低くなる。
広間の冷気が一気に濃くなった。
柱も床も壁も、白く鳴る。
リュカの息が白くなる。
ベラの羽に霜がつく。
ボロンゴの足元が凍る。
まずい。
冷気が強すぎる。
俺は一歩踏み出しかけた。
だが、その前にザイルが叫んだ。
「リュカ!奥の柱を使って!」
「柱?」
「女王の冷気は真っ直ぐ来る!柱の影なら、少しだけ弱い!」
リュカは頷いた。
「分かった!」
リュカは正面から走らない。
柱の影へ入り、冷気を避けながら距離を詰める。
ボロンゴも低く走り、別の柱の影へ回る。
ベラは上から炎を落とし、雪の女王の視線を散らした。
ザイルは震えながら、床を指し続ける。
「そこは滑る!左!その白いところ!」
「うん!」
リュカの動きが変わった。
ただ戦うのではない。
ベラを見る。
ボロンゴを見る。
ザイルの声を聞く。
そして、自分で進む場所を選ぶ。
雪の女王の顔から、余裕が消えていく。
「どうして……どうして凍らないの」
「一人じゃないから!」
リュカが叫んだ。
「ベラがいる。ボロンゴがいる。ザイルも教えてくれる!」
その言葉に、ザイルが目を見開いた。
「ぼくも……?」
「うん!皆が一緒にいてくれる!皆が一緒に戦ってくれる!」
リュカは雪の女王を見据えた。
「だから、負けない!」
ベラが台座へ向かって飛ぶ。
雪の女王が即座に反応した。
「触らせない!」
冷気の刃が、ベラへ向かう。
「させない!」
リュカが滑る床を蹴った。
今度は滑ったのではない。
自分から滑った。
低く、速く。
冷気の刃とベラの間へ割り込む。
剣で受けない。
刃の横を叩き、軌道をずらした。
冷気が柱に刺さり、白く砕ける。
「ベラ!」
「任せて!」
ベラが台座に手をかざす。
「ギラ!」
炎が氷を焼く。
分厚い封印が、じわじわと溶けていく。
雪の女王が怒りの声を上げた。
「やめなさい!」
床全体から冷気が吹き上がる。
リュカの足が凍りつきかける。
ボロンゴが飛びかかるが、冷気に弾かれる。
ベラの炎も弱まる。
その時、ザイルが走った。
「ザイル!」
リュカが叫ぶ。
ザイルは雪の女王へ向かっていた。
手には、小さな氷の欠片。
武器にもならない。
それでも、ザイルは投げた。
氷の欠片は雪の女王の頬に当たり、砕ける。
傷にはならない。
だが、雪の女王の動きが止まった。
「あなた……」
ザイルは震えていた。
けれど、逃げなかった。
「ぼくは、もう冬のままでいいなんて言わない!」
雪の女王の目が冷たく光る。
「なら、あなたから凍りなさい」
冷気がザイルへ向かう。
リュカが動いた。
ボロンゴも動いた。
ベラも振り向いた。
「リュカ!」
「間に合う!」
リュカは床を滑り、ザイルの前へ入った。
剣を構える。
今度は一人では受けない。
ボロンゴが横から冷気の流れに体をぶつける。
ベラのギラが逆側から走る。
冷気の刃が三つに割れ、リュカの頬をかすめて消えた。
リュカは息を吐く。
そして、踏み込んだ。
「今だ、リュカ!」
ザイルの声。
「ギラ!」
ベラの炎。
「ガウッ!」
ボロンゴの唸り。
すべてが重なった一瞬。
リュカのどうのつるぎが、雪の女王の中心を斬った。
白い身体に、亀裂が走る。
「春など……来なければ……」
雪の女王の声が揺れる。
リュカは剣を引いた。
「春は来るよ」
ベラが台座から春風のフルートを取り上げる。
氷の封印が砕け散った。
「ポワンさまに、返すんだから!」
雪の女王の身体が崩れ始める。
指先から、衣から、髪から。
白い氷の粒になっていく。
「人間の子……妖精……裏切り者……」
その言葉を最後に、雪の女王は砕けた。
冷気が弾ける。
広間を覆っていた重い冬が、音もなく薄れていく。
静かだった。
しばらく、誰も動けなかった。
ベラは春風のフルートを抱きしめている。
リュカは肩で息をしている。
ボロンゴはリュカの横で、まだ雪の女王がいた場所を睨んでいる。
ザイルは床に座り込んだ。
ぽろぽろと涙が落ちる。
「ぼく……ごめん……」
ベラがゆっくり近づいた。
ザイルは顔を上げられない。
「ごめん……ごめんなさい……」
リュカは剣を下ろし、ザイルの前にしゃがんだ。
「ちゃんと謝ろう。ポワンさまにも、みんなにも」
ザイルは泣きながら頷いた。
「うん……」
俺は倒れたホークブリザードの方を見る。
青い羽は、冷気と一緒に薄れていた。
雪の女王は倒れた。
春風のフルートも取り戻した。
だが、胸の奥に残る嫌な感覚は消えない。
魔界の鳥は、なぜここにいたのか。
春風のフルートに引き寄せられたのか。
ゴールドオーブの気配を追ってきたのか。
それとも。
原作とは違う道を進み始めた俺に、世界そのものが反応し始めているのか。
答えはまだ出ない。
だが、ひとつだけ分かる。
これで終わりではない。
春は戻る。
けれど、俺の前にある道は、もう俺の知っている物語ではなくなり始めていた。