ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
氷の館を出る頃には、空の雪が少し弱まっていた。
まだ白い。
まだ寒い。
けれど、さっきまでのように、肌の奥まで刺さる冷たさではない。
雪の女王は倒れた。
ホークブリザードも消えた。
ベラの腕には、春風のフルートがある。
リュカはその横を歩いていた。
ボロンゴも、いつもより少しだけ静かだ。
ザイルは、一番後ろを歩いている。
何度も何度も、口を開きかけては閉じていた。
「ザイル」
リュカが振り返った。
ザイルはびくりと肩を跳ねさせる。
「な、なんだよ」
「歩ける?」
「……歩けるよ」
「そっか」
リュカはそれ以上、責めなかった。
それが、かえってザイルには堪えたらしい。
ザイルはうつむいたまま、小さく言った。
「なんで、怒らないんだよ」
「怒ってるよ」
リュカは素直に答えた。
ザイルが顔を上げる。
「え?」
「だって、ベラもポワンさまも困ってた。村のみんなも寒そうだった。だから、怒ってる」
「じゃあ、なんで……」
「でも、ザイルも泣いてたから」
リュカは少し考えてから続けた。
「怒るだけじゃ、だめだと思った」
ザイルは何も言えなくなった。
ベラが春風のフルートを抱きしめたまま、ふっと息を吐く。
「リュカって、たまにすごく大人みたいなこと言うわよね」
「そう?」
「そうよ」
俺は黙って歩きながら、その背中を見ていた。
リュカはまだ子どもだ。
剣の振り方も危なっかしい。
判断も、何度も迷う。
それでも、確かに進んでいる。
レヌール城で震えていた子どもが、今は誰かの涙を見て、立ち止まれるようになっている。
俺が全部倒すだけでは、こうはならない。
氷の館で、それがまた一つ分かった。
妖精の村へ戻ると、村人たちがこちらを見た。
ベラの腕にあるフルートを見て、ざわめきが広がる。
「ベラ!」
「春風のフルートだ!」
「本当に取り戻したのか!」
ベラは少しだけ胸を張った。
「リュカたちが手伝ってくれたのよ」
それから、ちらりと俺を見る。
「もちろん、パパスさんもね」
いや、そこで俺を見るな。
推しに名前を呼ばれるのは非常にまずい。
顔には出すな。
俺はパパス。
今の俺は、威厳ある父親。
ベラたん最高とか思ってはいけない。
思っているが。
ポワンの元へ向かうと、ポワンは静かに待っていた。
春風のフルートを見た瞬間、その表情がやわらぐ。
「戻りましたか」
「はい!」
ベラがフルートを差し出す。
「リュカと、ボロンゴと、パパスさんが手伝ってくれました」
ポワンはリュカを見る。
「ありがとうございます、小さな勇者さん」
リュカは慌てて首を振った。
「ぼく一人じゃありません。ベラも、ボロンゴも、ザイルも……」
その名前が出た瞬間、部屋の空気が少し止まった。
ザイルは入り口の近くで、縮こまっている。
ポワンは、責めるような顔をしなかった。
「ザイル」
「……はい」
ザイルは震える声で返事をした。
「ごめんなさい」
それだけ言って、深く頭を下げる。
「ぼく、春なんか来なければいいって思った。みんな困れば、ぼくのことを見るって思った。でも、本当は……」
声が詰まる。
「本当は、そんなことしたかったんじゃない」
ポワンは静かに聞いていた。
「分かっています」
その声は優しかった。
「けれど、したことが消えるわけではありません」
ザイルの肩が揺れる。
「はい……」
「なら、これから返していきなさい。春を待っていた村の皆に。ベラに。そして、あなた自身に」
ザイルは泣きながら頷いた。
「はい……」
リュカは少し安心したように息を吐いた。
ボロンゴがその足元で鼻を鳴らす。
ポワンは春風のフルートを手に取り、村の中央へ出た。
妖精たちが集まる。
雪が降る中、ポワンは静かにフルートを構えた。
音が響く。
澄んだ音だった。
細く、優しく、それでいて確かに空へ届く音。
雪が止まった。
白い雲の向こうから、淡い光が差し込む。
凍っていた枝の先から、水滴が落ちる。
一つ。
また一つ。
村のあちこちで、氷が溶けていく音がした。
リュカが目を輝かせる。
「すごい……」
ベラが笑った。
「これが、春風のフルートよ」
花が咲いた。
小さな花だ。
けれど、その色は雪の白の中で、ひどく鮮やかに見えた。
妖精たちが歓声を上げる。
ザイルはその光景を見ながら、また泣いていた。
今度の涙は、さっきまでのものとは違うように見えた。
俺は空を見上げる。
春が戻る。
原作通りなら、これで妖精の村の事件は終わる。
だが、俺の胸の奥には、まだ氷の欠片のような違和感が残っていた。
ホークブリザード。
魔界の鳥。
あれは、ただの偶然ではない。
ポワンが、俺の隣へ来た。
「パパスさん」
「はい」
「あなたも気づいていますね」
俺は答えなかった。
ポワンは村に戻った春を見つめたまま、静かに言う。
「冬は終わりました。けれど、別の冷たさが、この世界の外から触れています」
「魔界ですか」
「それだけではありません」
ポワンの声が、少し低くなる。
「あなたが変えようとしている流れ。その揺らぎに、何かが気づき始めています」
俺はリュカを見る。
リュカはベラと一緒に、咲いた花を見て笑っていた。
守りたい。
その気持ちは、もう自己防衛だけではない。
ポワンは続けた。
「春は戻りました。ですが、あなたの道は、ここからさらに定められた流れから外れていくでしょう」
俺は小さく息を吐いた。
「分かっています」
もう、分かっている。
俺が一つ変えれば、世界もまた変わる。
悲劇を一つ壊せば、別の形で何かが迫る。
それでも。
リュカがこちらを振り返った。
「おとうさん!花が咲いたよ!」
「ああ」
俺は頷いた。
「きれいだな」
リュカは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、俺は改めて思う。
たとえ原作から外れても。
たとえ、この先に知らない運命が待っていても。
この笑顔を守るためなら、俺は進む。
春風が、妖精の村を包んでいた。