ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

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第35話『春を呼ぶ音』

 氷の館を出る頃には、空の雪が少し弱まっていた。

 

 まだ白い。

 

 まだ寒い。

 

 けれど、さっきまでのように、肌の奥まで刺さる冷たさではない。

 

 雪の女王は倒れた。

 

 ホークブリザードも消えた。

 

 ベラの腕には、春風のフルートがある。

 

 リュカはその横を歩いていた。

 

 ボロンゴも、いつもより少しだけ静かだ。

 

 ザイルは、一番後ろを歩いている。

 

 何度も何度も、口を開きかけては閉じていた。

 

「ザイル」

 

 リュカが振り返った。

 

 ザイルはびくりと肩を跳ねさせる。

 

「な、なんだよ」

 

「歩ける?」

 

「……歩けるよ」

 

「そっか」

 

 リュカはそれ以上、責めなかった。

 

 それが、かえってザイルには堪えたらしい。

 

 ザイルはうつむいたまま、小さく言った。

 

「なんで、怒らないんだよ」

 

「怒ってるよ」

 

 リュカは素直に答えた。

 

 ザイルが顔を上げる。

 

「え?」

 

「だって、ベラもポワンさまも困ってた。村のみんなも寒そうだった。だから、怒ってる」

 

「じゃあ、なんで……」

 

「でも、ザイルも泣いてたから」

 

 リュカは少し考えてから続けた。

 

「怒るだけじゃ、だめだと思った」

 

 ザイルは何も言えなくなった。

 

 ベラが春風のフルートを抱きしめたまま、ふっと息を吐く。

 

「リュカって、たまにすごく大人みたいなこと言うわよね」

 

「そう?」

 

「そうよ」

 

 俺は黙って歩きながら、その背中を見ていた。

 

 リュカはまだ子どもだ。

 

 剣の振り方も危なっかしい。

 

 判断も、何度も迷う。

 

 それでも、確かに進んでいる。

 

 レヌール城で震えていた子どもが、今は誰かの涙を見て、立ち止まれるようになっている。

 

 俺が全部倒すだけでは、こうはならない。

 

 氷の館で、それがまた一つ分かった。

 

 妖精の村へ戻ると、村人たちがこちらを見た。

 

 ベラの腕にあるフルートを見て、ざわめきが広がる。

 

「ベラ!」

 

「春風のフルートだ!」

 

「本当に取り戻したのか!」

 

 ベラは少しだけ胸を張った。

 

「リュカたちが手伝ってくれたのよ」

 

 それから、ちらりと俺を見る。

 

「もちろん、パパスさんもね」

 

 いや、そこで俺を見るな。

 

 推しに名前を呼ばれるのは非常にまずい。

 

 顔には出すな。

 

 俺はパパス。

 

 今の俺は、威厳ある父親。

 

 ベラたん最高とか思ってはいけない。

 

 思っているが。

 

 ポワンの元へ向かうと、ポワンは静かに待っていた。

 

 春風のフルートを見た瞬間、その表情がやわらぐ。

 

「戻りましたか」

 

「はい!」

 

 ベラがフルートを差し出す。

 

「リュカと、ボロンゴと、パパスさんが手伝ってくれました」

 

 ポワンはリュカを見る。

 

「ありがとうございます、小さな勇者さん」

 

 リュカは慌てて首を振った。

 

「ぼく一人じゃありません。ベラも、ボロンゴも、ザイルも……」

 

 その名前が出た瞬間、部屋の空気が少し止まった。

 

 ザイルは入り口の近くで、縮こまっている。

 

 ポワンは、責めるような顔をしなかった。

 

「ザイル」

 

「……はい」

 

 ザイルは震える声で返事をした。

 

「ごめんなさい」

 

 それだけ言って、深く頭を下げる。

 

「ぼく、春なんか来なければいいって思った。みんな困れば、ぼくのことを見るって思った。でも、本当は……」

 

 声が詰まる。

 

「本当は、そんなことしたかったんじゃない」

 

 ポワンは静かに聞いていた。

 

「分かっています」

 

 その声は優しかった。

 

「けれど、したことが消えるわけではありません」

 

 ザイルの肩が揺れる。

 

「はい……」

 

「なら、これから返していきなさい。春を待っていた村の皆に。ベラに。そして、あなた自身に」

 

 ザイルは泣きながら頷いた。

 

「はい……」

 

 リュカは少し安心したように息を吐いた。

 

 ボロンゴがその足元で鼻を鳴らす。

 

 ポワンは春風のフルートを手に取り、村の中央へ出た。

 

 妖精たちが集まる。

 

 雪が降る中、ポワンは静かにフルートを構えた。

 

 音が響く。

 

 澄んだ音だった。

 

 細く、優しく、それでいて確かに空へ届く音。

 

 雪が止まった。

 

 白い雲の向こうから、淡い光が差し込む。

 

 凍っていた枝の先から、水滴が落ちる。

 

 一つ。

 

 また一つ。

 

 村のあちこちで、氷が溶けていく音がした。

 

 リュカが目を輝かせる。

 

「すごい……」

 

 ベラが笑った。

 

「これが、春風のフルートよ」

 

 花が咲いた。

 

 小さな花だ。

 

 けれど、その色は雪の白の中で、ひどく鮮やかに見えた。

 

 妖精たちが歓声を上げる。

 

 ザイルはその光景を見ながら、また泣いていた。

 

 今度の涙は、さっきまでのものとは違うように見えた。

 

 俺は空を見上げる。

 

 春が戻る。

 

 原作通りなら、これで妖精の村の事件は終わる。

 

 だが、俺の胸の奥には、まだ氷の欠片のような違和感が残っていた。

 

 ホークブリザード。

 

 魔界の鳥。

 

 あれは、ただの偶然ではない。

 

 ポワンが、俺の隣へ来た。

 

「パパスさん」

 

「はい」

 

「あなたも気づいていますね」

 

 俺は答えなかった。

 

 ポワンは村に戻った春を見つめたまま、静かに言う。

 

「冬は終わりました。けれど、別の冷たさが、この世界の外から触れています」

 

「魔界ですか」

 

「それだけではありません」

 

 ポワンの声が、少し低くなる。

 

「あなたが変えようとしている流れ。その揺らぎに、何かが気づき始めています」

 

 俺はリュカを見る。

 

 リュカはベラと一緒に、咲いた花を見て笑っていた。

 

 守りたい。

 

 その気持ちは、もう自己防衛だけではない。

 

 ポワンは続けた。

 

「春は戻りました。ですが、あなたの道は、ここからさらに定められた流れから外れていくでしょう」

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

「分かっています」

 

 もう、分かっている。

 

 俺が一つ変えれば、世界もまた変わる。

 

 悲劇を一つ壊せば、別の形で何かが迫る。

 

 それでも。

 

 リュカがこちらを振り返った。

 

「おとうさん!花が咲いたよ!」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「きれいだな」

 

 リュカは嬉しそうに笑った。

 

 その笑顔を見て、俺は改めて思う。

 

 たとえ原作から外れても。

 

 たとえ、この先に知らない運命が待っていても。

 

 この笑顔を守るためなら、俺は進む。

 

 春風が、妖精の村を包んでいた。

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