ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

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第39話『父の帰還』

 ルーラの光が消えた時、俺はサンタローズの家の前に立っていた。

 足元が、わずかに揺れる。

 思っていた以上に、身体へ負担が残っていた。

 

 未来のリュカのバギクロス。

 そして、それを斬ったしんくう斬り。

 

 勝ったわけではない。

 叩き伏せたわけでもない。

 だが、未来は変えられると、あの青年に示すことはできた。

 

 その代償として、身体中が痛い。

 肩当ての縁には細かな傷が走り、剥き出しの腕からは血が滲んでいる。

 頬にも浅い切り傷があり、腰布の端も風に裂かれて乱れていた。

 

 この姿で帰ったら、サンチョが大騒ぎする。

 

 分かってはいた。

 分かってはいたが、今さらどうしようもない。

 

 俺が扉を開けると、最初に声を上げたのはサンチョだった。

 

「だ、旦那さま!?」

 

 サンチョの顔から血の気が引いた。

 手に持っていた布巾が、床へ落ちる。

 

「そのお姿は……! いったい何があったのでございますか!」

 

「少し、戦った」

 

「少しでそのようなお怪我になりますか!」

 

 もっともだ。

 

 俺が返事に困っていると、奥から小さな足音が聞こえた。

 リュカだ。

 

「おとうさん?」

 

 リュカは俺を見るなり、目を大きく開いた。

 次の瞬間には、顔を真っ青にして駆け寄ってくる。

 ボロンゴもその後ろから飛び出し、俺の足元で低く鳴いた。

 

「おとうさん! けがしてる!」

 

「ああ。少しな」

 

「少しじゃないよ!」

 

 リュカの声が震えていた。

 小さな手が、血の滲む腕へ伸びかけて、途中で止まる。

 触ったら痛いかもしれないと思ったのだろう。

 

「血が出てる……」

 

「大丈夫だ」

 

「大丈夫じゃない!」

 

 リュカは今にも泣きそうな顔で、俺の腕に両手をかざした。

 

「ホ、ホイミ!」

 

 淡い光が俺の腕を包んだ。

 傷の痛みが、ほんの少し和らぐ。

 

「リュカ、落ち着け」

 

「まだ血が出てる!」

 

 リュカは涙目のまま、もう一度手をかざす。

 

「ホイミ!」

 

 小さな光が瞬いた。

 大きな傷を完全に塞ぐほどではない。

 だが、その光には、リュカの必死な気持ちが込められていた。

 

「坊っちゃん、あまり無理をなさっては……!」

 

「でも、おとうさんが!」

 

 サンチョが慌てて止めようとする。

 だが、リュカは首を振り、さらに俺の傷へ手をかざした。

 

「ホイミ! ホイミ!」

 

「リュカ」

 

「ホイミ!」

 

 声が震えている。

 それでも、リュカはやめようとしなかった。

 父を助けたい。

 ただその思いだけで、小さな身体から魔力を絞り出している。

 

 ボロンゴも不安そうに鼻を鳴らし、俺の足へ頭を擦り寄せてきた。

 

 俺は膝をつき、リュカの頭へ手を置いた。

 

「もう大丈夫だ」

 

「でも……」

 

「リュカが治してくれた」

 

 リュカの目に、涙がいっぱいに溜まる。

 

「ほんと?」

 

「ああ。助かった」

 

 その言葉を聞いた瞬間、リュカはようやく息を吐いた。

 けれど、俺の服を掴む手は離れない。

 

「おとうさん、どこか行っちゃうかと思った」

 

 胸の奥が痛んだ。

 

 未来のリュカも、きっとこうだったのだ。

 父が倒れたあの日、幼い手で届かないものを掴もうとしたのだ。

 助けたくても助けられず、その痛みを大人になるまで抱え続けたのだ。

 

 この小さな手に、そんなものを背負わせてはいけない。

 

「どこにも行かない」

 

 俺は、リュカの目を見て言った。

 

「父さんは、お前のところへ帰ってくる」

 

「……うん」

 

 リュカは何度も頷いた。

 涙をこぼさないように、必死に堪えている。

 

 サンチョが薬箱を持って駆け寄ってくる。

 

「坊っちゃん、旦那さまを椅子へ。急いで手当てをいたしますぞ」

 

「う、うん!」

 

 リュカは俺の手を引こうとした。

 幼い手では、俺の身体を支えるには小さすぎる。

 それでも、必死だった。

 

 俺はその手に従い、椅子へ腰を下ろした。

 サンチョが傷を確かめ、顔をしかめる。

 

「これは……刃物ではございませんね」

 

「風だ」

 

「風でございますか!?」

 

「説明すると長い」

 

「長くても、あとで必ず伺いますからな!」

 

 サンチョはそう言いながらも、手際よく傷を拭いていく。

 普段は慌てがちな男だが、こういう時の動きは早い。

 リュカは薬箱の横でおろおろしながら、布や薬を差し出していた。

 

「サンチョ、これ?」

 

「はい、坊っちゃん。そちらを旦那さまに」

 

「うん」

 

 リュカが小さな布を持ってくる。

 俺が受け取ろうとすると、リュカは首を振った。

 

「ぼくがやる」

 

「そうか」

 

 リュカは緊張した顔で、俺の腕の傷へ布を当てた。

 力加減が分からないのか、少し震えている。

 

「痛い?」

 

「大丈夫だ」

 

「ほんと?」

 

「ああ」

 

 リュカは慎重に血を拭いた。

 その真剣な横顔を見て、俺は胸の中で静かに息を吐く。

 

 この子を、あの未来へ行かせるわけにはいかない。

 

 父を失い、十年を奪われ、石にされた妻を救うために未来から戻ってきた青年。

 あのリュカの涙を、俺は見た。

 あの痛みを、知ってしまった。

 

 ならば、もう知らなかった頃には戻れない。

 

 俺はこの幼いリュカを守る。

 同時に、あの未来のリュカが大切にしていたものも守る。

 

 妻も。

 子どもたちも。

 仲間も。

 あいつが背負ってきた人生も。

 

 すべてを、運命の都合で切り捨てさせない。

 

「旦那さま」

 

 サンチョの声で我に返る。

 

「お顔が怖うございます」

 

「そうか」

 

「坊っちゃんが心配なさいます」

 

 見ると、リュカが俺をじっと見ていた。

 怪我そのものより、俺の表情を気にしている。

 

「おとうさん、まだ痛い?」

 

「いや」

 

 俺は少しだけ表情を緩めた。

 

「リュカがホイミをかけてくれたからな」

 

 リュカの顔に、ほんの少しだけ安堵が戻る。

 

「ほんと?」

 

「ああ。かなり楽になった」

 

「よかった……」

 

 その声を聞いて、改めて思う。

 

 守るだけでは足りない。

 今のままでは、まだ足りない。

 

 未来のリュカは強かった。

 本気で放たれたバギクロスを斬ることで、俺はようやく一つ先へ進めた。

 しんくう斬り。

 あの技は、これまで剣に魔力を通し続けてきた練習が実を結んだものだ。

 

 だが、そこで満足している場合ではない。

 

 ゲマは、今日向き合った未来のリュカよりもなお厄介だ。

 単純な力だけの話ではない。

 卑劣さ。

 人質を使う冷酷さ。

 こちらの心を折るやり方。

 

 あの場で勝つには、ただ強いだけでは足りない。

 

 ゲマが仕掛ける前に動く力。

 リュカもヘンリーも守り切る判断。

 奴の呪文も、罠も、悪意も、正面から斬り開く剣。

 

 もっと必要だ。

 

 もっと修行しなければならない。

 

 俺は手当てを終えた腕を握った。

 痛みは残っている。

 だが、その痛みが逆に意識をはっきりさせた。

 

「サンチョ」

 

「はい、旦那さま」

 

「明日から、少し鍛え直す」

 

 サンチョの顔が引きつった。

 

「そのお怪我で、でございますか?」

 

「今日は休む」

 

「今日は、でございますか!?」

 

「明日からだ」

 

 サンチョは頭を抱えた。

 

「坊っちゃんからも何か言ってくださいませ!」

 

 リュカは俺を見上げた。

 まだ不安そうな顔をしている。

 

「おとうさん、またけがするの?」

 

「しないように強くなる」

 

「ほんと?」

 

「ああ」

 

 俺はリュカの頭を撫でた。

 

「お前を守るためだ」

 

 リュカは少しだけ黙った。

 それから、小さく頷く。

 

「じゃあ、ぼくも強くなる」

 

「リュカ?」

 

「おとうさんだけがけがするの、いやだ」

 

 その言葉に、サンチョが息を呑んだ。

 俺も一瞬、返す言葉を失った。

 

 幼いリュカは、未来のことを知らない。

 父が死ぬ運命も、奴隷として奪われる十年も知らない。

 それでも、この子はもう、自分だけ守られるつもりではないのだ。

 

 俺は静かに頷いた。

 

「分かった」

 

「いいの?」

 

「ああ。ただし、無茶はさせない」

 

「うん!」

 

 リュカの顔に、ようやく少しだけ笑みが戻った。

 ボロンゴも安心したように喉を鳴らし、リュカの横へ座り込む。

 

 俺はその笑顔を見ながら、胸の奥で誓う。

 

 この笑顔を守る。

 

 未来から来た青年の涙も、無駄にはしない。

 

 あのリュカが戻った先を、少しでも良い未来に変える。

 そのためにも、俺は強くならなければならない。

 

 しんくう斬りは、始まりだ。

 

 ゲマを倒すには、まだ足りない。

 

 運命を斬るには、もっと先へ進まなければならない。

 

 俺は窓の外を見た。

 サンタローズの空は穏やかだった。

 だが、その穏やかさの向こうで、確かに流れが変わり始めている。

 

 次に動く時、運命はまた別の形で牙を剥くだろう。

 

 それでも構わない。

 

 俺はパパスとして、ここにいる。

 

 リュカの父として。

 

 未来のリュカに約束した男として。

 

 必ず、守り抜く。

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