ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
ルーラの光が消えた時、俺はサンタローズの家の前に立っていた。
足元が、わずかに揺れる。
思っていた以上に、身体へ負担が残っていた。
未来のリュカのバギクロス。
そして、それを斬ったしんくう斬り。
勝ったわけではない。
叩き伏せたわけでもない。
だが、未来は変えられると、あの青年に示すことはできた。
その代償として、身体中が痛い。
肩当ての縁には細かな傷が走り、剥き出しの腕からは血が滲んでいる。
頬にも浅い切り傷があり、腰布の端も風に裂かれて乱れていた。
この姿で帰ったら、サンチョが大騒ぎする。
分かってはいた。
分かってはいたが、今さらどうしようもない。
俺が扉を開けると、最初に声を上げたのはサンチョだった。
「だ、旦那さま!?」
サンチョの顔から血の気が引いた。
手に持っていた布巾が、床へ落ちる。
「そのお姿は……! いったい何があったのでございますか!」
「少し、戦った」
「少しでそのようなお怪我になりますか!」
もっともだ。
俺が返事に困っていると、奥から小さな足音が聞こえた。
リュカだ。
「おとうさん?」
リュカは俺を見るなり、目を大きく開いた。
次の瞬間には、顔を真っ青にして駆け寄ってくる。
ボロンゴもその後ろから飛び出し、俺の足元で低く鳴いた。
「おとうさん! けがしてる!」
「ああ。少しな」
「少しじゃないよ!」
リュカの声が震えていた。
小さな手が、血の滲む腕へ伸びかけて、途中で止まる。
触ったら痛いかもしれないと思ったのだろう。
「血が出てる……」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃない!」
リュカは今にも泣きそうな顔で、俺の腕に両手をかざした。
「ホ、ホイミ!」
淡い光が俺の腕を包んだ。
傷の痛みが、ほんの少し和らぐ。
「リュカ、落ち着け」
「まだ血が出てる!」
リュカは涙目のまま、もう一度手をかざす。
「ホイミ!」
小さな光が瞬いた。
大きな傷を完全に塞ぐほどではない。
だが、その光には、リュカの必死な気持ちが込められていた。
「坊っちゃん、あまり無理をなさっては……!」
「でも、おとうさんが!」
サンチョが慌てて止めようとする。
だが、リュカは首を振り、さらに俺の傷へ手をかざした。
「ホイミ! ホイミ!」
「リュカ」
「ホイミ!」
声が震えている。
それでも、リュカはやめようとしなかった。
父を助けたい。
ただその思いだけで、小さな身体から魔力を絞り出している。
ボロンゴも不安そうに鼻を鳴らし、俺の足へ頭を擦り寄せてきた。
俺は膝をつき、リュカの頭へ手を置いた。
「もう大丈夫だ」
「でも……」
「リュカが治してくれた」
リュカの目に、涙がいっぱいに溜まる。
「ほんと?」
「ああ。助かった」
その言葉を聞いた瞬間、リュカはようやく息を吐いた。
けれど、俺の服を掴む手は離れない。
「おとうさん、どこか行っちゃうかと思った」
胸の奥が痛んだ。
未来のリュカも、きっとこうだったのだ。
父が倒れたあの日、幼い手で届かないものを掴もうとしたのだ。
助けたくても助けられず、その痛みを大人になるまで抱え続けたのだ。
この小さな手に、そんなものを背負わせてはいけない。
「どこにも行かない」
俺は、リュカの目を見て言った。
「父さんは、お前のところへ帰ってくる」
「……うん」
リュカは何度も頷いた。
涙をこぼさないように、必死に堪えている。
サンチョが薬箱を持って駆け寄ってくる。
「坊っちゃん、旦那さまを椅子へ。急いで手当てをいたしますぞ」
「う、うん!」
リュカは俺の手を引こうとした。
幼い手では、俺の身体を支えるには小さすぎる。
それでも、必死だった。
俺はその手に従い、椅子へ腰を下ろした。
サンチョが傷を確かめ、顔をしかめる。
「これは……刃物ではございませんね」
「風だ」
「風でございますか!?」
「説明すると長い」
「長くても、あとで必ず伺いますからな!」
サンチョはそう言いながらも、手際よく傷を拭いていく。
普段は慌てがちな男だが、こういう時の動きは早い。
リュカは薬箱の横でおろおろしながら、布や薬を差し出していた。
「サンチョ、これ?」
「はい、坊っちゃん。そちらを旦那さまに」
「うん」
リュカが小さな布を持ってくる。
俺が受け取ろうとすると、リュカは首を振った。
「ぼくがやる」
「そうか」
リュカは緊張した顔で、俺の腕の傷へ布を当てた。
力加減が分からないのか、少し震えている。
「痛い?」
「大丈夫だ」
「ほんと?」
「ああ」
リュカは慎重に血を拭いた。
その真剣な横顔を見て、俺は胸の中で静かに息を吐く。
この子を、あの未来へ行かせるわけにはいかない。
父を失い、十年を奪われ、石にされた妻を救うために未来から戻ってきた青年。
あのリュカの涙を、俺は見た。
あの痛みを、知ってしまった。
ならば、もう知らなかった頃には戻れない。
俺はこの幼いリュカを守る。
同時に、あの未来のリュカが大切にしていたものも守る。
妻も。
子どもたちも。
仲間も。
あいつが背負ってきた人生も。
すべてを、運命の都合で切り捨てさせない。
「旦那さま」
サンチョの声で我に返る。
「お顔が怖うございます」
「そうか」
「坊っちゃんが心配なさいます」
見ると、リュカが俺をじっと見ていた。
怪我そのものより、俺の表情を気にしている。
「おとうさん、まだ痛い?」
「いや」
俺は少しだけ表情を緩めた。
「リュカがホイミをかけてくれたからな」
リュカの顔に、ほんの少しだけ安堵が戻る。
「ほんと?」
「ああ。かなり楽になった」
「よかった……」
その声を聞いて、改めて思う。
守るだけでは足りない。
今のままでは、まだ足りない。
未来のリュカは強かった。
本気で放たれたバギクロスを斬ることで、俺はようやく一つ先へ進めた。
しんくう斬り。
あの技は、これまで剣に魔力を通し続けてきた練習が実を結んだものだ。
だが、そこで満足している場合ではない。
ゲマは、今日向き合った未来のリュカよりもなお厄介だ。
単純な力だけの話ではない。
卑劣さ。
人質を使う冷酷さ。
こちらの心を折るやり方。
あの場で勝つには、ただ強いだけでは足りない。
ゲマが仕掛ける前に動く力。
リュカもヘンリーも守り切る判断。
奴の呪文も、罠も、悪意も、正面から斬り開く剣。
もっと必要だ。
もっと修行しなければならない。
俺は手当てを終えた腕を握った。
痛みは残っている。
だが、その痛みが逆に意識をはっきりさせた。
「サンチョ」
「はい、旦那さま」
「明日から、少し鍛え直す」
サンチョの顔が引きつった。
「そのお怪我で、でございますか?」
「今日は休む」
「今日は、でございますか!?」
「明日からだ」
サンチョは頭を抱えた。
「坊っちゃんからも何か言ってくださいませ!」
リュカは俺を見上げた。
まだ不安そうな顔をしている。
「おとうさん、またけがするの?」
「しないように強くなる」
「ほんと?」
「ああ」
俺はリュカの頭を撫でた。
「お前を守るためだ」
リュカは少しだけ黙った。
それから、小さく頷く。
「じゃあ、ぼくも強くなる」
「リュカ?」
「おとうさんだけがけがするの、いやだ」
その言葉に、サンチョが息を呑んだ。
俺も一瞬、返す言葉を失った。
幼いリュカは、未来のことを知らない。
父が死ぬ運命も、奴隷として奪われる十年も知らない。
それでも、この子はもう、自分だけ守られるつもりではないのだ。
俺は静かに頷いた。
「分かった」
「いいの?」
「ああ。ただし、無茶はさせない」
「うん!」
リュカの顔に、ようやく少しだけ笑みが戻った。
ボロンゴも安心したように喉を鳴らし、リュカの横へ座り込む。
俺はその笑顔を見ながら、胸の奥で誓う。
この笑顔を守る。
未来から来た青年の涙も、無駄にはしない。
あのリュカが戻った先を、少しでも良い未来に変える。
そのためにも、俺は強くならなければならない。
しんくう斬りは、始まりだ。
ゲマを倒すには、まだ足りない。
運命を斬るには、もっと先へ進まなければならない。
俺は窓の外を見た。
サンタローズの空は穏やかだった。
だが、その穏やかさの向こうで、確かに流れが変わり始めている。
次に動く時、運命はまた別の形で牙を剥くだろう。
それでも構わない。
俺はパパスとして、ここにいる。
リュカの父として。
未来のリュカに約束した男として。
必ず、守り抜く。