ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
夜明け前、俺は修道院を出た。
空はまだ薄暗く、海面には白い靄が漂っている。
昨日話した修道女が、門の前で俺を待っていた。
その手には、油を染み込ませた大きな革布が抱えられている。
「荷物を包むのでしたら、こちらをお使いください」
「借りてもいいのか?」
「無事に戻って、返してくだされば」
「ああ。必ず返す」
俺は山越え用の道具を革布で包み、隙間から水が入らないよう何重にも縄を巻いた。
食料や薬草は、それぞれ小さな革袋へ分けて入れてある。
問題は、メタルキングのけんだった。
水に濡れた程度で錆びるような剣には見えないが、海底へ沈めれば回収できる保証はない。
鞘ごと革布で包み、荷物の上へ固定する。
さらに空気を入れた革袋を左右へ結びつけ、簡単な浮きとして使うことにした。
「本当に泳がれるのですね……」
「ああ」
「対岸へ着いても、その先には山しかありませんよ」
「その山の向こうに用がある」
修道女は何か言いたそうにしていたが、最後には小さく頭を下げた。
「神の御加護がありますように」
「ありがとう」
俺は荷物を浅瀬へ浮かべ、腰へつないだ縄を確かめた。
冷たい水が足から腰へ上がってくる。
ここで例の叫び声を上げるつもりはない。
あれはもっと別の、決定的な場面まで取っておく。
俺は静かに息を吸い、海へ身体を沈めた。
◆
修道女の言葉どおり、岸の近くは穏やかだった。
だが、沖へ進むにつれて潮の流れが強くなる。
背後の荷物が横へ引かれ、身体ごと南へ流されそうになった。
正面から逆らえば、対岸へ着く前に体力を使い切る。
俺は進路を斜めへ変えた。
潮に押されながらも、少しずつ目的の岸へ近づいていく。
荷物を結んだ縄が腰へ食い込む。
メタルキングのけんが加わった分、浮きだけでは重さを支えきれていない。
(五万コインを海へ沈めてたまるか)
両腕を動かし続ける。
呼吸を乱さず、波が来るたびに身体を浮かせる。
途中で大きな波を受け、荷物がひっくり返った。
俺は縄を手繰り寄せ、浮きを元の向きへ戻す。
包みは破れていない。
剣も流されていない。
再び対岸へ顔を向ける。
近く見えていたはずの陸地は、泳いでみると一向に近づかなかった。
それでも腕は止めない。
ゲマと戦う前に、海峡で力尽きるなど笑い話にもならない。
◆
どれほど泳いだのか。
伸ばした足先が、硬い岩へ触れた。
もう一度蹴ると、今度は膝が海底へ当たる。
俺は立ち上がり、荷物を引きながら岸へ向かった。
最後の波に背中を押され、砂と小石の混じった浜へ倒れ込む。
「……着いたか」
しばらく仰向けになり、荒くなった呼吸を整える。
対岸には、出発した修道院が小さく見えていた。
荷物の縄を解き、中身を確認する。
革布の表面は濡れていたが、食料や道具までは水が入っていない。
メタルキングのけんも無事だった。
鞘から少しだけ抜くと、白銀の刃は変わらぬ輝きを放っている。
「これで海へ落としたら、何のためにカジノへ行ったのか分からないからな」
濡れた服を絞り、外套を岩へ広げる。
日が高くなるまで休みながら、俺は目の前の山脈を見上げた。
地図では、ただの山の印だった。
ゲームの中なら、方向キーを押しても進めない場所だ。
だが、実際の山には岩の割れ目がある。
木々の間には獣が通ったらしい細い跡も残っている。
通れないのではない。
今まで、通る必要がなかっただけかもしれない。
俺は荷物を背負い直し、最も傾斜の緩い斜面へ向かった。
◆
最初のうちは、木の根や岩を足場にして登ることができた。
だが、高度が上がるにつれて斜面は急になり、土よりも剥き出しの岩が増えていく。
俺は鉄杭を岩の割れ目へ打ち込み、縄を通した。
体重を預けても抜けないことを確かめてから、荷物を引き上げる。
メタルキングのけんは戦いでは頼もしい。
しかし、山登りではただ重い。
(最強装備にも欠点はあるな)
汗を拭い、次の足場を探す。
少し先には、人一人が身体を通せそうな岩の裂け目があった。
そこへ向かって登りかけたとき、足元の小石が崩れた。
身体が斜面から離れ、腰の縄が一気に張る。
「ぐっ!」
鉄杭が軋んだ。
だが、抜けない。
俺は岩へ手を伸ばし、指を割れ目へ食い込ませた。
腕の力だけで身体を引き戻し、再び足場へ立つ。
下を見れば、登ってきた斜面が遥か下まで続いていた。
落ちれば、バーハもメタルキングのけんも役には立たない。
「気を抜くなということか」
俺は縄を結び直し、岩の裂け目へ身体を滑り込ませた。
暗く狭い道を抜ける。
その先から、わずかに風が流れてきていた。
風の向こうには、さらに高い山が待っている。
だが、道はあった。
ゲームでは通れなかった場所に、確かに先へ続く道が存在していた。